7組  鷲尾 節夫

 

 前回四〇周年記念文集に投稿に際し、わが人生の回顧録として、思いつくまま記憶をたどり、四〇年の足どりを書きましたが、それからもう一〇年たったとは今更の如く驚いています。何かこの一〇年元気であった事に、神に感謝する気持と共に、何かもうけものをしたような気がします。しかし、今や人生八○才というのが常識であるような今日、まだまだ残る時間がたっぷりあるような気もします。

 それにつけても、十二月クラブの幹事諸兄の熱心な御努力に対し、敬服もし、感謝もして居ります。小生はあまり熱心な会員でもなく、みなさんに御迷惑をおかけしているのではないかと、聊忸怩たるものがあります。
 最近は同窓会ばやりで、小学校、中学校、専門部と呼び出しもかかり、卒業写真をたよりに、旧交を温めているわけですが、六〇年も昔のことで、よくぞ波乱万丈の人生を生き延びで来たものだと思うこと屡々です。

 私が笈を負って田舎中学より上京したのが、昭和十一年、全く運よく商大専門部へ入学し、その時に真先に感じた事は、東京という町がとてつもなく大きかったこと、一緒に入学した同級生がみんな利口そうに見えたこと、東京と地方の格差が今より大きかったように思われました。勿論当時は、テレビのような全国共通のメディアがなかったせいもあるかも知れぬが、見るもの、きくものみんな目新しい毎日であったような記憶が、鮮明に残って居ります。

 それと同じような事を、昭和三十一年、はじめてアメリカに赴任した時感じました。今迄全く知らなかった世界が、目の前に現れて、どうしてこんな国と戦争をしたのだろうかと、その当時の為政者の盲目に憤りすら感じました。戦争という大事件を、相手の能力も知らずに、踏み込んだ結果が、あのみじめな戦後の吾国であったわけです。今後の湾岸戦争もそうであったと思います。為政者の愚かさで、泣くのは国民です。いつの世でも、このような愚かな事が繰返されるのは何故だろうか。戦勝国であった筈の米国も、ソ連も、大戦後四十五年冷戦をつづけ、今や経済的には大負債国になってしまった。もう少し人間というものは賢い動物にならないものだろうかと、つくづく感じている昨今です。

 聊か話は脱線しましたが、昭和十一年より十六年十二月迄の五年九ヶ月の国立生活は、今から思えば、吾が人生の最良の時代でした。又年齢的にも十八才から二十四才という最も多感な年頃であったこともあるのでしょうが、世の中今程ギスギスした事もなく、みんなが温かく、人情豊かな時代であったような気がします。その時代に、一橋という自由の学園に学び得たことは幸福であったと思います。この点はみなさんも、全く同感であったと思います。四〇周年記念文集にも、その思い出がたくさんつづられて居ります。

 この人生も漸く終着駅が、次第に近づきつつあることを肉体的に感ずるようになりました。七〇才を契機に、仕事の第一線を退き、毎日が日曜日という生活に入ってまいりますと、学校を出てから五〇年、あくせく働いてきた毎日が、一体何であっただろうかとふり返り、一抹の淋しさを感じますが、更に新たな生きがいを見出す情熱もわいてまいります。勿論今迄のその瞬間瞬間は、何かの目標をもって、猛進していた事は事実ですが、やはり国とか、会社とかの見えざる手によってふり廻されていたようにも思われます。しかし、みんながそのように働いてゆかねば、国とか社会とかの繁栄もなく、個人生活もみじめになる。自己満足かも知れませんが、この五〇年、多少は世の中の為、吾国の今の繁栄に役立って来たのかも知れぬと思い度いものです。さもないと、この五〇年は、いかにも空しく思われてなりません。

 このささやかな満足感とは別に、社会の側線入りをしてまいりますと、人間の幸福というものを静かに考えるようになりました。理想と希望に燃えた、さきの国立時代とはちがって、静かな情熱をもやす毎日であり度い気持が致します。

 幸いにしてまだ健康でありますので、七〇才をすぎて年寄の冷水かも知れませんが、若い時代に少しかじった事のある書道の道へ再び足をつっこんでまいりました。凡てを忘れて静かに墨をすって居りますと、今の世界からはなれた、美しい世界が見えてくるような気がします。

 絵をかく人も、音楽をたのしむ人も同じような世界が見えてくるものと思います。まだ入口に立っている私にとって、えらそうな事は言えませんが、遥か彼方に、一点の光が見えるような気がします。

 哲学者西田幾多郎先生が言われた「書というものも、何等かの対象を模するというのではなく、全く自己の心持を表現するものとして、音楽や絵画と同じく、全くリズムの美を表すものと云う事が出来るであろう。全く自由な生命のリズムの発現であり、リズムはわれわれの生命の本質だと言ってよい」。この神髄をはっきりつかむには、まだまだ遠い先のことと思われるが、幸いにして、もう十年位は平均的に生きられそうであるので、この十年を之にかけてみたいと考えています。

 之に依って、今迄知らなかった世界が見えてくれば、過去の五〇年とちがった生きがいにもなろうし、この世の中に、又一つ美しいものを発見することになろうと、楽しみにしています。

 五〇周年の記念文集への投稿に際し、思いつくまま、若き国立時代と、七〇才すぎてからの二面に、構想をあててみました。文字通り雑想ですが、同じ時代に生きたクラスメイトとの、永久のつながりになればと思い、筆を走らせた次第です。もうこれからこのようなチャンスは、ないものと思います。どうか諸兄の御健康を祈ります。