回想の大野正庸君
5組 佐藤敏登
○略歴等
1916年千葉県野田市の真言宗僧家に生る。
1936年東京商科大予科入学。
在学中徴兵検査、乙種合格。
支那事変拡大により、二度入隊と復学を繰返し、昭和20年漸く卒業。
三菱鉱業入社、殆んど北梅道に在勤。
堅実勤務の上、奥様の故郷川越に御一家挙げて定住。
8月31目静かに逝去、87才 自宅にて葬儀。
○故人の文集寄稿より−
1.−卒業40年記念集 波涛より−
「小生馬鹿気た道草を喰ひ、昭和20年、 訳のわからぬ東京産業大学を卒業、
学校の門と軍隊の門を繰返へし出入した」「但し 40年の昔、一ツ橋の聲咳に接し、折に触れ、 国士的経済人を望み、若い純心な魂が育てられた。
2.−50年記念集 波涛より−
「田園の居洒家に老妻と和し沈香も焚かず只風雨野鶴を友とし、只管馬齢を重ね、又老醜をさらす」・‥…「然るに今や世は金銭を至上とし、欲望実現を成功として評価、老人に於ても放談に羽振りきかすは又残念」「外交に於ては右顧左眄、徒に信念なき金銭援助に走り、軽薄なるパフォーマンスに終始する政治家の堕落」…誠に情なしと−。
○彼の面影
白眉の老僧然として、朴訥な愛語と、やさしい所作。さりながら上記寄稿の如く、世相に迎合せず、世俗に染らず、戦前の道徳を基に、いささか世相を憂ふる気概を内蔵していた。家庭では夫人と娘さん一家に囲まれ、広い庭越しの田園を楽しみながら、静に去って逝った。身体は土に還へり、魂は御仏の胸に−。
又一人のなっかしい友と別れた。寂しい。
以上