一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第二十四号]  一橋大金融論の特質   一橋大学商学部教授  花輪 俊哉


     はじめに

 ただいま御紹介にあずかりました花輪です。本日は、「一橋大金融論の特質」ということでお話しさせていただきたいと思っているのですが、一橋の金融論と言いましても、私は、いまの御紹介にもありましたように、昭和三十年に学部を卒業して、古い時代の諸先生方のお話というのは直接聞いたわけではなく書物でしか読んだことがないわけですし、また大分時世もいろいろ変わっております。ですから、「ー橋大金融論の特質」と名付けたものの、これはかなり私の主観的なものであるということを御承知おき願いたいと思うのです。

 といいますのは、かつて商学部の 『年報』 の中で「一橋金融論のオーラル・トラディション」というようなことを書いたことがあります。そうしましたらもちろんいろいろな反響があったのですが、その中の一つに、一橋の大先生から御手紙をいただきまして、一橋の金融論の特質といいますか、そういうトラディションといったものの中にも、私が取上げた範囲以外のものもまだたくさんある。むしろいろいろな意見の対立がありながらも全体として一橋のトラデイションになっているのだというような意味のことが書いてございました。私も確かにそのとおりだと思っておりますので、あまり一橋大金融論の特色とかいうふうに言いますと、客観的に何かそういうものがあるというふうに思われてしまわれるとかえってまずいかと思います。「私の見た一橋大金融論の特色」と、本当はこういうふうに言った方がより正確ではないかと思います。

 その問題についてこれからお話ししたいと思うのですが、二つの点を考えてみたいと思います。

 一つは、制度上から見た特色ということが第一点で、あと一点は学問上の特色です。二つに分けて考えてみたいと思います。

     
     制度上の特色


 まず制度上の特色ということから考えてみたいと思うのですが、一橋の金融論は申すまでもなくほかの学問と同じように外国から輸入されてきたと考えられるわけですが、このマネー・アンド・バンキングという外国の学問領域。これが一橋大学に入りまして、貨幣論と銀行論、大体こういう二つの学科目といいますか、講義科目となって定着してきたかと思います。これは、先日一橋百年の記念に一橋大学学制史とか一橋大学学問史というのが連続して出ているわけなのです。その中で学制史は明治まで出たと思います。そのカリキュラムを見ますと大体いま述べましたように、貨幣論、銀行論というふうになっていると思います。そのときはいまのように四学部に分かれているわけではなくて、単科大学であったわけですが、どちらかといいますと、貨幣論の方は経済学に関連のある人たち、銀行論の方が商学に関連する人たちに対して講義されるというような形で行われてきたようです。そして銀行諭の方は信託論とか取引所論。現在ではこの後の二つの科目はともになくなっているのですけれども、そういう信託論とか取引所論というような科目と一諸に講義が行われていたと思います。その当時からありまして現在でも残っている科目は、銀行論のほかに保険論、外国貿易論、外国為替論等ですが、信託論と取引所論はいまのところ講座がないということです。

 そういうところから始まってきたのですが、現在のように金融論という言葉に講義名が変わったのは意外に新しく昭和五年頃からではないかと思います。昭和五年に、いままでの貨幣論が金融論という科目名に変ったと思います。それでその頃から金融論という言葉が次第に一般化してきたのではないだろうかと考えられます。それまでに出版されました書物も大体銀行論、貨幣論という本が多くて、金融論という言葉はそれほど多く使われていなかったのではないだろうか。こんなふうに思います。

 ところで一方において銀行論、他方における貨幣論とか金融論というのはどういう分け方になっていたのかと考えますと、その当時はっきりそういうふうに書いてあるものはないのですけれども、それを推測して考えますと、一つは最近の言葉で言えばマクロの理論といいますか、巨視的な理論。そういう目から見たものが貨幣論であり金融論であった。こういうふうに見てよろしいのじゃないか。それに対して銀行論の方はミクロの理論、あるいは微視的な理論というふうな形のもので一応分けられていたということなのではないだろうか。銀行論の場合は、ほかの信託論とか取引所論というようなものの性格と並べてずっと見てみても大体わかりますように、その当時は制度論が非常に強かったように思うのです。そして銀行制度の歴史的発展を考えることが大切だったのだろうと思います。それに対して貨幣論、あるいはその発展にある金融論というものは、経済全体を見て貨幣の意味というものを考えていこうという形でマクロの理論というふうになるかと思います。

 ただ、いまのようにマクロの理論とかミクロの理論という内容をこういう形で考えてみますと、その分け方というのは実はケインズが一般理論の中で言っていることなのです。ケインズ以前においては、価値・分配の理論と貨幣の理論という二分法がとられていたのですが、この二分法では資本主義経済を分析することが困難であるといいまして、一方は経済全体を対象として分析していく学問というものが必要ではないかという反省がマクロの理論というふうになったのだろうと思います。それに対して個々の経済主体、企業もあり、家計もあり、政府もあるでしょう。そういぅような個々の経済主体の行動を分析していくのがミクロの理論である。これがケインズの考えた経済学の二分法の分け方でありますが、貨幣論や銀行論は大体それに即して分けられていたのではないかと思えます。

 ただそういう分け方というのは必ずしも一般に行われているわけではなくて、常識的にはわかりやすい分け方なの
ですけれども、経済学の上では必ずしもはっきりとこうなっているわけではないと思うのです。
というのは、普通ミクロの理論というふうに考えてみますと、それは当然個々の経済主体を分析するわけですけれども、それも含めた経済全体についてもそういう分析を拡大して、経済全体にも及ぼして分析する理論も、これはやはりミクロの理論と考えているからなのです。ですから、それをたとえば価格中心の経済学と呼んでみますと、一般均衡分析と近い内容をもっていると考えられます。私の恩師であります中山先生は、純粋経済学というものを外国から輸入してまいりましたときから、均衡理論という考え方が一橋大学で非常に重要視されてきたわけなのですけれども、そういう均衡理論的なアプローチというのは個々の経済主体の分析を全体にまで及ぼして考える立場であると、こういうふうに言ってもよいのではないかと思うのです。これはワルラスを中心として発展していったと思うのですけれども、そういう経済学をミクロの理論と呼んでいるわけなのです。ですからそれは必ずしも個々の経済主体ばかりを分析しているわけではなくて、全体の経済も考えている。こういう意味からしますと、先ほど言いましたようにケインズの二分法のミクロの理論とは違っているわけなので、同じ言葉が別々の意味で使われている場合があるものですからややこしいかと思います。同様にケインズ的マクロ理論も、個別経済主体の行動を考慮しないわけではない。代表的企業者、投資家、労働者の行動分析が基礎にあって、経済全体の分析が行われているわけです。

 そこでこのミクロの理論とマクロの理論との大きな違い。ことにケインズが、自分の理論はマクロだとこういうふうに言ったことの意味を考えてみますと、合成の誤謬ということが重要ではないかと思うのです。個々の経済主体のビへービアというものが幾ら正しくても、それで経済全体にそのまま妥当するかというと、そうはいかないというのが合成の誤謬ということであるわけなのですが、そういう点を認識してマクロの理論をつくっているかどうかというのが大きな違いだろうと思うのです。ケインズはそういうことを意識していままでのものと違った経済全体を対象とする理論というものを考えてマクロの理論ということを言ったのではないだろうか。そしてまた合成の誤謬ということを意識したマクロ理論を考えた時ケインズは非常に貨幣というものを重視していくわけで、貨幣経済の理論という形でケインズの理論を展開していったように思います。

 このようにケインズにより貨幣論から貨幣経済の理論へと拡充されたわけですが、最近はそういう傾向が学問の上でも、また実際の経済の面でも変わってきました。すなわちマネー・アンド・バンキングという言葉では実際の金融現象がとらえることがむずかしくなるということで、ファイナンスという言葉がだんだん中心になってくるという現象が外国でも見られるようになりました。白本では昭和五年、すでに貨幣論から金融論に変わって、その金融論の範囲というのが非常に広くなっていったわけなのですが、外国でこういうふうに変わってまいりましたのはかなり新しい、むしろ最近になってから変わったというふうに思われます。これは一番最初ガーリィやショウという人が『マネー・イン・ナ・セオリー・オブ・ファイナンス』(Money in a Theory of Finance 1960)という本を書きまして、金融の中での貨幣と、こういうような意識で貨幣と金融の違い、を考えるようになっていると思うのです。これに対応して銀行論の方も最近はもう少し広がりまして、ただ銀行だけを金融論の対象とするわけにはいかない。もう少し広く金融機関論として考えなければいけないというような動きというものが大分広がってきたように考えられるわけです。日本では金融論という言葉は貨幣論からわりに早く変わったのに対し、外国では大分後になって変ったわけですが、いずれにしても金融論という言葉がだんだん定着しているというふうに言ってよろしいでしょう。

 そういう中で一橋大の制度的特色ということを考えてみますと、四学部制になった時に、金融論、銀行論が商学部に置かれたということが他の大学と比べて非常に大きな違いなのです。このことがよいのか悪いのかということは非常にむずかしいところだなと、私も実は思っているところです。ほかの大学ではどちらかというと金融論は経済学部にあるのが普通でして、商学部にある場合には経済学部のはかにさらに商学部にもあるというふうに二つあるわけです。それに対して一橋の場合には金融論は商学部にしかありません。講座として認められているのは商学部しかないわけなので、実際一橋で金融論を勉強いたした者といたしますと、私は経済学部におりましたから、学部の時講義をとっている間はそれほど問題は感じなかったわけですが、大学院を受験したときに疑問を感じたことがありました。大学院を受けるときには当然審査があるわけですけれど、審査する先生は金融論の先生は出てこられないわけです。経済学部は経済学部の先生の審査になるわけですから。そういうことで経済学部で金融論の勉強をしていて大学院に進む場合に、審査員との関連で必らずしもスムーズにいかなかったと感じました。商学部と経済学部は明確に分離されているということがそのとき初めてよくわかったことでした。もちろんそれは私が大学院に行く頃の話でして、だんだん商学部も経済学部も規模が大きくなっております。私が入りましたときには経済学部の方では、研究所で金融をやっておられた先生が高橋長太郎先生一人ぐらいが金融理論をやっておられたわけで、あと藤野さんはまだ特研生ぐらいでありましたから、大学院の入試の審査員という形にはなれなかったわけでありますが、現在では経済研究所のスタッフも金融論をやっている人が増えてまいりましたので、経済学部から大学院に行くという場合に審査上の不便はもうなくなっているというふうに思いますが、ひと頃まではそういうような状態であった。これは単科大学から四学部に分かれたときに拡張したことが非常にプラスでもあったけれどもマイナス面もあったという一つの例であろうかと思っております。

 そのように商学部にあるということの意味を考えますと、商学部の金融論というのは個々の銀行なら銀行、信託なら信託という形のものとか、あるいは消費者金融であるとか、企業金融というような金融のあり方にもっと関心を持っていかなければいけないのかというような気もいたしておるわけなのですけれども、現在のところはまだ商学部の金融論はどちらかというと、ほかの大学の経済学部に置かれている金融論と同じような意識でやっているわけです。すなわちマクロの意識が非常に強いというふうに思っているわけです。今後この点についてもう少しスタッフもふえてくれば商学部的なといいますか、個々の経済主体におりた金融論、金融のあり方というものの研究もやっていければよいというふうに思っております。

 私たちが習いました、たとえば山口先生・高橋泰蔵先生、小泉先生という先生方でも、みんなマクロ的な意識で国民経済全体を考えた上での金融論をやっておられたわけで、私もそういうことに影響されておりますので、現在のところは経済学部の金融論と、ことに変わった内容のものはないわけです。もう少し発展してくれば、あるいは商学部的な金融論というようなものの特色をもう少し出せるようにならてくると思っておりますが、現在のところまだそういうふうに到っていないということを申し上げておきたいと思うのです。
以上が大体制度上から見た特色でございます。

      
     学問上の特色


      (1) メタリズムとノミナリズム

 次に、学問上の特色というような点を少し考えてみたいと思います。大きく言って経済学に近経とマル経というものがあるわけなのですけれども、この近経について考えますと、一橋で中山先生が導入されました一般均衡理論のような考え方の中から貨幣というものを見ていくのはなかなかむずかしかったのではないかというふうに思うのです。一般均衡理論の中でもちろん貨幣という言葉が出てきます。中山先生の『経済学一般理論』という本を見てももちろん貨幣という言葉が出てくるわけですけれども、そこで考えられている貨幣というのはN財中のN番目の財、これを貨幣というふうに考える。実はどの財でもいいわけですから、よくピーナッツでも貨幣になるというような意味で貨幣というものを考える立場であったのではないか。実際に使われている貨幣とはあまり関係がないというのが一般均衡論からの貨幣のあり方であったのではないかと思うのです。それで中山先生も、全集を出されるときの座談会を何回かやられたのですが、その中で、自分はシュンペーターからケインズの方に移っていった−というとおかしいですが、シュンペーターをやりながらケインズの考え方もいろいろ導入したということを言われているのですが、なぜ導入したかというと、一般均衡理論というような形のもの、あるいはそれを発展させたシュンベーターの理論の中には、貨幣論といぅものがないのが非常にさびしかった。現実の経済は貨幣なしでは動いていないにもかかわらず、理論体系としては貨幣というものがあまりはっきりとは出てこない。そこでケインズの『貨幣論』がちょうど出版されたものですから、そういう貨幣論を重視するケインズの理論を入れてきたのだということを言っておられます。その座談会の中では安井先生は中山先生に向かって、なぜ君は簡単にシュンペーターからケインズの方に移行できたのかというふうな質問をしておられます。非常に困難なことをサラッとやったことは、安井先生の目から見るとなかなかわかりにくいことだったということを言っておられたのが、印象的だったと記憶しております。そういうふうに一般均衡論の中から貨幣論を考えるというのはなかなかむずかしい。そういう特色が理論経済学の方にあったと思うのです。

 ですから一橋の金融論の学問の特色としては、そのような一般均衡論的ではないところから、始まっているというふうに思われるわけです。

 最初の議論のところではメタリズムとノミナリズムといいますか、金属主義と名目主義というような形での議論があったかと思うのです。ちょうどマル経の中では金属貨幣的な考えが非常に強かったわけですし、マル経は日本の中で強いわけですから、そういう考え方に対してノミナリズム、名目主義の議論をぶっつけていったというところが一つ大きな特色になっているように私は思っております。

 現在でも、たとえばサプライサイド・エコノミックスにより金本位制度の復活ということが言われたりいたします
し、あるいは金属とまでは言わないけれども、しかしその金属貨幣とある意味で同じような形で供給されれば経済が安定するのではないかという意味で、たとえばマネタリストの一〇〇%準備案というものを準メタリズム的なものと考えれば、そういう考え方が現在でもあるわけです。金属貨幣というものを中心に経済の安定と成長を図っていく、こういう見方と、名目主義的な信用貨幣というようなものを基礎にして経済の安定と成長を図るという考え方は、現在でもその対立がなくならないでいるのではないかと思うのです。

 一橋の金融論の先生方の、これもすべてというわけではないのですけれど、多くはノミナリズムの立場に立って金融論をやっておられたのではないかというふうに思うのです。ですからそういう意味において金属貨幣に対する信用貨幣、これが資本主義経済にとっては非常に本質的なのだと考えるわけです。金属主義で考える資本主義は本当の資本主義ではないといったらいいんでしょうか。そういうものではなくて信用貨幣の成立と資本主義というのは非常に結び付いて理解されなければ資本主義の本質はわからないのだという点でノミナリズムの方に移っていっているのではないかと思うわけです。信用貨幣は言ってみれば負債です。負債がマネーになっているということなのであって、そういうものとして貨幣の動きを見、その貨幣が実体経済に与えるインパクトというようなものを含めて、経済の安低と成長というものを考えていかなければなら禁という立場なのではないかと思うのです。そういうメタリズムとノミナリズムの対立というようなものが第一番目に一つの特色としてありまして、その特色の中ではそのノミナリズムの方に加担することによってその特色を打ち出していったと、こういうふうに考えられます。

       (2) 価格のメカニズムと経済循環

 第二の特色として私が考えておりますのは、価格のメカニズムというものに対して経済循環の重視といったことになるかと思うのです。

 先はどの均衡論というような立場というものを考えてみますと、均衡論の中では価格というものを非常に重視するわけです。一般の財の価格、それから労働の価格としての賃金、それから資金の価格としての利子率、こういうようなものを中心に経済需給というものを考えていく。こういう考え方が非常に強いと思うのです。そういう価格のメカニズムといったものだけで経済を見る立場というのをずっと考えてみますと、究極的にいって貨幣の役割というのはどういうことになるかというと、マクロ的にみると貨幣数量説で考えられているようになると思われます。貨幣供給量が与えられると、貨幣の流通速度すなわち貨幣が取引をするのに何回転取引に使われるかというような指標とか完全雇用所得の水準を一応所与としますと、物価に影響を与える。貨幣量の変化というものは究極的には物価水準だけにしか影響を与えない。ほかの実体経済には余り影響を与えないのだという考え方、これが貨幣数量説の考え方であるわけなのですが、そういう価格のメカニズムを重視する考え方というのは貨幣論・金融論的には貨幣数量説が対応していると思うのです。この考え方は、資本主義経済を一つの実体経済とそれを覆う貨幣というもので見るといえましょぅ。これを古典的二分法と呼んでいるのですけれども、そういうような二分法で資本主義経済を分析するのではなくて一体のものとして考えなければいけない。すなわち、資本主義経済はすぐれて貨幣経済、金融経済的性格のものとして把握されなければいけないというようなことがそのとき言われたと思います。

 資本主義経済を価格メカニズムではなく、貨幣経済・金融経済を重視してみるということは、経済循環の過程の中で、ことに消費と投資に注目します。そのはかに財政支出であるとか、輸出、輸入という項目があってもいいのですが、非常にシンプルな形を考えてみますと、消費、それと投資というこの二つに注目してみるわけです。そして消費の方は、所得が形成され、その所得の中から消費が行われていく。その過程では貨幣の問題というのは実はそれほど重要ではないのです。これはリボルビング・ファンド、回転資金という形で貨幣が消費財生産過程をグルグル回りさえすれば特に貨幣調達の問題は重要ではない。投資が起こってきたときに貨幣といったようなものが実は重視されなければならない問題が出てくる。それは何かというと、投資のための資金調達ということなのじゃないかということでありました。この資金調達をするときに貯蓄が生まれて、この貯蓄から投資が行われるというふうに見ることができるのは個々の経済主体としてみた時だけです。個別主体としてみれば自分の貯蓄から投資資金を賄う。あるいははかの企業がためた貯蓄の中から投資資金を賄うということを考えることができるのですけれども、経済を全体として考えて見たときに投資をするときにはまだ貯蓄というものは生まれていないのだという考え方―これがケインズの貯蓄投資の所得決定理論というマクロ経済学の中心的な考え方になっているわけなのですが、投資を行うときにまだ貯蓄は存在しない。だから貯蓄で投資資金を賄うということはできなくて、その資金調達というためには主として銀行の信用創造というような形
の資金を獲得することによって投資が行われるという考え。資金調達というものを重視したマクロの考え方というものが生まれてきたのではないかというふうに思うのです。こういう考え方はケインズの有効需要の原理というところからくるわけなので、それ以前の考え方では貯蓄がそのまま投資に向けられるという古典派的な考え方が支配的であった。だから経済の不安定というものは余りなくて、経済全体として非常に安定的な状態を考えていられたのですけれども、ケインズが有効需要の理論を考えてから、投資の動きというものが実体経済に非常に撹乱要因というものを与えてくるのではないかということが問題になってきたわけです。そういう考え方を金融論的に受けとめると、投資の資金調達といったことを重視して考えなければなりません。そういう視点から言って資本主義経済の不安定性と貨幣、あるいは金融といったようなことが非常に結びつけて考えられるようになったというふうに言ってよろしいので
はないかと思うのです。

 ですから、ケインズの影響を一番受けられました小泉先生とか、若くして亡くなられた鬼頭先生とか、そういう先生方がケインズの影響を受けられてそのような考え方を強く主張していかれたのではないだろうか。このことは、資本主義経済というのはただ価格のメカニズムさえうまく動きさえすれば調和的な発展というものができると考えられていた資本主義観から、そうじゃなくてもっと不安定な状態を資本主義経済の特色として考える。すなわち経済の自律性というものをそれほど信頼できない。だから財政政策・金融政策で資本主義経済を安定的な成長を遂げさせるようにしようという考え方に変わっていったのではないかと思うわけです。そのような意味で経済循環というものを非常に重視して資本主義経済を考える。そこではいままでの価格メカニズム中心の経済学というものと違った形で金融論というものを構築する場というものが生まれてきたのではないか。所得の流れというものを追究しながら貨幣の流れを考えていく。こういう貨幣経済、金融経済的見方ができてきたのではないだろうかと考えているわけです。

 金融論、あるいは貨幣論でも、あるいは銀行論でも、高垣先生以前の学問は、どちらかというと制度論的な研究が多かった。それは均衡理論のような性格の議論では貨幣の問題はなかなか説明しにくかったわけですから、制度論を中心に貨幣のファンクションをいろいろ考えていく。ノミナリズムの理論も一つの理論として受け入れられてきたわけですが、ケインズの経済学が導入されるようになってから、もっと国民経済全体の中の分析が貨幣論・金融論の中に導入されるようになったというふうに見ることができるかと思います。そういう意味で金融理論というのはそのころからどんどん発展してくるというふうに考えられます。

 以上が第二点の問題になるかと思うのです。

      (3) 経済の発展段階と金融のあり方

 第三番目の特色も考えてみますと、次のことが指摘できるのではなかと思います。私はことに高垣先生以下の話先生方について見ておるわけなのですが、高垣先生は長いこと金融学会の会長をなさっておりました。まだ御健在でおるわけなのですが、意外に景気対策といいますか、あるいはいろんな現実的な対策に対する政策的な発言というのが少ないように思うのです。これは高垣先生ばかりではなくて山口先生も少ない。一番多かったのは、あるいは小泉先生ではなかったかと思うのですが、ほかの先生はそれほど現実の短期的な政策に対する発言というのは少ないのが何か特色みたいに感じている次第です。それに対して中山先生は現実の場でどんどん発言されておりましたので、その比較でみるとことに少ないというふうな印象を受けます。

 この点について百年祭記念の制度史の中で高垣先生の発言が載っておるところがありました。それは福田徳三先生方が投書家懇親会をつくっておられてそこでいろいろ発表なさったときに、高垣先生が出席されて意見を求められたときに話したことなんですけれども、それは次のような話だったと記憶しております。
福田先生は、若い者は勉強せんと叱られたわけなのです。それに対して高垣先生は、何も新聞とか雑誌とかそういうところで発表するのが必らずしも勉強じゃないのだ。私たちもいろいろ勉強はやっているのだけれども、必ずしもジャーナリスティックな形で何かを言わないからといって勉強していないわけではないというようなことを言われていたことがありました。多分その頃から高垣先生の気持に余りジャーリスティックといいますか、現実の政策発言 ― 景気政策に対する発言というのはどうしてもジャーリスティックになると思うのですけれども ー を控えられてアカデミックな方向に動いていかれたというふうに考えられます。その高垣先生の影響というようなものがずっと後まで一橋大学の気風として残っているのではないだろうかというふうに思います。

 いまの政策についての発言はもちろん短期的なことでございまして、政策論に対する長期的な問題といいますか、制度問題と言った方がいいかもしれませんが、そういうことについての認識はもちろん十分持っておられて、理論の背景に考えられております。

 たとえば山口先生の金融論の本でも、それがはっきりあらわれているわけなのですけれども、たとえば十九世紀とか二十世紀というそういう世紀で金融の特色を分けて考える。十九世紀のイギリスを中心とした金融のあり方というものと、二十世紀のアメリカを中心とした金融のあり方というものでは非常に違ってきている。こういう大きな変化というものを踏まえた上で金融の問題を考えなければいけないということはもちろん考えておるわけなので、先ほど言った政策はついて、あるいは現実について何も関心をもたないという意味ではなくて、短期の政策、景気政策といようなことよりも、むしろ長期的な変化といった経済の動きというものを考えておられたのではないかと思うのです。逆にいえば、景気対策というものを、資本主義経済の長期的変化の中ではじめて現実的意味をもつと考えていたのではないかと思います。

 ことにイギリスの場合とアメリカの場合では貨幣のあり方が変わってくる。イギリスの場合には民間経済を中心とした貨幣の創造と流通が考えられていたのに対し、アメリカの場合には国債というようなものを中心に貨幣というものをとらえていくというような、そこには大きな変化を見ておられたように考えられます。このような考え方というのは、理想型というかイディアル・ティーブスを考える考え方につながっていくのではないかというふうに思います。価格のメカニズムに対して経済循環ということを申しましたが、経済循環ということを考えて、それを経済発展段階の中でいろいろ考えていく。それを一つのイディアル・ティーブスとしていろいろな形をつくっていくというのが一橋の特色の中に残っているというふうに思うのです。ただそれをはっきり明示的に述べられておる方は必ずしも大勢おられるわけではありません。山口先生の場合は一番はっきりしておられました。小泉先生は余り本をお書きにならなかったこともありまして、はっきりそういうことは書かれておりませんでしたけれども、お話しする中で発展段階説的な形のものを考えているということはわかっておりました。高橋泰蔵先生の場合にも、書いた本の中には必ずしもはっきりは出ておらなかったのですけれども、経済発展との関連で金融の問題を考えなければいけないというようなことを主張されておられたときには、そのような発展段階説的な意味でのものを何か考えようという御気持ちは持っておられたと思うのです。

 そういう点を考えて、実は現実の金融のあり方というものを考えてみますと、私は、三つに分けていくことが必要なのではないかと、思っているのです。

 アダム・スミス的な世界というものを考えてみますと、経済発展的に見ればそういうアダム・スミス的経済は価格調整的な経済と考えられるのであって、また理論的にそれを最もはっきり言っているのは、あるいは別の表現でいうと抽象的に言っているのは一般均衡論的な価格のメカニズムを中心とする理論なのではないかと考えられるわけです。価格調整で経済の需給をすべて行っていくというふうに考えるわけです。ここでは価格は円滑に伸縮的に動けば財の効率的な配分というのはうまく行えるわけですから、問題なのはインフレにならないように、貨幣価値が低下しないように、たとえば金本位制というような制度を、あるいは一〇〇%準備というようなことで貨幣の価値を安定させるような政策ということで十分である。こういう考え方が出てくるのではないかと思います。

 そういう点から見ますと、私は、最近マネタリストの考え方、フリードマンの考え方というものも、その背後にあ
る経済は価格調整経済というものを考えているというふうに考えてよいのではないかと思っています。それに対して現実の経済はすでにそういう形で考えられるのではなくて、在庫調整経済というような形で考えることができるので
はないかというのかケインズの考え方であろうかと思います。在庫調整というのは、在庫がある間は価格の変化はなくていい。こういうふうに理解していただければよいと考えます。需給が価格で調整される資本主義経済というのは、かつての資本主義経済(農産物を中心としたような)であって、現在すでにそういうものではなくなってきたと考えられるのではないかと思います。在庫がある間は価格を安定させておいて需給調整していく。在庫がなくなり、はじめて価格を変化させていく。こういう形で需給の調整を図っていくということであります。この在庫調整というのはすべての市場、普通の生産物の市場だけではなくて、労働についても貨幣についても考えるわけで、失業の問題というようなものもそういう人間在庫と考えられますし、あるいは貨幣を保蔵するという考え方もそういうところから生まれてきたと考えられる。そういう意味で在庫調整で需拾を調節する経済。資本主義経済というのはそのように変ゎってきたのだという見方ができるのではないかと思うのです。そういう経済を、金本位に対すれば労働本位というふうにヒックスは呼んでいることになるかと思うのです。経済の発展段階から言いますと、農業を中心としたところからだんだん製造業を中心とするそういう経済の中での需給調整の特色が在庫調整経済という形で考えられたのではないかと思います。

 ここでさらに経済発展段階説的に考えていきますと、在庫調整経済から供給能力調整経済へと移行するという形で大きな最近の変化が見られるのではないかと考えます。そこで何が違うのかといいますと、在庫というものがまた存在しにくくなるということなのです。価格調整経済でも在庫は存在しない。価格で需給を調整していく−こういうことでありました。在庫調整経済の中では在庫で需給の調整をしていたわけですが、供給能力経済になってまいりますとまた在庫というものを持ち得ない。だんだんいろいろな意味でのサービス経済というのが支配的になってまいりまして、その中で在庫は持てない。そこで在庫の持てないかわりに供給能力をそれぞれが持たなければならない。そぅいう経済になるのではないか。供給能力設備に余裕がある間は価格はある程度安定していけるということになってくる。前は在庫で調整していたのをもっと大きな供給能力設備というものを持って調整していかなければならない。そういう経済になってきたというふうに思っているわけです。

 そういう経済の動きにつれて当然金融のあり方というものも変わってくるというふうに考えているわけです。価格調整経済のときに最も効いた政策というのが公定歩合政策だったと考えられます。公定歩合政策というのは、それ自身価格なわけですから、価格に影響を与えることを通じて政策効果を挙げていく。ところが在庫調整経済になってきますとどうしても公定歩合政策から公開市場操作の方に変わってこざるを得なくなる。ですからアメリカなんかで一番はっきりしていたわけですが、フリードマンは極端に、アメリカの金融政策手段は公開市場操作だけでよい、ほかの政策は要らないと、こういうような言い方をしているわけです。公定歩合政策はあっても、それはむしろ公開市場操作に追随してくるという形をとることになっているのではないだろうか。
そういう点から考えていきますと、供給能力経済になりますと金融政策の手段はまた変わってくる。私はそれは支払準備率政策といったようなものが政策手段として重視されてくるようになるのではないかと考えます。経済の発展段階を踏まえた上での変化というふうになろうかと思うのですけれども、貨幣量そのものをコントロールするのではなくて、貨幣の供給能力をコントロールできる力というものを持たなければならないという意味で、供給能力調整経済においては支払準備率政策といったようなものが重視されてこなければならないというふうに思います。

 もちろん現実の日本の経済を考えてまいりますと、まだ公開市場操作そのものも十分ではないという点もあります。というのは価格がまだ、十分伸縮的でない。その中で価格メカニズムに対する政策という形で公定歩合政策を中心に行われているという状能等ありますから、日本の状態では価格調整経済から在庫調整経済へという発展過程の中では
そういう形になろうかと思いますし、また発展段階というだけではなくて、日本の市場機構のあり方というようなものの違いというものもあって、すぐに支払準備率政策にいくというわけではないのですけれども、経済の流れの中でだんだんこちらに移っていくようになるのではないだろうか。そしてそのことは実体経済の方で言えばどういうことになり対応していたかというと、在庫調整経済を考えていたときには労働生産性がまだ一定の状態の下での有効需要のコントロールということを考えていたわけですけれども、さらに供給能力調整経済に入ってまいりますと、その労働生産性の変化を含めた、それを前提とした変化を考えた上での調整というふうに考えられるのではないだろうかというふうに思います。

 そういう経済の発展段階を考えまして、一橋大の金融論の特色といったようなものを考えてみたわけなのですけれど、もちろんこれは初めに述べましたように価格のメカニズム中心で分析していこうという人もまだたくさんあります。ですから私の見方というのは、私の目から見た一橋の金融論の特色と、こういうふうに御理解いただければというように思うのです。

 余りまとまらなかった話でありましたけれども、以上で『一橋大金融論の特色』という話を一応終わらせていただきますが、後御質問をしていただきましてそれで補充していきたいと思います。
                                               (昭和五十八年九月六日収録)