「学生時代に見た映画」の分類

Date: Tue, 11 Nov 2003
十二月クラブ各位                 
                          山崎 坦      
みなさま、お元気ですか。サブMLをスタートさせましたので、早速活用いたしましょう。
さきに座談会「学生時代に見た映画」フランス映画からはじめましたが、
独逸、 ウィーン映画や、アメリカ映画など沢山ありますよね。

大野君から”映画「カサブランカ」を見た、最近の修正でカラーが着いている”との ことでした。
あの映画を見たのは戦後の混乱期でしたね。
それは大変な時代でした ね。”カサブランカ”と言う名のキャバレーが出来たりして。
インターネットで検索 したらあんまり沢山出てきたので、辟易してしまいました。
大野君済みませんでし た。話を展開してゆかなくて。 チェックしてみますと10月6日7日の交信でした。
カサブランカのストーリー、「検索」でご覧になりましたか?
貴方が上海え行かれたときの雰囲気と言われたの、よくわかります。私も参りました から。

「学生時代に見た映画」   ちょっと分類してみました。

〇植民地駐屯軍の映画

「雨」(The Rain)アメリカ映画(1932年)の舞台のアメリカン・サモアはも と独逸植民地だったが、第1次大戦で独逸が破れたので、アメリカの植民地となっ た。 あの映画で、植民地駐屯軍の下士官が出てきます。
戦前の映画には後進国未開発の植民地を舞台にしたものがが多かったですね。

「ベンガルの槍騎兵」(The Lives of a Bengal Lancer)アメ リカ映画(1935年)はイギリス軍がカイバル峠を越えて、土人と戦います。
今のアフガニスタンでしょう。 (「ベンガルの槍騎兵」は保護者(母)同伴で見ました。中学生は独りで映画を見て はいけなかった。中学生は一人前でなくて、その行動の責任はむしろ保護者にあっ た。)
当時は植民地駐屯軍等という見方は全然しなくて、先住民は即土人ないし土匪で、悪 者と描いていたから、そうだと思っていました。
製作者側(征服者側)で見ていたわけです。 桃太郎が鬼征伐に往くスタイルで、桃太郎を応援したわけです。
まつろわぬものはい かん、という感覚でした。

「モロッコ」(Morocco)アメリカ映画(1931年)小説マノンレスコーを 下敷きにした恋愛物語としてみていました。
(椿姫や情夫マノンもそうだけれども) この映画はフランス植民地アフリカのモロッコの外人部隊・兵士ゲーリークーパーと 酒場の女マレーネデートリッヒの恋物語。
私の年代の人でこの映画を知らない人はいないでしょう。
イギリスやフランス(とくにモロッコやアルジェリアが多かった)軍だったのにアメ リカ映画が多かった。

「外人部隊」(Le Grand Jeu)フランス映画(1935年)もこのジャ ンルに入ります。人種も国籍も問わない流れ者の吹き溜まり、傭兵隊のメンバーは、 いずれも数奇な運命を持っているのでお話になりました。

「地の果てを行く」(La Bandera)フランス映画(1936年)。モロッコの砂漠 の果ての戦闘で一名を残して全滅する。援軍が到着しての点呼で、名前が呼び上げら れると、最後の生き残りの一人だけの兵士が他の兵の名前(点呼)のたびに「戦死」 と答えた。印象的でした。アナベラが余り綺麗でないモロッコ土人に扮していてがっ かりしました。(点呼と言えば、大学で授業の初めに取られた出欠が思い出されま す。代返があったりして。)

ヨーロッパからアフリカえの逃避行を描いた有名作品には「望郷」(Pepe-le- Moko)フランス映画(1939年)や、私共の学生時代に見たわけではないけれ ども戦後直ぐの映画にカサブランカ(Casablanca)アメリカ映画(194 6年)がありました。♪Time goes by♪の曲がなんともやるせない反 戦、反ナチ映画でした。キャバレーに「カサブランカ」と言う名前が付けられたほど 有名な映画でしたね。


次の分類は
○西部劇・アメリカ映画   アメリカ西部開拓関係。(続く)

随分永くなりましたので、今日はこの辺で。 ではまた。 よろしく。