[橋問叢書 第二号]     一橋の学問を考える会

   一橋の哲学
       ― 現代に問いかけるもの −
                                 一橋大学名誉教授  高橋長太郎

     
一橋の哲学は左右田喜一郎〔明治十四(一八八一)年−昭和三(一九二七)年〕 に始る。
左右田は明治三十七年九月(二十四歳)東京高商専攻部を終え、米国経由で英国ケンブリッジ大学に同年十月に入学した。当時の近代経済学の碩学アルフレッド・マーシァルの講義に列したが在学が翌年五月までの短期だったため、例えば後(大正十四年) に扱った「貨幣の限界効用」 の考察は近代経済学の理解が充分でない。近代経済学とは、経済学に微積分法を導入した(ワルサス、メンガー、ジェボンズ)ことから始る。貨幣の限界効用が所得・富の増加につれて低下するという仮定こそ、個人所得税における累進課税の根拠である。

 左右田はすでに専攻部卒業論文「信用券貨幣論」において、貨幣は価値の客観的表現であり、経済現象は貨幣を中心として構成されるべきことを主張し、ドイツのフライブルグ大学のカール・ヨハネス・フックス教授の指導を企図していた。

   一、左右田哲学の成立

 しかし、左右田のフライブルグ大学在籍中(一九〇五−八年、六学期) に、ハインリッヒ・リッケルト教授の指導
を受けたことが決定的に重要である。リッケルトは『文化科学と自然科学』 (第二版、一九〇九年)を公けにした頃
で、したがって「文化価値」 の概念の重要視はここに由来する。
カール・ヨハネス・フックス教授に提出した学位論文「貨幣と価値」 (明治四十一年)は貨幣の本質の解明と貨幣
の経済学における位置を確立しようとするものである。
フックス教授と共にチュービゲン大学へ移り、明治四十四年(一九四一年)、『経済法則の論理的性質』を著した。
その作品において、経済法則は自然科学の因果法則として扱いうるか、それとも経済法則に固有な性質がありうるか2を問題としたのである。後に『個別的因果律の論理』 (大正六年)を書き、田辺元教授と論争している。

 ハインリッヒ・リッケルト.(一八六二−一九三六年)は、ウィルヘルム・ヴィンデルバンド(一八四八−一九一五年)に師事し、『認識の対象』 (一八九一年) によって大学私講師、『自然科学的概念構成の限界』 (一八九六年) によって正教授となり、前述のように左右田哲学は、『文化科学と自然科学』(一八九九年、初版)を公けにした後である。わが国哲学界に大きな影響を及ぼしたのが『認識の対象』 (山内得立訳)で、.当時のわが国の哲学は認識論が中心であった。

 リッケルトの師・ウィルヘルム・ヴィンデルバント (哲学史専攻)は、すでに「法則」を定立しうるのは自然科学のみで、歴史には法則はなく、それは「個性記述」をするものとした。

 リッケルトはさらに、真・善・美・聖のイデア(価値)は存在するものではなく、「妥当」するものとして峻別した。この二元世界観はイマヌエル・カント (むしろ、ルネ・デカルト) の流れを汲むものである。

 「価値」とは、評価主体と評価される客体との問に成立する関係である。価値は関係概念であって実体概念ではない。したがって価値が評価客体のうちに内在するもののように思う経済学の古典派(スミス、リカード、マルクス) の労働価値説は哲学から言えば全く誤謬にすぎない。

 左右田はこの、「評価社会」(Die Gesellshaft der  bewertenden Individuum)の発展過程と貨幣の諸機能の進化との対応を考えようとしたのである。

 評価主体はつねに人間精神である。したがって価値判断は主観的なものである。しかし主観にも普遍性のあることを明らかにしたのが、カント『判断力批判』 (以下「第三批判」という) である。第三批判は美的判断力の分析である。それは『純粋理性批判』(「第一批判」)が客観的妥当性をもつ「真」の世界を扱い、『実践理性批判』 (「第二批判』)が個人の「道徳」律を対象とするのに、「第三批判」は両者の中間領域として「趣味」判断を扱うものである。
そこに「主観的普遍性」を確立したことが重要である。

 経済上の価値とは価格と需給量との相乗積すなわち評価額だが、これは趣味と同様に対象を満足と不満足によって判定することである。

 第三批判の後半は目的論で、左右田「テレオロギー考察」(大正十一年)、田辺元「カントの目的論」は、因果律が
自足するものではなく有機体の合目的性によって補充すべきであるとする。

 しかし、目的論はアリストテレス哲学の本領である(「形而上学」第九巻の主題)。プラトンのイデアの世界は静態だが、アリストテレスはこれを動態化して、デュナミス (可能態)、エネルゲメア (現実態)、そしてエンテレケメアーーーテロス(目的)を適した状態(完成態)に至る過程を扱ったのが山内得立の学位論文『存在の現象形態』(昭和五年、岩波書店) である。

 このアリストテレスの造った三つの術語はそのまま現在の物理学で、ダイナミックス、エネルギー、エントロピー
(熱力学第二法則)として用いられている。

 しかし、目的論的世界観は、自然科学の発達にとってはむしろ障害となった。

  
 二、自然科学、経済学、そして哲学の変容

     A 自然科学の変化
 
 自然科学は激変しっつある。
 
 二千年間疑われることのなかったユークリッド (エウクレイデス) の「平行線の公理」を否定して四次元空間(シ

ンコフスキー) の仮説が出現し、アイザック・ニュートンの「絶対空間」と「絶対時間」の仮定が否定されて、アルバート・アインシュタインの 「相対論」が確立した。
デモクリトス以来、物質の根源としての「ウトム」 (不可分者)が原子核を中心に量子に分割され、さらに実験によって新しい素粒子が発見されつつある。
自然科学を単純な統一的因果律で説明できると思った時代は過去のものとなった。

    B 経済学の発展

 経済現象は「需要」と「供給」との間の交互作用によって成立する。この関係は力学の作用、反作用の関係とは異
なって、困果関係よりも相互依存関係が強い。この需要と供給との相互依存関係を統計的に具体化したのが「産業連関」分析であって、その根底には「一般均衡理論」の確立がある。(註)
需要と供給の均衡のためには、均衡条件さらに安定条件の吟味が必要だが、これらの根本問題こそ真の経済哲学の領域がある。

 そしてこの需要と供給の間に微調整を行うものが商学部門の役割である。
(1) 商業の中心は、売買業だが、これは「所有権の合理的移転」という役割をもつ。完全共産社会が成立して、すべての取引が配給制になれば所有権の移転とそのための貨幣使用も必要がなくなろうが、そのような社会は実現するはずはない。そのような完全な計画を樹て得る全能の統治者の出現は期待できない。

                              (註) カント「第一批判」の原則の体系における「経験の類推」

  〔第一の類推〕 実体の持続性の原則
  現象のあらゆる変化にもかかわらず、実体は持続し、その量は増減しない。
  〔第二の類推〕 因果律に従う継起の原則
  すべての変化は原因、結果の連続の法則によって生起する。
  〔第三の類推〕 交互作用に従う共存の原則
  すべての実体は、それが空間において共存するものとして知覚される限り、普遍的な相互作用のうちに存在する。

(2) 空間を調節するのが運輸・通信で、ことに通信の発達は天体にまで及んでいる。
(3) 時間の調節は倉庫業の役割で、その保管のみならず倉庫証券(荷付為替手形)の発行は重要である。
(4) 金融 − 資金の融通は、さかのぼって消費と貯蓄に由来する。現在の消費と将来の消費のための貯蓄は、現在よりも将来を選好する「時間選好」である。さらに貯蓄を、現金、証券等のいかなる形態で選ぶかが「資産選択(ポートホリオ・セレクション) の理論」であって、これはケインズの「流動性選好の理論」を発展させたものであり、この収益性と危険との間の選択についてハリー・アプラモウィツを経て、ジョン・ヒックス、ジェームス・トービン等によって精密化されている。
(5) 保険は危険に対する善後策だが、「危険」とは将来の出来事の確率分布が客観的に明らかな事象をいう。この危険を超えた出来事(例えば一回限りの事象)が「不確定性」であってこのように一確定性」の定義をしないで「不確実の時代」などといって騒ぐのは、全く無意味である。
(6) 取引所は価格決定機関である。  
 
 以上のような商業部門の調整機関を欠いては、つねに甚しい不均衡が発生する。

   C 哲学の変容 (存在の学としての哲学)

 文化後進国ドイツの哲学は、長くカントやヘーゲルの観念論が支配していたが、現象学の出現は、その伝統を破って、エドムンド・フッセール (一八五九〜一九三八年) の後、マルチン・ハイデガー(一八八九〜一九七〇年) に至って面目を一新した。すなわちハイデガーは哲学とは「存在の学」であると定義する。『存在と時間』(一九二七年)において存在とは個々の存在するもの (個別科学の対象) の 「存在の仕方」 であって、特に人間の在り方
(ダー・サイン)を追求する。人間は生から死までの間絶えず「不安」(Cura)の中にある。
〔社会保障や安全保障(Security)とはCuraからの解放、離脱を意味する〕。
時間意識は過去ではなく未来を志向することに由来する。「時間」は人間の創造した概念であるのだが、この著作は第一巻のみで、第二巻はついに出版されなかったが、その二巻に相当する部分はマールブルグ大学時代の講義
『現象学の根本問題』(著作集二十四巻、一九七五年、なおこの著作集は五十七巻以上になると予定されている)として出版された。そこでは歴史とは反省過程の対象だから、カント(この部分は後に『カントと形而上学』として刊行)、デカルト、アリストテレス『論理学』〔著作集二十一巻〕、『形而上学』(第九巻=著作集三十三巻) の順序に、現象学的破壊によって今までの解釈の覆いを取って真相を明らかにすることを企てている。

 ギリシアで「真理」とは「ア・レティア」である。「レティア」とは「ランタノー」(ひそかに身を隠すこと) の状態であり、
「ア」とはその打ち消しであって、英語dis-cover 独語のentdecken に当る。

 すべての科学の方法は発見・発明である(Karl.R.Popper一Logic Of Scientific Discovery,1959)学問の方法は唯一であって、対象によって異なるものではない。さもなければ「普遍妥当性」はない。7

 人間存在は時間の中にあって絶えず現在よりも未来を選好しっつ行為を決定している。経済現象は商業部門に至るまで、すべて「時間選択」によって意志決定をしているのである。

 ここに経済哲学の根本課題がある。

 経済現象の研究において、重要なのはかつての「限界概念」よりはむしろ限界領域(Grentz-Gebiet) である。
例えば経済現象と社会階層の関係は、観念的な「社会階級」ではなく社会調査によって明らかにされる。例えばジェームス・デューゼンベリ(ハーバード大学教授)の『所得、貯蓄および消費者行動の理論』(一九四八年)は、所得の階層別分布が消費と貯蓄に及ぼす影響を分析するもので、純粋理論の及ばない領域を扱っている。

   三、エピローグ

 リッケルトは晩年(一九三〇年)、『述語の論理と存在論の問題』を著した。いままでの論理は主語の論理であった
のに、反対に述語の論理の可能性を問うことによって「存在論」に近迫している。そしてマルチン・ハイデガー『形而
上学とは何か』(一九二九年)に言及している。ハイデガーはその書で、従来の単なる存在に対する無(非存在)で
はなくして、「無くなす作用」と「在らしめる作用」の対立を扱っている。無にする作用によって在るものが無くなる。
ここに形而上学の対象を見る。リッケルトの転向と弟子エミール・ラスクの戦死(一九一七年)によって、西南学派は終末した。

 左右田は晩年「哲学研究」(大正十五年十月号) に「西田哲学の方法に就て − 西田博士の教えを乞う」において依然としてカントの立場から形而上学批判を行っている。ここにもわが国のカントだけを哲学の主流とする思想の終末を見る。

自然哲学も経済学も哲学も全面的に改革されたのであって、新しい経済哲学の研究を一橋の若い学徒に期待したい。

左右田の後学

本多謙三(予科二年論理学担当)は『哲学と経済』(昭和十三年、理想社)において貸幣の現象学的接近を試みたが、後に弁証法に拘束されてしまった。
杉村広蔵(『経済哲学の基本問題』、昭和十年、岩波書店)において「極限概念」を追求して、数学者カントールの
「無限」を対象としたが、経済現象からは全く遊離してしまった。
川村豊郎(予科三年経済学外国書講読担当)は、ハイデガーに就いて、アリストテレスの「形而上学」の演習に参加し、金融論担当と決っていたので、健在ならば上述の資産選択の理論における時間性を基礎として新しい金融理論を構成したにちがいないが、留学中に病に冒されて早逝したのは悔まれる。川村は帰朝早々、国立校舎で読書会を開き、わたくしにとっては、ハイデガー「形而上学とは何か」を報告した思い出がある。

 
 わが国では容易に解決できぬアポリアー(難問)に出会うと、ルーツへ還れなどといってさわぐが、時の流れは不可逆であって、原始に退行することは不可能であり、かつ無意味である。
ギリシアではその場合に「パリン・エクス・アルケース」(再び根源から)考え直すこと、すなわち根本原理から問を組み直すことを企画した。

 新しい発見・発明の方法は過去の穿索ではなくして、根本原理から問い直すことによってのみ達成されるのである。哲学もまた西洋文化の根源であるギリシア哲学から問い直さなくてはならない。
                                          (昭和五十六年七月十日収録)



高橋長太郎 明治四十年二月二十八日生まれ

         昭和 二 年三月    東京商科大学予科終了
         〃  五 年三月     東京商科大学学士試験合格
         〃  七 年三月     東京商科大学研究科終了
         〃二十四年六月     東京商科大学、一橋大学数塀
         〃二十八年四月     一橋大学教授
         〃三十五年三月     経済学博士
         〃四十五年四月     一橋大学名誉教授
         〃   〃          専修大学教授
         〃五十一年十月     専修大学学長

著    書  昭和三十年七月      『所得分布の変動様式』
                                    (岩波書店)
         〃三十一年十二月    『国民所得』(春秋社)
         〃 三十七年五月     『経済成長と所得分配』
                                (東洋経済新報社)