2 月 例 会
日時・2月14日(月)11時半〜
場所・如水会館14F 一葉
天候の悪変を気にしながら奥さま方の集りは好調、
そこへもって来て本日はバレンタインデーとのことで、
麦倉夫人より出席者全員に小箱入りのチョコレートが配布されて、
みんな大喜び、笑顔が広がった。
時間が来て、世話人代表の樽君からご挨拶つづいて、昨年中の逝去者の報告があった。
11名とのことで残存者は57名となったが、
この中にも詳細不明の者もあり、ますます心細くなって来た。卒業時の339名に対し16%とのこと、
物故者・生存者名をクラス別に明記したプリントが配布され、暫時沈黙におち入った。
そのあと鈴木が報告に立ち、本年が節目の年であること、
即ち昭和16年12月に戦争の故に国立のキャンパスを第一回繰上げ卒業として追い出されてから70周年、
戦後やや混乱も落ち着いて学友同士の連絡もとれるようになって、
昭和36年12月熱海八丁園ホテルにて同期会「十二月クラブ」を立ち上げてから50周年となる訳で、
この辺で一区切りをつけたいと言うことになった次第を説明し、
しかも正会員はすべて90歳を越えたこともあり、
とりあえず(平成24年以降)今迄の年3回(二月、六月、十月)の会合を年2回とし(四月、十月)、
「十二月クラブ通信」の発行も会合から2ケ月おくれの年3回を同じく年2回としたいと提案した。
地方会員や体調不良にて会合に出席不可能の方々から十二月クラブの存続、
特に「十二月クラブ通信」に対する愛惜の念がお強いことは我々世話人としても大切に致したいと思つてをり、
上記の説明・提案も快く出席者全員の諒承が得られたことだった。
いっまで続けられるか、とにかく頑張って見ることとした次第である。
次回6月14日(火)は
我々の同期生で名古屋大学名誉教授・学士院会員の水田洋君をお呼びして話を聞くことになっている旨、発表された。
水田洋君は「12月クラブ」の命名者でもあるのだ。
かくして雨の降らぬ内2時前解散。
当日の出席者:
@鈴木貞夫、橋本小夜子、麦倉則子、本宮梅子、
A鵜澤昌和、岡口保子、光永海紀江、宮城素子、
B今村恵子、小宮山従子、
C樽央也、毛塚洋子、三吉かをる、望月恵美子、
E小坂明子、松田道子、
F兼子春三、斉藤美恵子
、(会員4名、準会員14名、計18名)