はじめに
原稿締切りの期限が迫って何の用意もできない。もともと文学的才能を持ちあわせないから、詩歌はおろか、随想も綴れない。未来はもうないから語れないし、現在は老いさらばえている。過去は・・暗すぎたから・・語るのが苦痛です。せっぱつまってここにお送りするこの原稿、題して"「英国囲碁」ことのはじめ"は、実は前に、別の目的で書いておいたものですが、まだ手元にありましたので、これで責をふさがさせていただこうというわけです。
私は一九六〇年の一月、当時ロンドンで唯一の囲碁クラブ、というか、ロンドンの碁を愛好する人たちが集るジョン・バースさんのお宅に招かれました。その日、そこには数人の碧眼の愛好者と、いま一人、バースさんから連絡を受けていたとみえて、英紙「The
Guardian」の記者Michael Frayn氏が取材のために、きていました。フレインさんは一生懸命取材しようとするのだけれど、何しろ彼は碁について全くチンプンカンプンだから、彼の取材の努力は、まことに未開のジャングルを伐り拓くよりも困難な作業になったようです。
彼がその懸命の取材をまとめて同紙の雑報欄に掲載したものが次に紹介する記事です。その取材がどんなに困難であったか、それをまとめるのにどんなに苦労したか、がその文章に現れています。
バースさんは折角取材に来たフレイン記者に碁の説明をする。石の生き、死に、の説明ぐらいまではよかったけれど、バースさんは段々得意になって、ツルの巣ごもり、うつてがえし、たけふ等々の用語まで説明するに至ったから、もうこのあたりでは彼は深いボルネオのジャングルの中で方角を失ってしまった。
それから始まった私達の対局でまた彼は目を丸くする。私が石をつまんで打つときの手つきに感嘆しその石音に驚き、そして一緒に二人を相手にして打った碁をあとで並べ直すのをみて、もう狐につままれたような顔になった。
彼の人なつっこい目付が私には今も忘れられません。次にその記事を紹介します。
"The Guardian (雑報欄) ミカエル・フレイン
とうとう碁(go)がやってきた。
碁がバーミンガム(ロンドンの地区名、訳者註)にやってくるといううわさはチラホラあったけれど、さてこの町の誰が碁というものを識っているかということも筆者は知らなかった。
しかしとうとうウェムブレイ(バーミンガム内の一町名、訳者註)の町で生きている碁があなたも見られるということになった。
筆者は〃ロンドン囲碁クラブ"が毎週末に開催している会長宅の碁会のありさまを見るためにウェンブレイの町まで出かけたのである。
会長さんというのはケンシントン(ロンドンの商店街名、訳者註)で光学機械商を営んでいるジョン・バースさんである。ロンドン囲碁クラブのメンバーは全部で十五人ということだから、まだ全英国が碁にいかれているという程ではない。しかしこのウェンブレイの碁席が英国の碁のはじまりであることはたしかである。
碁は日本のいわば「国のゲーム(national game)」である。日本の碁人口は凡そ一千万人、碁の専門雑誌が八つ、そのうち二つは夫々三万五千の発行部数であるという。そして、すべての新聞が囲碁欄を設けているというのだから、碁というものが日本では大変なものだという想像はつく。
碁は、中国でも行われていて、中国の碁人口は日本のそれよりも数百万は多いといわれている。中国では碁をウェイ・チー(Wei
chi)と呼んでいる。またアメリカやドイツでも行われているが、その数はまだ一握りのようである。
日本の総理大臣の岸氏が・・彼自身碁の愛好者の一人だが・・国際囲碁連盟というものを設立しようと目下乗り気になっている。またロンドンの日本大使館では来客用の囲碁室を備えているということである。
碁は盤の上で行われるゲームである。バース氏がその盤をしつらえながら「碁は人類にとって最も複雑な盤上のゲームである……」と説明したら、「三次元のチェスを除けばネ」といま一人の碁打ちが合いづちをいれた。
さて盤には、たて、よこ、夫々十九本の線がひかれている。盤上に何もない時点からゲームは始められるのだが、その盤上のタテ、ヨコの交叉点に夫々の石を置いてゆくことによってゲームは進行してゆく。その目標は自分の石で盤上をできるだけ大きく囲んで確保し、そしてまた相手の石をできるだけ捕獲するということである。といえばいとも簡単にきこえるけれど、とてもそんなものではない。
バース氏は、・・おそらく初歩的なものだと思うのだが・・定石(Joseki)というものを説明している日本の三冊の本をみせてくれた。
定石というのは盤上の四隅で行われる戦闘開始のテクニックであって、フセキ(Fuseki)という、盤全体の戦略と対比されているものである。そしてこの定石にはおよそ二万一千の変化があるといわれている。
日本の最高級の棋士のトーナメントでは夫々十三時間の費消が許されているから、あわせて二十六時間、それが三日に亘って戦われるということもどうやらうなづける。トーナメントは棋士たちを柔道(Judo)と同じように階級をつけて行う。階級は、初段(Shodan)、二段(Ni-dan)、三段(San-dan)、四段(Yo-dan)……と上り、更にプロになれば七段(Shichi-dan)、八段(Hachi-dan)、九段(Ku-dan)までの階級が設けられている。本因坊(Hon'imbo)と呼ばれる世界選手権を争うトーナメントもある。現在本因坊の高川格は、そのタイトルを七年間保持しつづけており、また今後も八段〜九段の資格で本因坊戦に永久参加の資格をもっている。
碁というゲームは、中国が発祥の地といわれており、四千年に及ぶ伝統をもつといわれる。そして孔子も碁に言及しているという。また中国では、碁に占星学的な意義づけをしているという。白い石と黒い石とは夫々、宇宙(the
world)の「否定」と「肯定」のシンボルであり、盤の中心が宇宙の中心である。そしてそこから四隅に向って四季が拡がっているのだという。
こんな面倒な説明が続けられてくると、他のあまり棋才に恵まれないお客さん達は、もうとても飲まないではいられなくなったようである。
(中略訳者)
さて、ウェムブレイでは、話の傾向はむしろ演鐸的のようである。ここに集ったのは、数学者が一人と会計士が二人、それにコンピューターのプログラマーが二人、みんなチェスからの転向者ばかり。
記者が訪れたその晩は、日本から一人のお客さんが来ていた。東京から来た会計学の教授で碁の段級は五段であるという。彼は初段のバース氏(英国では唯一人の有段者である)と、いま一人の会計士とを相手に同時に二局の碁を打った。彼はこの二人を負かしたあとで、その記憶から、打った碁を全部並べ直して批評したものである。
さて次に、この会計学者は筆者を相手にして一局打ってくれた。そして、それから、私の頭は泳ぎはじめた。それはまるで未開のジャングルを伐り拓いて一歩一歩道をあけようとするよりも、もっと辛い作業であった。そのジャングルは、鶴の巣(つるの巣ごもりのこと、訳者註)や、大猿(猿手のこと、訳者註)、竹の節(Bamboo knot 竹符つぎのこと、訳者註)、盗賊の巣窟(Robber's den うつてがえしのこと、訳者註)などなどが、やたらに入りみだれているすごいジャングルなのである。
人差し指と中指の間に石をはさんで打ち下すときには、ピストルの発射音が出るのだが、記者にはとても、その石のはさみ方さえ憶えられはしない。
さてその晩記者はベッドに横になってから夢をみるのである。夢に現れるのは、たてよこ十九筋の鉄格子の上で、カドリールの踊りからはじまって、四半音の遁走曲へと踊る"泥棒猿"の群れである。
もし誰か碁を覚えたい人がいるなら、Wembley 12 Third Avenueのロンドン囲碁クラブに連絡するがよい。記者もここで無段の登録をしっかりすませてから、英国の碁時代(go
age)の到来のために備えようと思っている。
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