7組 柳井 孟士 |
大学を繰上げ卒業で押し出されると、待ち構えていたように軍隊からお召しがあり、短期の訓練を受けた後、終戦までの三年程を私は関東軍の下級将校として満州で過した。 「満州の間島省(今は吉林省の一部)と朝鮮との国境あたりに長白山系が走り、その山頂(朝鮮名は白頭山、昔朝鮮と支那の境のあの鴨緑江とうたわれた大河はここに源を発する)を囲むように東、北、西三方に長白林海と呼ばれる原生林が拡がっている。総面積二千平方粁に及ぶ広大な原生林で測量困難なため軍の地図では白地のままになっているので別名白色地帯とも呼ばれている。この地域には朝鮮人の住民が多いからか、韓人光復を標榜する朝鮮人抗日パルチザンの一隊が白色地帯附近を根城にして省内各地に出没していた。二、三年前、彼等の討伐に向った日本軍の一隊が白色地帯にちょっと入ったところで逆に彼等の待伏せを食い、恨みを呑んで全滅した。その遺体収容に赴いた戦友達は附近の農民部落を訪ねて友軍最後の模様を聞いた。農民の目撃談によれば、日本軍が密集隊形のまま不用意に山峡に踏みこんだところ、突然左右の山上に出現したゲリラの集中射撃を受け、応戦、反撃ままならぬまま全員非業の最後を遂げた。戦闘が終ると隊長の金日成がやおら進み出て百人ばかりの部下に円陣を作らせ、足元に発れている日本兵の手から機関銃をもぎ取り、一場の訓示を垂れて馬上颯爽と引揚げた。曰く「この機関銃を見よ、この日本兵は自分の銃が死後われわれの手に落ちることを思い、今はのきわにこうして銃眼を壊して従容として死に就いている。世界最強の兵士だ。これ程の強兵が満州に五十万人いる。小人数のわれわれはそれをみなごろしにしなければならない。その任や重かつ大である」と」。 不適な面魂の血気盛りの英雄が千里馬にまたがって果しない原生林を疾駆するイメージが私の頭に宿ったのは、先輩の話口が絶妙だったせいかも知れない。 後にその筋の専門家から聞いたところでは、一九三〇年代、東北抗日第一路軍が満州南部でゲリラ戦を展開しており、その総司令は中国共産党の大物楊靖宇であったが、彼は一九四〇年日本軍の包囲に遭って壮烈な戦死を遂げた。(後年、通化市内に立派な靖宇陵園が設けられ、朱徳元帥の筆になる墓標が立てられたそうである)。その後日満両軍の鎮圧が益々強化されてゲリラ活動が下火になり、第一路軍第二軍第六師長だった金日成氏も一九四一年部下と共に満州の地から姿を消したとのことだった。 暫く消息をたって幻の英雄となっていた金日成を名乗る人物が解放の喜びに沸く朝鮮民衆の前に姿を表したと聞いたのは終戦の年の秋であった。正確には一九四五年十月十四日、ピョンヤンでソ連軍歓迎市民大会が催されたとき、ソ連のレベジェフ少将が一人のソ連軍大尉を「朝鮮人民軍指導者金日成」として紹介したのである。 時を経て一九四八年九月朝鮮民主主義人民共和国が成立し、彼がその初代首相に就任したのを知ったとき、往年の抗日パルチザン隊長の華麗な変身を私はひそかに祝福した。その時から私は「アジアの一角に小さいながら素晴らしい国が出来るならば」との期待を寄せて北朝鮮関係の情報に特別の注意を向けて来た。 建国初期の二十年程、周知のように韓国では政情不安、治安悪化、インフレ進行等に苦しんだが、この間北朝鮮では幸いにソ連、中国の指導、援助もあり、独裁政治と計画経済の強みを十分発揮して、韓国とは対照的に順調に諸般の建設を進めることができた。かの国の人々は「千里馬」の速さだと自賛し、私達の眼にも共和国の前途に明るい未来が見えたものだが、一九六〇年代半ば頃から経済発展の雲行が妖しくなった。独裁政治と計画経済は童歌の文句のように「往きはよいよい帰りは怖い」。初めのうちは清潔感もあり効率もいいが後になるとぼろを出して行き詰る通弊があるようだが、極東の小国もその例外でないことを実証するかのように状況が年を追って加速度的に悪化した。共和国の経済が既に崩壊に瀕していることは今では疑う余地がないが、ペレストロイカ的な動きがあるとは聞えてこない。 閑話休題、去る三月十一日付の朝鮮日報は・北朝鮮では独裁権力の三代世襲を計画して金正日氏の一人息子に三代目後継者としての英才教育を施し、偶像化運動の準備を進めていると報じている。オクタ一ヴィアヌスでもあるまいに、人民共和国の名に背いて帝政を定着させようとするのだろうか。噂によれば「偉大なる首領様」金日成氏には後妻金聖愛女史との間に金平一氏はじめ四人の男子があり、その勢力が今では「親愛なる指導者同志」金正日氏を凌ぐ程に増大しているそうだし、北朝鮮軍内には軍を二派に割りそうな動きもあるようだ。このままでは、金日成氏なきあとは内乱が起るかも知れないと憂慮している向きもある。 かつて長白林海に勇名を馳せた若き抗日パルチザンの英雄も既に傘寿に近い。望むらくは残り少ない時を惜しんで、後継者選出の名実共に名主的なルールを確立し、金王朝創設の疑惑と風評を一掃して晩節を全うして貰いたい。破滅した国家の再建のペレストロイカはその後継者が果すだろう。空しい期待と知りながらこの頃頻りにそう思うのは、五十年前学窓を出たてのフレッシュな心に宿った抗日パルチザン勇士の馬上颯爽としたイメージのせいかも知れない。 追 記 |