横山健之輔君の思い出
5組 中村富士男
今年の年賀状には、奥さんと二人並んで撮った写真入りで、「家内は当地の鎌倉由比ケ浜特養舘に入所出来、小生もデーサービス(入浴と食事)を享けに通所しています」と書いてあったので、早速電話し、詳しい話を聞き、元気そ
うな声を聞いて安心していた。
7月8日、山崎幹事からの横山君の訃報に接し、びっくりしたと同時に頭に浮かんだのは、去る平成13年の亦楽会忘年会の帰り、神保町への道すがら、「中村よ、此の間、家内の机を整理していたら、“ハワイのお金’’と書いた封筒が出てきたんだ。こんなにまで楽しみにしていたんだ、と思うと泣けるよなあ」と、しみじみと語った彼の顔だ。彼の奥さんに対する心情を思い、おもわず小生も涙した。
というのは、彼は文学を愛し、また十二月クラブ名簿にもあるように多趣味な男で、しかも造詣深く、著名人を含め広い人脈を築いていた。語らせれば時間を忘れる位だった。旅行も、趣味に関連して国内を相当歩いていたようだが、外国旅行はしたことがなかった。
遡ること12年前の平成3年の春頃、亦楽会の帰りに、いっものように何となく2人きりになって歩いている時、小生が平成元年、2年とつづけてハワイへ旅行した様子を話していたところ、君は「ハワイに行ってみたいな」と云い出した。しかし彼は世間の雑事にはどちらかと云えばうとい方で、「いろいろ手続きが面倒なんだろうから、俺達夫婦だけでは駄目だな」とあきらめかけたので、「どうしても行きたいのなら我々夫婦で計画、手続きをして同行してもいいよ」と云ったら、「では頼む」ということになり、6泊8日の「ハワイ観光計画」が出来上った。忘れもしないその年5月10日、新宿中村屋に両夫婦が集まり、旅行の最終打合せをした。横山夫妻は初めての「ハワイ旅行」に胸をおどらせ、話もはずみ、特に奥さんは初対面のうちの家内と気が合って、一緒に旅行できるのが嬉しい、と大へん楽しみにしておられた。
ところがその「ハワイ旅行」出発をあと一週間というとき、横山君が突如、前立腺に異状が生じ、旅行にドクターストップがかかって中止の止むなきに至った。
再度の機会チャンスを待ったが、その後は毎年のようにどちらかに不具合があり、遂に実現に至らなかった。そこで彼の頭初の言葉が出たわけである。悔しくもあり、残念であったろうと思う。
彼に会ったのは其の時が最後になったが、誰にも言えない様な愚痴や苦労話をお互に言い合えた良き友を喪い誠に淋しい。
衷心より御冥福を祈る