一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第十五号] ポリティカル・エコノミー再考 一橋大学名誉教授 山田 雄三
(一) 果たして「自分」の経済学を語り得るか
この会で前に福田経済学ということについてお話をしたのですが、今回、新井さんの御注文で自分の経済学の話をしろということです。もちろん自分の経済学がないというとうそになります。アダム・スミスを批判したり、あるいはマルクスに反対したりしているかぎり、多少とも自分の考えがあるわけですけれども、そうかといってスミスやマルクスに対抗するだけの大きな自分のシステムがあるかと言われると、どうもじくじたるものがあり、そういう意味では自分の体系なんていうものを余り大げさに申すのははばかるわけです。経済学でそういう非常に大きな学説の体系というのは、恐らく百年に一人ぐらいしか生まれないものだと思います。小さな貢献、あるいは小さな発見のようなものは次々と出ていると思いますけれども、大きな体系によってこれまでの経済学を引っくり返すというようなことはなかなか現われません。ことに最近は学問が非常に専門化されまして細かい点に集中する傾向がありますので、殊に自分の体系など語りにくくなっています。そういう自負心の強い方もいるようですけれども、とかく独りよがりに見えて、どうも私にはそういう考えになれないのです。
私自身も小さな発見とか、あるいは小さな貢献はないわけではございません。先はど新井さんの開会の挨拶に出てまいりました国民所得の問題ですが、私は昭和二十五、六年ですか、日本の明治以来の国民所得の推計というものを私なりにまとめまして発表したことがあります。これはこの方面でのかなり先鞭的な仕事で、山田推計とか呼ばれているものです。その後、国民所得の統計は発達してまいりましたが、先ほどのお話にもありましたように、国民所得の推計があまりに細かくなり過ぎるような傾向があり、マクロ的なものとして大ざっばに見通しをつけるということが看過されるために、先日の新聞にあるような成長率の推計が変な結果になるという問題が起こるのです。それはとにかく、私の書物が出たあと、企画庁による国民所得推計がいっそう整備されたことはたしかです。
他方、余りほかの方にはもてはやされないが、しかし、自分では少しは独創的なものじゃないかと思っている研究もございます。私が昭和九年に書いたチュウネン(ドイツの学者、近代経済学の始まりの人)の研究のなかに、労働価値説についてマルクスとリカルドとは基本的に違うという主張をしたことがあります。通説ではマルクスもリカルドも、ともにいわゆる投下労働量を価値の尺度としており、マルクスがその説の完成者だというのですが、私はそれに反対したのです。私の考えではリカルド説は生産性、最近の言葉で言えばプロダクティヴィティということを中心にしていると見るのです。つまり、労働の量と生産の量との比を考えて、たとえば農業よりは工業のほうが生産性が高いために、工産物が農産物に対し相対価値(価格)が低くなるというのが、リカルド説なのです。しかしこの解釈は自分では正しいと思っていますが、これはあんまりほかの方には注目もされず、いまだに問題にしてくれないようです。(この点は私の『経済学史要』にも論じています。)
こんなわけで、私にも私なりに小さな貢献は多少あるつもりでございますけれども、しかし私は自分の体系を築きあげるなんていうことは初めから考えておらないのです。経済原論の教科書も書きましたけれども、これはどちらかというと通説を整理したというだけでございますから、自分の体系を提示したなどと考えたことは一度もありません。
ただ私は経済学をはじめて当初から始終気になっているのは、マルクス経済学と近代経済学というものが一体どうして分かれるのか。同じ経済学を志向しながら、二つのものが分立してよいのか。昭和の初期の学界の動きに直面してこういうことを前から気にしながら経済学をはじめていたのです。しかも一方を取って一方を捨てるというようなそういう考え方にはどうもついていけなかったのです。イデオロギーから自分をどっちかに属させるというようなことがあるかも知りませんが、経験科学として、そう簡単にイデオロギーを持ち出してよいかどうかどうか。いろいろ考えて、経済学の性格というものはどう考えるかということにいろいろ悩んできたことはたしかです。きょうの演題は「ポリティカル・エコノミー再考」ということなんですが、これはいま申し1げた経済学の性格、あるいは方法論に関係があることでして、私は経済学を政策科学と考えることによって、マルクス経済学と近代経済学と呼ばれるものの分立を超えるべきものと考えているのです。もし少しでもご参考になれば結構だと思うのですが、しばらくお聞き願いたいと思います。
(ニ)「ポリティカル・エコノミー」という言葉
「ポリティカル・エコノミ…いう言葉は、学生時代を思うい出していただければかなり頻繁にお聞きになったと思います。これはリカルド、マルサス、1・S・ミルなど、彼らの本は皆ポリティカル・エコノミよう標題をつけているのです。『プリンシプルス・オヴ・ポリティカル・エコノミー・アンドタクゼーション』はリカルドの主著のタイトルです。マルクスもミルも、『プリンシプル・オヴ・ポリティカル・エコノミーです。そのほか多くの学者がいるわけですが、古典派の経済学者の教科書というのは大体ポリティカル・ポリティカル・エコノミーという言葉を使っているのです。
ポリティカル・ポリティカル・エコノミーという言葉の由来を申しますと、もっと古いのです。
一六一五年といいますから、アダム・スミスなんかよりは古いのですが、フランスのモンシュレティアンという学者に『トレーテ・ド・エコノミー・ポリティーク『という書物があるのだそうです。これはジートとリストの『学説史』の最初に出てくる説明で、あるいはご記憶の方もあろうと存じます。
ところが、一八七〇年、いわゆる近代経済学が出てから以後も、たとえばジェボンズの書物がポリティカル・エコミーという標題を使っている。それからワルラスも、エコノミー・ポリティーク・ビューアであって、純粋という
言葉が入っていますけれども、とにかくポリティカル・エコノミーという言葉を使っているのです。
ここで学生時代の経済学の講義を思い出していただきたいんですが、エコノミーというのはギリシア語でオイコス+ノモス。オイコスというのは家庭、家。それからノモスは法則です。したがって、単にエコノミーというと家の経済、家計もしくは家政を指すのです。ところが、いまわれわれが考えようとしている経済学というのは、広く国民経済とか、社会経済とかいうものであって、それを表わすためにポリティカル・エコノミーというように、ポリティカルという言葉が必要になるのです。これが普通に経済学の教科書に出ている説明です。つまり政治とか政策ということと結び付けるのではなくて、むしろ社会と結びつくのです。ソーシャル・エコノミーという言葉も、たとえばカッセルは、ドイツ語でテオレティッシェ・ゾチアール・オェコノミーといっています。ドイツでは、どっちかというとフォルクスウィルトシャフトというようにフォルクス(国民)を使います。あるいはナチオナールという言葉を使うのです。こうして、ポリティカルという言葉は、政治とか政策とは関係ないのだと解釈されているわけです。アリストテレスに「人間はポリティカルなアニマルだ」という有名な言葉があるのですが、その場合も実はソーシャルなアニマルということで、大ぜい集まって生活する動物だということだと解されるようです。
それが大体の通説でありますが、しかし私の考えますのに、政治とか政策と全然無関係かと言いますと、どうもそぅではないのではないかと思われるのです。経済学がとり扱う対象は、単に個人の集まる社会というだけではなく、そこに国家とか政府というものがあって、それが政策をやる。そういう個人の集りと国との関係を考えようというと、そこに政治とか政策とかがどうしても問題になる。ですから、ポリティカルというのは社会だとか、国民だとか言いますと、ちょっと抵抗を感じるのです。ところがどうも最近まで、経済学というと社会的なメカニズムをつかまえよぅとするものと解され、国民経済あるいは市場経済が対象だと見られているようです。政治を離れて経済そのもの、とくに経済の社会的メカニズムを考え、政策を離れて自動的に動くメカニズムを考えるというのが、経済学の主流の考え方だといえるようです。
(三) 主流の経済学は政策志向をもちながら 政策論を展開しなかった
ところで、古典派の理論を考えますと、あるいは新古典派も含めていいのですが、実は政治や政策と無関係だとはいい切れないのです。これらの経済学では自由主義という政治体制を考えているのです。自由主義というのは、政治目的もしくは政策目的なのですから、自由主義経済を考えるのだということになりますと、明らかに政策的なインテンションは持っているわけです。ところが彼らは、そういう自由主義を自然の秩序だというふうに考えてしまうのです。つまりアダム・スミスの言葉で言うと、見えざる手が働いて個人の自由活動の間に自然に調和が生まれるのだというのです。こう解釈しますから、自由主義をどのように政策的に実現できるかとは考えず、むしろ自然の秩序をつかまえるというふうに考えるわけです。自然の秩序を理論としてとらえることが中心になり、自由を政策として実現するとは考えないのです。これが新古典派になっても似たような考え方が出てきているのです。もちろんアダム・スミスの自利心という考え方よりは、近代経済学の個人の経済合理性という考え方のほうが分析的ですが、そういう個人の合理的な活動が自由に集って市場を形成する場合、その市場では価格の調節作用によって自然に均衝が生まれるのだと考えて、自然均衝という言葉も使うわけですが、そういたしますと論理的な点から言いますと、アダム・スミスの見えざる手とそんなに違わないのです。やはりそこには自然の秩序があり、自由に任せておけばうまく調和がとれるのだという考え方が貫いていて、したがって市場のメカニズムをもっぱら理論的につかまえようとするかぎり、政策という考えは遠ざかってしまうのです。
そうしてむしろポリティカルという言葉を省いた方がいいではないかということになり、それがマーシャルの『プリンシプルス・オヴ・エコノミックス』になるのです。ポリティカルという言葉は省いて単にエコノミックスになるのです。もちろんマーシャルに政策論が全然なかったというのではなく、いわゆる「厚生経済学」 のような政策論があるともいえるのですが、しかし主たる目的は理論的解明なのです。自由市場のメカニズムを分析しようという考え方が中心になっているのです。
これに関連して、ここで付け加えておきたいのは一橋で所属しているカール・メンガーの文庫の中に、メンガーが自分の著書に書き入れをしたものがあり、そのタイトルがフォルクス・ウィルトシャフト・レーレとなっているのを、フォルクスを消しまして、いきなりウィルトシャフト・レーレと改めている書き入れ本があるのです。これはメンガーが改訂版をそういう題のもとにつくろうという意図を示したおもしろい本ですが、まさにマーシャルのエコノミックスという言葉と相通ずるものであって、要するにそこでは経済学を理論科学として見るという理論尊重の意味が強く出ているといってよいように思われます。
同じ流れは、たとえばエコノミック・サイエンスという言葉や、有名なシュンペーターになりますと、エコノミック・アナリシス(経済分析)という言葉を使って経済学説史の大著があるんです。そういう意味で、理論分析を中心とするところから、ポリティカルということが次第に薄くなり、削られるようになったのであります。正確にいうとポリティカルを隠くしているのです。スウェーデンにミュルダールという学者がおりますけれども、よく日本へ参りましていろいろ講演などされている現存の学者ですが、彼はいままでの古典派や新古典派の経済学は政策的なインテンションを持っているのにそれを隠しているのだといっています。つまり、自由主義という政策目的をもっているのに、それをどういうふうにして実現できるのか、どういう条件が備って初めて調和のある秩序が実現できるのかということを考えず、自然の秩序とか社会のメカニズムとかいう分析を前面に出して、政策という考えを隠しているのであって、いわば「隠れんぼ」をやっているのだというのです。ハイド・アンド・シーク(隠れんぼ)という言葉を、、、エルグールは使って、経済学の主流が政策論を展開しなかった理由を説明しているのです。
(四) マルクス経済学にも政策論・計画論は なかった
そういう流れが経済学を支配してきたのですが、同時にマルキシズムという流れがあるわけです。マルキシズムでは現実の経済社会を資本主義として把捉するのですが、その資本主義というのは、資本によって労働を搾取する社会だと見るのです。搾取という言葉をどう解釈するかについては、いろんなむずかしい議論がありますが、それはきょうは省きます。ただ、現実の社会において、たとえば分配の不平等があらわれるとか、階級間の闘争があらわれるということをマルクス経済学では重視するのです。利害が調和するんではなくてむしろ利害が衝突するということを強調するのが、マルクス経済学であって、これはわれわれも納得できると思います。搾取といいますと、労働価値説などがからんで面倒な議論になりますが、いまここではそこまで立ち入らず、現実の社会ではスムーズに調和のとれる秩序が生まれるわけではなくて、むしろ分配の不平等があり、階級間の利害衝突があるということを指摘した点で、マルキシズムを評価したいと思います。
そうなりますと、前に述べた主流の経済学とマルクス経済学との間に、明らかに分裂が現われることになります。現実の経済社会について、ー方では自由主義だと見て、しかもそれは調和ある自然秩序だと解する流れがあり、他方ではマルキシズムのように現実社会の欠陥から調和のない無秩序だと解する流れがあることになります。主流の経済学、あるいは古典派の経済学と言ってもいいんですが、それはどちらかというと経済の機能をつかまえようとし、労働は労働、資本は資本、それぞれのファンクションを持っていると見るのです。それらが自由に活動して経済の組織がつくられると考えようとするわけです。ところがマルキシズムの方では、むしろ階級の間、あるいは階層の間のコンフリクトを重視し、機能という点にあまり関心をよせないのです。一方では現実の明るい面を見、他方では暗い面を見ているといってもよいかも知れません。これは私の学生時代および助手時代、大正から昭和にかけての時代にとくに激しく現われた対立であり、経済学と取り組むにあたって、そういう分裂をどうしたらいいか絶えず悩まされてきた問題なのです。
そうなりますと、結局その二つをどう関連させるかが問題になるわけですが、それはそんなにむづかしいことではありません。つまり、現実の欠陥を認めながらこれを是正するものとし、是正するには調和のある秩序を実現する工夫をしなければならず、私はこれを政策論といいたいのです。これは当然考えられる方向だと私は思うのですが、それが案外これまで十分に展開されていなかったのです。
マルクスの考え方はどうかと申しますと、古典派をイデオロギー的に批判をしていて、そこにも政策論はないのです。政策論的に考えずにイデオロギー的に非難をして、ブルジョワ経済学だとかプロレタリア経済学だというような対立を強調するのです。たとえば、社会主義が望ましいんだというとき、それは必然的に資本主義が崩解して必然的に社会主義が出てくるのだというのですから、そこでは政策とか計画というのは問題にはならない考え方です。『共産党宣言』なんかに出てきますように、共産社会は「万人が万人のために働く社会」だと言うのですが、これはある意味では自由主義的自然秩序の徹底した社会なのです。政策とか計画という問題は、古典派と同様、実はマルクスにも出てこないのです。もちろん後のソ連経済では計画経済ということを考えますけれども、しかしマルクスの中には政策論も計画論もない。古典派にもなければマルクス経済学の中にもないというふうに言ってよさそうです。
(五) 政策論的経済学の例1「ポリティカル・エコノミー」 の新しい意味
そこで政策論の必要を認めながら、経済学のやり方を変えようという企てが起こってくるわけですが、その明快な例はやはりケインズだと思います。ケインズになりますと、失業とか不況とかいう現実問題に取り組もうということから、それにはどうしたらいいかという政策論が展開されるのです。公共投資という政府の政策を中心にしながら失業対策を考えるのです。ただ詳しく言いますと、ケインズも根本には自由主義による自然調和を考えておりますから、いろいろな問題がありますけれども、ケインズの『一般理論』の主題は、とにかく政策論を導入したと言っていいと思います。ケインズと同じ時代にベヴァリジという学者がいますが、彼も完全雇用や社会保障を目的にしながら政策の仕組みというものを考えようとし、戦後のイギリスの福祉国家の制度化に貢献しているのです。他方マルキシズムの流れでも、特にソ連経済をお考えになればいいんですけれども、ソ連経済でも経済計画というものを考えようということがだんだん出てまいります。たとえば公企業について独立採算を必要とする限り利潤の機能を認めるというようなファンクショナルな考え方をとり入れながら、政策もしくは計画を考えています。また、近代理論でいうインプット・アウトプットという手法もソ連では吸収しようとしています。そういう計画経済や公共投資などを考えようとしているのを私は政策論と言いたいのです。
そこで前に申しましたポリティカルエコノミーという言葉も、改めて新しい意味で考える必要があるのではないかと思われるのです。というのは経済学を単に理論的な科学と考えるのではなく、むしろ政策的な科学と考える必要があり、そこにポリティカル・エコノミーの新しい意味が出てくるのですもちろん理論が不必要だというのではありません。理論科学としての理論的な分析は進めなければなりませんけれども、同時にそれとならんで政策科学としての展開をしなければ経済学の実際的な意味がないのではないかと私は考えるのです。その場合の政策論というのは、失業とか不況とか・最近の例で言えばスタグフレーションというような現実問題に取り組んで、しかもそれをどうしたならば解決できるかということを考えるものです。そういう政策科学として経済学を見る例としては、さっきケインズとかベヴァリジを挙げましたけれども、そのほかにアメリカではガルブレイスがそうだと思います。それからスウェーデンのミュルダールがおります。彼の場合、私が翻訳した『経済学説と政治的要素』というドイツ語の書物が一九三一年にありますが、その一番最後の章の第八章で実践的な経済学ということを論じ、政治との関係を考えています。私はそれを政策論と言いたいんですが、とにかく政策論の考え方を第八章で展開しています。その後、彼のいろんな仕事は、アメリカのニグロ問題とかアジアの貧困問題とかに関して政策論を具体的に提示しています要するに経済学の主流は、依然として理論分析に関心をよせていますが、そうしてケインズ派もその後新古典派と結びついて理論分析に著しく傾いていますが、ガルブレイズやミュルダールでは(制度派と呼ばれている一部の人々とともに)、政策科学として経済学を考えようという動きがあらわれていると私には思えます。そこにポリティカル・エコノミーという言葉が改めて見直される理由があるのです。
ポリティカル・エコノミーには別の解釈もあります。とくにマルヰシズムの側からはいま申しあげたのとやや違った意味でポリティカル・エコノミーという言葉を使っております。例えばドップだとか、ランゲだとかいう学者がそぅですし、日本で言えば都留君がそれに近いのではないかと思います。それによりますと、経済だけを考えるのではなく、経済と政治とをあわせて考え、資本主義から社会主義へという経済体制の発展を考えなければならないというのです。そういう意味でポリティカル・エコノミーいう語を意識的に使っているものとして、オスカー・ランゲ(ポーランドの学者)の『ポリティカルエコノミー』(一九五七年、英訳は一九六〇年)という書物があります。われわれも経済以外は政治とか社会とかの要因を重視しますが、ランゲの立場は前に言った政策論とはちょっと違うようです。
(六)政策論的経済学の性格
そこでわれわれの考える政策論的な立場ということを一応まとめて申しますと、第一にはその時々の時事問題にとり組むことが必要です。単に理論の体系を考えるという論理的な興味ではなく、実際の現実の諸欠陥、例えば分配問題とかスタグフレーション問題とか、そういう時事的トピックスをつかまえることが大切で、したがって多少断片的になりますけれども、単に経済のシステムを解明するという立場を超えることが必要なのです。それから第二に、経済的な要因だけ考えるのではなくて、社会的、政治的な要因というものをあわせて考えなければならないのです。近代経済学のなかに「厚生経済学」というのがありますが、あれは経済的要因のみ重視し、しかも経済システムの解明が中心で、われわれのいう政策論からはほど遠いものであります。
第三に、もう一つ大切なことは、政策には目標がなければならず、つまり自由とか平等とかいうような価値理念のようなものがなければならないのですが、それをいままではイデオロギー的に信念のようなものとして独断的に決め込んでいますけれども、しかしわれわれの求めようとしている政策論では、価値理念は作業前提としてあくまで仮説的に考えることによって、目的手段の関係を分析するのです。仮説的に考えるだけでも何もそれを絶対に正しいとか正しくないとか信念として主張するのではないのです。信念の争いから離れないと学問にならないのです。この点はちょっとむずかしい問題ですが、私にはそのように考えられるのです。
(七)一橋における諸先輩から学んだことと 疑問をいだいたこと
さて、私はそういう問題を抱きながら、いままで五十数年にわたり経済学を勉強してきたわけでございますが、ここでそれと関連して日本の学界、特に一橋の経済学というものを考えてみたいのです。それはこの会の趣旨でございますから。
まず私が学んだ諸先輩についてどう考えるかを申し1げたいと思うのです。もちろん諸先輩からいろいろ学びながら自分なりにいま申したような政策論という考え方に関心を持つようになったのですが、それに関して二、三申しあげたいのです。
私は福田徳三先生のプロゼミナールを一年(大正十三年度)やりまして、それから先生が渡欧されたので大塚金之助先生に預けられたわけです。大塚先生のゼミナールに二年所属しました。ちょうど帰朝早々の大塚先生の講義で学説史を聞きまして、非常に細かい点まで詮索をされる学風に深い感銘を受けたのです。ただ大塚先生のイデオロギーというのは明らかにマルキシズムでした。福田先生の弟子ですけれどもむしろ京都の河上肇先生に近い立場でした。ちょぅど福田・河上論争の最中でしたけれども、大塚先生は河上先生寄りの考え方でした。それは講義の間にもうかがわれましたが、ことにわれわれと雑談をしているときにはそういうことが露骨に出ていたのです。私はその頃から、そういうイデオロギー的にマルキシズムを取るとか、近代経済学をとるとかいう考え方に疑問をもっていました。大塚先生の学問的な業績、ことに学説史的な業績は尊敬しますし、いろいろ学ぶ、へき点があるのですけれども、イデオロギー的態度にはどうもついていけなかったのです。
福田先生が帰られて、昭和二年から私は卒業と同時に学校に残ることになり、福田先生の助手として、先生が昭和五年に亡くなるまで指導を受けました。そこで近代経済学の理論に関心をもちましたが、それは経験科学として優れていると思ったからであって、イデオロギー的対立には囚われないように努めました。ところで福田先生について申しますと、福田・河上論争は明らかにイデオロギー的なニュアンスが強いもので、どちらも科学的という言葉を使いながらよ ー 詮索という点ではかなり科学的な議論が含まれていますがト基本的にはイデオロギー的対立を脱していないと私には思われました。ただ、私が助手時代を務めた福田先生の晩年の考え方は経験科学の立場から政策論的な経済学に取り組まれたように私には思えるのです。このことは前にこの会で申し1げた点なのですが、ことにホブソンとかベヴァリジだとか、イギリスの福祉国家論の流れを吸収しようとされたのです。それはケインズにも近いと思うのですが、ケインズに対しては福田先生はやや批判的だったのです。ケインズの『ゼネラル・セオリー』という書物は福田先生が死んでから後に出るのですから、もし先生がもう少し長生きされていれば、恐らくケインズをもっと評価したと思うのです。とにかく、新古典派を抜け出した当時のイギリスの政策論的な経済学 − ピグーと違った厚生経済の研究 − に先生は共鳴を感じていたと私は解釈しているのです。
それから、上田貞次郎先生ですが、私は先生の経済政策の講義を聞きました先生の経済政策論は政策論には違いないのですが、方法からいうと歴史的な政策事情の説明であって、それが当時の政策論の普通のやり方だったのです。歴史的な事情を超えて政策の目的・手段をどう考えるかという点になると、私にはどうも満足しかねたのです。しかし、上田先生の昭和八年ごろの人口問題の研究には私は強く引きつけられました。あの研究とその態度は非常に実証的に優れたものです。私が後に 『国民所得の推計資料』をやろうとしたのは、間接ですけれども上田先生の統計的な研究の刺戟によるところがあったと今では思っております。ただ、先生の新自由主義というのはどう解釈するか。日本ではまだ本当の自由主義を経験していないという先生の主張は共鳴できますが、目的・手段の思考からその主張を基礎づけるという点では、なお疑問が残るように私には思えるのです。
それから、私が影響を受けたといえますのは左右田先生なのですが、左右田先生は、私の本科三年のとき学生十人ぐらいを集めて、読書会を開いてくれました。しかも倫理学という問題についての読書会でした。先生については論理的な鋭さについて圧倒されたものですが、読書会では予め読んできた本を伏せて先生が質問されてそれに答えるのですが、次々とたたみかけて質問するので辟易したものです。ただ、左右田先生の哲学は新カント派のリッカートの影響を受けて先験的(アプリオリ1的)な考え方が中心です。後にだんだんわかったのですが、経験科学として経済学を考えようとする立場からはちょっと抵抗を感ずる。経験を超越した原理、内容を基礎づける形式というものをとりあげ、文化価値とか、あるいは貨幣理念とかいうことを持ち出すのですが、それで経験科学の成立が解けるか、どうか。後にウィーンに留学して「論理実証主義」 の流れを知るに及んで、私には先験的という考えにますます疑問をいだくようになりました。(先験的と分析的との区別が問題なのです。) 福田先生も左右田先生のアプリオリーという考え方が気に入らず、お二人の間で論争したことがあるのです。社会政策の理念として福田先生は「生存権」というものを持ってくるのですが、そういう特定の内容に限ることには左右田先生は反対し、結局のところ内容のない社会理念そのものにいたらなければならないというのです。そうなりますと、そういう説には福田先生は気に入らなかったのです。ただ論理的に鋭い点では、左右田先生の論文は非常に魅力的だった。左右田先生の弟子の杉村広蔵先生になりますと、先験的という考え方が少し違ってきて、むしろ現象学的あるいは実存的に近いものがあるように思います。カール・メンガーの「経済性」というようなものを取り入れるのですが。ただそれはやはり経験を超えて経済そのものの根源とか本質とかいうものがあるのだという考え方ですから、経験科学的な立場を超越しているのです。経験科学としては経済を営んでいる人がどういう動機でどういう行動をしてどういう結果を生ずるかを明らかにしなければならず、経済の合理性を問題にする場合も、現実にどういう型の合理性があるか、政策を行う場合の目的・手段は現実にどういうものが可能かを問うべきです。根源とか本質とかいっても、現実を離れると独断的になってしまいます。
それから、私の学生時代に影響を受けたのは、三浦新七先生や村松恒一郎先生ですけれども、これは歴史あるいは文化史ですから、その「理想型」的な考え方自体はいろいろ学ぶところがありますけれども、専門の領域が違いますので、別格というふうに尊敬しているのです。
それから、少し若いところではやはり中山伊知郎先生をあげなければなりません。中山先生は昭和八年に好著『純粋経済学』を出しまして、経済学の理論体系を一切の雑物を離れて純粋な形で築きあげたわけで、近代経済学に関心をもつ当時のわれわれに、理論というものはこういうものだということを植えつけたといってよろしい。しかし中山先生は非常に広い視野を持っていて、昭和十三年になりますといち早くケインズを吸収されたのです。ケインズもシュンペーターも包摂されるような幅の広い、融通のきく理論が中山先生の狙いですが、そこには「純粋」を離れるものがは入り込んでいるのではないかと、私には思われます。ケインズについては、私の二年先輩に鬼頭仁三郎さんがいますが、彼はケインズの 『貨幣論』を翻訳しました。残念ながら戦後早く死んでしまいましたが、ケインズの理解について私は彼との話し合いでいろいろ学んだところが多いのです。
そういう大勢の先生方のいいところを学びながら、私自身は経済学を端的に政策科学として考えることに関心をもち、その点はまだまだ展開する余地があるように感じて、前に触れたミュルダールなどを勉強するようになったわけです。
(八)戦後の経済学について感じていること
戦後のことは、もうあまり時間がありませんので、簡単に申しあげるにとどめますが、たしかに、戦後の経済学は大分様子が変わってきております。もちろん理論的な分析というものはその後非常に進んでおりまして、そういう理論分析についてはいろいろ学ばねばならぬところがあります。理論分析が専門化されて非常に細かくなったということも、これはそれ自体として進歩ですし、結構なことです。しかしそれと同時に経済学が実際に役立つためには常に政策に取り組むことが必要だと私は考えています。理論体系も所詮はスタグフレーションなり社会保障なり現実問題に取り組むことによって、その意義が発揮できるとさえ思えるのです。
戦後については二つのことだけ申し上げておきます。マル経と近経 ― これは学生言葉ですがマルクス経済学と近代経済学について並行講座というものがどの大学でも行われています。これは商科大学時代の福田先生と大塚先生の並行講座が始まりです。しかし、あのときは今日の意味でのマル経とか近経とは言わなかったのです。どちらも本当の経済学をやるという建て前でやっておられたのです。ところが戦後になりますとマル経と近経という二つの並行講座はあたりまえのように考えられています。これはいかにも変なことでして、同じ経済学がなぜ二つに分かれるのか。恐らくイデオロギーというものを持ち出すことによって二つが分かれるのでしょうが、それでよいのかどうか、その点私は疑問を持っております。そして現状をもっと細かく見ますと、マル経と近経の二つだけでなく、理論そのものがいろいろ分裂しているんです。
たとえばご承知のように、今日の経済理論にはフリードマンとかケインズとか、さらにラディカルなものとか、またそれぞれの中間がありまして、恐らく五つか六つかに分裂しているのです。どうして分裂するかと言うと、これは(前のマル経と近経との分裂も含めて)政策要求が違うからなのです。右寄。になるか左寄りになるかという差があるのです。フリードマンなど一番右寄りです。それからマルキシストやラディカリストたちは左寄りなのです。ところで、理論分析ではモデルの構成を中心に議論され、政策要求が隠くされているのです。つまり政策要求を明示することを避け、信念の形で要求を心にいだきながら、表面ではモデルの論理的構成を争っているのです。そこで、こういう理論の分裂に対してわれわれのやるべきことは何かというと、こういう状況のもとではこういう政策が必要だ、状況が変ればそれに応じてこういう政策が必要だという整理をすることです。一般的なシステムを考えるのではなく、もっとカズイスティックに考えることが必要です。それが私のいう政策論なのです。
それが一つ。それに関連してもう一つは、理論分析にとどまらず、もっと応用的にアプリケーションを考えるということが戦後の大きな変化ではないだろうかということです。その点ではマルクス系の学者あたりも、イデオロギーの争いを離れて、現実問題にとり組んでいる人が多くなりました。なかには依然としてイデオロギー的に閉じこもる人もないわけではありませんで、政治家ならばとにかく学者としてはそれは早く捨てなければならないのです。また近経の方でも、日本経済を考えるとか、経済計画を考えるとか、さらに労働問題か、社会保障問題か、それぞれそういう現実的アプリケーションを考える傾向が強くなっています。「経済原論」というのは、教科書としては必要であり、そういう体系を求めることは否定はしませんけれども、現実適用こそ必要であり、それが私のいう政策論という志向なのです。それは体系的というよりは断片的ですが、それがないと経済学は単なる論理的遊戯になってしまいます。
余りとりとめもないことで御参考になったかどうかわかりませんけれども、一応私のお話しは終わらせていただきます。
[質 疑 応 答]
服部 お伺いさせていただきます。
マル経でもない、近経でもない、両方に属していないのは中性というのか何か知りませんが、いまそれで押し通しておられる先生もおありだろうと思います。経済学の本を読もうと思いますと、これはマル経の立場の本、あるいは近経の立場の本だという前提を頭に考えて読む方が、わかりやすいだろうと思いますけれども、それよりは穏健・中性などちらにも片寄らない先生の本の方が私らにはいいんじゃないかと思いますが……。
もう一つ。経済学は経済のメカニズムを研究すると言われていると思いますが、経済のメカニズムはいま非常に大きくなってきている。いままでは国内だけで済んでおりましたけれども、いまは国際的になってきている。その中でも国際的な為替の動きは、国内の経済に非常に大きな影響を与えている。その為替という問題が経済学上の大きな問題になっているんじゃないかと思いますが、その点についてお話を承りたいと思います。
山田 最初のご質問ですが、私は中立的な考え方をとるものではありません。中立というのはやはりイデオロギーです。本当の優れた経済学者は、露骨にイデオロギーという立場からやっている人の方がかえって少ないのではないかと思います。マル経でも近経でも、自分は本当の経済学をやるのだという考え方からやっていて、おのづからそれぞれの色彩が出てくるのです。
書物を読まれる方から言いますと、レッテルを張った方が読みいいという点があるかと思いますが、本当にその人の真意を知るためにはそのレッテルをはがして読んでいただいた方が本当はいいのではないかと思われます。先ほど挙げたミュルダールなどは明らかにイデオロギーを離れていると思います。マルクスのいいところも、近代経済学のいいところも吸収しながら現実問題に取り組んでいます。優れた学者は大体そうじゃないかと思います。中立穏健というのでなく、イデオロギーから離れているのです。日本の学者でも中山先生の書物なんかは非常に視野が広いです。
後半の為替問題は私がお答えするのは筋違いなんです。確かに為替問題とか国際関係というのは非常に複雑化しています。本日出席されている西川君なんかからどう考えたらいいかお聞きしたいのです。為替だとか国際関係もそうなんですが、非常に投機的な、スペキュレーション的な要素があるようです。普通の経済学だと経済合理性を中心に説明しますから、何か現実離れがしてしまうのですが、そういうスペキュレーションというものをどういうふうに抑さえていったらいいか、また抑さえられるものか。そういうことなんかが問題になると思います。ついでに申しますが、価格(プライス)という問題も多分に最近はポリティカル・プライスなのです。純粋に市場で需要・供給の関係で決まると考えたらうそだと思うのです。米価なんかもちろんそうなんですが、価格一般が非常にポリティカルになっているのです。ここでもポリティカルという考え方で問題をとらえる必要があると思います。そういう点はむずかしい問題だと思います。為替の問題はひとつほかの方に聞いていただきたいと存じます。
服部 私のお聞きしたいことは、経済のメカニズムの研究を主体にするといたしますと、国際経済の場合に為替問題が非常に重要な問題になってきます。それは経済学の範囲に入るかどうか。
山田 それはもちろん入るでしょうね。
服部 いまの経済学の範囲には入っていないわけですか。
山田 入っていると思いますよ。貿易の理論、対外政策の問題、みんな経済学に入れて結構だと思いますし、それを離れて国内物価も考えられません。
服部 輸入商品の値段とか、それに関連がある商品の値段というのは為替によって非常に値段が変わってくる。それは経済のメカニズムにおいて非常に大きな要素を持っているように思われます。むづかしい問題ですけれども。
山田 明らかに金融論とか貿易論で必ず取扱っています。経済原論のなかでもそれは不可欠です。ただ取扱い方が納得のいくような取扱いをしているかどうかは問題ですけれども、取扱っていることはたしかです。服部さんのご発言が為替の変動や安定について政策論が不十分だというのなら賛成ですが、為替のメカニズムについての理論がないというなら、それは誤解です。
石川(善) 私は経済学のことはほとんどわかりませんので、何か突拍子もないような話になると思いますが、先生のお話、大変おもしろく伺っておりまして、経済学の原点になる主体性というものが、一体個人にあるのか、あるいはオイコスにあるのかという点についてお聞きしたいと思いました。たとえばイギリス哲学のヒユームとかロックの背後には、スタンダード・ヒューマン・ビーイングというような仮定された標準的な人間があるような気がするんですが、それが果たして個人であるのか、個人ではないのかという点が非常に疑問になるんです。ギリシアにおけるオイコス(家)、ノモスという考え方においてノモスというのは、家と家とを画するところの垣根であって、家の中においては経済というものがあるという感じでは考えていなかったんじゃないかと私思うんです。一体、スミスにしても、マルサスにしても、リカードにしても、経済的な主体性というものがどこまでも個人にあるということで考えておるような気がするんで、その点はアリストテレスあたりとはちょっと懸隔があるんじゃないかという感じが私にはいたします。最近の経済学ではもちろん経済の主体というものは個人から出発しているんでございましょうけれども、それをオイコスというものを中心にして考えておくというような傾向は経済学にはございませんでしょうか。
山田 普通の経済学の通説から言いますと、経済行為というものは個人の経済行為です。生産というと主体は企業です。それから、消費というと家です。企業とか家とかを背景にして判断主体は個人です。ですから、そういう意味ではオイコスを扱っているわけです。ところで国民経済学または社会経済学として社会全体のメカニズムをつかまえるという場合になりますと、ちょっと複雑化してくる。それは個人が集まるのですけれども、単に個人が集まるわけではない。何かそこに政策をやるような国とか政府というものがあらわれてきて、そしてそれがある影響を及ぼすわけです。国とか国家というようなものもある意味では個人と考えても結構ですが、背景の次元が違うのです。ですから社会のメカニズムでは、コーディネーションを考えたり、サボディネーションを考えたり、少し複雑してくると理解すればいいのではないでしょうか。
石川 もうちょっと卑俗な話になりますが、日本の民法の中でも、夫と妻とが契約した場合には婚姻の期間中いつでも自由に取り消すことができるという法律の条文がございます。経済学の問題を考えておりまして、経済学というものは家の内部までは入ってこないんじゃないか。たとえば家庭で使っております洗面器でも、これはおやじの洗面器であるとか、女房の洗面器であるということを言わないところを見ると、オイコスという一つのユニットがあって、そのユニットを主体に考えるべきではないかという感じがいたしますが、いかがでございましょう。
山田 内部にまで立ち入ってということがどういうことなんだかわかりかねます。経済学で興味があるのは、消費者という個人が家を背景にした諸欲望を充足する。それにはどうしたらいいか。それで物を買わなければならない。買うものについてはプライスが引っついているわけです。そういう面で個人の経済行為というものを考えよう。そういうことなんですが、内部にまで立ち入るというのはどこまで、そういう経済判断をやっている者は経済学でつかまえますが、それ以上は、みんなが全然趣味が違うとかいうところまではいかないんじゃないですか。私の話しは、ポリティカル・エコノミーという言葉について家政という問題と国民経済という問題が区別されるという点だけで、家政というものをどう考えるかは今Bの話しではないのです。
石川 どうもありがとうございました。
山田 西川さん、さっきの金融問題、為替問題言ってください。
西川 先ほどからの為替のお話、とてもお答えする能力もございませんが、御指名ですので……。為替理論につき
ましては、山田先生のお言葉を拝借すると、細分化された理論と実証がどんどん新しくなっております。精密な議論の新顔がたくさん出て争われております。私ども一応全部フォローしておりますけれども、一〇〇%の答えはどこからも出てこない。結局大きくつかめばどうなるかということになりますと、結局古典に戻るという感じがいたします。
古典も程度問題ですけれども、さっきヒユームのお話が出ましたけれども、ある専門の先生と、どんどん新しい為替理論が出ておりますが、この中で本当に古典に残り得るのはどれだろうという議論をしたことがあります。そうすると結局残らないんじゃないかという感じもして参ります。為替のような問題さえヒユームまでさかのぼるというような話まで出てくるわけなんです。そこまでいきませんでもー私は、鬼頭仁三郎先生から為替理論を習ったんでございますが、非常にケインズ的というか貨幣的でした。戦後日本のケインジアンは固定平価制時代は為替問題を余り言わなくなったんですが、実は鬼頭先生の為替論というのはむづかしかったが極めて立派な為替論で、最近の新しい理論も、根本ではそれを乗り越えてないというふうに思うのでございます。その意味で私にとって最高の古典は鬼頭先生です。鬼頭先生の講義にも含まれていたカッセルの購買力平価説、為替貸借説、あるいは為替心理説。五十年ぐらい前はその三つがあったと思います。言葉遣いだとか新概念だとか、部分的には大変新しく精密になっておりますけれども、大きなつかみ方という意味では古典に戻る。ケインズを軸に三つの説を包み込んだ鬼頭先生は、今も立派に生きていると思うわけです。それが先程のお話に関するお答えのような、感想のようなものであります。
少し付け加えますと、先ほどシチュエーションという大切なことについて山田先生からお話がございまして、政策論と分析的なものとのドッキングの非常に重要な橋という意味に伺い、大変勉強になったわけでございます。ただ現実には、問題の立て方からして非常に短期的な極端にいえば日々のシチュエーションを追わざるを得ないわけです。
そういう短期的な状況の中には理論では捨象されるたくさんの混じりもの、あるいは経済学外の事柄があります。それらの重要度を確認しにくい場合が少くないわけでございます。やや長期的なシチュエーション、たとえば為替理論が大きく問題になりますのはフロート以来でございますが、フロート以来十年間ということなら後知恵もあってわりあいにコンセンサスができますけれども、これから一年、これから半年あるいは来月ということになりますと、シチュエーションの読み方がいろいろ出てくる。読み方が異ってくるのは ー これから先は山田先生からお教え頂きたいことになるわけですが―やはり一つには長、短期感覚の相異によることが多い。分析している人がかなり大きいパースペクティブを持ってやっているか、目先の為替相場を当てようというセンスでやっているか、なかには目先論で著名になった人も何人かいるわけですが……。
もう一つは、同じシチュエーションを見詰めながら、やはり眼鏡の相違といいますか、やっぱり人間は純粋に客観的なものというのが充分見えるんだろうかという疑問であります。結局人間は、極端に言えばその人の色眼鏡。よくいえば価値観や人生観で見ている。各人の立場や利害もございますし、国別の立場もございます。われわれが議論するときは愛国者でございます。こういういろんな色眼鏡を消し尽くすことはなかなかむづかしいという経験に曝されているのでございます。
そういうことの最も高度な問題が、先ほど先生のお話に御座いました価値理念の問題かと存じます。政策科学というのは価値前提をおくのであって、信念をどう考えるかの問題であります。それは科学者としての方法論、哲学として私どもも先生から講義を承って以来肝に銘じております。ところが政策実践の場における体験では、人間は価値理念や信念から解放されず、そこに分析的な判断の相異が根差すことが多い。左右田先生の言われる先験的なものに当るかどうか、しょせんは先験的なものに縛られており、それを如何に磨くべきかに悩むわけです。これは為替だけじゃなくて、いろいろな政策論議をずっとやってきているわけでございますが、結局意見の相違は、同じ材料で同じシチュエーションを分析しても意見や分析が分かれることが少くない。最後には君と僕とは結局人生観が違うんだね、で幕となることがあるんです。これでは問題の解決にならない。七割ぐらいまでは詰められるんですが、後三割。三割が違ったら全部引っくり返る場合も体験しております。
そういうわけで、私はどうも価値理念、信念そのもの、あるいはビリーフ、ケインズの『若き日の信条』とか道徳科学観というような問題に引き入れられていくわけです。私の関係しております各国の中央銀行の場合は、不動の価値前提というものがあると思います。そして、それは仮説ではなく、歴史の荒波の中で鍛えられた信条といえましょう。それが二百年も生き続けているという歴史があるわけでございます。そういうのは人様からは、おまえの独断だと言われることがあるのですが、二百年も続き得る独断とは何であろうか、その根拠や説得性は何であるか、というようなことを常に感じまた追求しているわけでございます。
これは、経済学方法論の古くて新しい問題に関係するかと存じます。新しくはたとえばラカトスみたいな人ですが、社会科学のコア、核心をなすものは純粋に形而上学的な信条であるといいます。これらをどう受止めるかが、判らないのであります。学問は信条に取組むべきか、仮説としておくべきか悩むのであります。哲学的な本はむづかしくて、私、読み違えをたびたびやっております。それでも、経済学は経験科学でなければならないが、最後は価値の問題にぶつかるというのが、私の体験から来る悩みというような感じで過しております。
それから、先ほどシュンペーターの経済学説史は、分析理論の歴史というお話が御座いましたが、小さい方のエポッへンと呼ばれる経済学説史はドグマ・ウント・メトーデンの歴史と名付けられています。ドグマというのは信条、信念、価値理念みたいなものだと存じます。そうだとすれば経済学の歴史をどう把えるかが判らなくなります。そういう意味で、価値理念そのものの研究が広い意味の経済学の範囲に入ってくるようにも思えて参ります。勝手なことばかりで申し訳ございませんが、お教え頂ければと存じます。
山田 西川さんのお話の前半について、為替の理論にいろんな学説が分裂しているというお話しですが、それはまさに理論一般が分裂しているのではないでしょうか。経済理論そのものがフリードマンだとかネオ・ケインジアンだとか分裂し、それにもとづいて為替理論も分裂しているのではないでしょうか。そうして何故分裂するかは政策のうえで右寄りとか左寄りとか見方が異るからだと思うのです。あなたは現実の状況の見方そのものに分裂があると言われましたが、その点あなたの言われるのをそのまま承認しますよ。承認しますけれども、そういう見方とか価値態度とかをわれわれはあくまでハイポセティカルに考えるのです。見方とか価値態度の相異はたしかにまぬがれないのですが、われわれはそれを正しいとか正しくないとか、議論をしたくないのです。それは争っても無駄だと思います。われわれは政策目的そのものをハイポセティカルに前提して、それを実現するにはどうしたらいいかということだけについて議論をしようというのです。恐らくハイポセティカルの奥には信念があるのでしょうが、しかし信念を争うことを抑えるところに経験科学の立場があるのです。ところで、政策目的がどういう条件で実現できるか実現できないかを吟味していきますと、政策目的についても反省が行われて、ある目的はいかにも現実離れがして駄目だとか、もう少し現実に近づけて目的を立てる必要があるということがわかるのです言わば仮説を見直すことになるのです。
こういう政策論に進まないと、理論分裂は分裂のままに終り、ああも考えられるし、こうも考えられるというだけになってしまうのです。いま申し上げたところは微妙な点であって、詳論が必要ですが、ミユルダールなどのいう「価値前提」はなかなか味合いのある考え方なのです。西川さんのいうように「見解の相違」は止むを得ない宿命のように見るのは、知識活動を中止して信念を寄りどころと考えるからなのです。この点は二人でもう少し議論したい問題です。
新井 最近、アングラ経済の問題が非常に大きくなってきておるわけでございます。いま大蔵、通産、企画庁等の中堅官僚あたりがしきりと景気論争をやっております。そこで対立があるわけですが、その対立の一つに通産は従来のような産業、二次産業、三次産業という分類で製造業とか、あるいは素材産業であるとかを統計で分析をし見通しをするから実勢よりはきつく考えている。これに対して大蔵省は実際には統計に出ていないアングラ経済 ― アングラ経済とも言っていません、ソフトインダストリーといいましょうか、こういうサービス産業的な非製造業の中小企業部門は通産でも大蔵でも企画庁でもどこでも統計に載らない。しかもそれが大きく言うと、国民経済の四〇%の分野を占めている。そして、このアングラ経済的なものが起き、国税庁の捕促が困難なラブホテルとかトルコとかパチンコとかの売上げが非常にふえているけれど、これらは続計には全然載っていないそうです。
きょう先生にお伺いしたいと思いますのは、そういうようなアングラ経済というか、ソフトインダストリーと言う
のですか、いろいろ違った産業が生まれ、産業構造も細分化されてきているけれど、それが統計に載らない。しかもそれがパーセントがふえるのは、むしろ経済の発展、文化の向上だという説もございますが、この辺をどういうふうに経済学は考えたらいいんでございましょうか。
山田 むづかしい問題ですね。社会学の言葉で言うと、非常に分化(デファレンシューショソ)が進んできて産業分類が複雑になっていることはたしかです。いままでハードウェアだけ取り扱ったけれども、ソフトを考えなければならんとか、さらにアングラ的な産業活動も含めて、非常にデファレンシェーションしてきているのです。ところで、その反面インテグレーシヨン(集化)がむづかしくなって、混乱をまねいているのです。それは現実の変化過程で常に起きることであって、いままでシステマティックに考えられたものが絶えず崩されていくのです。先程の国民所得統計の混乱も新しく所得把握の必要が起こって、これまでのものとの調整が崩れたためでしょう。
ただ経済学としてはどうすればよいかというと、ただむずかしいという他ありませんが、しかしそういう変化を無視するわけにはいきません。産業でも社会でも、いろいろな分野なり階層なりから絶えず問題が提起されるというのが現実の姿です。つまり、こっちが気がつかなかった間題がそれぞれの当事者は痛切に感じて問題を提起してくれるのです。経済学はそういう現実からの問題と取組んで議論をしなければならないのです。経済学が時事的なトピックスを扱う場合にはそういう態度が非常に必要です。単に机の上で論理的にシステムをつくるというのでなく、現実の利害関係を直視して、それらを調整することが大切です。私は近頃年金や医療などの社会保障にとり組んでいますが、そういうことを痛感します。利害関係者のそれぞれの立場からの問題提起を受けて考えないと、制度そのものもわからず、況んや制度改善も判断できません。論理的に考えたシステムは絶えず事実によって引っくりかえされていくのです。ただ考え方だけを述べただけで、新井さんへのお答えにはならないと存じますが、私はそうしか考えられないのです。
新井 昨日の新聞に、国民所得の訂正が出ましたね。あれはどんなところから出るんでしょう。
山田 僕もまだ検討してみないから何とも言えないし、うっかり言えませんけれども、いままでと違った産業が重要になってきて、それを急にとり入れて訂正したのがこんどの原因でしょう。訂正は必要ですが、訂正を小出しにやるべきです。国民所得なんていうのはマクロ的な問題ですから、大づかみにつかむ見通しというのが先に立たないとまずいのです。
そうかといって、一昔前の「GNPくたばれ」とか何とかいうのは、反対です。GNPはやはり重要な指標です。
ただあまり細かく突っつき過ぎる傾向がこの十数年の間に見られ、新推計とか何とかいって度々訂正されるので、利用する人は困るんです。
新井 国民所得の結果についてのプロセスがあんまりはっきり示されませんね。
山田 プロセスは一応企画庁の統計年報の付録に書いてあります。たとえばこういう点は企業のアンケートをやったのだとか、基礎統計はこういうものを使ったとか説明があります。ただ新しい資料に変えるとき、他の項目との関係を考えないで改めるものだから、結果としてチグハグになるんでしょうね。
(昭和五十七年十二月十日収録)