7組  漆原 栄一

 

 私は頭が単純なせいか、いくら芸術性が高くとも、おもしろくないものは、あまり読まない。これに反し、芸術性はあまりなくとも、おもしろいものは、何遍も繰返して読む。例えば、浪曲の広沢虎造の清水次郎長外伝のように、ほかの人は馬鹿にしても、私はきいているうちに、ほろりと涙ぐむこどもある。誰が書いたか知らないが、この浪曲の台本はなかなかの名文である。諸兄は或いは馬鹿にしているかも知れないが、私は繰返して読んで、いつも感心し、また次の機会に読んでみようと思うものがいくつかある。

 その中で、まず第一に推すのは、ハーマン・ウォークの「ケイン号の反乱」である。これは映画にもなり、またしばしば放映されるから、或いはご記憶の方もいるかも知れない。これの主人公のキース海軍予備少尉(作者ハーマン・ウォークの分身)は、太平洋戦争の直前に、アメリカの名門大学プリンストン大学を出て、陸軍を嫌って、海軍予備士官学校に入り、海軍予備士官となり、予想に違い、掃海駆逐艦に乗組みを命ぜられる。そして指揮能力のない、ごまかしやの艦長に仕え、台風と戦い、日本海軍と戦い、次第に立派な士官になって行く話である。丁度われわれと同じ世代で、われわれが帝国陸軍、海軍で苦労したのと同じことを、彼はアメリカ海軍で苦労するのである。従って彼我比較して、おもしろいし、彼の合理的精神、事務能力、また恋人メイ・ウインとの恋愛観がうかがえて参考になる。特に千人もいる予備士官学校の同期生中、五十番以内の優秀な成績で卒業した彼が、掃海駆逐艦に配属されて、くさった時、黒色癌に犯されて、不治の病の病床から彼の父が書いた「ドクターキースの手紙」は名文中の名文で、彼を奮起させたばかりでなく、私をも常にはげましを与え続けている大文学である。私はこの一書を持っているアメリカ人が羨しく思えると同時に、このような文学のない日本人を悲しく思うのである。諸兄に是非一読をおすすめするものである。

 第二番にあげるのは、アレキサンダー・デュマの「モンテクリスト伯」である。十四年間の入牢を強いられたエドモン・ダンテスが、その五人の悪人に復讐する綿密、豪壮の筋書は、私は人間の想像力の極限の一つと感嘆するものである。彼が岩窟の獄中に於いて、ファリア法師について勉学する話は、やはり人間を刺激すると見え、第二次大戦中にドイツ軍の捕虜となって、プリズンの中で数学を勉強し、数学教授になったロータリアンがいる。また後にモンテクリスト伯の妻となる王女エデが、議会の査問委員会で、モルセール伯爵を弾劾する舌鋒の鋭さは、正に天下一品で、流石文豪の快作と感じ入るものである。実は今から十余年も前の話になるが、国際ロータリーが「最も私を変えた本"The book that change me most"」の懸賞論文を募集した時、私の「ケイン号の反乱」が第七席、この「モンテ・クリスト伯」が第六席に入り、その人が数学教授なのである。

 第三にあげるものは、ジェームス・A・ミッチェナーの「ハワイ」である。これは太平洋の真中で、海底火山がハワイ群島に生長する原始から、現在の黄金のハワイに到る歴史を描いたものである。特にハワイの土人が、三千里も離れた現在の仏領ソシエテ群島から、双体のカヌーにのって、移住してくる話は、壮大でおもしろく傑作である。銅も鉄も持たない土人が、神を作り、これを守り、他の神の土人と争い、戦い、敗れて大航海を決行する話は、悲壮でもあり、彼らの航海を誘導する鮫は、神武天皇を道案内した八咫の烏に似ているではないか。彼らの大航海の案内星となったセブン・シスターの星は、今でもわれわれが、夜空に敬愛してながめるプレアデイスの宝石のような星群である。私はオワフ島に行くたびに、ビショップ博物館を訪れ、その双体のカヌーの模型を見て、彼らの大航海をしのぶのである。このほか、カメハメハ王朝、キリスト教布教団、財閥を形成して行く中国人一族、これに敗けずに不動の地位を築いて行く日本人移民の血のにじむ忍苦の数々、実にこれも大変な本である。

 最後にあげるのは、「歴代中国詩選」である。たて一二・五、横巾六・五、厚さ三・五糎のこのポケット版小冊子に約四二〇首の中国詩がのっている。私は義理で行く小旅行などには、必ずこの詩選を持って行くことにしている。詩では、中国詩が断然ナンバーワンだと思う。われわれが知っている、「春暁」「渭城朝雨」「楓橋夜泊」「白帝城」「曲江」「長干行」「長恨歌」「子夜呉夜」「江南春」「山行」「烏江廟」「零丁洋」「春夜」「赤壁」みなこの中にあって、深く味わっているうちに時間がたち、あくことがない。

 このほかに人間の奸智と暴力をえぐる「ゴッドファーザー」、奇才の偉業を伝える「通俗三国志」などあるが、私が発見した良書として叙上の四書を特に記して終りとする次第。