水田正二君『将棋6投』に昇段
                     ---- 12月クラブ通信第111号より  ----
      
                         6組 中村達夫

当クラブには囲碁の高段者は多い、5段以上とされているつわものは土田・杉江・宮崎・天谷等の5氏、更にこれに続く有段者としては、河村・宇野・和田(−)・熊倉・菅丼・小寺・水田(正)・鈴木(義)・下田・松村・久野・白井・野地・鴨田等の諸氏がおり、故人となつた会員分を合算して、優に『十二月クラブ百段会』を誇ったのであるが、
将棋に関しては、天谷君の5段(天谷君は麻雀も5段)以外の有段者についての情報は少なかったのであるが、ナントこのたび水田正二君が、『将棋6段』に昇段、されたとの知らせを得た。
ということは、これまで5段だったわけで、まことにピックリ仰天。
いずれにしても、水田君の水泳80歳台での『世界記録』に加えて、の『将棋6段』に昇段のこュースは、おめでたい限り。「クラブの誇り」が、また一つ増えた次第。
水田君とは、時折14Fの二次会後に「常先」で囲碁を楽しませて戴いているのであるが、最近は、負けが込んできて『将棋6段』の「格と実力」に押されているな、と感じているこの頃である。   [14一10−233記]
 




        自戦記
 一                     7組 水田正二

将棋六段に昇進したのを中村幹事長にさとられ別記の記事を寄せられたので、自戦記を書く始末になりました。     
小学の頃から将棋に興味を抱き、大きな希望を持って、本気でプロになろうかと思ったことがありましたが、こっぴどく叱られてあきらめました。それでも折々にプロの方に教えていただいて、将棋への関心は続いておりました。
昭和56年にアマ五段の允許を受け、その時代はアマ最高位だったのですが、その後制度がかわりアマ六段制があることを知り挑戦を始めたのでした。たゞ何と云っても老化していて、冴えなかったのでしたが、2年余りかかって、ようやく六段の允許を頂いたという次第です。
六段の問題は四問で一問が500点、全問正解で2000点です。このテストを10カ月続けて全部で20000点に到達すれば六段ということですが、なんと、苦労して20数カ月かかり、ようよう2万点になりました。自らの老化現象をかこちながら、乾杯した次第です。