ペリー来航150年
Tue, 10 Jun 2003
Dear Yamatan,
150年前のペリー来航は、日本現代史の出発点といえましょう。
全 国が沸き立って、「勤王攘夷」なりや、「佐幕開港」なりやと、激しい争論を呼び起 こし、その後間もなく大政奉還という無血の政権移譲が実現した原因は、そこにある のでは無いかと思います。
アメリカはペリー来航の5年前に始めて、カリフォルニア、テキサス、 ニユーメキシコ、アリゾナ、コロラド、ワイオミング等幾つかの重要な州をメキシコ
から奪取して、待望の全国統一を実現したばかりでした。
その後直ちに日本に軍艦 を派遣して、門戸開放を迫ったのには、それなりの意図が有ったと言えましょう。
幸いにして、幕末の志士達が、それぞれ維新の元勲になった後、世界の 情勢に則して政策を修正し、「勤王」なれど「開港」すべき途を選んだのは、主権を 擁護しつつ外来文化を吸収するという穏当にして賢明な政策だったと思えます。
ペリーが率いた艦隊の主要な任務は、南京に本拠をもつ大平天国軍の攻 撃に備えて、上海の国際租界を防衛することでありました。従って清朝政府と反乱
軍の内戦によって、大陸の人民が塗炭の苦しみを受けている実情を、予々風聞してい
た日本の有識者たちが、ペリー来航の齎す国家の危機を逸早く洞察して、適切な外交
政策を打ち出し、それを回避したのは史上稀に見る大成功でありました。 Edward(Mr. Edward Chang、張漢卿君S16学後・在トロント・・編註)
Thu, 12 Jun 2003(jfn-ML)
岩城@1972です。
平尾光司さん(S36社)の奥様平尾信子さん「黒船前夜の出会い」(NHKブックスNO706)の講演を如水会館で聴いたことがありました。
ペリーに先立つこと8年、禁を破って浦賀に現れたアメリカのある捕鯨船があった。
来航の目的は何か。 ・・・海の男が切り開いた日米交流の原点。 (帯広告より)
夫君の米国駐在でニューヨーク市に滞在中、寺島実郎氏の「クーパー船長」の家の保存の呼びかけがきっかけで「クーパー船長」を
いろいろ調べていくことになったそうです。
御茶の水女子大学教育学部史学科卒および歴史の教鞭の経験が下地にあったとはいえ、一冊の本にまとめられたエネルギーと夫君
の協力(有形無形にあっただろうと)に感心 した記憶があります。 講演最後に、ペリー来航はまったく初めてではなく、事前訓練となったこの事件で通詞や末端の役人が優秀だった日本が「本番」に備えて勉強し始めたのが、その後の対応に中国とは違った展開を見せた遠因ではないかと中国
研究者が言っていたとコメントしたのが印象的でした。(S47岩城悦子さん・・編註)