一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第十八号] 『資本主義の逆説』の想源について 一橋大学名誉教授 馬場 啓之助
一、 産業社会と資本主義
馬場啓之助でございます。食事の後、余り食後によろしくないような堅苦しいお話をさせていただきまして恐縮でございます。
きょうお話しします主題として、『資本主義の逆説』という書物を昭和四十九年に東洋経済から出しましたが、その書物の考え方のもと、着想がどこから釆たかをかいつまんでお話しさせていただきたいと思います。
(一) 現代史の主体としての近代産業主義
一番大事な着想としては、マルクス主義は人類の歴史の主体的な役割りを果たすのは生産力だというようなことを言っておりますが、このマルクス主義の提説に対して、ウェルナー・ゾンバルトというドイツの社会学者が批評しまして、生産力が歴史の主体になるという提説は自然主義的形而上学だという批判をしておりまして、そういう生産力という客体的物的なものが中心になって歴史が動いていくというのはおかしい。もっと主体的な要因が必要だということをゾンバルトが言っております。私、その考え方は賛成できる考え方だと思います。ゾンバルトがその考え方に基づきまして資本主義的精神という要因を非常に強調しまして、いわゆる資本主義精神論を展開しました。それは彼だけではなくマックス・ウェーバーも同じように資本主義精神ということを強調しました。それは、歴史が動くのは、経済意識が主体的な役割りを果たしているからだということでございます。それが『資本主義の逆説』 の第一の想源でございます。
ウェルナー・ゾンバルトやマックス・ウェーバーが出しました資本主義精神論を社会理論から見まして、社会構成の理論として、どうしてこれを一般理論化できるかを、パーソンスというアメリカの有名な社会学者が展開しました。
パーソンスは「現代の社会学理論からみた社会階級と社会的な抗争」というペーパーを書きましたが、その中で現代史―歴史と申しましてもそんな遠い将来まで見通し、昔のことまでさかのぼるわけじゃございませんが、現代史を動かしている主体的な要因としましては、近代産業主義がある。ここで近代産業主義というのは、資本主義精神を理論的に整備したものですが、私もこのパーソンスの考え方をもっともだと思いまして、現代史の主体的な要因としては、近代産業主義が動かしてきたのだという考え方、それをもとにしました。それが私の想源の第一のものであります。
(二) サン・シモン派の社会主義説の示唆
その場合に、もう一つの想源としまして、フランスの有名なサン・シモンという学者が一八二一年に、『産業組織について』という本を出しておりますが、コンマーシャル・ソサエティというアダム・スミスの考え方をフランスに
導入しますときに、産業システムということをつくるという観点からコンマーシャル・ソサエティを導入いたしまし
た。コンマーシャル・ソサエティは自由主義ででき上がったんだというのがアダム・スミスの考え方ですが、サン・シモンの場合は組織論を強調したわけです。
フランスでコンマーシャル・ソサエティを展開しますためには、自由にやっていってできるものではない。産業家と科学者が主体的に努力しましてその組織的な活動の結果コンマーシャル・ソサエティがフランスに形成されるんだという考え方を打ち出しました。その考え方を打ち出しますときに、産業的なシステム論を展開するのに、科学者と産業家が中心になりまして組織活動をやって形成しなければいけないんだという、つまり後に資本主義という言葉で呼ばれます資本主義というものを産業主義という形で受け入れまして、同時にまた組織活動という点に力点を置きまして、これは自由にほっておいてできるものじぁないんだ。それはやっぱり組織的活動が重要な契機だから、組織的活動によってでき上がってくる社会主義的な組織としてそういうものはでき上がってくるんだということを言いまして、サン・シモンの頭の中では、現在言われております産業社会と資本主義と社会主義というものがごっちゃになりまして未分化の形であったわけです。現在ですと社会主義と資本主義というものは対立するということになっており、産業社会はまた別だというような考え方が出ておりますが、サン・シモンがその産業システム論を言いだした最初の段階におきましては、産業社会も資本主義も社会主義も一緒くたにしてその考え方を打ち出したわけです。これが『資本主義の逆説』 の第二の想源になったわけです。
(三) 産業化=近代化の二つの道
現代史を動かしてきた主体的なものが近代産業主義だということを申しましたが、産業主義に従いまして展開しました社会の形態としては、資本主義と社会主義の両方あるんだという考え方をヘンリー・ロゾブスキーという、一橋大学に二年ほど勉強に来ておりました、若い人ですが、その人がアメリカへ帰りまして、編者になって著わしましたのが『インダストリアリゼーション・イン・トウ・システムス』という書物。大ぜいの人が寄稿しましてできた書物です。その中で、産業社会をつくり出すためには資本主義的な行き方もあるし社会主義的な行き方もあるんだということを言ったわけです。いま申しましたように、産業社会と資本主義と社会主義というものがごっちゃになってサン・シモンが唱えたという考え方がありました。歴史に現われてきた形では分かれてきているわけですが、資本主義と社会主義というのは実はそんなに対立したものじぁなくて、両方とも近代産業主義を根付かせるための、いわゆる生産関係を示したものだという考え方。それが『資本主義の逆説』において強調して申し上げたい想源でございます。
(四) 資本主義と産業社会の緊張関係は資本主義の逆説的変貌の原動力
次に、資本主義と産業社会の緊張関係は、資本主義の逆説的変貌の原動力になったんだということを述べております。産業社会あるいは産業主義というのが理念でありまして、その理念を実現するために資本主義社会があるし、社会主義社会があるわけですが、十八世紀になってでき上がりました資本主義の中には、封建社会から受け継ぎました遺制があったわけです。それで資本家を中心にいたしました資本家的経営というものでもって資本主義を実現させようとしたわけです。ところが資本主義が展開してまいります過程の中で、産業主義の理念に照らしまして、家産を相続しまして社長の息子さんは社長になるというようなことでいくのは資本主義本来の、あるいは産業主義本来の形ではなくて、封建的な遺制としてそういうことがあるのである。そういう資本主義の歴史的形態と、それから産業主義の理念との間で緊張関係があったわけです。緊張関係がありましてだんだん歴史的な資本主義の形が変わってまいりましたが、形を変える原動力が産業主義の理念と現実の資本主義の歴史的形態との間の緊張関係であったんだと考えました。それがいわゆる資本主義の逆説的な変化が起こるという主要な原動力になるんだということが『資本主義の逆説』 の考え方の源になったわけでございます。
資本主義の逆説的な変貌を具体的に示す顕著な事例としまして、二十世紀の初めにありました、いわゆる自由主義的な改革というものと、それからケインズ革命を挙げたわけでございます。
二 リベラル・リフォムスとネオ・リベラリズム
(一) 第一の資本主義の変貌―リベラル・リフォムス
二十世紀の初めに起こりましたリベラル・リフォムスを取り上げてみますと、現在のいろいろな制度のもとになりました改革が行われましたことが注目されます。たとえば財産税の問題ですとか累進課税ですとか、あるいは年金保険とか、あるいは医療保険、そういうもののほかもう一つリベラル・リフォムスの中では重要産業を国有化するといぅのが出ておるわけです。そういうリベラル・リフォムスをやりましたのはロイド・ジョージという有名な政治家でございます。ロイド・ジョージがなぜそんな広範な改革を導入したかと申しますと、選挙を闘いまして一九〇八年に有名な演説をやったわけです。演説の中で、貧困な人が相当たくさんおるということはイギリスにとりましては非常に恥ずかしいことだということを言いまして、その貧困を何とかしてなくなさなければいけない。なくなすために自主的な活動をやってもできない場合には政府が援助して貧困を撲滅いたしましょうという演説をしまして、その演説が原動力になったんだろうと私は思いますけれども、選挙で自由党が非常に票を集めまして大勝したわけです。自由党が非常に顕著に多数党になりましたその余力をかりましてリベラル・リフォムスを行ったわけです。その原動力と申しますか、その考え方を打ち出しましたもととなったのは、十九世紀の終わりから二十世紀にかけて有名なブースという人が行ったロンドンの実態調査でした。貧困な人たちの来歴をいろいろ調べた実態調査でございます。
それによりますと、貧困な人は、元は豊かだったけど失敗して貧困になったというケースは少ないわけです。親もやはり貧乏だった。それから、貧困は貧困をつくりだすという貧困の再生産論を実証いたしまして、非常に大著書でして十七巻ありまして、私も第一巻しか読みませんでしたけど、全部読んだ人というのは非常に少ないと思います。
それを読んでロイド・ジョージが非常に感激しまして、貧困の再生産を打ち破りますために政府が何らかの活動をしなければいかんということを言いまして、そしてリベラル・リフォムスを行ったわけです。このブースのロンドン大調査が一つのきっかけになりまして産業民主主義という考え方、イギリス流の社会主義でございますが、それが起こってきた。シドニー・ウェッブ夫妻が中心になりまして産業民主主義という活動を起こしまして、それがロイド・ジョージに働きかけまして、そしてロイド・ジョージがリベラル・リフォムスを行ったわけでございます。シドニー・ウェッブがこの改革のいわばプランをつくっていろいろやりますために、後に著名になりましたビヴァリッチがまだ若かったときですが、シドニー・ウェッブがビヴァリッチが世に出るきっかけをつくりまして、ロイド・ジョージに推薦して仲間に加えてくれということで一緒に仕事を始めるわけです。ロイド・ジョージのもとで、後に有名な政治家になりましたチャーチルなどもその中に加わっておりました。チャーチル、ビヴァリッチ。それからシドニー・ウェッブ、ベアトリス・ウェッブ。そういう人たちがリベラル・リフォムスを行ったわけです。先ほど申しました非常に広範な改革を行ったんですが、その改革の中で自由党が推進いたしますときに、自由経済の根幹を破壊するようなものは困る。自由経済の根幹と両立するものだけを選んでそれを実現するためにやったわけです。その中で重要産業の国有化というものは余り顕著には行われなかったわけです。
このように資本主義のあり方を非常に変えますと同時に、旧来ありました自由主義者が新自由主義者という形になりました。シドニー・ウェッブが中心になりました産業民主主義者の運動がこれに協力したわけです。産業民主主義者の運動で自由主義がそれと手を握る形でもって新自由主義というものができ上がったわけでございます。一橋大学にも、新自由主義が出た時分に『企業と社会』という雑誌がありました。マルクス主義が日本ではそんなに隆盛にならなくて、シドニー・ウェッブの考え方がもう少し盛んになれば、あんな太平洋戦争はやらなかったと思いますし、大分世界が変わっていたんじぁなかろうかと思います。残念ながら日本ではシドニー・ウェッブの考え方はそんなに流布しなかったわけです。ところが産業民主主義者と新自由主義者とが手を握ってリベラル・リフォムスを行ったわけですけれども、やがて両者が分裂していくことになるわけです。
(二) ネオ・リベラリズムと産業民主主義の結合と分離
一九一一年に国民保険法を制定するということが起こります。そのための調査を政府が中心になりまして行わせていたわけですが、そのときに多数派と少数派とに分裂をいたしました。少数派の方は産業民主主義者たちが中心になりました。多数派というのは自由党系の人でございます。なぜ分裂したかと申しますと日本でもそういう考え方が一部あるわけですが、国民保険と言っていますが、いまの社会保障のもとになるような社会保険でございます。医療保険が中心です。医療保険や年金等におきまして労働者は拠出しなくてよろしいという考え方を少数派の人が唱えたわけです。労働者もやっぱり拠出してもらわなければ困るというのが多数派、多数派と少数派で分裂いたしまして、少数派の方は労働党という形で政党を別にするようになりました。自由覚と労働党が分かれることになりました。シドニー・ウェッブは労働党の綱領を起案したんです。このリベラル・リフォムスによって、資本主義が資本家が中心になった古典的資本主義から、経営者が中心になった経営者資本主義というものに移る素地と申しますか、そういう契機をつくったことになるわけでございます。1011
三 ケインズ革命とビヴァリッチの社会保障計画
(一) 第二の資本主義の変貌−−ケインズの金利生活者型資本主義批判
その次のケインズ革命ということに移らなければいけませんけれども、ケインズが一九二六年に出しました『エンド・オブ・レセフェール』というパンフレットがございますが、お読みになった方おいでになると思います。それにょりますと、資本主義というのはいままで歴史にあらわれた形の中では最上の組織である。いままでいろいろな組織があったわけですが、資本主義が、歴史にあらわれた組織の中ではいままでのものでは最上のものだ。なぜ最上のものかと申しますと、資本家が中心になりました自由企業でございますが、自由企業が自らを社会化していく傾向があるんだということをケインズは指摘するわけです。つまり私企業といわれておりますものが自ら社会化していって、資本主義がそういう社会的責任を担うような形になります。そういう形が起こってきておる。言葉をかえますと、経営者資本主義的な形をとっております資本主義であれば、いままであらわれた組織の中で最上のものだということをケインズは『エンド・オブ・レセフェール』の中で推奨しております。ケインズという人はいまは偉い人になっておりますが―本当に偉い人なんですけども、言ったことに責任を持たない、と言っては悪いんですが、言っていることがときどき変わるんです。歴史的な形態としては資本主義が最上の組織だということを言ったケインズ自身が、一九三六年の『ゼネラル・セオリー』の中では、御存じのとおり資本主義の中で金利生活者型の資本主義というものはもう役割りが終わったから安楽死を遂げさせるのが適当だ、という考え方を打ち出しました。それがいわゆるケインズ革命の結論と申しますか、一般の人にとってはケインズ革命というのは、金利生活者型の資本主義を安楽死させるものだという形で受けとられているわけです。ところが自分が一九二六年『エンド・オブ・レセフェール』 の中で経営者資本主義をえらく賛美していたわけです。経営者資本主義を賛美していながら、資本主義の批判をいたしましたときに、経営者資本主義の要素というものを発展させるために金利生活者型の資本主義というものを安楽死をしてもらうほかはないということを言われたわけです。
経営者資本主義はどうなっているかというと、ケインズの 『ゼネラル・セオリー』には経営者資本主義というものをどうするかということをそれ自体としては分析していないので、その点余りはっきり言っていなかったように思うんですけれども、どうもインプリケーションを探ってみますと、金利生活者型の資本主義が没落すれば、それでもやはり経営者資本主義は残るんだ。だから経営者資本主義から金利生活者型の資本主義がいわば被服になっておりますが、その被服を取れば本体としての経営者資本主義というものが前面に出てくるんだという考え方がどうもあったようです。そういうことを前面に押し出してはっきり言っていないんですが。それでなお金利生活者型の資本主義を放逐すると申しますか、安楽死させますために有効需要の増強をしなければいかんということを言っております。そのときにケインズがいろいろな政策を出しておりますが、自分の経済分析として、理論分析としては非常に革新的であり、従来の経済理論というのはすべて間違いだと言わんばかりの鼻息でもって本を出しております。非常に革新的だということを前面に出して言っております。ところが政策論として出しましたのは、そんなに革新的ではなくて、むしろ保守的なものだと述べています。自分の出す政策理論というのは過去からやってきた政策の延長線上にあるんだということを言っております。それで投資政策とかいろんなことを言っておりますが、それはみんな前に先例があるんだ。それをそのまま延長線でやればよろしいんだということを言っています。理論的には非常に革新的な理論だということを臆面なく言っておりますけれども、政策理論としてはむしろ保守的なんだということを言っております。保守的だという理由は、昔からやってきた政策の延長だという、その昔からやってきた政策というのが、先ほど申しましたリベラル・リフォムスなんです。リベラル・リフォムスでやりました政策の延長線上にケインズの完全雇用政策があるのだということを言っております。ケインズの完全雇用政策を戦後先進国がほとんど取り入れました。それによって資本主義も大分変わったわけです。
完全雇用政策をとりました後、ケインズの弟子のロビンソン女史などが、失業率が非常にたくさんあった資本主義というのはいろいろ批判の余地があったけれども、完全雇用政策をとって失業が減りました資本主義というものはそんなに非難することはないでしょうということを言っております。事実そうでして、完全雇用政策をとりました後の資本主義というのは、失業を出しほうだいにしていた―出しほうだいかどうかわかりませんけれど、そういう資本主義とは大分違って、そんなに社会批判の対象にならない。
(二) ビヴァリッチの社会保障計画
もう一つ。ケインズの有効需要の増強と申しますか促進策です。有効需要をつけなければいけないというときに、自由にやっております企業者の行います政策と両立するような完全雇用のための有効需要の促進策ということになりますと、非常に筋の通った政策というのは企業がみんなやっておるはずだから、それにさらに有効需要をつけるためには無駄でもいいから、とにかく政府は金を使いなさいということを『一般理論』 の中で言っております。中世でカセドラルをつくっていろいろやりました。あれはその当時として有効需要促進のためにやったんだと、そういうことさえ言っているわけです。あれは合理性はないんですが、非常に華麗なカセドラルをつくること自体は合理的な理由はないんですけれども、やっぱり有効需要を促進するという意味ではよろしいんだということを言っております。ところが戦後完全雇用政策を行います場合に、無駄なことでもいいから金を使いなさいというようなやり方ではちょっといけませんので理屈をつけなければいけない。理屈をつけますために社会保障のためにお金を使うということは有効需要の増加になりますので、完全雇用を促進するために社会保障というものにお金をお使いなさることはよろしいということなんです。のみならず社会保障自体がそれ自体としても有用な意義を持っているわけです。それでケインズの一般理論が出ました後で、ケインズのいう有効需要の拡充策をやりますためには社会保障計画をやるのが一番よろしいんだというので、ケインズのいう有効需要の補強策を行政化するために社会保障のプランを立てて社会保障のためにお金を投ずるということが有効需要の促進になるというのが、一九四二年に出ました、ビヴァリッチ・レポートだったわけです。このレポートが出ましたときに、ちょうどたまたまアメリカで、『風と共に去りぬ』というのが洛陽の紙価を高めていた時代です。『風と共に去りぬ』と同じ程度にビヴァリッチ・レポートは需要があったと言われております。非常によく読まれた。それはケインズのいう有効需要の補強策を行政化するために社会保障政策を展開したわけでございます。
社会保障政策というのは、二十世紀の初めにありましたリベラル・リフォムスの中で労働者を対象にしまして、医療から労働者の年金まで、労働者福祉政策があったわけです。それを国民全般に医療保障や年金保障を拡充してやったのが、いわゆる社会保障計画。つまり特殊な階層だけを相手にした政策を国民全般に適用するような形で展開したのが社会保障政策でございます。この社会保障が行われて完全雇用政策がとられますと資本主義の内容が非常に変わってくるわけでございます。そうなると資本主義と社会主義というのは対立概念だとみまして、資本主義はだめだけれども社会主義は結構だという理論がどうも余りアピールしなくなってくるわけです。そういう意味で資本主義の逆説的な変貌の一つの例として、ケインズの『ゼネラル・セオリー』が出ました後の完全雇用政策があるわけである。
それから、ケインズの 『一般理論』 の中にこういう注が書かれております。ケインズの完全雇用政策をもし政府がやらない場合は、もっとラディカルな改革が必要になってくるんだということを言っております。だから完全雇用政策をやるということは、悪口を言う人から言えばいわば安上がり政策。ほっておくともっとラディカルな改革が必要になってくる。そういうものを防止する意味でも完全雇用政策をやりなさいというのがケインズの一般理論の中でそういう注をつけております。ところが同じような注を、ガルブレースがいわゆる混合経済―混合経済というものを推奨いたしました。自由社会の場合におきましては完全な平等社会というのはあり得ないんで、それでいわゆるミックススド・エコノミーというような形になりまして、公共部門をふやしまして、そしてやれば完全な平等社会を望んで起こるいろいろな活動に対しましてブレーキをかけるという意味でミックスド・エコノミー。公共部門を大いに増強しておやりなさい。これは実行し易い政策ですよと言わんばかりのことを同じ注をつけておるわけでございます。
四 ガーシェンクロン仮説と日本の近代化
(一) パーソンスの社会類型論とガーシェンクロン仮説
その次にガーシェンクロン仮説と日本の近代化に移らせていただきたいと思います。
先ほど申しました資本主義精神を社会理論として整理いたしましたタルコット・パーソンスの書物の中で、いろいろな社会を類型化いたしましてタイプに分けております。社会のいろんなパターンがある。そのパターンの変異を、どうしてそういう区別が起こるかということを説明いたしますものをパターン・ベイリアブルスと呼んでおります。パターンの分化をつくるパターン・ベイリアブルスとして中心的な役割りをいたしましたのは普遍主義と特殊主義の区別と、それから業績主義と身分主義の区別です。これはマックス・ウェーバーの資本主義精神をもとにいたしまして理論化いたしましたのがそうであります。それででき上がりましたいろんな社会、そういうパターン・ベイリアブルスの結合によりましていろんな社会ができたということをタルコット・パーソンスは言っておりますが、産業社会というのは普遍主義と業績主義とが結合いたしましてできるわけです。それから普遍主義と身分主義とが結びつきました場合に、戦前のドイツの社会はそうだったしロシアがそうだというようなことを言っております。それから、特殊主義と業績主義が結びつきましたのが古代の中国の社会がそうであった。特殊主義と身分主義が結びつきましたのがラテン・アメリカの社会がそうだということを言っております。そして先ほど申しましたように、産業社会というのは普遍主義と業績主義が結びつきました社会。普遍主義と業績主義の線に沿いまして資本主義もいろいろ変わってきたわけです。それが先ほど申しましたような覇者な例としまして、リベラル・リフォムスとケインズ革命を挙げることができるわけです。
ところがタルコット・パーソンスの理論をもう少し実証化したと申しますか、いろんな社会のパターンがあるが、そのパターンがいろんなパターン・ベイリアプルスが養うからそうだということでした。そのいろんなパターンを関連づけまして、なぜそんな違いが起こったのかということを説明するために、ガーシェンクロンという歴史家がおりますが、ガーシェンクロン仮説とそこに書きましたのはそういうことです。
ガーシェンクロンは資本主義の成立のいろいろな歴史を調べまして、資本主義ができ上がってくると申しますか、資本主義社会が展開いたしますために、在来の社会的な後進性が強いほど資本主義をつくり出しますために非常に苦労が多いわけです。そういうときには自由に企業が中心になって資本主義ができるだけじゃなくて、政府が中心になって政策を展開しなければならない場合もある。それで仮説を展開したわけです。企業と銀行と、それから政府。ファーム、バンク、ステートと。それで後進性の程度におきまして、後進性の強いところは企業だけじゃとてもだめだ。ドイツとフランスの場合はいわゆる銀行が中心になりまして ー銀行と申しましてもコンマーシャル・バンクじゃございません。政策的な、いわゆるインベストメント・バンクですが、そういうものが中心になりましてドイツもフランスも資本主義の導入をそれでやったわけです。それで先ほど申しましたように後進性ということを述べまして、いろいろ資本主義が導入されるのに違いがあるわけです。日本の場合は後進性が強かったから資本主義を導入するのに、やはりステートが中心になって導入するはず―ガーシェンクロン仮説によればそうなんです。ところが日本はどういうことなんですか、大久保利通が資本主義を導入いたしましたときに、政府が中心になって導入いたしましょうというようなことを表面上は必ずしも言っていないんです。政策理論として導入するのは、イギリスの政策をそのまま日本に導入して、理論的にはイギリスがやったようなことをそのまま進めているんです。本心と名目とは違うと言えばそれまでですが、名目的には日本はやはりイギリスをお手本にしていましたから、外に向かってしゃべるときにはイギリスの先例を名目的には言っております。実態は日本は政府が中心になって資本主義を導入したわけです。
(二) 日本の近代化、ひとつの仮説
ところが日本に産業社会を導入する、産業化、あるいはその一つとしての資本主義化、近代化ということを最近の言葉で呼んでおりますが、私、黎明会で日本の近代化につきまして仮説を展開したことがございます。ここに書きましたように日本の近代化というのは―ガーシュンクロンの本が日本に翻訳されまして、日本語訳に対しましてガーシェンクロンがメッセージを書いております。自分はいろんな国ぐにの歴史を研究したけれども、日本の資本主義導入とか日本の産業化というのは日本独特のものらしいように思うんだけれども、日本のことを研究しておりませんのでよくわかりません。それが自分の仮説を展開するときに非常に残念な点だ。もう少し日本のことを勉強していれば、自分の仮説を展開するときにもっと変わったかもしれない。自分はよくわかりませんというようなことを日本語訳の序文につけております。もし本当に日本の研究をガーシェンクロンさんがおやりになったらどんなに変わったかというのはよくわかりません。一橋大学へガーシェンクロンさんがお見えになりまして、村松さんが紹介して、学生に向かって講演してくれたんですが、そのときに、もう少し弁舌さわやかなら、私が、日本は違うんだよということを大いに言えるはずなんですが、どうも余り英語がうまくないものですから言いませんでした。
五 福祉社会への道
(一) 先進国においては資本主義の変貌は資本主義の根幹の推持のために進められる
それはとにかくといたしまして、ガーシェンクロン仮説を適用して申し上げますと、いま資本主義がいろいろ逆説的な変化をしたということを申しましたが、先進国の場合の資本主義の変化、それをいまいろいろ政策の歴史を振り返りまして、成功した政策、効果があった政策というものを反省してみますと、イギリスのことが特にそうだからそういうふうに申し上げることになるかもしれませんけれども、イギリスの場合はリベラル・リフォムスを自由経済の根幹と両立する限りは導入した。言葉をかえますと、自由経済というのを結局資本主義という言葉の代りに使っています。英語で資本主義という言葉、キャピタリズムを経済学の一流の書物の中で使い出したのはケインズ以後です。
マーシャル先生までは一流の経済学の書物の中でキャピタリズムという言葉を使っておりません。キャピタリズムという言葉を本来使うべきところを自由経済という言葉を使っております。自由経済の根幹というのは資本主義の根幹なんです。それと両立する限りは実現ができたわけです。だからパラフレズして申しますと、資本主義の根幹を維持するための改革が成功した、実現をして実を結んだ。だが社会主義をつくるためにということで政策論を展開しましても、それは実現しなかった。資本主義の根幹と両立する限りは実現した。それが資本主義の逆説ということの一つのあらわれだと思います。レジュメに「先進国においては資本主義の変貌は資本主義の根幹を維持するために進められる」、と書いたのがそれです。
(二) 中間集団主義をとっての福祉社会への道
日本の場合はどうであろうかというのがその次に書いてあります。日本は近代化を行いますときに、外国の学者もそういうことを言っておりますけれども、日本に資本主義を導入いたしますときに、資本主義導入する以前の伝統社会の型をそのまま残して、それを利用して資本主義を建設する。だから資本主義を導入するときに資本主義の前の社会の形に手をつけないで、それを活用いたしまして資本主義を導入したというのは、これ別に日本の学者だけが言っているのでなくて、外国の学者もそういうことを言っております。それで書物が大分出版されております。そういう意味におきまして資本主義を導入しましたときの日本の近代化としましては、社会制度には余り手をつけないで技術的な面だけを導入する。技術は近代化したけれども、社会組織の根幹というのは近代化しなかった。そういう意味での戦前の日本の近代化というのは未完成な形をとりました。戦後になって初めて社会組織も産業社会にふさわしいよぅな形に変革をする。技術的にはすでに近代化しておりましたが近代的な技術を盛る社会としましては産業社会らしき形を整えるというのが戦後に行われました民主主義運動というもののねらったところであったかと思います。そういう意味で日本の近代化というのは戦前と戦後と大分違ってきておるわけでございます。
そして、日本の近代化の戦後形態、第二段階の近代化を中間集団主義という言葉で性格づけられるのではなかろうかと思いまして、中間集団主義ということを主張しました。日本の近代化は中間集団主義によって戦後実を結んだんだ。中間集団というのは企業などが適例でございますが、企業や、あるいは政府の官僚機構などに示されます。そういう組織を御覧になりますと、内部的には集団主義的にやっています。つまり同僚と仲よくするわけです。仲よくするのに集団主義的に仲よくする。しかし一歩外に向かって競争するときには会社を代表して会社の名誉を担って競争するという形で個人主義的な競争に似通った形が対外的にはとられる。いわゆる「内安外兢」であります。
御出席の方、大分経営者の方がお見えになるから、恐らく皆さん経営者としてそういう訓辞をお垂れになったんじゃなかろうかと思うわけです。私ども月給もらったときに上役の人から言われました訓辞は、人より先に行こうということで目立つようなことをやってはいけない。とにかくこの人は自分の先輩だからこの人の身が立つようにといってその人を先に進ませて、後に遅れずについていくのが利口なやり方だ。自分が先頭切って進まなければならんというようなことをしとると企業の中では摩擦が起こってしょうがないということをよく訓辞を垂れられたことがあるんです。そういう訓辞のとおり仲間を立てて遅れずに仲間の後についていく。だから一番になろうと思わないで二番か三番ぐらいになっていくのがよろしいということです。それは内部的な集団主義というのはそういう形だと思うんです。外で競争するときに会社の名誉をかけまして、負けちゃいかんというので非常に個人主義的な競争をする。そういう意味で内には集団主義、外部的には個人主義的にやる。個人主義と集団主義というものが、日本は独特の内と外の使い分けをやってよく結びついている、これは日本独特だということを、私、よそでしゃべったんですが、聞かれた人のなかには、そんなことは独特でも何でもない。よその国でもそうやっていますよと言うんですが、よその国の会社に勤めたことございませんから、よくわかりません。だけどよその国でもそうやらないと成功しないんだということを言う学者の人がおるんです。
中間集団主義というのは、そういう意味で全国的な意味での天皇制を中心にいたしまして、一億一心ということをやっておりましたが、敗戦のためにその上おきがなくなっちゃったわけです。中間集団だけが残る。中間集団を中心にして戦後の第二の近代化を行ったというのが中間集団主義であるといえる、かいつまんで言えばそういうことです。
先ほど『資本主義の逆説』の中で申しました。資本主義の改革をして進んできて資本主義だか社会主義だかよくわからないような形をとりますということを申し上げましたが、資本主義だか社会主義だかわからないような形、第三のものができ上がっていくんだということを申しました。
第三のもの、それは福祉社会と呼ぶことができるように思います。中間集団主義の道をとって進んでいって行き着く先は福祉社会になるのではなかろうか―とそうなることが望ましいということを、『資本主義の逆説』の後に出しました書物、『福祉社会の日本的形態』というのを東洋経済から出しましたのがございますが、その中でそういうことを主張しているわけです。
ただここで強調しておかなきゃならないことは、日本の場合福祉社会を目指して進んでいきますけれども、現在までの進んでいる形の中で、いわゆる階層化された社会ができ上がるんですが、外国の学者、パーンスやそのほかの学者たちは、階層化された社会がその社会の社会的統合を促進するんだということを言われておるわけです。平等社会にならなくて、金持ちは金持ち、上の人は上の人で並んでいて階層に段階がある。段階がある方が社会統合がうまくいくんだという理論が、どうしてそういう理論が出てくるかということを、私はまだよく納得できないでその理由を考えているんですが、日本の場合はそれと多少違いまして、中間集団主義ということで中間集団を中心にして近代的な生活様式が日本の社会に根付くわけです。ところが中小企業や農業では、中間集団というのは成立しがたいわけです。中小企業というのは中間集団というふうな形をとらないから中小企業なんです。あなたどこにお勤めですかと聞かれるときに、中間集団にお勤めの方、大体一橋出た人は皆そうですが、会社の名前言うと、あァそうかとみんなわかるんです。何の会社だなんていうことを聞きません。聞くと失礼ですから。ところが中小企業というのは、こういうところへ勤めていますと言うと、どういう会社ですかと聞きます。これはと説明しないと納得してもらえない。だから中間集団主義が当てはまらない社会というのは中小企業と農業。中間集団が成立しない。その誇るべき中間集団がない。帰属して自分がその中で集団主義的に振る舞うという場がない人たちにとりましては、中間集団に代わるものをつくらなければいけません。代わるものというのは日本の場合はやっぱり一種の保護主義です。
たとえば、日本は資本主義と言っておりますが、農業の場合は資本主義じぁないです。社会主義だと言っても通るような格好です。補助金をたくさんありとあらゆる面に入れております。そして、たとえばある農家さんが補助金をもらおうと思っても、個々の農家には直接は出せないんです、名目としてはそうです。そうすると近所の農家を集めまして、たとえば酪農の先進地帯をつくるのに、これはパイロット・ファ−ムといいますか、共同のパイロット・ファームには政府から補助金が出るわけです。ところが農家は集まりましてやるんですが、そのパイロット・ファームで仕事をするのは一軒の農家で充分なんです。一軒の農家が補助金をもらうとしても一軒の農家が全部もらうわけじゃなくて、ほかの農家も何とか名目をつけてもらうわけです。そうすると名前を貸した人は眠り口銭を取るんです。
眠り口銭なんていういい言葉が日本にはあるわけです。戦前の統制経済で貿易商を一括したことがあります。私、交易営団に勤めていたんです。貿易商のなかにはやっぱり名前だけ貸していわゆる眠り口銭をもらうものがありました。眠り口銭をもらっているということはある意味では社会主義であり、社会主義的な保護主義であります。資本主義と社会主義が混合しているという意味で、外国と違った形の二重経済。日本の場合は資本主義的な経営を模範的にやっておいでになります中間集団のある会社、大企業の場合と、社会主義的な行き方をとっていて、補助金に依存している農業とが混在しています。それを通じてどうして福祉社会にもっていけるかという―福祉社会というのはそういぅものであってみんな補助金もらっているんだということになってしまうと、活力をどうして維持できるかという問題があります。日本の場合の福祉社会ができますためにはそれ相応のいろんな問題があります。いま残った問題としてそういうことを考えております。
まとまらないことを申し上げましたけれども、『資本主義の逆説』につきましての考え方のもとというのは大体そんなところでございます。ご清聴どうもありがとうございました。
―了―
(昭和五八年三月一七日収録)