1組故泰地喜惣次妻 泰地 節子 |
春は街も空も光や色や暖かさに溢れます。桜の華やぎが過ぎた頃庭のアメリカ花水木が咲き始めます。 花水木を植えた主人も今は亡く、過ぎ去った日々はすべてなつかしく思い出されます。 主人はシアトルで生まれ小学校入学前に日本に帰国しました。喜惣次と云うむつかしい名前を父親が先祖の名前から戴いて付けたと云うことですが、父も母も少年時代の友達も、アメリカでの名前の「ジミイ」と呼んでいました。今でも故郷の紀州に帰りますと「ジミイさん」で通ります。陽気な人でしたのでこの方がピッタリかなーと思っています。 商社勤めの主人はいつも忙しく、麻雀やゴルフの日もありましたが接待と称する会合が多くて帰りが遅いのですが、毎日の様に何かおみやげを買って帰るのです。自分の好きな果物の場合が殆どで、時々お菓子とか息子の好きな本や玩具の類いなのです。私が「自分の家に帰るのになにもお土産なくていいのよ」と云うと笑っていました。帰りの早い日は「買物ない?」と電話がかかって来るのです。買物は何であれ大好きで助かりました。 これが一番合理的と云って、かばんを持たず風呂敷をいつも持ち歩いていた姿を思い出します。 日常に気を取られて忘れていた事をあれこれ思い出しました。能や狂言に夢中になっている時期も有りましたし、越路吹雪さんのファンになってリサイタルに通った時もありました。今頃あの世で照れていることでしょう。 家に居る私にとって主人の話は社会に開いた窓でしたので、沢山の話に刺激を受け色々な事を知ることが出来ました。 |