巴 里 祭
Sat, 22 Feb 2003
From: "Kisiko Sato"To: "yamazaki hiroshi"
愉しいメールを、次々に有難うございます。
洋画のお話がでて とても嬉しく、と申しますのも、父が洋画狂で私の小学生の頃から よく、連れて行ってくれまして、とくにフランス映画のなかの「巴里祭」に 無中で 巴里祭の前に巴里祭なし、巴里祭のあとに巴里祭なし、などと よく聞かされていましたので、私も3回ぐらい観ましたし、主題歌も 知人にカタカナを振ってもらって、良い気持ちで唄っておりました。
「巴里の屋根の下」も懐かしいです。
あの頃で、「マイ、アンクル」 とゆうアメリカの映画ご存じでしょうか?
メカキチの伯父さんの家の門がセンサーで開閉出来るようになっていて、 それが小さな子犬が外で尻尾をピピと振っただけで開いてしまうので、
本当に可笑しく、でも今は我が家でもそんな感じになってきましたが、 その頃は文明にたいする比喩だったのでしょうか。
それにしても 何十年も前に、このような映画‥‥‥チャップリンもそうですが、アメリカ
は矢張りすごいですね。
これも忘れられない映画です。
結婚してからは、好きな洋画とは、縁がなくなってしまいましたが 家族の眼をぬすんで、ヘッドライト(ジャン、ギャバンと、フランソワ−ズ、
アルヌール)とか逢びき(シリア、ジョンソンと、トレバーハワード)など 観ておりました。
久しぶりに、このように懐かしい想い出に浸ることが でき、とても、嬉しゅうございました。
30周年の沢山の写真も、あのように、自由自在に拝見できて、でも どうしたら、出来るのかなと、あれこれやってみております。
頂きましたメール全部佐藤にコピーしてますが、Edward Chang 様の、メッセージ お役に立つとよいと思っておりますが? 何時も有難うございます。 佐藤 喜志子(佐藤 丈夫君令夫人)
Thursday, April 03, 2003
十二月クラブのみなさま
山崎 坦
イラクは大変なことになりましたね。それにつけても私共日本人は、過去を振り返ってみて、幸福になったな、と今更の様に思いますね。
解決の早からんことを、皆が幸福になることを祈ってやみません。
2月22日佐藤丈夫君令夫人より上記メールをいただき、下記の返事を差し上げま
した。
十二月クラブNET座談会「学生時代に見た映画」第1回の「舞踏会の手帳」に続 き、今回は第2回「巴里祭」に致しましょう。
巴里祭 1
原題は”Quatorze Juillet”(7月14日) 7月14日はフランス革命記念日だけれども、この映画は全くフランス革命には関 係ありませんね。強いて言えばあの革命以後、以前のような時代ではなくなって、小市民にも小さな幸せがあるんだ、と思わせるような映画でしょうか。「ル・ミリオン」 や「自由を我等に」(チャップリンのモダンタイムスの原風景)「巴里の屋根の下」 のように、産業革命による工業、資本主義批判というような意味深ではない、いわば 「秋祭りの頃にあったお話」なんですね。 俳句のような、あっさりした、そこはかとない哀愁を秘めた映画。 名匠監督ルネクレールに関して言えば、尽きることはないでしょう。 話を先にどんどん進めたいけれども、材料が一杯ですから、少しづつゆっくりやり ましょう。 皆様ご意見をどうぞ。 よろしく。
Mon, 7 Apr 2003
みなさん
山崎 坦
映画「巴里祭」はなんといっても、あの主題歌が重要なので---日本語訳は手許にあ
るのですが---- フランス語の元歌がみつからず、パリーの友人Oさんにその旨お願いしたところ、O
さんは苦手ということで、NYの妹さんに問い合わせたところ、たちどころに解った
と、返事をくれました。なんとTOKYO-PARIS-NY-PARIS-TOKYO
で、即、答えが来たので吃驚しました。
ところでもう一つ吃驚したのは、TORONTOの張君のところに、生前の学友酒井 君提供の歌詞があるということでAIRMAILしてくれたことです。 世界は狭くなりましたね。愉快です。
(張君との交信を次ぎにいれます)。
Dear ED ,
貴AIRMAIL届きました。12のシャンソンのなかに巴里祭も入っています。ど
うもありがとうございました。 YAMATAN
Friday, April 04, 2003
Dear Yamatan,
ご嘱望の歌詞については、幸いにも酒井襄君ご在世中 に、 小生の無理な要求に応じて、懐かしい独仏映画主題歌28首入りのテープと、歌詞 を 態々コピーして送って頂いたのが有ります。
フランス映画の歌詞 (「パリ祭」「パリの屋根の下」等) 12首を本日写本して送ります
ドイツ語の分、見つけ次第、送ります。
歌のテープも、ご必要でしたら送ります。
酒井夫人春子様には、ごついでの時に、大変感謝している旨、よろし く ご伝言下さい。
ED
; Sun, 6 Apr 2003 (Tokyo-Paris-NY-Paris-TokyoとまわってきたMAIL)
From: "Mme.O in Paris"To: "yamazaki hiroshi"
eml
遅くなりました。 お問い合わせの歌詞、コピーいたします。
あちこちに問い合わせた結果、NYの妹が調べてくれました。 サイトはもし他のものもお調べのようでしたら、 http://members.lycos.co.uk/chansons/song001.htm www.google.com で、探せるようです。
とり急ぎ、お知らせまで。 どうぞ、楽しい春をお過ごしくださいませ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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Paroles:ReneClair
Musique:MauriceJaubert
1933:du film 14 juillet
Interprete:Lys Gauty
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Ils habitaient le meme faubourg
La meme rue et la meme cour
Il lui lançait des sourires
Elle l'aimait sans lui dire.
Mais un jour qu'un baiser les unit
Dans le ciel elle crut lire
Comme un espoir infini.
(REFRAIN)
A Paris dans chaque faubourg
Le soleil de chaque journée
Fait en quelques destinées
Éclore un rêve d'amour.
Parmi la foule un amour se pose
Sue une âme de vingt ans.
Pour elle tout se métamorphose
Tout est couleur de printemps.
À Paris quand le jour se lève
À Paris dans chaque faubourg
À vingt ans on fait des rêves
Tout est couleur d'amour
Après des jours dépourvus d'espoir
Tous deux se sont = rencontrés un soir
Ils n'ont pas osé sourire.
Mais leurs regards ont pu lire
Que bientôt ils pouvaient être heureux
Et s'ils n'ont rien pu se dire
Leurs yeux ont parlé pour eux.
(REFRAIN)
A Paris dans chaque faubourg
Quand la nuit réveuse est venue
À toute heure une âme émue
Évoque un rêve d'amour.
Des jours heureux il ne reste trace
Tout est couleur de la nuit.
Mais à vingt ans l'avenir efface
Le passé quand l'espoir luit.
À Paris dès la nuit venue
À Paris dans chaque faubourg
À toute heure une âme émue
Rêve encor à l'amour.
Mon, 7 Apr 2003
From: "Mme..O"in Paris To: "yamazaki hiroshi"
Nous n'avons pas pour habitude de parler de varietes dans nos colonnes, mais pour une fois nous n'hesitons pas a rendre hommage a une legende du music-hall des annees trente et quarante, en la personne de Lys GAUTY, disparue a l'age de 93 ans au debut de l’annee 1994. L'inoubliable interprete du Chaland qui passe et de la chanson
A Paris, dans chaque faubourg du film Quatorze juillet de Rene Clair
etait nee Alice GAUTHIER le 2 fevrier 1900 a Levallois-Perret (Hauts-de-Seine).
Apres une formation classique, elle debutait dans un cabaret de la rue d'Antin ) Paris(chez Fyscher) ou Georges Van Parys l’accompagnait au piano.
こまめな妹が調べてくれました。 やはり、映画『パリ祭』のなかで歌っている歌手だったようです。
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Thu, 10 Apr 2003
山崎さま
ご質問に関してですが。。。
廃兵院とアレキサンダ3世橋の金箔は、もともとああいう風になっていたのだそう で、大体30年くらいで剥げるらしいです。だから、オリジナルに戻したという事です。
凱旋門の火は、夕方に点火するのでしょうか?
記憶によれば、常に火は絶やさないよう、燈しつづけていると思いました。 将軍クラスの戦死者の追悼式は、普通夕刻行われますが。。。
あまり、お役に立てるとは思いませんが、気付いた事をお知らせします。 ご健闘をお祈りします。 mme.O.
Fri, 11 Apr 2003
みなさま
山崎 坦
巴里祭を語るに当っては、
監督:ルネ・クレール(Rene Clair)(e に ’ がつけられないので困る)
音楽:モーリス・ジョベール(Maurice Jaubert)
主役女優:アナベラ(Melle. ANNABELLA) に触れなければならない。
アナベラが好きだから、直ぐにも縷々書きたいところだが、押さえて。
調べてみますと。. ルネ・クレールは日本では、特に若い方々には、知られていないと思うのですが、 チャップリンとならび考えられる巨匠なんですね。 気が付いたのですが、後で語る様に、彼を語るに当っては「巴里祭(カトルズ ジュ イエ)」よりは前作「巴里の屋根の下(スー・レ・トア・ド・パリ)」からはじめたほうがよかった様です。 直にお解りいただけるでしょう。
取り敢えず、次ぎに年齢、作品年次などチャップリンと並べてみます。
ルネ・クレール チャップリン
生年 1898 1889
没年 1981 1977
1923 眠るパリ
’24 幕間 巴里の女性
’26 キッド。 黄金狂 時代
’27 イタリア麦の帽子
’30 巴里の屋根の下
’31 ル・ミリオン。▼自由を我等に▼
’32 ●巴里祭●
’34 最後の億万長者 ●街の灯●
’35 幽霊西へ行く
’38 ▼モダン・タイム
ス▼
’40 焔の女 独裁者。 ライムライ
ト
’42 奥様は魔女
’45 そして誰もいなくたった
’47 沈黙は金
’49 悪魔の美しさ
’52 夜ごとの美女
’55 夜の騎士道
’57 リラの門
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6に続けます。
Sun, 13 Apr 2003
みなさま
山崎 坦
「巴里祭」 6 の話 続けさせてください。
1930年(昭和5年)といえば、私共小学校6年生の頃だから、封切りで「巴里の屋根の下」を見ているわけではありません。
中学校でも映画は見てはいけないことになっていました。
中学では、母親付き添いで、ゲーリークーパーの「ベンガルの槍騎兵」だけを見た記憶があります。
大学予科に入って初めて籠の中から自由の世界に羽ばたきました。 名画座で上映される名画を繰り返し見ました。
勿論まだTVはありません。
「巴里の屋根の下」が最初の本格トーキー映画だったのですね。(ジャズ・シンガー という最初のトーキーは問題外の様です。)
今まで映像のみだった映画が、はじめて音声を得た。映像を省いて音声で表現する手法も用いている。暗黒の中に音声が流れてくる。「巴里の屋根の下」の主人公の商売は、歌を聞かせて楽譜を売る、という商売ですから、繰り返された歌詞、メロディーは私達の心にしみこみました。
ルネクレールの作品です。
1931年に「自由を我等に」”アーヌーアーヌ・ラ・リーベルテ”のメロディーも 私共の心に染み込んでいます。
機械の奴隷の労働者、現代資本主義批判は、チャップリン1938年作「モダンタイ ムス」の源流でしょう。
1932年制作「巴里祭」でも、その主題歌が大きな役割をしています。主役は薄幸 な花売りの少女です。 病気の母親との二人暮らし。酔っ払いの紳士。ナイトクラブ。小盗人。
チャップリンは1934年「街の灯」を作りました。「ラヴィオレテ−ラ」の美しい メロディー。盲目の花売り娘は母親との二人暮らしです。酔っ払いの紳士。ナイトク ラブ。
音響効果と音楽のみ。台詞は入れずに字幕でした。
世界映画芸術4大雛型確立監督はルネ・クレール(フランス)、フリッツ・ラング
(ドイツ)、エイゼンシュタイン(ソ連)、チャップリン(アメリカ)なのだそうで
す。
チャップリンの信奉者・淀川長治氏でも「巴里の屋根の下」は過去の映画のベストテ ンに入ると言っているんですが、「巴里祭」を絶賛した文章を書いていながら、彼の 100選のなかに「巴里祭」はないんです。どうしたんだろうと思っています。???
ルネクレールの肖像写真
Mon, 14 Apr 2003
Mr. Yamatan,
巴里祭 6 までメールを楽しませて頂きメルシーです。活動写真と言う言葉が映画になつたのは、はて何時頃でしたかね?
ノスタルジー 以前の事でせ うか。 Ohno
Harusato
Mon, 14 Apr 2003
大野 晴里 様
みなさま
山崎 坦
見ていてくださって有難う。
そういえば 私達は 弁士付き やがて 楽隊付き の活動写真を知っていますね。
本当に何時から活動写真が映画になったのでしょうか?
そうそう、ラジオで宮本武蔵を語った徳川夢声(パソコンにまかせたら無声と出てま した。)は元弁士でしたね。
トーキーが盛んになるとともに、弁士廃業となり、漫談 になった。
今日12月クラブ4月例会 6組 山本恒太郎君の「野球の話&文字・字源の逸話」面白く
伺いましたが、出掛けに「活動写真」の検索に夢中になり、出席時限ぎりぎりになり
ました。ではまた。 草々
Mon, 14 Apr 2003
大野晴里様
みなさま
山崎 坦
「活動写真が何時から映画になったか?」 検索を?時間も続けたけれど答えが出ません。
活動写真は映画の旧名。映画の旧名は活動写真。 活動写真(映画)と出るだけなんで、話になりません。
その中で面白かった文をご紹 介します。
『「活動写真」。みなさんは、この文字にどんなイメージを思い浮かべますか?
私は、戦争を知らない子供達の一人として良くテレビで放映される<戦後>の日本を 思い浮かべてしまいます。
そうですね。ちょっとスピードが変で、人々が早歩きしているような感じの映像、音
もない。
そんなのが「活動写真」って感じです。
「活動写真」=「映画」
私の頭の中では、そんな答えはちょっとでてきません。 すいませ
ん。
ゴメン 訳の分からない話は、この辺にして---------』
なんですと。
どなたかご存知の方いませんか? ではまた。
巴里祭 7
Tue, 15 Apr 2003
「巴里祭」の主題歌「パリ祭」(A PARIS DANS CHAQUE FAU BOURG)(直訳=パリの街のそこかしこで)の歌詞はルネ・クレール作となって いますが。 ジャン・グレミヨンの原詩があるようです。
この詩が全編を通して急所急所に流されます。
序曲のような、プロローグのような、舞台回しのような、説明のような,間奏曲のよ うな、エピローグのような、終曲のように。
そして曲は若いモーリス・ジョベールが、語りに相応しい、シャンソン調につけて、
忘れ難いものです。
音楽映画とも言えるかもしれません。
それは「パリの屋根の下」でも同じで、「屋根」の場合はラウル・モレッティーの作
曲ですが、主題歌も良いが、それ以外の音楽も「屋根」のほうが良いかもしれませ
ん。
もっとも「祭」の場合、曲をつける場面が、場末の広場のダンス向けのジンタのよう な曲だったり、陰気な老人向き高級ダンスホールの音楽だったりするので、主題歌と のコントラストを考えているのかもしれない。
それだけ主題歌「パリ祭」(A PARIS DANS CHAQUE FAUBO
URG)は引き立って印象深くなるのでしょう。
実はこの詩には無数の和訳が試みられていて、概ね、日本語では歌いにくい訳だと思います。
それで、こだわってフランス語の歌詩を取り寄せたわけですが、私が覚えている和訳
の歌詞は次ぎのもので、これだと曲に乗ると思います。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同じ場末のまちに 二人は住んでいた
まだ良く知らないが ベーゼしてしまった
だけど胸の内じゃ 未来を描き 望みをかけて
パリの場末でも 陽は輝くのだ
人の心に愛を覚ます
はたちの心は
君故に踊り
彩りは春の愛の花咲く巴里に
朝が来りゃ
巴里の場末でも
はたちの胸に花が咲く
☆☆☆☆☆
Date: Fri, 18 Apr 2003
みなさま
山崎 坦
「巴里祭」の封切は1933年となっています。
私共が予科に入学したのが17歳〜19歳の頃、1936年でした。
その頃繰り返し上映された「巴里祭」を何度も見ました。
学生は誠に純情な少年達でした。
一年生は全寮生活でしたが、二年からは通学生が多かった。
同じ小平でしたから毎日の様に通学の電車で津田塾の学生に出会いましたが、
ある時A君が音楽会の切符を青ざめて津田のT嬢に渡したのです。 其の後A君は、自分の行為を恥じて、座禅修行のために禅寺に行きました。
生真面目でプラトニックでした。社会の風潮もロマンチックだったと思います。 女性を女神の様に思っていました。
巴里祭の主演はANNABELLA(アナベラ)です。アンナと言う可憐な少女役で
した。
当時学生が読んでいた小説の中の少女達、すべてアナベラが連想されました。
たとえばゲーテのファウストの中の、ファウストに救いを与える永遠の処女グレチヘ
ン。
ウィルヘルムマイスターの中の、少年のような少女ミニヨン。
ゴールズワージー(英ロマン派)のAPPLE TREE(読本でした)の中の彼
女。
----- 李白に「長干行」(ちょうかん の うた)という詩があります。長干は地名、南京 の南郊。
次ぎに引用してみます。
妾髪初覆額(わたしの髪が初めて額を覆う)
折花門前劇(花を折って門前にたわむれる)
郎騎竹馬来(あなたは竹馬に騎して来たり)
遶牀弄青梅(井桁をめぐって青い梅をもてあそんだ)
同居長干里(同じく長干の里におり)
同じ場末のまちに二人は住んでいた (巴里祭)の歌詞)
両小無嫌猜(両人ともおさなくて無邪気)
十四為君婦(十四君がつまとなり)
羞顔未嘗開(しゅうがん、いまだかつて開かず)(恥ずかしさで笑顔さえ浮かばぬ)
低頭向暗壁(こうべをたれて暗い壁に向かい)
千喚不一回(千たびよばるるも一回も振り向きません)
十五始展眉(十五になってはじめて眉ものびのびするようになった)
願同塵與灰(願わくは塵と灰とをともにせん)(塵灰になったあとも一緒に暮らした
い)
----略
----略
十六君遠行(十六君遠く行く) ??出征??
----(詩はまだまだ切々と続く)---(略します)---
---------- 羞顔--ぽっと顔を赤らめるような少女が????
以上から わたしの ANNABELLA が浮かんできますか知らん。
Sat, 19 Apr 2003
みなさま 山崎 坦
一応アナベラの話をさせてください。HPには巴里祭のときの写真を入れました。
ANNABELLA(アナベラ)
なんと彼女は”Quatorze Jullet”7月14日生まれなんです。 1910年ですから私共より9/10才年上です。
セーヌ県ラ・ヴランヌ・サン・ティレールに生まる。
本名、シュザンヌ・ジョルジェット・シャルパンティエ
1996年9月20日(金)夕刊紙で彼女が18日に86歳、パリの自宅で亡くなっ
たことが報じられていました。
手許に新聞の切抜きがあります。
☆-------------------------
無声映画「ナポレオン」でデビュー、ルネ・クレール監督の数作に出演、マルセル・
カルネ監督「北ホテル」に主演した。
38年にはハリウッドに進出、「スエズ」で共演した米映画俳優タイロン・パワーと
結婚したが、その後離婚した。(ロイター)
◇ ルネ・クレール監督の作品のうち「巴里祭」が、日本では人気を博した。と。
☆-------------------------
48年離婚。50年引退後はスイス近くの町?またはスペイン国境に近いピレーネ・ オリエンタールで静かな余生を送っているとのことでしたが、 パリーえ行ったんですね。
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1920年 「掻払ひの一夜」(”マドロスの恋”の歌で有名)
1926年 アベル・ガンス監督「ナポレオン」
1927年 ジャン・グレミヨン監督「マルドーヌ」。アトリエ座で演技を学び、コ
ンセルバトワールでジョルジュ・る・ロワの教をうける。
1931年 「真夜中の恋」(獨)ベルリン。ルネ・クレール監督「ル・ミリオン」
1932年 「春の驟雨」(ハンガリー)。後年の「回転木馬」(米)を思わせる映 画。
1933年 「巴里祭」。 佛二枚目俳優ジャン・ミューラー(’35「最後の戦闘機」のテリス大尉。’3
7「女だけの都」スペイン大公 役)と結婚。’38年離婚。
1934年 「モスコウの一夜」「キャラバン」
1935年 「最後の戦闘機」 「戦いの前夜」ベネチア映画祭女優賞。「ヴァリエ
テ」「地の果てを行く」
1936年 「夜の空を行く」
1937年 「暁の翼」(アメリカ)他二本(英仏で各一本)
1938年 「北ホテル」(佛)「スエズ」(米)他一本
1932年〜1947年「永遠の争い」まで五本
次ぎに昭和13年(1938年)予科三年のときの雑誌「スター」が出てきましたの
で、ご紹介します。 つづく。
Sat, 19 Apr 2003
みなさま
山崎 坦
戦前、映画雑誌に「スター」というのがあったのを覚えていらっしゃる方もおられる
と思います。
「キネマ旬報」とか「映画の友」はいまでもあるんじゃないかな。
「スター」は見かけませんが、新聞半切程370ミリ×260ミリの大型ですが、今
見ると粗末な紙です。
毎号のその表紙が素敵でした。たしかItohとかいうひとの 描いたパステル画スターの肖像画、画面一杯に描かれた美しい物でした。
何冊か大切に保存しておいたと思ったのですが、ぼろぼろの1冊だけありました。
昭和13年4月23日印刷 昭和13年5月1日発行 第6巻第9号(通巻118号)(毎月2回発行)
”STAR”Publishing Co. 12,3 chome,Marunouchi,Kojimachi,Tokyo 定価15銭
昭和8年9月25日第3種郵便物認可 とあります。
Managing Editor : K . Nambu (?南部圭之助?)
その表紙がANNABELLAだったのです。
なんと記事をみますと「舞踏会の手帳」の輸入事情やら、シナリオ、批評などがあり
ます。 表紙写真はHPに入れましょう。
「舞踏会の手帳」追記を次回お送りしましょう。 ではまた。
☆☆☆☆☆
「スター」誌 4/5頁に見開きで封切り映画の広告が白黒で粗末な紙に印刷されています。
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暁の翼
Wings of the Morning
総天然色映画
英ニュー・ワールド特作品
ロバート・T・ケーン制作
廿世紀フオツクス映画会社提供
ハロルド・シュスター監督
アナベラ
ヘンリー・フオンダ 主演
ジョン・マコーマック特別出演
こんな美しい
アナベラが又とあらうか
こんな楽しい青春が
又と描けようか
大競馬が色彩の
大絵巻の中に躍動する
之ぞ最後のカラー・ピクチユア
(以上原文の侭)
四月廿一日SY系封切
帝国劇場 大勝館 武蔵野館 東京映画劇場
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「暁の翼」(Wings of the Morning)とは馬の名前なのです。
「懐かしの名画」で再映されることがないので、どこえいってしまったのでしょうか?
アナベラはこの馬の飼育係?調教師?牧童?のような役の少年でした。女性とは思われていなかったと思います。
主役ヘンリー・フォンダ(彼も渋い良い役者ですね。)から。少年はヘンリーフォンダを慕っていたけれど。
苦心して育てた馬が大競馬で優勝する。
祝賀のレセプションで突如、レディーに変身したアナベラがあでやかに、階段を降りてくる。
ヘンリーフォンダと、めでたしめでたしになるというような話だったと思います。
スターの表紙になったのはこの映画のANNABELLAです。