[橋問叢書第二十二号]一橋の学問を考える会
財政における政党と官僚の役割 一橋大学経済学部教授・付属図書館長 大川 政三
はじめに
先ほど御紹介いただきましたように、前回は一橋財政学の伝統ということで、井藤半弥先生以来の一橋財政学の特徴について御説明させていただきましたが、今回はそれを踏まえた上で、おまえ自身の考え方はどうなんだという御依頼でもあったので、冒険的なテーマでありますが、また政党の方々とか官僚の方々多数と、そうじつ懇でもないのでありますが、書物の上で演題のようなことを考えておりましたので、それを中心にしながら今後の一橋財政学の姿を多少描いてみたいと思っております。
財政学における井藤先生の考え方と私の立場
前回の井藤半弥先生の考え方の要点を、簡単な図を書いて紹介させて頂きますと、横軸に政府の経費と、租税の大きさをとり、縦軸に経費の社会的効用、ならびに租税の社会的犠牲を測るものとします。
経費の少ないときには社会的効用が高いけれども、経費が多くなるにしたがってだんだんに限界的には効用が減少していく。それに対して租税の方は、初めのうちはそれほど負担感がないが、だんだん多くなってく
れば租税支払の犠牲は限界的に増大していく。井藤先生の学説によれば、経費の効用分析は、財政学が取り上げる範囲に含めるべきではないとされたのであります。
軍事費に使うべきか、教育費に使うべきか、社会全体にとっての効用はどちらが大きいか、これらのことは財政学よりもっと高次元の国家政策が取り上げるべきことである。財政学は、ある経費が仮にOM量で決まったならば、このOM量の経費をまかなうためにどういう課税の方法があるか、社会全体にとっての犠牲がなるべく小さい課税方法で経費をまかなうには、いかにすべきかを考える。財政学の主題の財政政策の役割りはこれである。われわれ学生時代に井藤先生が、財政学というのは末梢科学である、ということをよくおっしゃっておりました。天下国家を論ずることは、財政政策より高次目的を課題とする国家政策に譲るべきである、財政政策はもう少しささやかに末梢的な役割、すなわち決められた経費をいかにしてまかなうか、どういう課税方法でまかなうか、こういう役割に止まるべきである、というのが、井藤先生のお考えであった。こういうお考えの底には、井藤先生独特の非常に厳密な財政学方法論があり、財政とは強制獲得経済である、という周知の、井藤学説を端的に特徴づける概念規定があった。
この井藤学説に対する私の立場は、以下の通りである。国民経済の中で財政の占める大きさがどんどん大きくなってくる。GNPの30%近くを公共部門で資源を消耗する。そのくらいに財政の占める比重が大きくなった場合には、一方の政府が金をある目的に使うことによって生ずる社会的効用と、その金を国民が支払うことによる他方の社会的犠牲、この両面を総合的に見て、財政の規模がどこで最適になるのかというように、経費面と課税面の両方を見比べながら同時的に、あるべき最適な財政規模を考えてみたいと思っています。私はこのような意味での国民経済における資源利用の効率性ということまで問題を広げて考えてみたいとささやかに希望しています。
予算決定の主役―官僚と政党
それでは、わが国の政府予算を決定する仕組みの中で、経済的にあるべき政府予算の姿、あるいはあるべき経費の使い方、あるべき租税の取り方を決定する仕組みがあるだろうか。効用と犠牲との比較をする経済的分析にマッチした政府予算編成のメカニズムが一体存在するだろうか。経済的に見て最適な予算を決めるべきだと経済理論に基づいて主張したとしても、果たして現実の政府予算を決定するプロセスや方式の中に、そのような仕組みが本当にととのっているだろうか。また、政府予算を決める主役の人々の考え方の中に、経済的な分析に別して予算の中身を決めていく考慮が一体存在するのだろうか、というような疑問から、きょうのテーマである「財政における政党と官僚の役割」を思いついたのであります。予算を決定していく場合の主役である人々が、どういう目的を持ち、どういう動機で予算決定に参画しているのであろうか。
行政学上の官僚の評価並に官僚と政党の関係
こういうテーマをこなすには私はまだ十分な知識と経験を持ち合わせていないことを恐れますので、ご出席の大変ご経験の深い方々からのご教示を賜わりたいと思いますが、私なりにまず畑ちがいではありますが、行政学、あるいは政治学では、官僚、政党というものをどう評価しているかというねらいで、行政学の文献に当たってみました。第一着手として、行政学の支配的学説と評されている東京大学の辻清明教授の著書『日本官僚制の研究』をひもといてみました。日本の行政学界に大きな影響を及ぼしたと思われるこの辻氏の学説で日本の官僚制がどのような発展過程を経てきたかといいますと、日本の官僚制の発展は三段階に分けられる。
第一段階は、まさに専制君主制のもどにおける官僚である。わが国の場合であれば、旧憲法の天皇制のもとにおける官僚と云えましょう。この場合の官僚は、人民に優越する大変なエリート意識を持っている人民に対して君臨する、天皇の権威のもとで人民を威圧するような態度を持しており、官僚こそ天下国家を背負っているんだというプライドを持っていた。しかも、この当時の官僚の身分は非常に保障されていた。天皇の官吏ということによって、その身分なり進退はほかの勢力によって簡単には動かされない。例えば、政党とかの横槍で身分が不安定になることはない。官僚が一つの独立王国を形成する、そういう保障された身分の上で、われこそは日本を背負うんだというエリート意識をもって行動する、それを裏返しますと、国民に対しては高圧的な態度を持していた。日本に限らず外国の場合でもこういう専制君主時代の官僚を、発展段階の第一にあげることができる。
それが第二段階では、いわゆる市民革命が行われ、経済的には資本主義が発展し、政治的には議会民主政治が確立され、市民階級が政治的にも発言力をもつに至った時代の官僚が、第二段階にくる。この第二段階におけるブルジョワ的議会民主主義のもとにおける官僚というのは、まさに市民に対して奉仕するパブリック・サーバントである。市民社会の利益に奉仕する役割を持ったのが、この第二段階の官僚である。
そして第三段階は、市民社会そのものの中に階級対立とか、農村と都市の対立等々の利害の対立が発生し、その市民階級内部の争い、相克を調停するための行政権力が新しく要求されてきた時代の官僚である。市民階級内部の争いを調停する行政権力を持った新しい官僚制が期待される。これが第三段階の官僚の姿である。
以下のように辻氏が整理した官僚制の発展段階に当てはめて言うと、日本の戦前の官僚は第一段階の天皇制下の官僚であると明らかに特徴づけられるが、第二段階のパブリック・サーバントの時代がなかったというのが大きな特徴である。イギリスでは、官僚制の第二段階がイギリス社会の中に非常にしっかりと根付いたと言うことができますが、わが国の場合には、第二段階が非常に稀薄で、第一段階からすぐ第三段階に入ってしまった。満州事変後ぐらいの姿を第三段階と称しているのでありますが、ドイツのナチス・ドイツ下でも同様に第二段階を欠いて第三段階の官僚が登場したと言える。そのため第一段階におけるエリート官僚意識がそのまま現代にまで持続されることになったと特徴づけられる。戦後新憲法のもとにおいて、公務員というのは公僕であると言われておりますが、官吏の中に公僕という意識が本当に根付かないままに第三段階の現代に及んできている。そして官僚というものが、こういう意識の中で政策決定の主導権を第一段階から第三段階に引き続いてきている。そういう官僚の独占的な行政権力を支えていたものは何か。その一つは、天皇制であった。その天皇制が廃止、新憲法のもとで崩壊した後に官僚の行政権力を支えたのは、連合国占領軍であった。天皇にかわって占領軍が、絶対的な権威を持って日本国民に君臨する。こういう状況の下で、占領軍と日本国民の間をつないだのがまさに官僚であった。当時の国会議員は、占領軍のマッカァサー司令部にほとんど近づけなかったと言われている。英語のしゃべれる官僚がその間をつないだ。占領軍の権威のもとに官僚が国民に対して支配的な地位を持った。権威の源泉が天皇から占領軍に変わった。それを支えるものとして、日本の国民の中には官僚というのは公平、中立的な存在であるという意識があった。ところが政党員というのは、政略に走りすぎる、好ましからざる人々だという評価が、国民の間にあった。これに対し官僚は中立的な立場で国民の利益を考えてくれるという信仰が国民の中にあった。
官僚勢力を強めたもう一つの理由として、相対的に政党が行政能力を十分持っていなかったことがあげられる。政党の無能力さが一方にあるが故に、官僚が政治家のなすべき仕事にまで介入した。予算とか法律が決めたことを執行するのが官僚の役割であるべきなのに、政策決定そのものまで官僚が行う強い力を持っていた。このような意味内容を表現するために、行政学では「行政国家」という概念を使っています。重要な政策の形成過程においても官僚が支配的な地位を持つ政治体制を、「行政国家」と称し、日本の場合にそのことがあてはまるというのが行政学者の間の支配的な考えであった。
それに対して、最近村松岐夫という京都大学教授が、その支配的見解に対して新たな見解を発表しています。一九六七年から六八年にかけて私がカリフォルニア大学バークレーにいたとき、村松氏もたまたま同地にあり、時々議論した仲です。この村松岐夫氏の著書『戦後日本の官僚制』は、辻清明氏の支配的学説に対して反論していると考えられます。村松氏によれば、少なくとも戦前の官僚は確かに行政国家的な官僚だったかもしれないが、戦後新憲法のもとにおける官僚は、それほど強力ではない。むしろ政治に従属している立場が、戦後官僚の姿である。戦後新憲法のもとにおいては、国会を形成する政党政治家が主導権を養っている。こういうふうに支配的学説に挑戦したのであるが、この新しい見解を展開するために、村松氏は中央官庁のエリート官僚と称される人々にアンケート調査を行なっている。その調査項目には、自分の地位をどう思うとか、政治家と官僚とどっちが主導権を持っているか、というのがある。こういう項目についてアンケート調査をした結果によれば、中央官庁のエリート官僚と称される中でも審議官とか総括課長クラスでは官僚こそが天下国家を論じ、わが国を国益にしたがって引っ張っていく中心勢力である、われわれこそ公平な立場で日本の将来を真剣に考えているという自負がまだ残っている。ところが中央官庁トップの局長、次官クラスになると、政治に従属した地位にあることを認めざるを得ない、というように意識が変化してくる。
このようなアンケー卜調査を踏まえた上で、先ほど言ったような村松氏の見解になったのであるが、それを裏書するかのように、かっての栄光ある官僚の地位がだんだん政党政治家によって蚕食されてきているという意識が、若手官僚の間にもじわじわと浸透してきている。例えば榊原英資氏は才気換発型の大蔵省若手官僚であったが、官僚の地位の低下に対して不満を抱き、大蔵省を辞めて埼玉大学に勤め換えをしている。その後、大蔵省に復帰したようでありますが、榊原英資氏だけではなく、現在政治家になっている柿沢弘治氏も官僚失意例の一つと言えるでしょう。
これらの例は、だんだんに政策決定の主導力が官僚から政治家に移りつつあるあらわれと考えられるが、榊原氏の言うのには、情報の官僚独占が崩れてきたことが、重要である。これまで行政上の経験なり知識は官僚がすべて独占的に持っていた。それゆえに適切な法律なり政策をつくることができた。ところがその官僚独占的な情報の独占性が次第に崩れてきた。ということは、政党内にそういう情報がだんだん蓄積されてきた、ということを意味する。
国民は一般的に代議士先生たちをあまり尊敬していなかった。政治家は実行力に富み、選挙には強いけれども、インテリジェンスに欠けていると眺めていたのが一般的な評価だったと思われるが、その評価を改める必要があるほど政党の内部にだんだんと経験なり情報なりが蓄積されてきている。その具体的な結果として政務調査会が整備充実しその政策能力が向上してきている。
租税政策の場合でも、かっては政府の税制謂査会が租税政策を決めるのに中心的な役割を果たしていたのであるが、最近ではその政府税制調査会以前に、自民党の税制調査会が租税政策の主要問題について実質的に先に決定してしまう。内閣総理大臣の下にある政府税制調査会は、自民党が決めたことを後追い的に決定するかの印象を与えている。
こういうところを見ても、自民党政務調査会、あるいは自民党税制調査会というものが、専門的な知識を次第に集積しっっあることが知られる。むしろ国会議員の方が同一の議会内常任委員会、あるいは党内の政務調査会に長期間所属することによって、同一ポストに短期間しか留まらないエリー卜官僚以上に豊富な行政上の知識を蓄えるというこ
とが現実に発生してきた。同時にまた、自民覚の中に官僚のOBが入ってきて、かれらが蓄積した知識を自民党に注入したことも、自民党の政策立案能力を高めるのに役立った。予算案にしろ法律案にしろ、まず自民党の政調会を通さないことには重要な決定がほとんどできない。まず政調会に根回しをし、そのOKを取った上で初めて具体的な法律案の作成にかかることができる。自民党が絶対多数をもっている中で、自民党内の決定が実質的に国会の決定となる。反面から言うと、国会審議が形骸化している。行政府と自民党の間での了解が取りつけられると、実質的には政策なり予算の中身が決定してしまう。その後の国会では形式的とも言える審議が行われる。予算委員会などの審議を通じても、ほとんど修正できないくらいに政府原案が自民党の調整を経て固まっている。政府や、政権党のアラ探し的な発言や、政策の末梢的部分にかんする爆弾宣言で世人の関心を引こうというやや邪道的な論議が、野党側のとる対抗策である。このような国会審議の形骸化は、逆に言うと、それだけ自民党の政策決定力が強くなっていることを意味する。最近、この自民党の絶対多数勢力に変化が生れた。一九八三年、昨年の選挙の結果、かなり自民党勢力が後退した。ということは、野党にも政権に近づく可能性が生れてきた。野党にも政権欲が生れてきたことを意味する。自民党絶対多数のもとでは、野党がいくら頑張っても政権にはつけないあきらめの感じがあった。
ところが、この前の選挙あたりから、かなり野党が政権党に接近してきた。こういう政治状況を簡単な図で示せば上図のようになる。図の右側を保守的な立場、左側を革新的な立場とする。ピークの高さで支持者数の大小を示す。自民党支持者が高くそびえている。自民党の政治的立場の中心をA点とすると、野党の方はこのA点からはるかに離れている。与党自民党と野党がイデオロギー的な対立をして、折合う余地のないくらいに離れている。したがって少々自民党に不満を持っている人でもみんな自民党の方に引き付けられていく。もしいずれかの野党がB点の立場をとるとすれば、点線で示した支持者を集め得るかも知れないが、野党はそのように妥協的立場をとらなかった。これが自民党の絶対多数を支えてきた政治構造をあらわしていると思います。ところが最近は野党勢力がかなり保守の方に歩み寄ろうとする気配がぅかがわれる。非現実的なイデオロギーの対立で争うよりは、もう少し現実性のある政策を掲げることによって自民党側に歩み寄ってくる。そうするとこれからは、いわゆる中間勢力的な政党が自民党を食いながら台頭してくる可能性が出てくるのではないか。もし野党がこのように現実路線をとってくれば、自民党の絶対多数単独政権成立の可能性が次第に小さくなってくる。逆に言うと連合政権的な構想の地盤が広がってくるのではないか。このような政治状況の下で官僚はいかに対応するか。いままで官僚は自民党だけに根回しをし、自民党のOKを取ればよかったが、今度は野党の方まで根回しをし、野党の了解までとりつけることをしなければならないであろう。単独政党ではなく複数政党に官僚は対応しなければならない。それだけ全体的に言えば、政党同士の争いが激しくなると同時に、政党全体の官僚に対する圧力が増してくるのではないかと思われる。
経済学による政党と官僚の行動様式の解明
以上、行政学の文献を初めに踏まえた上で政党と官僚との勢力関係を見てきたのであるが、経済学の方では政党とか官僚をどのようにとらえているか。経済学は、ある目的を最少の費用で達成する、あるいは一定の費用で最大の効果を挙げることを原理として行動する企業、家計を対象にしているのであるが、最近の経済学は官僚とか政党の行動も経済学の武器で説明しようとしている。官僚、政党の問題を、行政学、政治学の独占的領域に留めず、経済学もま
た政党、官僚の行動を取り込んで分析してみようとする動きが出てきている。そのいくつかを引用すると、まずアンソニー・ダウンズの『民主主義の経済理論』(Economic
theory of democracy)によれば、政党というものは前述した天皇制のもとにおける官吏が考えていたように天下国家とか公共の利益を追求しようと目指しているのではなく、世俗的な利益、すなわち金銭的収入とか、権力とか、名誉とかを求める俗世間的欲望に基づいて行動している人々の集合であると規定している。その政党が金銭的な収入とか社会的名声、政治的権力を獲得する手段として、獲得投票を最大化するように政策を組み上げていく。ダウンズによる政党行動の動機づけは、当事者の政党政治家からみれば、単純で、誇りを傷つけられるものであるかも知れないが、政治的現実を大胆に、鋭く分析したものと云えるであろう。
次に、バージニア大学を拠点に活動してきたジェームス・ブキャナン (James Buchanan) の著書『赤字の中の民主主義』 (Democracy
in deficit) を紹介したい。本書は霞ヶ関の官庁街で非常によく読まれ、『赤字の政治経済学』と題した日本語訳も出ている。そこでの議論のポイントは、政党が政権獲得の最終目的を達成するためには非経済的な政策を立て、経済的には成立たない主張をもって投票者にアピールするということである。すなわち政党政治家は、"something
for nothing"であるかのように選挙民に約束して票集めをする。"something for nothing"は経済的には成り立ち得ない考え方である。なんらのコストも払わないでなにかが得られるということは、経済を無視した、政治的要求のみを反映させた主張である。資源の有限性を前提する経済世界では、なにか(something)を得るためには他のなにかを犠牲にしなければならない。ある便益を得るためにはなんらかの犠牲とか費用を払わねばならない。このような経済の論理を無視して政党政治家は"something
for nothing"無償でいろいろなものが得られる、国民はなんらの負担をしないで、年金はよくなるし、医療はただになるし、教育もただになると言わんばかりのような約束をして選挙民を釣ろうとする。このことが民主主義国家を赤字国家に追い込んでいる主要な理由である、とブキャナンは痛烈に政党政治家の非経済的な行動を批判している。
官僚行動を経済学的に説明したものとして、もう一つ、ニスカーネン(Niskanen,W.A.)のそれを紹介してみる。
かれによれば、官僚はなるべく大きな予算を取ろうとする。大きな予算を取れば、自分たちの権限は強くなるし、自分たちの経済的な地位も高まるからである。できるだけ大きな予算を取ることは、かれらの自己利益追求の確実な手段である。かくて政府予算は、規模を増大する傾向を内在的にもつ。次の図によって私なりに説明してみよう。
横軸に政府の経費、租税の量をとる。縦軸は経費の社会効用、租税の社会犠牲の大きさを測る。経費の効用は限界的には下がってくる。それに対して税金を取られることによる犠牲は、初めは小さいけれども、だんだん大きくなっていく。効率的に考えれば限界的に効用と犠牲が等しい点で経費の大きさ、租税を取る大きさを決めるべきである。ところが政治家の立場から言えば、経費を使うことによって生ずる効用をなるべく大きく宣伝する。それに対して、その経費をまかなう国民の負担の方は、なるべく小さ目に述べるか、その負担が国民の目にあまり触れない方法を選ぶようにする。そうすると限界的に効用と犠牲が一致するのは、先の均衡点Aより右のB点になる。経済的に見た最適な予算規模に比べるとかなり過大なところに予算が決められることになる。巨額の公債発行によってやっと収支を一致させているほどの経費規模をもつ日本財政の現実も、上の図で説明できる。
巨額の赤字公債発行、すなわち歳出に対する租税収入不足を抱え込むに至った理由を、次のように説明することもできる。
いま政府の歳出によって国民に提供する便益を、国民の目につきやすいものと、つきにくいものとに分類する、歳出をまかなうための国民負担の方も、目につきやすいものと、つきにくいものに分類してみる。
上の図により政治家的なセンスでそれらの便益と負担との間の結び付きを考えると、目につきやすい便益と、目につきにくい負担とが結びつきやすい。@で示した結びつきである。租税に比べると、公債発行によって経費をまかなうならば、国民の負担感は弱い。目につきにくい負担方法である。それゆえに政治家的感覚からいえば、租税の増加は避け公債依存に走りやすい。一方、目につきやすい便益の例としては、学校、病院を造るとか、教科書、保育サービスを低料金で提供するとか、年金を高める等々のことがある。こういう目につきやすいサービスの提供に重点をおき、他方、負担の方はなるべく目につかない方法を選ぶ。総合的には、目につきやすい個別的利益のための経費が増加し、それをまかなうための租税とか、受益者負担とかの増大を避け、あたかも無償で、目につきやすい便益が与えられるかのように政策を組み上げる。
財政に対する財界の発言について
これに対し、最近、発言力を強めている財界側の意見はさきの便益、負担分類でどう整理されるか。要約すれば、目につきやすい個別的利益のための仕事はなるべく整理する方針と考えられる。できれば民間に任しておけばいい。政府が面倒を見る必要のないことにまで過剰介入しているというのが、財界側の主張でしょう。それを整理することによって経費の減少、小さな政府化を計るべきだということになる。費用意識のあまい政治に対する経済の側からの手きびしい注文と解すべきでしょう。
財界側のスローガンである「増税なき財政再建」の目指すところは、まさに右にいう冗費の削減なのであるが、ここで一つ指摘しておきたいことは、公共性の大きい、まさに政府のなすべき、目につきにくい便益の提供に対する財界側の意見は、これまでのところ、かならずしも明らかではないことである。それは兎も角として、現在政府予算決定の重要なプレイヤーとして、政党と官僚のほかに、財界が一枚加わっている感じがする。財界は必ずしも一枚岩ではなくて、財界の主流というか、経団連から出てくる要求は、財政支出を切り詰めるような方向のいわばデフレ型の方策を主張しているようであるが、財界の一部にはインフレ型の予算で政府がもっと金を使い景気をよくしてくれという気持もかなり根強いのではないか。いわゆるケインズ的な総需要喚起のインフレ待望型の議論が、財界の中に、また政府、与党の中にも一部あるように思われる。このように政党、官僚、財界の諸勢力が、それぞれの思惑で予算決定、政府予算のあり方について互いに主役たらんとして競い合っているのが現状ではないか。その中でわれわれ学者はいかにあるべきかということになりますけれども、時間の制限もあり、一応私の話はここで終わらせていただきます。
[質 疑 応 答]
― 大きい政府、小さい政府とよく言います。どうもそこら辺の基準が、われわれ民間から言った場合に漠然としてきちゃうわけです。一体小さいか大きいか。比較でいけばいいんですね。比較でいくよりしょうがないんでしょうね。
例えば、先はど生産性といいますか、効率といいますか、合理化でいきますけれども、例えば区役所なら区役所一つある。窓口が愛想よくなってにっこりするとかいろんなことを言いますけれども、本当にその事務というものが合理化されたとか、民間の企業の支店ならば成績とかその他が出てくるわけです。
例えば、いま地方自治体の問題が出ています。小さい政府、大きい政府と言いますけれども、地方自治体を入れての問題が、われわれやっぱりこれから問題にしなきゃならんと思うわけですけれども、果たして地方自治体のあれが効率よく行われているのかどうか。確かに仕事はしてもらっている。だけどあれは半分の人間でもできるんじゃないか。あるいは三分の二ならできるか。そういう基準では足りないのかという意見があるんですが、一つの依りどころはあるのでございますか。
大川 大変大きな問題なんですが大きい政府か小さい政府か。これはマクロ的にGNPに対して政府経費が何パーセントか、という大ざっぱな基準で大きい政府か小さい政府かを判断する基準にすると思いますが、それではなにが理由で大きい政府になったのか国民が政府に対して要求することが大きければ大きいほど、大きい政府にならざるを得ないのです。小さい政府が望ましいならば、国民の方でも要求を絞るし、政治家もそれを受けて、政府に何でもかでも無償でまたは安い料金でやってくれという要求を抑制すべきです。
図で説明してみましょう。
図の横軸を右にいくほど公共性が高い。反対に左にいくほど個別利益性の度合が強くなることを示す。縦軸は、利益の及ぶ空間的範囲の広狭を示し、下にくるほどそれが広くなる。例えば外灯の利益効果はせいぜい近隣社会程度であるのに対し、国土防衛となると全国的範囲になり、図の最下部に位置することになる。このような箱型の図形で分けると、左上のところにくるものは、民間の市場機構を通じて提供できる。売れるサービスだからである。ところが図の右下にくるような警察サービスは、住民一般にあまねく利益が及ぶ。こういう公共性が高く、個別利益性の小さいサービスは価格支払と引換えに売ろうとしても売れない。いわゆるただ乗りをしたがる。サービスだけは受け取って、その負担を自発的に支払おうとはしない。ただ乗りをしようとするから売れない。やむを得ず政府が税金という形で強制的に支払を求めることになる。本来政府がやるべき、目につかない便益というのは、まさにこの9の領域に含まれるサービスである。アダム・スミスのチープ・ガバメント論で主張されている政府の本来的業務は、この9領域のものである。だから小さな政府にするためには、政府の仕事をこの9領域近辺にしぼればよいのですが、国民の政府に対する要求はむしろ拡大傾向にある。文化国家とか、社会福祉国家とかの名の下に、政府のなすべき仕事を広げていく。民間の市場でやれるような仕事にまで、政府にやらせようとする。政府予算を決定する者も、その声を聞かざるを得ない。しかも個別利益者に負担させることを避け、一般納税者の負担でまかなおうとする。大きな政府は、かくて前図の9領域から、8・5・6領域方向に拡大しながら現実的存在化する。小さな政府は、このような政府任務の拡大傾向を断ち切らなければ、実現し得ない。しかし、これには政治的な要素がからむので、「小さな政府」化は容易ではない。政治が経済の働きを抑制してしまう。経済の側で押し返すとすれば、「大きな政府」の便益と、これに対する費用負担を明示することによって、国民に選択させればよい。費用負担との比較なしに便益のみを宣伝することが、非効率的に大きい政府をつくり出すのである。
(昭和五十九年七月二十日収録)