7組故篠原英夫次女 浦部 弘子

 

 御卒業五〇周年、誠にお目出とうございます。
 つい先日、亡父篠原英夫の十三回忌の法要を無事、済ませました。初孫が小学校入学目前の急逝だった為、父の生前最後の贈り物が赤いランドセルでしたが、その孫も大学生の歳になりました。月日の経つ速さを改めて感じますが、私自身、四半世紀前、中学二年から大学一年迄、東西懇親会に毎年母と参加させて頂いておりました。

 今回姉より「昔お世話になったのだから」と原稿を書くように云われ、貴クラブ通信と原稿用紙を渡されました。約二〇年振りに通信を拝読し懐かしいお名前を拝見致しましたが、父が「ハッチャン」とお呼びしてました光永様、当時高砂委員長でいらした麻生様、そして私の同級生のお父様の一ノ瀬様が既にお亡くなりになっていらっしゃるのに驚き、ご冥福を祈る次第でございます。

 振り返ってみますと、旅先で先頭をマーキュリーの旗を持って歩かれてました坂田様、乗物に乗ると飲み物を配ったり心配り抜群のお世話役の中村様、いつも朝からニコニコ愛想のよろしい片柳様とお嬢様、王将を勇ましく踊っていらした新井様の御奥様など走馬灯の如く想い出されます。当時、夕食の宴で海軍経験者の方々と軍歌を楽しそうに歌っておりました母は今、江戸川区西葛西の和楽苑という特別養護老人ホームでほとんど眠ったままの状態が、ここ五年以上続いております。

 「長煙遠く」を子守歌として育ち、中学から大学迄毎年ご旅行にお伴させて頂き、魚本大使御夫妻のお仲人で結婚し、主人の転勤先でもマーキュリーの旗の下に如水会員が集まっての餅つき大会や新年会に参加致します度に、貴クラブの暖かい和やかな雰囲気を想い出しております。

 昨年は昭和四十一年卒業の主人達が卒業二十五周年の大会を開いた様でございますが、貴クラブの様な家族揃っての和やかさには残念ながら未だ至っていないようでございます。これからも貴クラブが、如水会員のお手本となって、心温かく新趣向あふれる素晴らしいクラブに益々御発展遊ばされますよう心よりお祈り申し上げます。