1組故高木哲夫妻 高木 広子

 

 先日から気にかかりながら、絵筆は持っても文を書くことのほとんど無い日々を過しておりますので、日一日と延ばしておりましたが、本日幹事さまからの電話でやっとペンをとりました。早いもので、今年は故人の十三回忌にあたります。故人も黄泉の国とやらで、皆様五十周年をめでたく迎えられますことをよろこび居ることと存じます。心からお祝い申し上げます。

 思い出すままに少しとりとめもないことを書かせていたヾきます。
 昭和十八年の結婚当初住んでおりました家は、空襲で焼けてしまい、戦後復員してからずっと現在地に両親と同居致しておりました。あの頃はまだ弟妹達も独立の時まで一緒に住んでおりました。そんな折、ハワイに転勤の話で、主人はともかく、私はうれしく思ったものでした。

 あれは日系人会の運動会でしたか、主人がめずらしく賞を頂いたのはよいのですが、それが生きた子豚で、その上元気がよくよわりました。レストランにお願いして丸焼にし、銀行の方達に食べていただいたり致しました。地域の人達ともなるべく親しく溶けこむようにとの方針もあって、地元の婦人会のバザーのお手伝いで徹夜でお料理を作ったり、チャリティの映画の切符を売ったり、これも主人の為とつとめたものでしたが、今は皆なつかしい思い出の一つでございます。主人にもっと長生きしてもらい、これからの余生をといろいろ夢をえがいておりましたが、人生は仲々思うようにはならないものと思っております。

 こうして高木と青春を共にしたお友達方に、いつまでも忘れず、私までお仲間に入れて頂き、有難いことと感謝致しております。仏の供養にと、思い出すままにしたためましたが、くだらないことばかりでお許し下さいませ。
 十二月クラブの御発展をお祈り致します。