3組 浮洲 静太郎 |
私と北海道 私が初めて北海道へ渡ったのは昭和十九年二月。当時陸軍少尉だった私は、歩兵第百二十九連隊(会津若松)の軍旗と共に、小樽から千島の新知(シンシル)島に向かう。この後得撫(ウルップ)島で終戦を迎え、三年間のシベリア抑留生活が続くのだが……。(註一) 小樽は雪深く、道路は公衆電話の屋根よりも高かった。数人の女が大蛸の足の入った木箱を曳きずって歩いており、一本譲り受けて宿のストーブで焙って食べたのを思い出す。 二度目は四十年八月から翌年十二月迄。この時は日本郵船の室蘭出張所長で、家族連れだった。夏はゴルフ、冬は飲み屋回りにいそしんだが、四十一年のゴルフ回数96はいまだに郵船の記録らしい。五月から十月迄半年位しかプレー出来ないので、二日に一回位行っていたことになる。仕事そっちのけで遊び回っていた様に思われるかも知れないが、そうではない。猫も杓子も皆ゴルフに行ってしまうので、得意先に会う為に、こちらも行かねばならないのだ。 三度目は四十七年十二月から半年間、さるタグボート会社の苫小牧所長で、チョンガ生活だった。 四度目は又室蘭で、五十四年暮から会社のマンションで独り暮らしの三年半。一階がオフィスだから、片道二時間も掛かった横浜とは大変な違いだが、正直言って時間を持て余した。「小人閑居して不善を為す」とはよく言ったものだ。五十六年冬、喘息の為初めて入院した。(註二) 食 物 食生活は概して質素である。牛肉は殆ど食べない。肉と言えば豚肉のことで、スキ焼もこれだ。鶏肉は味付けして揚げることが多い(ザンギと言う)。 又羊の肉を多量の野菜と共に妙めて食べる(ジンギスカン焼)。長い冬がやっと終って青葉若葉が目に泌みる頃、屋外で家族や気の合った友人達と鍋を囲む気持は最高であろう。 牛肉を余り食べないのは、本道に移住して来た人々が、酪農を主たる生業として来た歴史に大いに関係があると思われる。兎に角、牛肉は固く、まことに不味である。 御当地は勿論魚だ。鮭鱒、烏賊、蛸、鰈、平目、鰊、鰯、鯖、秋刀魚、ホッケ、キンキン、ソイ等々矢鱈に安くてイキが良い。北寄貝、帆立貝、つぶ等の貝類、鱈子、筋子や昆布、若布と、海の幸は豊富だ。 中でも美味とされるのは噴火湾で獲れるマスノスケと呼ばれる鮭で、燻製も結構だ。イクラの醤油漬は熱い御飯に最高、又鰊や鮭等で作るいずしにも捨て難い味がある。 野菜果物では、札幌大通り公園のトウキビ、夕張メロン、アスパラガス、じゃが芋等は余りにも有名だ。かつては不自由だった冬場のビタミンCの補給も、本道とのフェリー網の発達で解消された。 言 葉 エゾ地が北海道と名を変え、道外各地から移民の群が押しよせる様になってから百年余。開拓当初の北海道は文字通り各地方言のルツボと化していたが、この間にそれぞれのお国言葉は次第に姿を消し、次の様な新しい北海道の共通語が生まれて来ている。 (女性の「そうカイ」) 「かい」は全国共通語で、一般に男性用語だが、本道では頻度極めて高く、特に女性が堂々と使っている。親しい間柄ではごく普通に、初対面の人とでも少し打解けると使う。日照時間が短い為透ける様に色の白い美人が、真顔で「ああそうカイ」等と言うのを聞くと、思わず微苦笑がこみ上げて来る。 (デシタ) 「今晩は」と言う処を「お晩です」と言うのは東北弁だが、これを「お晩デシタ」、「おはようございます」を「おはようございマシタ」と言う。御用聞の挨拶も「毎度さんデシタ」等となっており、現在形を過去形に置き換える特異な敬語表現となっている。 (命令形と仮定形) 命令形と仮定形が混同してしまった。即ち、 「見る」の命令形が「見れ」(見よ、見ろ) つまり次の様な会話になる。 (ダカラ) 本来は文の途中に使われて因果関係を表す言葉だが、文末に使って話し手の強い感情を表す女性専用語となっている。「あんた、あの本読んだ?とっても面白いんダカラ」は、そのあとに「あなたも読んで見なさい」と言う気持が込められている。又「○○さんのご主人、昨日交通事故で亡くなったんダカラ」と言えば、「本当にお気の毒ね、あなたも同情して上げなさい」と言う気持が漂う。つまり自分の気持を全部言葉として口に出さず、余韻を持たせた表現で、話し手の感情を二倍にも三倍にもふくらませる効果がある。 (タッショ) 「です」の推量形が、「でしょう」ではなく「寒かっタッショ」「よかっタッショ」の様に、上の言葉の語尾と結合して促音化して、又「で」が抜けた上に最後の長音を短かく言う現象。広く使われているが、若い女性の口から出ると色っぼいムードがある。 (よく使われる言葉) メンコイ(可愛いい)。トーキビ(とうもろこし)、アキアジ(鮭)、オヤジ(熊)、コワイ(疲れる)、ヤンシュー(漁夫)、ハンカクサイ(馬鹿らしい)、ユルクナイ(楽でない)、カッチャク(引っかく)、、ミッタクナイ(美しくない)、ナゲル(捨てる)、ゴメ(かもめ)、ゴモクソ(ぶつぶつ不平を言うさま)、ドサンコ(道産馬、転じて北海道生れの人)、カマドカエス(倒産する)、ナンモ(何もが訛ったもの、「あの本面白いか?」「ナンモ!」と言う風に使う)、ボッコ(棒状のもの)、コッコ(鱈子、数の子等の腹子)。 冠婚葬祭 初めて本道の結婚式に参列した人は、出席者の多いのに驚かされる筈だ。二百人位は普通で、時として四、五百人にもなるのだから。葬儀も同様、多人数で行われるが、これは北海道の歴史に大いに関係ありと思われる。 初期の住民は本州からの移住者のみで(土着のアイヌ人は別として)、未開の荒野で一年の半分は酷寒と戦いながら酪農や耕作に従事しなければならなかった。この為共存共作、相互扶助の精神が強く、冠婚葬祭にもそれが反映しているのだ。 結婚式は殆どが会費制で、司会等も交代でやる。会費は現在六千円かと思われるが、これで式場の費用を賄うのである。 葬儀の際は地方紙に大きく死亡広告を出す慣わしで、葬儀委員長、副委員長、親族友人代表、顧問、相談役等の肩書で、多くの人が名を列ねる。最後に行われる坊さんの説教が終るまで席を立つ人はいない。又香典返しは原則としてない様だ。 結婚式の会費と香典には領収証が発行される。一見奇妙に思われるが、成るべく大勢の人が参加出来る様に配慮されているのであろう。 ゴルフ 北海道はゴルファーのメッカであろう。土地が広くて安く、ゴルフ人口も少ないからだ。半年しかプレー出来ないハンデこそあれ、大抵のゴルフ場は町のすぐ近くにある。ビジターだけのプレーもまず可能だし、土、日曜日は多少混むものの、ウイークデイはガラガラに空いている。 料金もビジターで一万円位だから、会員権を買うよりも、ビジターであちこちのゴルフ場を回った方が安くて面白い。中でも洞爺湖カントリーは白樺の林とフェアウエイの緑の取り合わせが美しいコースで、噴火湾に打ち込んで行く様なホールもあるが、しょっ中ガスが掛かるのが惜しい。 キャデイは永年勤めている真面目な女性が多く、間違っても何処かの名門コースの様に、客の腕前を云々する様なことはない。冬の間は失業保険(十二月/三月)を貰い、お店の手伝い等をやっている。 丸一日ゴルフをやっている人は少なく、午前中に済ませて午後会社に出たり、夏など暑いからと午後三時頃から回る人もいる。風呂に入るのはコンペの時位だ。コンペがかちあうと、「力ード参加」と言って力ードを提出すれば参加者と同じ資格を得られるシステムもある。 食事も茶店のそばかお握り程度で済ませることが多い。車を運転して来る人が大部分なので、酒類を飲む人は少ない。又プレイングフィーは各人払いが原則となっている為、得意先と言っても僅かな支出で済ませることが出来る。 離 婚 北海道では離婚が多い。苫小牧の会社の女事務員も、一人は子連れの母子家庭、他の一人も母子家庭の子だった。室蘭の知り合いの女性を見ても、夫のいない人が大部分であった。 統計によれば、本道の離婚率は四十四年以降殆ど毎年全国一の高さで、これについて札幌在住の作家小桧山博氏は次の見解を述べている。 「総体的に言えるのは、どの女性も気性が激しく、相手に合せようとしないことで、これは北海道の歴史にもかかわる。我々の祖先は、流民としてここにやって来た。貧しいまま土地を転々としている間に、女は働き者になり、自我意識が培われたと思う。その半面、家族制度や風習がない。歴史が浅い故に、女の意識は未熟だとも言える。性格は良いが、おっちょこちょいで、簡単に結婚してしまうと言う気質もある。こうした精神風土が『離婚率全国一』に結びついているのではないか。それに、寒いと言う自然の風土も、離婚原因の一つではないか。寒さにかこつけ男はどうしても、外で飲む機会が多くなる。外で女を知るケースも多くなると思う。 北海道の女は本当に働き者だ。そして申し合わせた様に皆明るくて気質が良く、この辺にドサンコ女の魅力があるのかも知れない。 四 季 春。北海道に住む人が、最も待ち焦がれる季節だ。すべての草木が一斉に芽を吹き、野も山も美しい緑の絨毯で蔽われる。そして沢山の花が百花繚乱と咲き乱れると、人びとは家の中にいたたまれず、競って戸外に出る。山菜採り、ジンギスカン鍋、ドライブ、ゴルフと、半年間貯えたエネルギーを一挙に爆発させる。 夏。本道の夏が良いと言うのは、内地の夏が下等で愚劣すぎるから、従って相対的に良いのだと言う人もいる。兎に角気候が爽やかで住み心地が良く、又ビールもうまいのは湿気の少ない所為であろう。ゴルフで汗を掻くのも一、二回で、この時が二十八度位だ。 秋。北海道の四季の中では一番短かく感じられる。去る夏を惜しむうちに、早い冬が来てしまうからだ。九、十月は最高の気候で、埃及(エジプト)を想い出させる様な真青な空が、毎日約束されている。 冬。ナナカマドの実が真赤に熟れると、エゾ富士(羊蹄山)の頂きから幾筋もの雪が掛かり、長い冬が足早やにやって来る。 註一 註二 |