一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第四十五号]一橋大学の産業経営および情報問題の研究について 
                                                                                    一橋大学教授 商学部長 今井 賢一

   はじめに

 御紹介いただきました商学郡長をやっております今井と申します。

 最初にちょっと自己紹介をさせていただいた方がよろしいと思うのですが、二十八年の新制の第一回目に卒業いたしまして、山田雄三先生のゼミナールで勉強いたしておりました。前回ここで話をされた塩野谷祐一君とは同級でありまして、二人とも山田先生のもとで大学院で勉強したわけでありますが、私はそのころ、インプット・アウトプット・アナリスと言いますか、産業連関分析、ちょうどアメリカから輸入されてきた経済計画の方法論のようなことをやっておりましたので、ともかくそれを実際に計算をする。大量な計算しなければ前進がなかったわけでありますので、何か民間の研究機関に行きたいということで、その方が予算もあるし研究もできるだろうということで、中山先生からお話しがありまして、当時、電力中央研究所というところで松永安左工門さんがいらっしゃって、その経済の研究を実証的なことを少しやるということでしたので、そこにはこの頃では日本で珍しいぐらいのコンピューターがありましたのでそこへ行ったわけです。その頃、電力中央研究所では産業計画会議とかいろいろな産業研究が行われておりましたので、そこに七、八年御厄介になっていたわけでありますが、三十九年に一橋大学の、これから申し上げます産業経営研究所施設というところで、ポストができたので来ないかと。商学部の中に、そのちょうど二、三年前から宮川公男君が管理工学という講座を開設いたしておりました。マネジメントの工学的な接近ということを重視して新しい方向を切り開いたらどうかということが行われておりまして、それをちょっと助けることをやってくれないかということで産業経営研究施設に移ったわけであります。

三十九年から大学に戻るわけでありますが、きょうは、私が属しております産業経営研究所施設でどういう研究をやっているか。また同時に商学部、あるいはいまの商学部周辺で産業経営とか、あるいは産業経営にかかわって情報化の問題をどういうふうに研究しているか、そしてどういうふうに若い研究者が育っていって二十一世紀までにどういう展望が開けそうかということを、限られた時間でありますがお話ししてみたいと思います。

   (T) 「産業経営研究所施設」−その沿革と業務内容

 そこに産業経営研究施設長と書いてありますが・この名前ちょっと妙ちくりんでありますので、そのことを御説明いたします。

 つまり文部省では正式には産業経営研究施設というわけでありますが、大学の内部では施設というのは、どうもイメージが非常に悪いわけでありまして、いかにもこれは文部省用語なものですから、産業経営研究所と訳して言っているわけです。施設というのはそれぞれの大学の、特に工学部系の大学では新しい研究領域が起こると実験設備なんかを大規模なものを買わなければならないわけで、そのまず実験設備を買って、そこに研究者を置いて研究を進めて、それが学問の体系に入り込むようならばそれを講座にしていくというようなシステムをとって、例えばプラズマの研究だとかいうのは最初は学部が施設でやり出すわけです。文科系でもそういうのが必要だろうということで最初にできたのが、京大の勢力説で有名な高田保馬先生が講義ではなく先生の御研究の実証的な部分をやる場所をつくろうということで、大阪大学に創設された社会経済研究施設であります。そのころから文科系の学部の中にもこういうものができてきたわけであります。

 そのごく内容だけ簡単に申し上げますと、お手元に慌てて用意してきた資料(新井経済研究所註―最終頁「附録」ご参照)なわけでありますが、学内で産業経営研究所と言っているものの沿革を念のため御説明しておきますと、昭和十九年に高瀬荘太郎先生と、本学の経営学の基礎を築かれた増地庸治郎先生が立案されて、産業経営の理論的実証的研究を行なう学内の機関というものをつくられたわけであります。これは文部省で予算が付いた研究所ではありませんで学内でそういう共同の研究をする場所という意味で研究所ができていたわけであります。そして機関の名称はその後東京商科大学産業能率研究所というようになりまして、いまの東京商科大学奨学財団というのがございますが。
これは一橋大学にはもう一つ経済研究所という経済にかかわる大きな研究機関があるわけでありますが、産業経営研究所の方は商学部に属して、どちらかと言えば経営の方に属する研究をやろうという分業になっているわけであります。そこで東京商科大学奨学財団というのは、経済研究所の研究を支援するためにできた奨学財団でありますが、その財団の助成に加えていただきまして、その後いろいろな研究が行われ、実際には、例えば古川栄一先生であるとか、藻利重隆先生であるとか、そういう方々がこの研究所を実際にやられてきたわけであります。

 それが文部省の方で官制化するといいますか、文部省として正式にそういう施設、そういうインスティテュートを認めようということで商学部の付属の「産業経営研究施設」ということになったわけであります。そこで最初に、文部省では研究所で講座にあたるものを部門と言っておりますが、一部門に予算が付き、そして三十八年ごろからコンピューターを使った研究をやらなきゃいかんということで、日立製作所からHIPAClOl、これはパリのコンピューターの大会で日本が出して賞をもらった歴史的計算機でありますが、その古いのを日立製作所から寄贈を受けまして、一橋大学に初めてコンピューターが入ったのが三十八年であります。三十九年にそれに伴って「経営機械化研究部門」というものができまして、ここで教授のポストができたものですから、私はこのとき大学に移ったわけであります。

そしてその後だんだんに拡充いたしまして、いま現在は四つの部門があります。経営研究部門というのと、経営機械化研究部門、企業規模研究部門、公企業・公益事業経営研究部門というのがございます。

 その後コンピューターが大きくなりまして、現在はコンピューターの方は、ハードの方は大学の中に独立いたしまして情報処理センターというものができて、ハードはそこに移っておりまして別の建物になりました。そして研究員も次第にふえておりまして拡充してきたわけであります。本来おらば商学部付属の施設ではなくて、経済研究所と同じような大学の中で一つの独立した研究所にしたいわけでありますが、最近文部省ではなかなか新しい研究所をつくるというのは事実上ほとんど不可能に近いほど抑制しておりますので実現に至っていないという段階であります。

 どういうメンバーが現在いるかということを附録三ページに書いてあります。これは商学部の付属の施設でありますから商学部の教授も併任にお願いして仕事を進めているわけでありまして、私と平田光弘君という教授がおりますが、彼は現在西ドイツに留学しております。野中郁次郎教授。かれはバークレイでPHDを取って、経営の実証研究の方ではかなり仕事をしている男でありますが、最近この研究所の研究成果といたしまして、『企業進化論』というのを日本経済新聞社から出しておりまして、きょう念のためお持ちしたわけであります。それから佐久間昭光君が新しい分野を切り開いておりまして、この四人が専任の教授です。一番下に米倉誠一郎と書いてありますが、これは経営史を研究している。これも専任でありまして、現在彼はハーバード大学のビジネススクールへ留学してチャンドラー教授と一緒に仕事をしております。

 それ以外の方は大体併任所員でありますが、御覧いただきますと、外国の大学でPHDを取って、それから外国の大学で教えていた人がかなりいます。伊丹敬之君はカーネギー・メロンでドクターを取りましてスタンフォードで教えていたわけでありますし、竹内弘高君はバークレイPHDでありますが、ハトバード大学のアソシエートプロフェッサーとして十年近く活躍していたわけであります。金子君というのは慶応の工学部出なんですが、管理工学の助教授でありまして、ウィスコンシンでずっと教えていたのを戻ってきてもらってやっているわけであります。こういうように海外に流出していた頭脳をとにかく戻ってこいということで集めまして、現在こういうスタッフを中心に仕事をやっております。私はここの施設長をずっとやっていたわけでありますが、現在は商学部の付属であり、いずれにしろみんな商学部の教授スタッフであります。同一に商学部の教授会に属しているわけでありますので、私は子会社の社長のつもりだったのですが、ともかく親会社のマネージメントをちょっとやってみろと言うものですから、二年間商学部長を仰せつかっている次第であります。内容のことは後ほどおいおいお話しさせていただきたいと思います。

 せっかく資料をお開けいただいておりますので、四ページ (附録)以降にいままでどういう業績があるかというこ
とを簡単にメモいたしてまいりました。
まず個別研究叢書というのを出しているわけであります。個別研究叢書といたしましては、すでに亡くなられてお
られるわけですが、かつての名誉教授であった西川義郎先生の『公企業会計』、私の『現代産業組織』、平田君の『わが国株式会社の支配』、野中君の『企業進化論』等々。そういうものが個人の研究叢書として出しております。

 それから、ケースブックというのが、これは昔出しておりまして、これはちょっと余りうまくいかなかったのであ
りますが、また、ケースブックではなくて、もう少し新しい形の実証研究の叢書をこれから十冊ぐらい出そうというふうに計画をしております。

 六番目にディスカッション・ペーパーということで、それぞれの研究成果をタイプ印刷の形でペーパーにいたしまして、外国へ配るとか、なるべく皆さんと議論を誘発する、あるいはコメントをいただくという意味でディスカッション・ペーパーというのを最近精力的に出しております。番号で言うと百二十番まで出ております。日本の産業、あ
るいは企業に関する、かなりそういう論文でありますけど、わりあい外国からも注文が多くていろんなところで使われているようであります。

 もうーっ刊行物といたしましては、「ビジネス・レビユー」という雑誌を定期刊行物として出しております。季刊のジャーナルであります。これは最初ダイヤモンド社から出版していたわけでありますが、ダイヤモンド社の経営者がかわったときに、余り売れ行きの悪いものは整理するということだったものですから、それじゃどこから出そうか。いろいろあったのですが・こういう経営の方をやっている出版社の千倉書房というところがやらしてくれということだったものですから、現在は千倉書房からクォータリーで出版しております。

 七ページ(附録)には、最近のどういう特集をやっているかということを、どういう研究内容かということを直感的に御理解いただくために掲げてきたわけですが、二十九巻三号の技術革新と経営戦略。それから二十九巻四号、証券業経営。三十巻一号が日本の企業と経営の国際化。大体商学部の講座、商学部のカバーしている領域でカレントなイッシュ迄かかわっているような問題を取り上げていく。ですから経営の方と商学の方と両方入るわけであります。

 三十巻二号は特集として経営情報管理二十巻第三、四合併号。この雑誌も古くからやっております。三十周年になるわけでありますが、三十周年記念特集号ということで、日本企業の実証的研究というかなり厚いものを出しまして、これは幸いに非常に注目していただきまして、いろんなところから需要があったわけでありますが、日本企業の実証的研究というのを、現在日本で考える最適のメンバーにそれぞれ執筆をお願いして特集を組んだものであります。

 三十巻一号は経営戦略のフロンティア。これはいまのハーバトの竹内君とか野中君とか、そういう人たちが論じているわけであります。三十一巻二号は戦後経営史。そして十ページ(附録)の一番上の方に<経営フォーラム>という欄があります。この三十一巻から新しい試みとして<経営フォーラム>という欄をつくりまして、これは日本の企業の中で現在第一線におられる方々にいろいろお話しをお伺いして、そしてそれを記録として残し、経営学の研究とか、あるいは企業の研究と、そういう若い人々がこれから研究していくに当たって一つの研究材料になるように、そういう意味でフォーラムという欄を設けまして現在インタビューを続けてきているわけであります。これは卒業生の方々にもこれからいろいろお願いしているわけでありますが、なるべくその特集に合うような形で現在はスタートしております。

 最初は日本電気の小林宏治さんから「C&C」戦略の形成と展望というお話しを伺いました。三十二巻二号の際には、戦後経営史という特集でありましたので、脇村義太郎先生に財閥解体のころの実態ということをお伺いしたわけでありますが、これなんか非常に面白い内容であります。

 その後は、全くこれは皆様方から見ると何者だとお叱りを受けるかもしれませんが、ベンチャービジネスの全く若い柳田君という、ベンチャービジネスの経営者の考え方というのをお伺いをしたり、そういう形でいろいろ進めております。

 こういう「ビジネス・レビュー」という雑誌を通じまして、研究内容と、それから社会経済でのカレントなイッシュー等、なるべく接点を探るということをやっておるわけであります。最近そういうディスカッション・ペーパーのいくつかをまとめた報告書を出しましたし、少し前には最近の研究成果「イノベーションと経営組織に関する研究」というのを出しておりますので、念のためお持ちしておりますので御興味のある方は御覧いただくなり、あるいは御必要があるならば研究所の方へお電話なりお手紙をいただければ、残部のある限り差し上げられるのではないかと思います。

   
   (U) 今後の展望―主な流れについて

 以上が前置きといたしまして、「一橋の学問を考える会」でありますので、こういう分野でどういう学問的なことが行われていて、どういう流れで将来どういう展望になるかということについて若干私の考えを申し上げてみたいと思います。ただ、大学で行われていることをベースにしてお話しした方がいいと思いますので、やはり産業経営研究所の研究の流れの中から、最初そこからお話を始めてみたいと思います。

     (1) ケース・スタディ(ビジネス・スクール的方法)
 最初の研究所の沿革のところで申し1げましたように、この研究所というのは経営学と実学といいますか、あるいは現実に行われている企業行動との橋渡しをするというか・その間の結び付きを研究する。そういうことで出発したわげでありまして、最初は、先ほどうまくいかなかったということを申し上げたのですが、ケース・スタディということでいろんなケースをやられたわけであります。これはハーバードビジネススクールの方法でありまして、それはそれなりに教育方法としては非常に有意義であり、また効果もあるし、最近はいろいろ批判も強いわけであります。
しかしある一定の役割りは持っているわけでありますが、しかし、ケースをやることによってそれが学問にならないという欠陥があるんです。ハーバードビジネススクールの悩みはそういうところでありまして、ああいうところで一生懸命、非常に有名な、そういうことで教えることもうまくて評判の高い先生というのは、しかし、学者としての評価は別にないわけでありまして。じゃ学者とは何だということになるのですが、やはりある論文が発表されて、それ
が評価されるとかいうことにケースはなりませんので、そこのところは常にギャップがあるわけで、大学としての学問的な背景のもとで何かをやろうということになりますと、ケースメソッドというものは常に悩みがあるわけであります。

 日本でいろいろなビジネススクールがつくられて、例えば野村のビジネススクールというのは、要するにいかに教育の質を高めるかということを非常にやられているわけです。あそこで教える人々はそれぞれの専門家でありますが、しかしあそこでやることはそういう学問的成果が出てくるということはだれも考えていないし、つくった人も考えていない。慶応大学のビジネススクールなんかはその中間でありますから非常に悩みがあって、あそこでケースをやっている人は学会では余り評価されないわけでありまして、そうすると同じ慶応のプロフェッサーでありながら、ちょっとみんなそこにいるスタッフの人は悩むわけであります。

 そんなことでケースを大学の内部でやるということが非常にむずかしい問題があるわけで、そのせいもあろうと思いますが、これは立ち消えになってきているわけで、最近私どもは、もう少し違った形で企業の実証研究と本当に結び付いたような形での、もう少しアウへーベしたケーススタディというのがあるんじゃないかということで考えておりますが、最初にスター卜したようなハーバードのような意味でのケースというのはやっておりません。

     (2) 経営史(米倉講師)
 それではその次に経営学と実学の橋渡しということでどういうことが注目されたかというと、これは経営史という分野であります。つまり企業の現実の経営の歴史というものを経営学の理論、あるいは経済理論、そういうものを背景にもう一度考え直してみる。あるいはそういう理論をバックに置いて経営史を表現してみる。そういうことが戦後

新しい学問分野として出てまいりまして、先はど申しました脇村先生が会長でありますが、経営史学会というのができまして、そこで経営史研究というのはかなり精力的に行われるようになったわけであります。そしてアメリカでもハーバード大学のチャンドア教授のもとでかなり経営史の研究というのはーつの学問分野として注目されてきており、また業績もあられてきているわけであります。

 承れば、次回に予定の阿部謹也君の社会史という、これもヒストリーでは新しい領域でありますが、その社会史というのは最近できた新しい歴史の方の領域であります。経営史というのは日本では戦後、新しい経済史に関連する歴史学の分野として注目されてきたところでありまして、そういう流れがありましたので、産業経営研究所も経営史の研究を続けております。そして現在米倉誠−郎君という、三十前の若い専任講師でありますが、彼をハーバード大学のビジネススクールに留学させておりまして、チャンドラー教授のもとで非常に精力的に日本の経営史の研究をやっております。

 チャンドラー教授は非常に大家でありますが、まだ非常に学問的関心が強くて、アメリカの経営史について有名なビューリッツア賞をもらったような業績のある方ですが、今後はヨーロッパの経営史と日本の経営史との比較研究の方に仕事の焦点を合わしたいということで・日本についても非常に関心を持って、米倉君はそこで助手のよう仕事をして片腕になってやっております。近く帰ってきますが、経営史の研究というのは産業経営研究所でやるべき一つの分野であろうと考えております。

     (3)産業組織論(今井教授)
 以上が私が行く前からのつながりの話でありますが、私が三十九年に研究所へ移ってからどういうことをやってい
るかということに話を移していきたいと思います。

 まず最初にやっていたことは産業に関する、いわゆる計量的な研究であります。ちょうど宮川公男君の方が商学部で管理工学という講座を開設して企業のマネジメントをエンジニアリング的かつ数量的に研究する。そういう分野をやっておりまして、私はそういう仕事を少し一緒にやってくれないかということで移ったわけでありますので、計量的研究というのをやっておりました。企業行動の計量経済的なモデルをつくってシュミレーションを行うということをやった。そうなりますと当然企業の行動というのは経済全体の中で、また産業システムの中で行われているわけでありますから、企業の行動だけを個別的にモデルにしても意味がないわけでありますので、当然産業組織の中で企業行動をどういうふうにとらえるかということになりまして、そういう領域をしばらくもっぱらやっていたわけであります。それは個別研究叢書の中にあるわけですが、『現代産業組織』ということにまとめまして、岩波から大分前に出しました。これで私個人は商学博士をもらったわけでありますが、そういうのが一つの仕事でありました。

     (4)企業戦略論(伊丹教授)
 その流れといたしましては、大体企業行動とかいうことの分析的な内容というのは、最近では企業戦略論という形に移ってきておりまして、アメリカでこういう言葉であり、こういう論文がたくさん出ると、どうも日本もその言葉を真似するというのは全く残念だとは思うんですが、やはり世界のそういう研究者の関心が企業戦略ということに移ってきましたし、また現実にも企業、あるいは経営戦略というものをどう考えるかということが、そういう研究に対してかなりニーズが高いし、またそれなりの役割りを持っているということで企業戦略論ということに関心の焦点が移ってきておりまして、若い研究者は大体こういう研究をいまやっております。先ほど申しました伊丹君が中心であ
りますが、彼は日経から『経営戦略論』という本を出して、最近それを『新経営戦略論』というふうに改訂版も出しておりますが、これは非常にいい本で近く英語でも出版されますが、世界的に見てもかなり−流の内容のものだと思います。ちなみに伊丹君はこういう分野での世界の研究者の中に出しても、もちろん引けをとりませんし、恐らく指折り勘定していくと世界でも上の方に属するのではないかと思っておりますが、そういう研究者が出てきて企業戦略論というのをやっております。           

      (5)特に注目すべき三つの研究テーマ
それがいままでの大体の流れなわけでありますが・その中で特に私が注目している三点を申し上げてみたいと思います。これからの研究の蕉点ということで考えていることが三つございます。

 一つは、企業戦略の発展として、企業の進化、エポリユーヨンというものをどう考えるかという問題で、『企業
進化論』、最近野中君が本を出しているわけですが、企業の成長発展ということをエポリユーションとしてそれをとらえる。つまり、いままでの経済学というのは、どうも物理学とのアナロジーで、すべて概念が物理学的な発想できているわけでありまして、均衡だとかベロシティ。つまり流通速度だとか弾力性とか、そういうのはすべて物理学の発想であり、また微分方程式でモデルを考えるなんていうのも大体そういう発想なわけでありますが、皆様方は直感的に御理解されているように、企業というのはむしろ生物のように進化していくわけで、その組織というものも原子論的に単にエレメントの集まりであると考えると、企業とか組織の問題の本質を見損うわけでありまして、そこにみんなが全体のことを考えて行動するとか、あるいは一たす一が単純に二になることではなくて、シナジーがあるとか、あるいは意思決定のプロセスというのは、われわれの言葉で言うとノンリニアといいますか、前にあったことが次のことに影響を与えるというようなシステム。これは当たりまえなことでありますが、しかし、それが本質だということになると、やはりモデルは根本的に変わってくるわけでありまして、そういうような最近の社会システムのとらえ方、それから組織のとらえ方、そういうものを総括して企業進化論というふうに言いますと、そういうものはどういぅふうに形成し得るのか。あるいはそういうことがちゃんと生物の進化論のようにあり得るのか。その学問的内容は何であるのか。それが一つであります。

 もう一つは企業者論という問題がございます。これは経営史の発展の中では当然なわけでありますが。

 この説明は後にして、三つめのテーマだけ最初に申しますと、情報研究でありまして、高度情報化社会というような言葉を引き合いに出すまでもなく、情報ということが企業、あるいはより広く経済問題にとってエッセンシャルな問題になってきておりますので、その情報研究をどう進めるか。企業進化論、企業者論、情報研究。この三つぐらいがこれからの研究テーマの焦点だと思っておりまして、いまいる研究者はみんなこういうことをねらいながら研究を進めているわけであります。

       @企業進化論(野中教授)
 企業進化論については多少いまお話し申し上げましたが、これは私どもの専任の研究員であります野中郁次郎君が中心になってやっているわけでありますが、非常に面白い発想が出ております。最近の組織というものがヒエラルキー型のきちっと決まり切ったかってのような階層型の組織ではなくて、現象的にはマトリック組織というようなことを言いますが、いろいろなプロジェクトチームが集まって企業の中があたかも中小企業の集まりのような形で運営されているというふうな現実があるわけでありますし、そういう中で組織が自己組織化していく、セルフォーガナイズィングしていくプロセスがあるわけでありますが、そういうものをどういうふうに理論的に位置づげ、かつその現実との対応をどう考えるかということで企業進化論というものは一つの新しい研究テーマだろうと思っております。
       
       
A企業者論
 もう一っ、企業者論でありまして、これは経営史研究の重要な焦点になるのですが、私はこれはもっと経済学の中で重要なテーマだと思っております。つまり、シュンペーターが経済システムの中における企業者の役割。ということを強調し、経済発展論を書いたわけでありまして、それはいまだにこういう問題を考える際に常に引用され、かつ参照される唯一の文献でありますが、しかし、それ以降経警ステムにおける企業者の役割りというのが経済学の中で中心的な問題として考えられてきたかというと、どうもそうではないわけであります。非常にむずかしい問題です。
それはシュンベーターの言うように、企業者の創造的破壊ということが経済発展の基本的なドライビングホースであるということはだれも否定しないわけでありますし、そのことをみんな口では言うわけでありますが、それではそういうものが経済のシステムの中にどういうふうに体系的に入るかということについてはまとまった研究がないわけであります。私は、企業者論というのは本当に経済学の中に入ればノーベル賞級のものだと思っているわけであります。が、私どもはやや年齢がたってきましたので、そういうテーマを見つけて、もっと若い人たちに頑張ってもらいたいと―私もまだやるつもりでありますが、一橋の若い人々になんとか核心をつく研究をしてもらいたいという心境です。そういう重要なテーマだと考えております。

 というのは、シュンベーターの企業者論というのは、ちょっと極端なというか、ある企業者の一面を強調し過ぎているわけです。つまり非常に天才的な企業者というのはもちろん経済を切り開いていくわけでありまして、その人々の創造的な破壊、それまでの均衡を破壊するということが経済発展のドライビングホースであるということはそのとぉりだと思うわけでありますが、しかし、それは余りにもそういう天才的な側面だけを扱ったがために分析の対象にはならない。ちょうど技術の発明でどこかにエジソンのような天才的な人が出てきて、それが新しい技術、新しい発見を行う。そういうことのプロセスは何も分析の対象にならない。だからしたがって天から降ってくるように何かそういうものがあらわれてくるんだと。そう考えざるを得ないということになってしまうわけですが、企業者の役割りというのは改めて申すまでもなく、要するに均衡を破壊する側面と、均衡を回復するという両面を持っているわけでありまして、ある企業者はいままでの古い制度を破って新しい創造的破壊を産業なり企業に持ち込む。しかし、同時にそれは社会の中にいろんな波及効果をもたらして、それによっていろいろな利潤の機会が発生するわけで、今度はそこを均衡化するということも企業者の役割りであります。

 ごく単純に一般論として考えてみれば、社会の中の需要においては人々のデマンド、あるいはニーズというものは個々バラバラに存在しているわけでありまして、そういう情報はバラバラにみんながいろんなものを欲しがっているという状態にあるわけで、そういう需要があって、一方供給側においてはそれを供給するに必要なリソース、つまり人的資源であり、どこでお金が余っているか、あるいはどういう原材料が要るかということも、社会の中に利用されていない資源があるわけでありまして、需要と供給を、そういう社会の中に分散しているものをいかに結び付けるかということが企業者の役割りでありますから。したがってそこでは均衡をとるというか、均衡の方向へいかに需要と供給を合わせるかという仕事をして、そしてそこへ新機軸を生み出した企業は利潤を得るわけです(1)これ以上一々説明する必要ないと思いますが。要するにそういう企業者、一般的な役割りと同時にシュンペーターの言うようなそういうことが今度は制度化して、ある一定の段階で固まってきた後には次にイノベーションを起こすとすれば、まずその固まったものを破壊しなければならんというふうに次に移っていくわけでありまして、その全体像をつかまなければならないし、そうするとそれは即経済学の中心的な課題、つまり需要と供給をいかに合わせるか、ということになる。経済学の問題というのは何でもデマンド・アンド・サプライとオウムのように言えばいいんだという冗談がありますが、やはりそれが基本的な問題でありますから、したがって経済学、あるいは経済分析の中心になければならないわけでありまして、その企業者論というのをどういうふうに分析し、また経済をつかむ枠組の中に本当に入れ込んでいくかということは、これから非常に重要なテーマになるだろうと思います。
                                      
 もちろんこれは単に分析に乗るということではなくて、まさに経営者の方々の直感であり、人格であり、そういうものが深くかかわっている問題でありますから、まさに表面的な科学的な分析ということには乗らない面があることは重々承知しているわけでありますが、しかし、同時に全体として経済学の中でエッセンシャルの問題を一応外に置いておいて、いままでの経済学がやってきたことに対して強い不蒲があるわけで、それを何とかやらなきゃいかん。
同時にそれは経営史の研究と、つまり現実にどういうふうに企業者、企業の行動が行われたかということになりますと、経営史の歴史的研究の中で、まさに企業者の役割りというのは解明されていく問題だろうと思います。そういう意味でこういう研究も徐々にふえておりますし、それから企業者論の位置づけ、あるいはシュンベーター的な企業者論に対して、さらにその後どういうふうにそれを考え直すべきか。それはオーストリア学派とか、そういうところの伝統を踏んでいろいろな形で新しい学者も出てきておりますので・この辺は経営史研究の発展として非常に面白い問題であろうと思いますし・私どものところでも及ばずながら何らかの研究をいたしてみたいと思っております。

       B情報研究
 最後は情報研究でありまして、きょうのもう−つの重要なテーマとして考えてきた問題であります。それで最後に情報研究というのをどういうふうに行っているかということを申し上げてみたいと思います。

 商学部の管理工学、あるいは産業経営研究所のそれに関連する研究も、最初はOR(オペレーヨン・リサーチ)とか、そういう分析的な手法をいかにマネージメントの問題に取り込むかということで研究をやってまいりまして、そういう研究は大体どこでも一段落しているわけでありまして、いかにしてそれをいまのもう少しハイレベルの問題にもっていくかということが問題なわけです。

 というのは、例えばOR。管理工学で言いますと在庫管理 インベントリー・コントロールをどうするかとか、あ
るいは生産のスケジューリングをどうするかという問題を定式化するということで出発し、またそれなりに成果を挙げたわけでありますし、いまでも在庫管理なんていうのは非常に端っこの問題のようでありながら、ある意味ではあらゆるマネジメントの問題の中心に在庫問題があるともいえる。物の在庫ですとちょっと矮小化されるわけですが、ある意味ではインベントリーを管理する。要するになるべく余らないようにリソースを配分するということでありますから、在庫管理問題というのはかなり幅が広いわけでありますが、いずれにせよそういう種類の問題はそれなりの重要性は持っておりますが、しかし経営とかいうことの一番コアのところには接近しがたいわけです。最近、OAとかいろいろなことが現実に急速に進んでいるわけでありますが、その問題もいかにコアのところでどういう問題があるのか。つまり経営の意思決定の中で、例えばエレベーターを何台置くかとか、あるいは在庫の処理をどうするかということは、やはり周辺の問題でありまして、一橋大学で経営に関する研究をやるのであれば、やはり経営の一番コアの意思決定のところに多少とも接近できなければ虚しいわけであります。

 そうすると、経営にとって最も肝心な情報というのは何なのか。あるいは情報にかかわって経営にコンピューターが役立つ、あるいは通信が役立つ、あるいはそういうところがだんだんに人間の意思決定にコンピューターがかかわっていくとすれば、そこでの本質的な問題は何なのか。それはどこまで進むのか。あるいはそういう中で人間のやるべき役割り、それから企業の意思決定の本質とそれにかかわる組織のあり方。そういう問題を考えなければいけない
んだろうと思うわけです。そういう観点から、私、情報問題いうのをやってきたつもりであります。

 最初、産業経営研究所というので、経営の機械化という問題も、私はそこに属しているわけでありますから研究しなければいかんということで、最初、情報処理センターをつくったり、いろいろやりましたし、大学の中では一応そういうものをやってきたつもりなのですが、そういう研究は、例えば企業の中でやればいい。と言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、例えばコンピューターのメーカーもー生懸命オフィス・オートメーションどうするとか、経営情報システムにはこういうふうにコンピューターを使うというようなことはやっているわけでありますから、何もわざわざ大学でやらなくてもいい。私としては、そういう問題を研究するのであれば、かって―ちょっと生意気でありますが― 一橋の先輩が商業の研究でヨーロッパへ留学されて、いずれも皆大正年代の先生方は商業の研究はしないで、ケインズだとかマルクスを勉強されて帰った。そういう先学の祖にならって、僕も余りコンピュータ屋のちょうちん持ちみたいなことはやりたくないということで生意気なことを言ってきたわけでありますが、本心、企業における情報問題の研究というのは、やはり大学ではもう少し広い視野から取り上げる必要があると思っておりまして、差し当たり次の三つぐらいの点を研究しているわけであります。

 一つは、企業における情報の位置づけということでありまして、企業というものをとことん突き詰めて考えちゃいますと、私は情報処理の機構であるというふうに言えるのではないか。つまり、あるマーケットの中で企業という組織を特別につくっていろいろな資源配分を行っていくということをなぜやっているかということをとことん突き詰めて考えていきますと、どうも情報をいかにそこで環境から意味をくみ取って、そしてそれを生産流通という意思決定までつなげていくそのプロセスなんで、それは端的に言ってしまえば情報処理プロセスである。もっと比喩的に言えば、そこへ一つの言語をつくるようなことだと思うわけです。つまり、一々説明しなくても本質的な点が理解できるように、すぐそれが意思決定につながるように、話がわかるようにしていくのが結局組織だと思うわけであります。
そういう企業を情報処理の機構と考えたときに、そこで情報を差し当たり二つに区分するのが重要なポイントであろう。情報の哲学的な理解の仕方。情報とは何であって、それから情報を分類するとどうなるというのはやたらに議論があるわけでありますが、しかし本質的なポイントは二つに分けてみることだと思うわけです。

 つまり一つは、先ほど御紹介いただいた岩波新書『情報ネットワーク社会』では情報をA、Bというふうに呼んでおるわけでありまして、だんだんこのA、Bというのがはやってきたわけであります。仮に情報をAと私が呼ぼうと思うものはもっぱら情報の形式、シンタックスといいますか、形だけに注目して、情報処理をやっていこう、端的に言えばコンピューター通信に乗るようにゼロと一の記号に置き換えられるように情報を処理していくわけでありまして、これはいろんなパターン、情報というのは結局突き詰めて言えばパターンでありますから、そのパターンということになれば統計的には分布であって、どういうふうに分布しているかということは分布の内容に関係なく、分布は分布であるから国家財政にどこに山を付けるかということも、企業のどこに予算の焦点を置くかという分布も、あるいは全く競馬ウマがどこで当たるかという分布も同じことでありますから。したがってそれは形式的な情報化というのは急速に進んでいまのコンピューター化が進んでいるわけです。計量化というのもそういう方向でやってきたわけでありまして、なるべく量化する。それがいろんな意味で経済、あるいは企業のあり方に対して画期的な役割りを持ってきたと思うわけであります。ともかくいろいろむずかしい問題なんかも何かあるカテゴリーに分けてしまう。昔から日本はうまい面もあって、松竹梅とかいろいろな形で分けてしまうし、それからある何かのインジケーターを使って仕分けをする。そういうことがいろんな面で行われてきているわけであります。そういうことによって、いわゆるいまの情報化、狭い意味での情報化が急速に進んできたわけでありますが、しかし、そういう情報化だけに注目す
ることは肝心なところを見失っているわけでありまして、私はそれと同時に情報Bというものを重視しなければならん。Bというのはまさに意味的文脈を重視するという情報であり、まさに情報の中身が伝わらなければ意味がないわけであります。

 当たり前のことのようでありますが、情報の意味内容が正確に伝わるということは非常に大変なことでありまして、
それには発信者と受信者がどういう関係にあるか。そしてそれがどういうルートを通じて情報が伝わっていくか。そういうこととの関係の中でしか情報の意味ということは伝わらないわけでありまして、したがって情報の意味を重視すれば即組織とか、あるいは情報がどういうふうに伝達されていくかというネットワーク、そういう問題と不可分の関係にあるわけでありますし、また同時に、最初に使った言葉で言えば、そういう場合の意味的解釈というのはノンリニアというか、要するに生きている情報でなければならないわけでありまして、いま、ある鉄鉱石の値段がどういう値段だというようなことは、それが数万円であるということは、その意味が伝わるためには、やはりそこでいままで鉄鉱石の価格がどういうふうに動いてきたかということ、それからその背景ということがわかっていなければ単なる一点の情報というのは意味がないわけでありますから。したがっていままでどういうふうにその情報が蓄積されているかということの関連で初めて意味が出てくる。それが普通ノンリニアと言われていることでありますが、そういう性質を持っているわけでありますから、したがって経営に必要な情報というのは、時間と場所に制約され、かつそういうノンリニアの性質を持つ生きた情報なわけであります。

 そうすると、そういう情報の処理をどういうふうにやるかということになると、これは明らかに簡単にコンピューターには乗りませんし、それから、そういうことをいかに環境の意味をとって、そしてそれを生産流通の意思決定につなげるかということが、まさに企業の意思決定過程の本質だろうと思うわけであります。そのことは即企業の経営
システムをどうとらえるかという問題にほかならなくなってくるわけです。ですから私はAとBを区別して、Aの領域というのはどういう領域で企業の中で起こってくるか。ということとBの領域はどこに起こるのか。そしてそのバランスをどうとるのかということが、いま情報化社会と言われる中で企業経営で非常に重要な問題だと思うわけです。同時にAはずっとAでとどまるわけではなくAからBへ移るということも必要であります。というのは一たん計量化したんだけれども、どうもうまくない。したがってそういうものをそのまま使って意思決定するのは間違いを犯しがちだから、もう少しそれに意味的解釈を加えるような方法を考えなきゃいかん。

 これは企業の問題ではありませんが、その端的な例は、われわれがいま悩まされております入学試験だろうと思うわけです。つまり共通一次試験という制度でありまして、あれは徹底的に計量化してみんなマークシートで解答を書きまして、そしてそれがコンピューターになって全国一律に採点される。あれに対して物すごい精力をみんな使っているわけであります。全国一律に試験をやって、そこで問題が漏れたら大変なことになるわけでありますから、あの管理というのは大変なことでありまして、それで警備保障の会社はもうかっているわけでありますが。要するに日本銀行のお札であれば一枚盗まれてもただ一枚盗まれただけでありますが、共通一次の入試の紙は一枚盗まれたらそれで全部やり直しになりますから大変なことなのです。そういうことで計量化するというのは一つの行き方でありまますが、しかし、その弊害が非常にあらわれてきまして、みんな共通一次の点数で輪切りにして、おまえはこういうところを受けたらどうかということになりますし、それからそういうことだけで能力が評価できないのは決まりきったことなんですが、どうしてもそういうはっきりしたインディケーターがあるとそれに頼りがちであるという欠陥が猛烈にあらわれてきまして、最近一橋大学でも学生の質が云々ということが真剣な検討対象になっているわけですが、そういうことも、人材を集めていく上ではA型の情報処理をやって、何かコンピュータ1でやって入学試験が進歩し
たような錯覚をみんな持っている面があることによるわけでありますが。でもそれは全然逆だろうと思うんです。
 アメリカのハーバードなんかの入試では本当に面接をして、むしろSATとか、向こうでも共通入試のようなものはあるわけですが、それは単に何点取ったとかをごく参考にするだけであって、やはり最後に採るときはその人間に実際会ってみて、親父がどういう生活、どういう環境の中にある。やはりハーバードの卒業生の息子を重視するとか。
一世代だけで人間というのはでき上がるわけではないので、そういうところに全体に組まれている情報を見るということが大事だと思うんです。そういうことから言うとA型の処理というのは入試なんか非常に問題がある。企業でも恐らくそういうことがいろいろあるんだろうと思うのですが。

 ちょっと話がそれたようですが、これはAというのをB型にしていくという領域の問題の例示として申し上げたわけです。もちろんその逆もありまして、Bの領域の問題をAに持っていく。いままで意思決定を全くコンピューターとかそういうことによらないでやっていた領域。あるいはもう少し直感に頼っていた領域にもう少し量的な判断を加えていく。あるいはもう少しタイムリーな情報が常に入って、それで判断をしていくというようなことにする。いままで純粋にBの領域だったものになるべく情報Aの領域を使っていくということも重要なことだと思うんです。

 例えばこのORがどう役立つかなんていろいろ議論があるわけでありますが、最近ある会社ではオイルショック後の意思決定をする際に、装置系の企業でありますが、多くのプラントがあるわけでありますから、そこをどういうふうに撤退をしていくか。そういうようなときに、やはり本当に企業の死活を決めるような意思決定にもORに基づいたシュミレーションというのがある決定的な役割りを果たしたというケースもあるわけであります。それはやはり人間の判断というのは記憶とかそういうものはあやふやでありますから、そういうものをコンピューターは正確に補助してくれるわけでありまして、そういうものを活用しなければならないわけであります。

 企業の中にもいままでBだった領域がAになってだんだんコンピューター化していく領域がますますふえてきております。金融なんかは典型的でありまして、だれの口座からどの口座へお金を移して、それに利子を足して云々というような話は、まさにそれは意味的文脈を問わなくてもいいわけであります。もちろんお金を貸すという段階になると、貸す人の総合的な情報というのが本当に必要になって、表面的な数字でとらなければならないと思いますが、しかし金融の領域でもAの領域というのは非常にふえてきている。そして最近は人工知能なんか出てきまして―人工知能といってもいまの段階は非常にちっちゃなことだとは思います− ある一定の推論ということになりますと、非常に膨大なエレメントがあるときはやはりああいうものは役立つわけで、例えばメインテナンスで一々コンクリートを当たってみて、それで人間が調べなくても、そのコンクリートの状態がどうなっているかというデータ一が入ってくれば一応人工知能が何らかの判定をするということで行うわけであります。

 しかしながら結局どういうことかといいますと、いかに人工知能が進歩してもコンピューターは事態の重要性ということは判断し得ないわけでありますし、いまのところ帰納というようなことは全くだめなわけでありますから、そうするとそういうことで人工知能の領域と、それから人間が、まさに一橋大学の卒業生がだんだん訓練されていってそこで意思決定を下すと、そういうような問題をどういうふうに分業するかということが企業を研究していく上でクルーシャルな問題だと私は思うわけです。オフィスオートメーションとかそういうことも、やはりいまのAとBとの関係。それからBの領域でどこをAにしていくのが望ましいのか。オートメーション化ということは結局Aの領域になるわけでありますから。そしていまのようなAからBへ、BからAへという移向。そういう問題が焦点だと。

 これは金子君というのがウィスコンシンから帰ってきてもっぱらこの研究をしているわけでありますが、それが一つ企業というのを意味解釈論的にとらえる問題。そういう流れの研究であります。

 もう一つ、これは私個人がかなり関心を持っている問題でありますが、市場機構をもう一遍再解釈するということであります。

 最近の情報通信技術の発達というのはものすごいインパクトを持っておりまして、結局情報通信技術の発達によって在庫というものが経済の中から消えていく傾向にあります。在庫循環、在庫の存在ということが経済の短期的な景気循環なんかを左右する重要な要因だったわけですが、どうも個々の企業の経営を見ているとどうも物的な在庫というものは消えていく。

 例えば本田技研で車の生産をお客さんから注文があってから始める。二週間でできるDお客さんに届けるまで二週間だから、そこへ在庫を置かないということを最近やっているわけですが、やはりこれなんか見ていると画期的なことだと思うんです。つまり見込み生産でつくっておかないで、あれだけの車を一々お客さんの注文があってからつくり出すのであればまさに在庫がなくなるわけでありますが、そうすると市場機構の役割りということはかなり性質が変わってくるわけであります。

 そういうふうな実態が進むに応じて経済メカニズムも変わるわけでありますが、市場機構の重要性ということは、これはノーベル賞をもらったハイエクがまさに言ったとおり、時間と場所に制約された、その生きた情報というのはどこで集約されるんだということになれば、結局は市場機構なんだ。つまり、われわれの学生のころ経済計算論というのがありまして、私も山田先生のゼミでそれを勉強していたことがあるのですが、要するに情報通信技術が発達すると将来は数万本の連立方程式を解くことが可能になる。したがって経済計算はコンピューターでできるので、資源の配分ということは、そうすればまさにいまのような全くコントロールできない景気循環の波に任せるのではなくて、もう少し計画的にできるのではないかという議論があったわけであります。ところが歴史的経験は、コンビユー夕ー技術、情報技術が進歩すればするはどそういう議論の説得力は弱まってきたわけであります。

 つまり、私がいま申しましたAとBとの話なんですが、経済に肝心要めのBの情報というのはコンピューターでは伝わらないわけでおりますから、したがってソビエト経済でも中国経済でも、やはりマーケットメカニズムをだんだん、導入していかなければならなくなってきて、数万本の方程式を解いたからといって何もそこで資源配分ができるわけではないわけで、そういう形の経済計算論というのは成り立たなくなって、いまそういうことを言う人が物すごく滅っちゃったわけであります。結局情報を集約する制度、インスティテューションとしての市場機構ということの重要性というのが高まって、そういうことの経済的、哲学的な理解ということを深めたハイエクがそれによってノーベル賞をもらったわけでありますが、私はそれがもう一歩変わりつつあると思う。つまり、いま申しましたように在庫がなくなるということであり、また同時にそれはコミュニケーションということが市場機構に持っている役割りというものを重視しなければならないようになると思います。

 つまりそれはどういうことかと言えば、要するに、ちょっと教科書的なことを申し上げて恐縮ですが、市場機構はプライス、物の値段ということに情報を集約していって、値段だけ見ていて行動すれば、そこであと需要と供給が調節されて資源配分が適切に行われるというメカニズムです。

 しかしそこで単に、それではプライスに情報が全部集約されてしまうのかということになると、やはりそうではないわけでありまして、価格というシグナルにあらわれない情報というのがいっぱいあるわけでありまして、それが人々の間で取引を進める際にも重要な役割りを果たしているわけです。

 例えばコンピューターを買うときに値段だけで決める人はだれもいないわけでありまして、その周辺にある情報に基づいて物すごく綿密なことを考えてコンピューターを買うわけであります。そうすると値段以外に見ている領域は
何なのかということでありまして、それはソフトとかなんとかいろいろあるわけでありますが、もう少し周辺の全体の、例えばコンピューターをどこから買うかと言えば、そのコンピューターの持っている会社のいろいろな将来性とか、それから今後のサービスの可能性、そういうことを含めて買っているわけです。それが結局どういうコミュニケーションが行われているか、つまり経済学の言葉で言えば外部経済と言っているわけですが、プライスシグナルにあらわれない情報の部分というのが外部経済と言ってほっぼらかすわけにいかずに、ますます重要になってくるのではないか。そしてそのことは同時に、私の言葉で言えばネットワーク行動なんですが、どうも経済学が前提としてきた個人行動、アトミスティックな行動というものを変えているのではないか。最近、ホロンとかいろいろなことを言いますが、ホロンというのは全体を考えて個人が行動するという意味でありますが、ホロンという話になるといかにも神がかっていて理解しにくいわけであります。でも私はやはり、昔から山田雄三先生も言ってきたわけでありますが、ミクロとマクロの関係、あるいは個人と全体との関係ということがもう少し現実の企業行動、あるいはわれわれの経済行動の中にあらわれて、それを私はネットワーク行動というふうに表現しているわけでありますが、要するに自分がネットワークのどういうポジションにいるかということを意識してみんな行動する。つまり全体を考えるというと漠然としちゃうわけですが、いろんなネットワークの中でどういうポジションにあるかを意識して行動しているわけでありまして、それぞれのネットワークに、企業のネットワークにも属していて―企業の中のネットワークはこれも多層になっていると思いますが、そのネットワークのどこに位置するかを考えて、そして他のメンバーとどういう距離があるか。距離というのは抽象的に言っているわけですが、単に地理的な距離じゃなくて、意識的にどういう距離があるかということを考慮して行動しているので、ホロンとかいうことの発想も、結局そういうネットワークビへービアなので、それは相互依存関係を前提にした行動なわけです。そういうことを司どっているのはコミュニケーシヨンなので、私はやはり市場機構というものを単にそれぞれプライスというシグナルだけを見て、みんながアトミスティックに行動している世界から、プライス以外のシグナルを相互に発信し合いながらネットワーク行動をする。そういう世界としてとらえなければならない。そうすると市場機構という見方も相当前進し得るんじゃないかというふうに考えているわけです。

   むすぴ

 そんなことが一橋大学で、産業経営研究所で研究していることでありまして、私としてはなるべく若い研究者がいい仕事をしていくような場所をつくっていきたいと思っているわけでありますので、いろいろ御指導なり御助力をいただければ幸いだと思います。(拍手)


   [質 疑 応 答]

  そういうふうな非常に学問的に最近の情報を分析されているアカデミックな方から、実業界、現実の経済に対して何か御注文がございませんか。

 今井 当面している問題は、産業政策ということも自分の研究関心に持ってきたわけで、情報化時代でどういう産業政策が必要なのかと考えるのですが、その中で一番これから重要だと思うのは、通産省の言葉で言うとインターオ
ペラビリティー相互運用可能性といいますか、それぞれの、例えばパソコンにしろ、コンピューターにしろ、通信にしろ、バラバラなものがつながらなければ意味がないわけでありますが、そういう標準化をどういうふうにやっていくか。狭く標準化してしまいますと、今度企業の創意工夫を殺してしまうわけでありますし、それじゃ全くそういうことに対して政府なり何なりは何もしないでいいのかということになりますと、まさにいまのパソコンとかああいうのは、みんな違う機器の間はつながりませんから全く不便で、ワープロ自体非常に不便をするわけです。そうするとそれを何とか、少しは標準化しなければいかん。

 車でもクラッチが反対側に付いている車というのはないわけでありますし、ブレーキは大体同じところにあるわけです。いまのコンピューターとかなんとかというのは、スイッチも反対側にあったり、右であったのが左というふうに、およそそういうインターオペラビリティがとられていない。その辺どうしたらいいか。

 つまり、かってはJISという形でネジを標準化するのに国際的に大論争やって、ああいうスタンダードな産業システムができたわけですが、今度はこういう情報化社会での標準化とか相互接続可能性ということをどういうふうに、例えば業界団体でどう考えていらっしゃるかとか。それ非常に重要な問題だと思っているわけなんですが、そういうようなことがネットワーク間題との関連でいま私が当面している問題であります。

 是非そういうことを業界団体とか、あるいは企業の方で御議論いただきたいと思います。

 ― 実際界のお立場で、特に経営に携られている方が大半でいらっしゃいます、そちらの方からの御感想なりを。

 ― 人の問題について非常に重要視してお話しがあり、いままでの経営学の物理学的なものから生物学的なものへ。
まことにいいことだと思うのですが。

 私、新井さんに一時言ったことがあったと思うのですが、一橋の先輩として、先ほど経営者論というお話があった
ものですから、また思い出したのですが、先輩にはまことに立派な、われわれ師としていままで考えてきたような方々がたくさんおられるわけです。新井さんに、ひとつそういった一橋でも新井さんのところでも、そういった方のお話をよく聞く機会、聞かせる機会をつくってもらってその中から経営者というものがどのような役割りを果たしてきたかということを後世に伝える、学内に大いに伝えるということをやってもらえないか。学校でもしそういったことをやっていただければ、せっかくのそういった財産が保存されるといいますか、学内に伝えられるということを申しておる一人でございますが、そんなような意味で、ひとつ企業者論というのについては、実在の単なる人物伝ということではなくて、時代的背景とともにそういったことをやっていただくと大変ありがたいなという気がしております。

 これは質問になるわけですけれども、先ほど人工頭脳ということがございました。科学技術庁が今年でしたか、人工頭脳と言ったかちょっと忘れましたが、「人間を超えられるか」というようなことをテーマにしてシンポジウムをやろうという計画があったと思います。こういった問題についてどう考えたらいいか。コンピューターについて、今後将来として。いま人工頭脳ということについて大いに努力しているようですが、そういったことに大いに力を入れるのか、あるいは最後の人工頭脳でも結局優れた経営者に及ばないという点を認識した上でコンピューターというものを考えたらいいのか。ちょっとそんなような気がしました。

 それから、ホロンの問題をおっしゃいましたけど、実は私は生命科学の会社、研究をやっているものですからタッチしておりまして、私は生命にまつわる技術、知恵ということを大分前から考えておりまして、いわゆる個と全体の関係。先はどホロンのことでおっしゃいましたけれども、それが本当に、いまの社会機構から言いましても、会社の機構から言っても、生命が三十億年の生命を維持して発展してきたということは、全と個の調和をいかに図るかとい
ことが根本であったんじゃないかと私は思っているわけです。そういうことで生命に学ぶ技術、知恵ということを盛んに言ってきているのですが、先生おっしゃいましたホロンの概念はアーサ・ケストラーがつくったと聞いておりますけれども、いまのような生命の技術をもっと、単に生理、生物学ということじゃなくて、人文科学のいま先生がおっしゃったような、大いに適用して判断すべきじゃないかという疑問を持っておりますので、ちょっと感心をしておりました。

 今井 どうもありがとうございました。

 最後の点、ちょっと感想だけ申し上げたいと思います。

 いまのホロンの問題は、私ども概念としては非常に面白いと思いますので、それをもう少し中身を詰められないかと思いまして、東大の清水博先生たちと一緒にやろうと考えています。あの人は分子生物学者なんですが、全くわれわれと発想が同じという感じです。結局情報が、清水さんの話だとエントレイン、引っ込むというんですが、同じよぅなリズムでやっていたのでは消去されちゃってだめなんだそうです。そうすると違うものが少し出てそっちへだんだん引っ込んでくるわけです。エントレインするというんですけれども、そのメカニズムというのは、全体と個の関係を決めている。彼が言うんですけど、それは全く経済と同じだと思うんです。

 つまり企業の中でも全体をわかり合う状態というのは、惑値があって、何かそこを超えるとみんな協力関係が出てくる。清水さんは、それを動的協力性というのですが、生物の中で惑値を超えると出てくるというんです。産業でもある発展していって、次のあるところを超えるとその中でまたメカニズムが変わってくる段階がございます。ああいぅこと非常に似ているので面白い、それを今度もう少し分析的にお互いにやろうじゃないかと言っているので、もう少し研究してみたいと思っております。……

 人工知能の問題については、おっしゃるように結局帰納ができない。何が物事の本質かという問題がとらえられない。ですから人工知能が役立つ領域というのは相手が動かないところだと思います。たとえば掘っていろいろな鉱物が出てきてそれを分析する。それは一々学者が出ていかなくてもできる。そういう領域でだんだん発展するので、企業領域では動いているわけですからそう簡単ではない。対象が動いている領域では重要度の判断がなければ意味がないわけで、そこはとても応用はできないんじゃないかと。

 それから、一番はじめに申された産業界の方からのヒアリングは私どもも産業経営研究所でもぜひお願いしたいと思つております。いまのところわれわれと同じような世代を呼んでは、夜来てもらってお話をお伺いして飲んだりしているのですが、この「ビジネス・レビュー」はただそういうふうに話し合うだけじゃなくて、記録に残そうと思っておりますので、先輩方にも是非おいでいただいてお話をお伺いしたいと思っておりますし、それから、ボツボツやっているよりもう少し組織的にやった方がいいんじゃないかとも、学内でも数人かと話をしております。

 もう一つ、商学部では三年ぐらい前から特別講義というのをつくりまして、日本の企業、産業で現実にやられている経営者の方々から講義をしていただくということをやっておりまして、数年前に三菱化成の宮部さんにお願いしました。ここ数年は小島慶三さんにお願いしました。そういう形でいろいろな業界の方にご依頼しようと思っているのですが、経営者の方お忙しいものですから、大学へ講義と言ってはなかなか引き受けていただけない面もあるのでひとつよろしくお願いしたいと思っております。そういうアクティビティを拡大して、せっかくの貴重なインフォメーションがあるわけですから、それを何か記録に残した方がいいんじゃないかと、私も痛切に思っております。

 ― こういう研究というのはよその大学でもやっていますか。一橋以外で。

 今井 神戸の経済経営研究所というのがあるのですが、これは外国、他国籍企業の研究みたいのが多く、また経営
分析が中心です。東大は産業研究施設というのがあるのですが、あれはもう少し経済学の方の研究で、今日申し上げましたような研究領域にかんしては、口幅ったいのですが、うちが一番進んでいると思います。
                                          (昭和六〇年六月二十一日収録)