5組  高橋  勝

 

 It was the best of times, it was the worst of times, it was the age of wisdom, it was the age of foolishness, it was the epoch of belief, it was the epoch of incredulity, it was the season of light, it was the season of darkness, it was the spring of hope, it was the winter of despair, we had everything before us, we had nothing before us, we were all going direct to Heaven, we were all going direct to the other way-in short, the period was so far like the present period, that some of its noisiest authorities insisted on its being received, for good or for evil, in the superlative degree of comparison only.
   Chales Dickens "A TALE OF TWO CITIES" (1859 年) 冒頭の一章

 昭和十四年学部一年の冬の一日私は富安直助(旧姓石井)君と銀座を歩いた。前日六大学バスケットボールリーグで一部から二部に落ちた・・一橋籠球部創立後初めての苦い経験。寒い日だった。彼は頗る上等な厚手の外套私はスプリングコート。その時の街道スナップ写真が残っている。何を喋舌りあったか忘れたが、多分「今年は敗けたが俺達には未だ二年ある、来年は一部に返り咲いて古田土、石井、高橋トリオ、佐々倉マネージャーでティームの中核となり、学部三年の再来年はこの痛恨事を逆手に取って一部で花咲かせよう」てなことでも語り合ったか。その日私が小脇にかかえて居たのが冒頭のディッケンズの「二都物語」エブリマンズライブラリー版だ。・・思い出の一こま。

 昭和十五年秋、本郷東大の屋外板張りコートで東大と練習試合をやっていた時、ゴール下で東大センターの岩尾君とフォローボールの取り合い、うまく彼の腰の上に乗る様にジャンプしてボールを取ったがバランスを崩してコートに転倒、ヒョイと見ると左手首から先が左に曲っている。「オイ引っ張れ」とどなった時古田土君が「モンテ我慢しろよ」とグイグイ引っ張り、どうやら真直になったが見る見る梶棒の様に脹れ上り、綿のトレシャツの手首が通らぬ。中学後輩の親父経営の名倉骨つぎに駆け付ける。先生曰く「脱臼だな、オヤ何となく修まっている。三ヶ月もすれば使えるよ」と。お蔭で二ヶ月位して練習に参加、十二月初旬の二部優勝に続き一部最下位の慶応に入換戦で勝ち、一部への返り咲きを果した。翌十六年のリーグ戦では学三トリオに学二の加藤、伊藤、田中と、福島高商での名センター斉藤(芳)学一以下の新鋭と強力メンバーで、終に東大と同位の三位の座を確得した。リーグ三位は七八年振り。・・中学時代全国制覇、予科時代高商大会優勝、学部三年での有終の美(?)・・l我が青春に悔なし。

 古田土君については今一つ思い出がある。昭和二十年三月十日(私は十七年四月応召になったが幼時の右手焼痕の為即日帰郷で引き続き三菱化工機に勤務中)、初の米軍による東京大空襲、会社の若手社員が下町で被災したとの報に早速本所の彼の家に見舞に行った。丸の内から東南北見渡す限り硝煙と焼野が原、無数の被災者の群。途中国技館を過ぎて緑町の古田土君の家(大きな薬屋)の辺り「アア矢張りやられたな」。フト見ると彼の兄さんが荘然と佇んでいる。「兄さん昌久君の球友です。御家族は」と話し掛けた。伺えば、彼は空襲直前に御両親を田舎に疎開させる為出京し、今朝東京空襲とて急ぎ帰京されたが、此処に残された御家族の方々は遂に全滅された由。全くお慰めの言葉も出ぬショックだった。

春暁や邯鄲の夢醒めやらず

行年や佳き日佳き日を重ねんと