酒井雅子様   
  河野次郎様
   昭和57年卒業生の会のみなさま
                    12月クラブ・ホームページ管理者                                                山崎坦(S16学後)                                  yamatan1941@mercury.ne.jp                            http://www.mercury.ne.jp/dec-club/ 卒業20周年記念同窓会おめでとうございます。
私は今、私共12月クラブの40年前の20周年記念同期会を思い出しております。 私共は、其の時に同期会の名称を12月クラブと命名しました。 日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月、私共の年次352名(7クラス) は、翌年3月卒業予定のところ、3ヶ月繰上げ卒業させられまして、全員戦線に投入 されました。
兵役は明治憲法では国民の三大義務の一つでありました。
戦争の終わる昭和20年まで、足掛け5年の間に一割以上の学友が、 或いは水漬く屍、或いは草生す屍となりました。
私が祖国の土を踏んだのは終戦翌年の一月末、鹿児島でした。 緑滴る桜島の景色に感激しました。 しかし帰りついた東京は焼け野原でした。
それからの15年、スクラップ・アンド・ビルドの15年、 戦時の5年は月月火水木金金、それからの15年は猛烈社員でした。
そして卒業から20年経ったときは、池田勇人内閣の所得倍増計画のスタート時点で した。 将に私共が働かなければならないところでした。 独走できるようなフィールドがありました。o オンリーワンのつもりでした。
ジャパン・アズ・NO1と言われるようになるまで真摯に奮励努力して、遺産を残し たと思っております。 負の遺産は決して残さなかった、と思っております。
一橋(大学)では上田貞次郎先生以下、敬慕置くあたはざる先生の薫陶を受けた選ば れた学生達でした。 社会に出ては、将に一橋の名をはずかしめないキャプテン・オブ・インダストリーで ありました。
そこで皆様の卒業20周年を考えますと、なにか、別の意味で、私どもが際会した時 代に似ているのではないか、 いな、私どもの時代より難しい時代だと思います。 私どもの時代、日本は物的に米軍によって破壊されていましたが、精神は真摯であ り、 いい加減な事はしない、まじめに再建に立ち向かっていたと思います。
何時の頃からでしょうか、精神も破壊され始めて、 「奢る平家は久しからず」のことわりのように、 不真面目なバブルの、いわゆる失われた十年を齎してしまいました。
私どもは、将に原動力たるべき諸君に期待いたします。 期待の弁を以ってお祝辞に代えさせていただきます。 有難う御座いました。 **************************************************************************** 12月クラブ・ホームページ(http://www.mercury.ne.jp/dec-club/) には60周年50・40・30周年毎に会員多数の書い た記念文集全文の他、年三期発行の通信にも 20周年当時の回顧記事があります。   卒業記念アルバム、予科入学アルバム、ゴルフ同好会写真など写真も多数収録しまし た。ご覧下さい。 ************************************