5組  山崎  坦

 

 卒業五十周年記念募金の応募について亦楽会(五組)で相談した時に次のような話が出た。

A 「お金持ちが沢山出して、収入の少ない人は余り出さない、というのは乞食根性みたいだな」
B 「所得税、直接税みたいなものさ。一般消費税、間接税のように一率に同じ額を出すようにすればよいのではないか、これも出したくはないのかな」
C 「僕は前の『波濤』には沢山書いたから、沢山出さなくてはならないんだ」
D 「受益者、受益分の負担ということか」
E 「そうだ、ご隠居の義太夫というところだろう」……(笑い)

 では商業誌では没になるようなことを、『波濤』でなくては載せてもらえないようなことを書いてみよう。隠居の義太夫です。よろしく。
 題して雑想。雑草だから抜いて縞麗にするのが常識なのかもしれないが。花の時期でない董は雑草と間違えられる。雑草という名前の草はないのだそうだから、まあそんな積もりで考えて書いてみよう。

  プロローグ

 天地創造の時、ギリシャ神プロメテウス(予め考えるー先見の明がある)は弟エピメテウス(後で考えるー後悔する)の乞いに従って、動物の創造を委せた。エピメテウスが全ての動物を造り、最後に人を造ろうとしたところ、空を飛ぶとか、水中を泳ぐとか、耳がよいとか、鼻がよくきくとか生存防衛のための特性をすべての動物に与えてしまっており、人は何の特性も持たぬ裸でつくられた。点検したプロメテウスは神しかもたぬ知恵(技術、道具)を、そして火(エネルギー)を人に与えた。火は太陽神から盗んだものであった。プロメテウスは、激怒したゼウス(大神)の罰をうけ日夜死の苦しみをあじわわねばならなかった。(エネルギーについては別に考える)。

 猿は棒などを使ったりする、と感心される。人間は道具を使う、道具を作る道具の道具まで作る。私と猿の距離はどの程度かしら。私は今パソコン(ワープロ)でこの原稿を書いている。

  第一章 出生 (競争と欲望の始まり)

 動物には生まれる前から、既に競争が始まっていて、自分が生を受けようと頑張って生まれ、生まれてからは何とか生き延びようとする。

 乳が欲しい、食べ物が欲しいという食欲は生存していくための原始的な欲望だろう。喰いしんぼうもグルメも原始的なものだと思う。

 「武士は喰わねど高楊枝」ということがある。武士は欲望を抑えねばならず、欲望を抑えぬことは卑しいことで、欲望を抑えて痩せ我慢をする。時には義のために切腹して生存欲も断ち切る。「義を見てせざるは勇なきなり」で、悪を見て危険だから素知らぬ顔をするということは許されなかった。「禽獣にも劣る」として、欲望を抑え、立派な人物になろうとし、神に近づこうとした。しかしながら昨今では武士はいなくなり「士魂商才」ということもなくなった。

 日本人は自由放任で限りなく禽獣に近づき神からは遠ざかって行くようだ。敗戦後日本人はアメリカに魂を抜かれ世界から卑しめられている。武士道はなくなった。武士道は騎士道と同じく紳士の道だと思うが、日本から紳士はいなくなった。

 欲望は知情意の内、情につながるもの、感性につながるもの、五感につながるもの、(好き嫌い)である。

口……… 味覚 食欲 生存欲 グルメ
目……… 視覚ー形ー色 美術 (絵画彫刻)
耳……… 聴覚ー音 音楽
鼻……… 嗅覚ー香 (香道、香水)
触覚

 何れも磨き上げれば芸術になる。

  第二章 成長 (真善美の追求)

 学校では真善美を追求する学問を教えられた。しかし社会に出てみると偽悪醜が満ち満ちていて、清濁併せ呑まなければならなくなった。

 大学ではH・G・ウエルスの「トーノバンゲイ」を読まされた。いかがわしい宜伝広告で産をなす薬屋の話で、この世は概ね偽なるものとの示唆をうけた。しかし実社会に、これほど騙しが多いとは思わなかった。

 例えば偽の最たるものは煙草の宜伝だ。テレビのコマーシャルには白雪のヒマラヤ連峰が紺碧の空にそびえている・・・これが何で煙草と関係があるのだろうか・・・真っ黒な肺になっているのに・・・しかものみすぎると害があって、未成年者には禁じられているということを、申し訳のように文字だけ音もなく出して、読み切れない内にさっと消す。卑怯極まりない。

 美しくて格好の好い絵を見た若者は煙草をのみたくなる。のみたくなるようにしなくては宜伝にはならない。アメリカが煙草を輸入しろと迫ってくるに至っては、なにか阿片戦争が連想される。広告業者(チンドンヤ)や商業誌は利につながっているから、煙草屋は上得意で、以上のようなことはおくびにも言えない。

 私達が未成年者の頃、デートリッヒが美しい足を組んで、長い細身の"ミスブランシェ"というフランスタバコをのんでいるのを銀幕にみて、なんと格好がいいと思ったことか・・・そして煙草を吸ってみた・・・皮相なことであった。昨今、若者や女性が格好よげに喫煙している場面が増えた。大衆があれは騙しであると判断できるときがくるのだろうか。やりてばばあが口つきの「朝日」をすっている下品な場面を想像して鳥肌たつようにしてやりたい。

 以上偽の一例をあげてみたが、宜伝広告の時代でコピーライターなどという職業が成立したり、広告会社が高収益をあげる時代だから、何か真善美からはどんどん遠ざかって行くような気がする。

 例えば味とか香りなどは文字とか映像とか音ではわからないから、比喩とかイメージで表現するわけで、なるほど公正に表現している場合もあるのだろうけれども、なるべく売れるように、時には騙しがはいる。広告と販売量とが比例する商品が幾らでもあるのだから、騙されないようにきをつけたほうがよい。テレビのコマーシャルは日本人総白痴化努力をしているのではないか。美しい夢を売る商売などという甘い言葉がささやかれるけれども、ディズニーランドの様な訳には行かない。

 延いては騙しのうまい者が権力を得て国を危うくした、あの集団催眠術のファシズムを忘れてはならないと思う。レトリックなどということではなく、真実を語り、真実を知る努力がもっとなされねばならないのではないか。

 誰でも人に騙され馬鹿にされたくはない。真理を追求しよう。バブルは消えるはずだ。

  第三章 道徳 (仁義礼知信)

 真の次は善だ。我々は仁義礼知信の道徳教育をうけた。

惻隠之心 仁之端也
無惻隠之心 非人也

 私の娘は、婿の勤務に従って、約五年間スペインに滞在したが、その間に経験したスペイン人の優しさについて次のように語ってくれた。
 娘が転んだときに中学生位の男の子が駆け寄って来て、マダム大丈夫かと助け起こしてくれたのだそうで、今の日本ではとても考えられないと。このような例が沢山あったそうである。

 我々も学生の頃そのようなビヘイビアーをとった。シルバーシートなどなくても年寄りに席をゆずるのは当り前であった。
 それが現在ではどういうことになってしまったのか。
 「強きをくじき弱きを助ける」ことはなくなり、人に親切にする優しさも、思いやりもなくなった。
 愛はなくなり、損得勘定だけになり、権利だけを主張するようになった。
 仁はなくなった。前章に書いたように義もなくなった。礼もなくなった。

 なくなったと書いたのは過ぎているかもしれない、少なくなったと書くべきか。世界の中で自分が日本人であることを誇らしく思えるような国ではなくなったのではないか。海外旅行をして日本人の団体に出くわすと特に強く感じてしまう。情けない感じなのである。お金はあるけれども教養はなく、お行儀が悪い。日本人全部がそうではないのだけれども、一部の人が日本人全体を卑しい人種と印象づけている。

  第四章 経済大国

 世界から卑しめられていても、今、日本ほど幸せな生活を送っている国はないだろう。周りの国々を見渡したところアジア、中近東、ヨーロッパ、ソ連、アメリカ、中南米等のあらゆる国々が不安定である中で日本だけが安定している。

 元々日本には何の資源もないということを一番よく知っているのは我々の世代である。現代の若い人は日本には何でもあると思っているのだろう。日本は今や経済大国になった。

 日本には何もないから海外からあらゆるものを輸入するための外貨を、輸出努力によって稼いだ。輸出をしたものには輸入できる優先外貨をあたえるというような制度もあった。

 日本には何でもあると言うようになったのは懸命に働いた人々のおかげである。これは政治家とか役人とか教師とかのおかげだろうか。参議院社会党に代議士を送ったオバタリアンのおかげだろうか、許認可をする行政のおかげだろうか、日教組のおかげだろうか、バブル産業のおかげだろうか。

 それは短絡的に云うならば主として基礎となっている輸出産業のおかげだろう。今やハイテク産業のおかげだと思う。

 みんながこれに負ぶさって幸せな生活を送らせて貰っている。余り寄与しなかった者まで、逆に足をひっぱった者までも、みんな自分が経済大国を現出した様な顔をして利己的な権利を主張して恥じない。

 みんな謙虚に反省して、これからもこの経済大国を発展させて行くにはどうしたらよいか考えるべきだと思う。

 ハイテクの技術者たちは、もっと休ませろとか、怠けたい等とは云わない。意欲的に極めて勤勉に働く。飽くなき改善、デバイス、発見、発明につぐ発明。何の資源もない日本に外貨をもたらし繁栄の基礎を築いたのは彼らであり、みんなその恩恵に浴している。

 その恩恵に浴しながら盛んに消費に勤しんで塵を山と出し、消費税は出さない。一般消費税をうんと出させたい。この金を技術者たちにうんと与えたい。

 技術者になることに最高の名誉を与え、技術者がバブル産業に就職したいなどという発想を、みなが軽蔑するような風潮が流れるようにしたい。

  エピローグ

 エピメテウスは美しい悪女パンドラ(すべてを与えられたもの)をうけいれたため、人間には災厄と疾病とが生じ、急に年をとるようになった。またパンドラがもってきた壼のふたをあけたところすべての悲哀と憂苦がこの世にもたらされ、希望だけがその壷にのこされた。

 欲望は永遠の生存を欲するかもしれないけれども、種の保存を果たした生物で、即、死するものがいくらでもある。古木が枯れてゆくように、人も土にかえるのだろう。新芽が青々と逞しく成長して元の木よりも美しく繁って欲しいものだ。

卒業50年、静岡市役所ドームにて
卒業50年、静岡市役所ドームにて