5組 横山健之輔 |
二十三歳の元日の朝を天城の南ふところ湯ケ野の温泉宿で迎へた私は、その午過ぎ蜜柑色の乗合自動車に揺られて、登り三里降り三里の天城峠を越え、漸やく旅情の身につきはじめた空な心で湯ケ島に着いたのであつた。川の落合つてゐるといふ谷間の窪みを眼下に瞰ろす街道の停留所に立つて、一軒々々予約がありますからと断られた上やつと泊めてもらつた昨日の今日だからと今夜の宿にあてのない私は手提鞄を片手に途方にくれた。谷を埋めた樹の茂みの間に大きな旅館の二階も見えた。しかし私がひそかにあてにしてゐたのはそんな宏荘な旅館ではなく、渓流に臨んで茅葺きだと聞いてきたY館といふのであつた。街道から岐れて今来た方向とは逆に谷間に降る道を見つけると、とにかく歩いて見やうと片手の鞄で調子をとりながら街道から下へ降りて行つた。道の傍にはところどころ竹林があり、その奥から渓流のせゝらぎがまぢかに聞えて来た。やがて渓に掛つた吊橋を渡ると道は山蔭になり、冷たい湿気が足元から逼ひ上り、倒された材木から烈しい木の匂ひが流れて来る。山の押出しを一つ曲ると道の片側はまた渓川らしかつた。行手に人影とてはなく、道端に小屋が一軒あるきりだつた。前を通りぎはに中を覗くと、蜜柑や駄菓子を並べた店で、土間の薄暗い中で、晴着を着た小さい女の子の群が動いてゐた。山家の正月だ。五、六間行き過ぎてから背後にふと足音を聞きつけた。鞄で輪を描いて振り返ると、両袖を胸に抱へた若い女と十二三の少女とが、今まで人影のなかつた路上をこつちへ連立つて歩いて来る。あの駄菓子屋から出て来たのだ。何だ人を驚かせると歩きかけたがふと思ひつき、二人の近づくのを待つて言葉をかけ、Y館への道を聞いた。そして若しこの時私が道をきかなかつたら、この経緯はなかつたのである。若い女はその時、二十を二つ三つ越したかと見え、肉の厚い、がつちりした体つきであつた。大島から半島にかけての若い女に共通な、黒い襟のついた羽織を着てゐる。突然私に道を聞かれて、 予期しなかつた親切に私の心はあたたまり、少女を間に並んで歩きながら、私は口が弾んだ。 少女は、今買つたのだらう、羽子板の羽子を片手で口に当て、片手は懐手して黙つて歩いてゐる。 も一つの吊橋を渡つて、橋に直角の、崖と渓流に挟まれた道を右に折れてゆくと、道に沿つた丈の高い生垣の向ふに、桜並木の幹の間から茅葺の屋根が見えた。 石の柱の二本立つた門のところで二人に別れ、私は宿の玄関の前に立つたが、果して予想は当り、見事に断られた。今晩着く客で部屋は一杯になり、一泊すら出来ないのだ。がつかりして、道に出ると、先の方の曲り角で二人がこつちを向いて立つてゐた。之は意外だつた。私が、駄目だつたと耳のそばで手を振ると、小走りに戻つて来て、ぢゃ、ほかを当つて見ませうと云ふ。余りの親切に、私がすみませんね、いゝんですか、と云ふと、 「私がきいて上げます」 表に出て二人はと見ると、もう帰りかけて、先の方に立つてこつちを見てゐた。 街道に面した表二階の部屋に通された私は、何故か落着かなかつた。女中が炭火を持つて来て火鉢に入れるのをぼんやり眺めてゐた。 女中が鉄瓶に水を入れて上つて来た。私はまた、 そんな取りとめのない、しかし一度生起しては止むことのない感情の流れに圧されながら私は、宿の前の石段を共同湯へ降りて行つた。湯槽は、建物の床下に更に降りて行かねばならなかつた。崖を穿つた窟のやうな空間の底に、暗い電灯のにぶい光の中で裸の男女がうごめいてゐた。湯はぬるくて汚れてゐる。土地の者らしい中年の男が、この湯は、ぢかに下から湧いてゐるのだと云ふことや、ぬるくても出たあと、あたたかみがなかなか取れないから西の湯よりはいゝなどと云ふことを、私を来たての客と見て、聞かせるつもりであらう、傍の男と話してゐた。旅行者に対する土着の人の巧みな好意の表現なのだ。再び急な石段を登つて宿に帰つた私は急に空腹を覚え、夕飯をたのんだ。膳を運んで来た女中を見て、ふと私はある期待に心を躍らした。もしやこの女中が、あの娘の家を知つてはゐまいかといふ期待であつた。 思ひ切つて尋ねて見た。女中は、はじめ不思議な笑ひ方をしたが、あれは、「もりずみ」といふ料理屋の女中さんですと教へてくれた。私は娘の居所がわかつた喜びと同時に、私の耳を疑つた。あの娘が料理屋の女中?私の今までの想像は裏切られたのである。しかしそれは、再び会ふことの出来る余地を与へてくれてゐたのだ。食事を終へると外に出た。教へられた道、それは今日訪ねたY館の前を真直ぐ北へゆけばよいのだ。私はその先に灯の着いた賑やかな人通りのある家並みを想像してゐた。しかし道はどこまでも闇であつた。空を仰いだ。道の両側から峙える高い樹々の梢が空を帯のやうに狭めてゐた。砂を撒いたやうな星空であつた。空は星明りで藍色をしてゐた。その藍色に両側からつき出た黒い梢の間からも星はまたたいてゐた。私はふと少年のやうに自らの下駄の音におびえた。やがて道が曲ると明りが見えた。昼間、バスの停留所から見た大きな旅館の裏であつた。その前に、四五軒家があるきりで、人通りも、ざわめきもなく、しいんと静まり返つてゐた。何もなかつた。旅館の塀の前に、軒灯のついた木目の新らしい門を見出した。軒灯には、「もりずみ」と書いてあり、水を打つて濡れた砂利道の奥に、玄関の硝子のはまつた格子戸が中の明りをうつしてゐた。それが、かうした場所に不馴れな私には、何か犯し難く、神秘めいて見えた。格子戸の前に立つた私は、ふとある懸念にとらはれた。それは、こんなところで、再ぴ顔を合せることがあの娘に不快を与へはしまいかといふ懸念であつた。さうして、しばらく躊躇して居た。奥の方で、盃か皿か瀬戸物の触れ合ふ音がカチカチと聞えたやうな気がした。次の瞬間格子戸を開けて玄関に立つてゐた。誰も出て来なかつた。「今晩は」「今晩は」と呼ぶと、眠さうな顔をした年寄りのお女将さんが出て来た。私をぢろりと見ると、 「ねえさんはどうした」 その夜それから私は、向ひ合つて坐つたまゝ、彼女が身の上を語るのを聞いた。千葉の生れで、年頃で両親を失ひ養女に貰はれた先でいやな結婚を強ひられ、婚礼の前の日に家を飛び出したが三年前の十九の年だつた。家を出ると直ぐ東京に出、しばらく叔母の家に世話になつてゐた。何かと居づらく、住込みで京橋辺のあるカフェーに勤めたが、間もなく持前の癇癖からコツクといさかひをし、着物や身の廻りのもので借金も出来て居たので仲間の口ききで、この伊豆の山間の温泉場に流れて来たのだつた。それが二年前で、その頃は、時勢も漸やくけはしくなつては来たものの、景気のあほりで、この温泉場にも熱海や伊東の客が洩れて来て、やはりその頃普請したこの家も抱への芸妓も五六人置き、女中も相当居たのに、そのうちなぜかこの土地だけ特にやかましくなつて芸妓も居なくなり、仲間の女中も一人へり二人へりして、たうとう最近自分ひとりになつたのだと云ふ、一人になるまで残つたといふのは、温泉場特有の清新な自然にとりまかれたのんびりした開放的な空気に身も心もなぢんで、再び都会へ帰つてゆく気がしないのだねと私がきくと、女は、それもあるんですけどと言葉をにごした。女といふものは一度家を飛びだしたらもうお終ひで、あとはなるやうにしかならないものだといふことや、特にあたしのやうに何かいやなことにぶつかると、ぢつと同じところに居られない性分ではなほさらさきさきどこへどうなつてゆくやら知れやしない、もうこの土地も、客は少く、いゝお湯に入れて身体は楽だけれど、もう離れてしまひたいと女は酒気のせいか少し棄て鉢で手焙りの灰を火箸でやけにかき廻した。私が、養ひ親に詫びを入れて家にかへつたらとすゝめて、あんたは女のならはしを知らないおぼつちやんだと一度否定されると、世の中のかうしたからくりの前では、私なんぞ差し出がましい口をきくのは全く無資格なんだと語り、たヾ、うんうんと聞いてゐるよりほかはなかつた。階下で時計が鳴つた。十時だつた。酒は冷えてゐた。女は、近くの河原にきれいなお湯があるから帰りに寄つて浴びていらつしやいと教へてくれたが、このまゝ帰つてねたかつた。階下へ降りると、お女将さん達はもうねてしまつたのか、帳場の明りがきえてゐた。玄関で別れ際に、急に女が云ひ出した。 女は、またもとの無邪気な朗かさを取り戻してゐたのだつた。そして、この突飛な提案に私は多少どぎまぎしたが、ともかく約束して私は帰途に着いた。何か愉しかつた。再び巨大な闇の中を宿へかへると、硝子戸が一枚だけ開いてゐた。みんなねてゐるやうなので、そのまゝ二階へ上つた。隣の部屋に客が入つたらしく障子に明りが映つて居た。床はとつてあつた。私は着てゐた宿屋のどてらのまゝすぐ、ぐつたりと横になつた。 私は水色の夕暮れの街に或る女と立話をしてゐた。湖水の底にあるやうな街だつた。女は銀杏返しか何か玄人風の髪をしてゐた。女は私をとらへてしきりに人間の殊に哀しい宿命を説いて聞かせてゐるのであつた。そして同情を求めるやうな口吻をもらした。私は黙つて聞いてゐるのであつた。女は消えた。女に誤解を与へ不快を与へたのではないかと云ふ不安が起り、もう一度会つて話したいやうな衝動を感じる。ふと見ると街角の煙草屋の店に友人が坐つてゐる。友人は私に女が家へ入つちやつた入つちやつたと云ふ。私は女の家を探さうと歩き出す。どう云ふわけか、街の軒々には赤い提灯が水色の薄明りの中にゆれてゐる。ほほづきの紋のついてゐる家だといふのを目当てにして探し当てる。中に入る。何か宗教上の会合みたいなものが狭い部屋で行はれてゐる。天井から藤棚のやうに、岐阜提灯の長いのやら、造花などがぶらさがつて居て、頭を屈めて通らねばならない。仏壇様の祭壇の前には低い長椅子が並べてあり、多勢の人間がぎつしり背中を曲げて坐ってゐる。椅子にのせてある座蒲団には支那風の模様がついてゐる。部屋はいつぱい煙がたちこめてゐる。さつき街で会つた女が真白な繻子の着物に、幅の広い黒い繻子の帯をしめて、手を水平に前に出し、何か口の中で呪文のやうなものを唱へながら、椅子に坐つた人々の間を歩きまはつてゐる。この会合が神秘めく。この女のこの様な会合には前に一度遭遇したことのあるやうな気がする。ふつと眼前の風景が消える。私は、大きな駅の人混みの中に居る。人々が眼の前を慌しく流れてゐる。忽然、何十年も永い間父と離れて、関西に住んでゐた祖母の顔が現れる。淋しげな悲痛な顔をしてゐる。 「よく起きられたわね。来やしないと思つたけど今夜は帳場にねて、窓を少し開けといたの」 O館の裏門の前を左に折れて一丁程ゆくと木の橋があつた。急に渓川の音がおしよせた。 橋を渡ると道の両側は部落になつてゐた。ガレーヂがあつて、そこを左へ入ると湯本館といふ看板が見え、石段を降りると、すぐ河原で、木造の湯小舎が建つて居た。軒下に格子のはまつた窓が小屋をめぐつて居て、そこから鈍い光が洩れ淋しい暖かさだつた。木戸をがらがらあけると、白い湯気が天井の電灯をもうもうと取りまいて、下には青くすき透つた湯が叩土にあふれてゐた。人は誰も居なかつた。一つの湯槽が六つに仕切つてあり、真中の仕切りに形ばかりの板屏風があつて、その端の湯口から両側に湯が注ぎ込んでゐた。 女はすばやく着物をくるりとぬぎ捨てると、湯槽の縁に片膝をついてしやがみ込み、愉しさうに体を濡らした。裸になつてはじめて知るこの女の豊満な肢体に瞬間眼を射られる思ひだつた。女は体をそんなに荒ましてはゐなかつたのだ。乳房の形が正しかつた。危かしげに叩土をわたる私の痩せた体を女は嗤つた。並んで身を沈めると、湯が滑かに叩土をすべつた。寝足りない神経がはじめて柔いで来た。足を投げだして坐るとちやうど乳から上が出る。底に沈んだ私たちの下肢は、何か非情なもののやうに見え、私達から切り離されたやうに思はれる。 もう、口を開くのも面倒なほど、けだるさが全身にまはつた。川の瀬の音が板越しに聞える。湯口からこぼれる湯の音が何かものを云つているやうに聞える。それらが却つて静けさを増した。天井の隅や棚の蔭のくらがりに何かひそんでゐるんぢやないかとあたりを見廻はす。女が肩で私の肩を推した。横を向いた拍子に水鉄砲がしゆつと飛んで来た。「こらつ」と私も負けずに湯をかけやうとすると、ざあつと躍り上つて私の正面の縁に腰をかけ、手足で真つかうから浴せて来る。夢中で相手の足をつかまうとすると、すばやく湯槽からのし上り、全身からしづくをまきちらしながら叩土を廻つて板屏風の向ふへ行つて私を呼んだ。「こつちへいらつしやいよ、背中を流してあげるから」女は、小舎に入つたはじめから、そして裸になつてからはなほさら、少女のむかしに返つてゐたのだ。板屏風の向ふの湯槽へゆくと、女は叩土にきちんと坐つて金盥を膝にのせ、桶に湯を汲んで待つてゐた。「櫟つたいからいやだ」と私はまた湯に浸つた。「ずゐぶん神経ね」と女もまたするすると入つて来た。戸口の外の石段に下駄の音がした。戸ががらがらとあき、誰か入つて来た。女が板屏風の横から顔を出すと、向ふから、 帯をしごく音や、踏板の鳴る音がする。 板屏風の隙間からのぞくと、向ふの女はもうあがつて裸のまゝ下駄をはいて土間に立ち体を拭いてゐた。ひよいとタオルを股に挟むと、頭に手をやつて櫛を口に啣へ、髪を直した。色の白い痩せて丈の高い体つきだつた。やがて「お先へ」と下駄の音をさせて出て行つた。気が付くと、何時の間にか夜が明けかゝつたのか、薄明が軒の格子やら、板囲ひの節孔から忍び込んできた。女は、今出て行つたのは、宿(停留所のある近所)の娼妓で、あれでときどき気が触れることのある女で、やはり夜明けに一風呂浴びに来るのを唯一のたのしみにしてゐる女だと説明した。 私は浸つたり入つたりしてゐたのだが、上気を感じ、叩土の上に仰向けに横はつた。私のそばに坐つて石鹸をつけて自分の体を洗てゐた女は時々、風邪を引いちやいけないと桶でお湯をかけてくれた。女が手拭ひを背中に廻して、しごくごとに、張り出した胸で乳房が揺れた。 もう一浴びしてから、河原に面した木戸をあけると、瀬の音と一緒に冷い夜明けの空気が流れて来た。それが熱したからだに快よかつた。裸のまゝ外に出て河原の岩の上に立つた。女もあとから出て来た。川の上を一すぢ朝霧が流れてゐた。白鷺が向ふ岸の蒼い杉木立をかすめて、河原に降りたつた。私達の肌からほのぼのと立つ湯気は見る見る薄らいで行つた。 小舎に入つて着物を着、私達は帰途についた。川沿ひの小径を通つて木の橋に出た。川を逼つてゐた霧がぐんぐん消えてゆくのが見えた。女の吐く息が白い。胸に抱へた真鍮の金盥からまだ湯の香が匂つてゐた。髪がしつとり濡れ、ほんのり上気した女の顔には、呆けたやうなあどけなさが漂ひ、ゆふべの面影は拭ひ去られてゐた。 宿へ帰つて二時間ほどぐつすりねた。目が覚めると、廊下の障子に朝日がさして居た。谷の向ふ岸の山の端から遅い朝日が出たところなのであつた。廊下へ出て街道を見降すと、崖から街道へ頭を出した竹林の葉叢に日光が戯れ、路上に斑点をつくつてゐた。崖下の共同湯から汲んで来たのだらう。バケツにお湯を一杯容れて宿の女中が石段を登つて来る。街道に出るとほつと息をつき、柵に俺りかゝつて腕を伸ばしたり曲げたりしてゐる。それを通りすがりの消防の印絆纏を着た村の若者がからかひながら通る。川上の方にある鉱山から降りて来た坑夫の群が通る。材木を載んだ荷馬車が通る。谿流の音までが新鮮な響をもつて聞える。いつも同じ音には違ひないのだが、夜や、夜明けの薄明や、日光の中やでそれぞれ音が違つて聞えるものなのかなどと考へてゐると、隣室の障子ががらりとあいて、ゆふべ夜中に声をかけた爺さんが出て来た、私は水のやうに心がなごんで、誰とでも気軽に話が出来るやうな気持であつた。 「けさはばかに早かつたね。どこへお出掛けだつたね」 六十まへだといふ爺さんは、身体つきもしやんとしてゐるし、頭を坊主に刈つたあとも青く、眼に底光りのする輝きがあつて、精桿な面差しをまだ残してゐた。女中が蒲団をあげて朝飯を持つて来ると、障子を開け放つた朝日の中で、爺さんと一緒に食べた。爺さんのはからひで、今夜から部屋を同じにするからと、女中に帳場に聞かせにやると、続けて泊れることになつた。食後、爺さんと二人で、宿の裏の山へ、枯草の径を登つた。見晴らしのきく高みへ出ると、谷間は一望の下にあつた。なるほどO館のあたりで川が落合つてゐる。下田から来るバスが山の中腹の白い街道を動いてゐる。空は峰々の輪廓の外に青く晴れわたつて、山のかなたの空遠くの歌を思ひ出させる。鳶がひよろひよろ鳴いてゐた。そして眼下のこんな狭い谷間にも、人間の営みが絶えず行はれてゐるのかと思ふと今更ながら不思議な気がした。 午後、宿屋の部屋で、茶をのみながら、爺さんの若い時の話を聞いた。若い頃、軍隊相手の雑貨問屋の店に勤めてゐて納品で同業者に優先するために、軍人を、その頃の新橋や、柳橋へ連れてゆき、頃を見はからつて、自分だけこつそり中座し、馳染の芸者と、しんみり夜を明かしたことなどを何のかざりけもなく話すのだつた。その中店を失敗つて、洋食のコツクを習ひ覚え、川崎で店を持ち、かなりなとこまで行つて相場でまた無一文になつたのが四十四の厄年で、それから屑屋同然の古物商を、リヤカー一つで始め、やがて骨董屋に成上つて、やつと目鼻がつき近頃一人娘に養子をもらつて、自分は町会の世話などをしてゐると云ふ。年をとつてからの労働がたゝつて、冬になると、関節がときどき痛むので、今度もその療治かたがた楽をしに来たのだつた。 女中がお電話ですと云つて上つて来た。階下の板の間の電話口へ出て見ると、果して「もりずみ」の女であつた。うちのお女将さんが、もし日の出屋へ続けて泊れないのなら、客間の座敷でなく、もと芸妓を置いてあつた部屋が空いて居るから、食事はまづいけれども、泊めてあげてもよいといふのであつた。私が、隣室の客と相宿にすることになつたけれど具合を見て、悪かつたらお世話になる、お女将さんにはよろしく云つてくれとことわると、今夜も閑だから、お酒を飲むのではなしに遊びに来てくれ、お女将さんもさう云つてゐると伝へて来た。電話室を出ると、台所から女中達がこつちを見て、にやにや笑つて居た。 夜、爺さんが、崖の下の共同湯に行かうと誘つた時、私も一緒に外へ出たが、その足で私は「もりずみ」へ行つた。爺さんは笑ひながら石段を降りて木立の中へ消えて行つた。少し風が出てゐた。道の両側の木立のてつぺんで梢が潮鳴りのやうに間をおいて音を立ててゐた。星のまたたきが今夜は消えて滴を落しさうだ。「こんな夜は星が夜泣きする。こんな夜は星が夜泣きする」と私はふと浮んだ言葉を心の中で繰り返しながら、前方に暖い明りを描いて闇の中を歩いた。 「もりずみ」では帳場に炬燵をこしらへて、お女将さんと女と、少女が二人、少女はお正月の晴着をつけて、私が障子を開けて中に入ると、蜜柑の香りがつうんと鼻をうつた。その香りがこの狭い部屋の空気を爽やかなものにした。私もすゝめられて、冷えた手足を炬燵の蒲団の下にいれた。少女のうち一人はみえちやんで一人は初めての顔だつたが、みえちゃんよりはいい着物をきて女将さんの傍に坐り、ときどき甘えるやうに女将さんによりかゝつた。青白い顔で、上瞼が垂れぎみでその下からなほ長いまつげがはみ出てゐた。唇が乾いて白いささくれさへ出来てゐる、ちよつと病的な顔だつた。みえちゃんと同じ十二三ぐらゐだ。今まで、魚の絵合せをしてゐたらしく、蒲団の上には、私などが子供の頃都会で翫び今はもう余り見かけない絵札を並べ、点数を何度も繰返し勘定した。みえちやんが勝つたとわかるとその女の子は、うらめしさうな顔をみえちやんにむけすぐ女将さんの胸に顔をすりつけて、くんくん云ひながら眠い眠いと訴へた。みえちやんはそれを見て、ちらと傍の女の顔を見て女と視線を合した。女将さんは、わさびせんべいを私にすゝめながら、亭主をなくしてからこの家を建てて商売を始めたのだが、間もなく出来ないも同様になつたことや、死んだ亭主の本職はわさび漬の経営で、今もそのわさび漬けを女腕一つで差配してやつてゐることや、この家も建てたばかりで惜しいから旅館に仕立て直さうかと思つてゐるのだといふことをくどくど繰返した。青白い顔の少女に似て上瞼垂れ、酒焼けのしたやうな赤い大きな鼻をしてゐた。それが女共を顎で使ふ因業なお女将の卑しさを思はせたが、さすが山家の中で育つただけ、どこか鄙びた趣は争はれず、さういう鄙びたた人固有の親切を学生の私に示したのだつた。爺さんなんかと相宿ぢやいやだらうし外部に洩れなければいゝんだから食事さへ我慢してもらへればおいて上げませうと云つてくれた。好奇心も手伝つて、ひとつこんなところで本でも読んで見ようかと私には強い誘ひだつたが、私はあの爺さんに好意を持つて居り、お上に知れて迷惑でもかけたらと思つたから、辞退した。女将さんも、もしものことがあつたら先のある学生さんに面白くないからと向ふでは世間並の常識で強ひて泊めようとはしなかつた。女は、女将さんと私の顔を交る交る見てゐたが別に何も云はずに少女達に蜜柑をむいてやつてゐた。女将さんはゆつくり遊んでいらつしやいましと云つて眠気を訴へる青白い女の子を連れて奥へ入つた。あとに残つたのは私と女とみえちやんだつたが、女の話によると、みえちやんは貰ひ子であつた。もう一人の女の子は婆さんの実の子で、婆さんはもとは宿(バスの停留所のある辺)の商売女だつたのを死んだ亭主が妾に囲ひ、本妻が死んだあと、家に入り込み、わさび漬でのまめな労働や器用な人使ひをかはれて本妻になつた女なのだつた。可愛さうなのは貰ひ子のみえちやんで、末はきつと何かに仕立てられて売られる。みえちやんは女と姉妹も同様に仲よくし、影の姿につきまとふやうに外を歩くにもいつも連れて歩くのださうだ。お正月でも小遣ひもくれないから女が菓子でも羽子でも買つてやるらしい。青白い女の子は意地悪でそれを一々母親に云ひつける。みえちやんの手は垢ぎれで赤くはれ上つてゐた。 退屈してゐる爺さんを思ひ出し、私は帰ることにした。空気が何時の間にか暖くなつゐた。玄関の格子を開けると、雨だつた。風は止んでゐた。音もなく、門灯のまはりの明るみに雨脚が見えた。女は小走りに馳け込んで蛇の目を持つて来てくれた。雨の降る闇ほど暗いものはない。私は何度も何度も立止り、あるかなきかの闇の濃淡でも見出さうとするのだがそれも無駄なことがある。渓流の音からなるたけ遠ざかり、下駄の触感で道を確かめながらやつと吊橋の明りを見つけ出したときはほつとした。宿へ帰るとじつとり汗ばんでゐた。爺さんは寝床に入り亀の子のやうに首だけ出して古雑誌を読んで居た。明けた隣の部屋に客の入つた気配はなかつたが私達は床を並べてねた。 翌朝、雨はあがつて、また匂ふやうな快晴だつた。宿の女将さんに教へられて、狩野川を一里程上流の浄蓮の滝を見に爺さんとゆくことにした。爺さんは茶人のやうに調子よく下駄の音をさせて歩いた。天城へゆくバスの道だ。足が達者ですねといふと、これでも剣道は二段までとつた体だからねと答へる。道々植物の名をいろいろ教へてくれた。一時間足らずで滝に着いた。滝壼の見える河原に造つた茶店に上つて火鉢を間に菓子をつまみながら滝を眺めた。鶺鴒が一羽岩の上で尾を振つてゐた。何処かへ居なくなつたかと思ふと、また同じ処へとまつて尾を振つてゐる。河原を眺めながら、湯ケ島あたりで土地の女を娶つて、宿屋の番頭でもしながら一生を送り、年とつたらこんな茶店でもやつて余生を送るのも、挨つぽい冷い都会であくせく生活するより、呑気でいい生涯に違いないといふやうな考へが頭の中を去来した。 「どうです、かういふところで茶店でもやつたら」 帰りに茶店の傍の立札を読んでみると伝説が書いてあつた。或る日、一人の樵夫が滝のそばで木を伐つてゐて誤つて斧を落し、道具への愛惜から、滝壼に潜つて行つたが、却々斧は見当らず、やつと見つけてふと後を振返ると白衣の美女が立つてゐて、「我はこの滝に住む蛛蜘の精である。斧はお前に返してやるが、我が姿を見たことを人に言つてはならぬ。人に言はねば、お前は富み栄えるであらう」と言つて姿を消した。木樵はやがて蛛蜘の精の言つた通り忽ち富み栄えたが、或る時村人が集つて歓会の時、酒席の座興からつい口を辷らして、かの滝壼で見た美女のことをしやべると、翌日その木樵は体ぢゆう蛛蜘の糸にまかれて死んで居たといふ話であつた。 午後、宿へ女がみえちやんを連れて遊びに来た。爺さんは私の部屋に居てもらひ、二人をゆふべ客の入らなかつた隣室に通した。みえちやんには階下から菓子を持つてこさせた。女は茶にも手を着けずきちんと坐つてゐた。何か決心をしてゐる面持ちだつた。女は突然ハルピンと云ふところはどんな所なんでせうと私に聞いた。余りの突飛な質問に、それを聞いてどうするのかと尋ねると、女は最近土地を替へたいといふ。こんな所にゐたんでは稼ぎもなく、僅か五百円程の借金も却々返へせさうにないからと云ふのだつた。幸ひ、ハルピンに行つてゐる友達から、こつちは稼ぎが良いから来いと前から何度も云つて来てゐるし、思ひ切つて行つて見ようと思ふのだが、この子が可哀さうでねとみえちやんをかへりみる。私はハルピンと聞いて真向から反対した。何もそんなところへ行かなくても、いつそ、東京へでも出て、かたく、家政婦会か看護婦にでもなつたらと私はすゝめたが、女は何故か黙つて私の云ふことなぞは受けつけないのだ。自分なんぞにはもうそんなことは出来るものでなく、なるやうにしかならないので、却つて遠いところへ行つて見度いのだと云つた。そんな気持なら却つて、こゝで辛抱してゐた方がよつぽどましだと云ふと、実は婆さんが、やはりわさび漬をやつてゐる或る男の妾になれとしきりにすゝめて仕様がないのだといふことがわかつた。出ると云へば借金をきれいにして出ろと云ふのだぐらゐは私にも推察出来た。女の友達からは、ハルピンヘ来れば、行先の家で直ぐ借金を立替へて出してくれると云つて来てゐるのであつた。階下でベルの音がしてゐる。間もなく女中が上つて来て、女にすぐ返つてくれと電話が掛つて来たと告げた。私は、女の話が気に掛つて、無理に引き留めた。私は繰り返し、満洲行きに反対した。そのわさび漬をやつてゐる男と云ふのは前から彼女のあとを追ひまはして、しつゝこく婆さんに迫つてゐるのだ。西の場で、気の触れることのある女の云つてゐた留といふ男がそれらしかつた。再び電話が掛つて来た。今度は宿の女将さんが上つて来た。女はやむなく帰つて行つた。私は、盆の菓子をみえちやんに包んで持たしてやつた。 二人の帰つたあと、部屋に戻ると、爺さんがひとり、莨を喫んで居て煙管を叩いてゐた。 夜、爺さんと床を並べてねながら、ひるまからずつと女のことを考へて、結局自分の無力を知る自分に愛想がつきた。もう何も考へたくなかつた。それでもやはり女のことが気に掛つた。ふと、家へ遺して来た孤独な父の顔が浮んだ。家へ帰らうと云ふ気が起つた。あの女はあの女で流れてゆく人間なんだし、私は単なる路傍の人間だつたことに今更気がつくのだつた。今までひとり気を揉んでゐた自分がをかしくも見えた。傍の爺さんに言ふともなく、 翌朝、名残りにあの河原の湯に浸り、女にも別れを告げやうと、をととひの夜借りた傘を持つて出かけた。「もりずみ」の前まで来るとみえちやんが表てを掃いてゐた。二階から唄が流れて来た。見上げると女がたすきがけで硝子窓を拭いてゐた。 朝の河原の湯小舎には年寄りが二三人入つてゐた。軒の格子から差し込んだ日光が湯槽にも透つてゐた。その反射の光が板囲ひに戯れてゐた。間もなく、女は息を切らし陽気な明るい顔をして、この前のやうに金盥を抱へて入つて来た。 かつてくるぞといさましくー 勇ましい軍歌も女には放浪の歌なのだ。朝日の乱反射でみづみづと光に溢れた湯小舎は、明るい哀しさでみなぎつた。私は浸つたまゝ頭を板屏風に倚せかけ眼をつぶつてゐた。眼蓋が熱くなるのを我慢してゐた。堪へきれずに湯槽を出て体を拭きはじめた。女はやがて唄を止め、戸口に近い日向の濡れた叩土にぺたりと坐つて髪を洗ひはじめた。滴の伝ふ滑かな肌に朝日が映えてゐた。何といふ哀しい姿態、女はそんな姿態に無心を求めてゐるのだらうか。着物を着終つて戸口の敷居に立つた私は、うづくまつた女を見おろした。髪をかきあげた白い項が眼に飛び込んだ。 石段の傍の井戸端でみえちやんが洗濯をしてゐた。何時の間にか来て居たのだつた。「さよなら」といふとやはり「さよなら」と薄く笑顔を見せた。やがては女にも置いてゆかれ、独りになるみえちやんなのだ。何かをお買ひと云つて銀貨を与へようとしたが「母さんに叱られる」と云つて拒んだ。私は懐にねぢ込んでやつた。 宿で荷物をまとめてゐる私を傍で見てゐた爺さんが、若しすぐまた来ないんなら、閑なときに家に遊びに来てくれと、名刺の裏に川崎の自宅の地図を書いてくれた。 街道の停留所で下田から来るバスが着くまで三十分程間があつた。バスを待つてゐると急に心が哀傷で崩れて来た。酒屋で電話を借り「もりずみ」へ電話をかけて見た。さいしよお女将さんが出て直ぐ女の声に代つた。間があるからみえちやんを連れて、こゝまで来ないかと云ふと明るい声で、 谷を下る黄色いバスに再びゆられながら、私は眼前に涯しない地上の拡がりを思ひ描き、湯小舎で女の唱つた歌の調べにいまだとりつかれて居た。 後 記 此の作品は、商大在学中に、卒業を間近にひかえた頃書いたと記憶する。当時の仲間、高木、木島、倉垣、井出口、私の五人で試みた同人誌『眞晝』に一度掲載したものだが、これら友人達とその周辺以外の人目には触れていない筈である。 |