2組 豊倉 爾 |
ゴルフを始めて既に数十年たつが、この歳になっても、いまだにゴルフの魅力にとりつかれ、少しでも腕の上る手だてはないものかと、日夜悩みつづけているので、感ずるがままに、二、三のべてみたい。 (一) 私のゴルフ 一九五八年十一月中旬のある日、会社の友と、カナダはヴァンクーバー・エアポート近くのドライビング・レインジに足を運んだ。 まるで野っ原のような練習場のおやじさんが、見るに見かねて、ゴルフの球は、こうして打つものだと教えてくれたのが、私のゴルフの事始めであった。 あれから、はや三十数年たってしまったが、およそプロらしき人にゴルフを習ったのは、これが最初で最後である。 その後日ならずして、ブリティッシュ・コロンビア大学構内のコースで筆下しをし、ハーフ七十二をたたいたことを、はっきりと憶えている。 ひき続き翌年五月までの滞在中、ひまにまかせては、クラブを振りまわし、ツーラウンド、ときにはスリーラウンドと夢中でプレーしているうちに、わがフォームは否応なしに固まってしまったものとみえる。 こんな無茶な我流ゴルフの悲しさ、今日になっても、二十台のハンディでうろうろしており、もうこれからの進歩は、まず、のぞめまい。 ただ一つ、人が私のスゥイングを見て、「テークバックもフォローも小さい割には、インパクトはまずまずだ」と評する。考えてみると、これは大学時代、ホッケー部に居候をして、スティックを振った後遺症かもしれない。 (二) スポーツマン・シップ 私のようなアマチュアのアベレージゴルファーでも、ときには、プロの世界を眺めながら、余りの情け無さに、無性に腹がたってしようがないこともある。こんなことがあった。 数年前のプロゴルフ公式戦三日目のことではなかったかと思う。一緒にまわったジャンボ尾崎選手と競り合って見事リードをキープしたまま、最終ホールを終えたブライアン・ジョーンズ選手に向って、プロ出身の某氏がインタビューしたときのことである。 私は、某氏が大のジャンボ・シンパであることを知っていたので、何ときりだすか、興味をもって、テレビを見つめていた。 「ジャンボ、どう?」。何とこれが、このインタビューの第一声であった。 まず、ジョーンズ選手の、この日の素晴らしい健闘をたたえ、最終日に向っての彼の作戦とか決意のほどをただし、どうしてもききたければ、その後に、相手になるジャンボをどうみているかをたずねるのが、インタビュアーの、ごく初歩的なマナーだと思うのだ。失礼もいいところである。 こんなインタビューが、外人選手に向って、平然と行われ、しかも、こういう非礼なインタビューに対し、たちどころに批判一つさえ出てこないところに、私は、日本のプロゴルフ界とこれをとりまくマスコミを含めた、何ともわびしい土壌の一面が浮きぼりにされていると思うものだ。 かつて、外人の女子ゴルファーが、日本でプレー中、ボギーをたたいた際、観衆の一人が「ナイス、ボギー」と叫び、これをききとがめた岡本綾子プロが、涙ながらに抗議したことがあったが、このインタビューも、レベルとしては、同じようなものと言えるかもしれない。いや非礼を、おかしているのが、プロゴルファー出身だけに、さらに低次元のはなしだ。 日本のプロゴルフ界も、このところ、極めて華やかに量的拡大を続けつつあるが、真のスポーツマンシップを内蔵したフェアで深味のある発展をとげるよう、ねがうのは私だけではあるまいと信ずる。 (三) ゴルフ技術論の不思議 およそゴルフのスゥイングに関する技術論ほど、アベレージ・ゴルファーにとって不思議なものはない。 さらには力を絶対にいれぬよう、静かにふりおろすのがこつである……、いやいや、その瞬間力をこめなくては、スピードが出ない等等、凡人ゴルファーは迷うだけである。 まだある。バンカーショツトについてはこうだ。 以上、この国のプロが、スゥイングについて説くところを列挙してみた。思うに、結局は、プロといえども、自分が長年かけて作り上げたスゥイングを、単に主観的、経験的にのべ得るに過ぎないのではないか? 残念ながら、われわれアベレージ・ゴルファーが、どうしたらよいスゥイングを身につけられるかを、真に納得のゆくよう明快に解説したゴルフの指導書には、ついぞ、お目にかかったことがない。 かくして、われわれ凡人ゴルファーは、悲しいことに、これら数多のスゥイングの部分的技術論にふりまわされ、何時の間にか、妙な習癖に取りつかれ、連日のように、ダフやトップを繰り返し続けているのである。 |