(逝去された故下田友吉君の告別式は10月8日上野寛永寺輪王殿第2会場でありました。
告別式で中村幹事長が讀まれた弔辞です。)
弔 辞
下田友吉君。わたくしども同期生が、東京商科大学の予料に入学し、小平の杜に集い会したのは、二・二六事件勃発直後の昭和十一年四月のことですから、数えて既に六十七年もの歳月が経たことになります。
思えば貴君との交流は、随分長い期間続いたものですね。
先般来貴君が、体調を崩されておられたことを懸念しておりましたが、強い精神力と恢復力とで、その都度持ち直され、最近の同期会の例会や役員会には毎回出席されて、いっも私の隣席で親しく語り合い、また会の運営についても、的確な助言を戴ける状態だったので、貴君の健康に関しては、やや楽観しており、全く突然の訃報に接したときは、ただただ動転、しばし呆然、回りの者達が心配するほどでした。
ご家族ご一同様のご悲嘆もさぞかしと拝察いたし、心から、お悔み申しあげます。
貴君は、学生時代にも、軍務に服した時代にも、戦後の実業界で懸命に国の復興に尽瘁したときも、常に抜群の能力を発揮され、われわれ仲間を感嘆させておられましたが、特に「公認会計士」制度が制定され、見事これに合格されるや、直ちに当業界において目立った存在者となり、数々の役職を経て、叙勲の栄を得られ、同期会の誇りとして、会員一同、歓喜したものでした。
また、われわれ同窓会の「如水会」においても「監事」として、二期・四年間務められ、監査システムの改善に、多大の貢献をしてくれました。
しかし、何といっても、卒業二十周年を期して発足したわれわれの同期会が、昭和十六年十二月開戦の「第二次世界大戦」に対応するため、急遽十二月に「繰上げ卒業」となったことに因み、「十二月クラブ」と命名し、貴君が、その事務局の業務を引受られ、爾来五十三年の長きにわたって、数々の貢献を賜ったことは、われわれとして、決して忘れ得ない偉業であります。
同窓会意識の強いことで、世に知られている「如水会」の中にあっても、抜きんでて活発な同期会として、自他ともに認めているのも、副幹事長としての、貴君の地道な貢献があったればこそで、一同、常々、深く感謝いたしている次第です。
卒業六十五周年、いや七十周年までも貴君に頑張って貰い、記録更新をと願っていたのに、これも天命の定めることとして、従わなければならないことなのでしょうか。真に残念でたまりません。
でも下田友吉君、どうぞ、安らかにお休みください。
平成十五年十月八日
如水会 十二月クラブ 幹事長 中村達夫