一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第四十八号] 現代経営学の新しい流れ 一橋大学商学部教授 伊丹 敬之
はじめに
いま拝見いたしますと、この一橋の学問を考える会」というのがすでに五十一回目を迎えておられる。恐らくその中でもいろんなお話があったかと思いますが、戦争というものをほとんど知らない人間がしゃべる側で参ったのは、ひょっとするときょうが初めてかもしれないというふうに思っております。私は昭和二十年三月の生まれでございまして、生まれだけは戦中派でございまして、母親の懐の中で焼夷弾を逃げ回ったということがあったそうでございますが、私自身の記憶には全然ございませんし、戦後の駐留軍のことはどうやら記憶にはございますが、拝見いたしますと、私が生まれたときにすでに社会で活躍しておられた方が大半でございますので、そういう先輩を前にいたしまして、特に経営といいますような現実に近いことの学問のお話をするのは大変気が引けることでございますが、新進気鋭という言葉は、実は若僧という言葉の多少いい、形容詞であるというふうにお考えいただいて、(笑)若僧の勝手な発言をお聞き流しいただければというふうに思います。
若干自己紹介的なことをさせていただきますと、私、一橋の商学部は確かに出ているのですが、大学院は一橋ではございませんで、アメリカに参りまして、その後向こうで博士号まで終わった後で、若干アメリカのビジネススクールで教えたりした後日本へ戻って参りまして母校に勤め始めた。母校に勤めているのは私にとっては幸せなのですが、人事の構成という点からいきますと、インブリーディングと申しましょうか、純血主義というこは私は非常によくないことだと思っておりますので、私あたりでそういうことは最後にしたいというふうに―1大体人間は楽なことは自分を最後にして、次の世代からはむずかしいことをやらせようと思うらしいのですが、私も一緒でございまして、そんなふうな経歴の人間でございます。
つい最近も、三年はど前にアメリカのスタンフォード大学に一年ほど教えに行っておりまして、そのときにも日本の企業、日本の経済ということを、私、そういうことを講義に行ったのではなかったのですが、考えさせる機会がたくさんございました。
そういう経歴のせいもございましょうか、比較的あっちこっちで言いたいことを言うものですから角が立つことも、きょうはひょっとすると申し上げるかもわかりませんが、正直に、とにかく現在私が考えておりますことをお話しして、是非皆様からも正直な御反応、あるいは御感想をお伺いできればというふうに思っております。
きょうの私の話は大別して三つの部分からなるような話にさせていただきます。
まず第一に、いただきましたテーマの「現代経営学の新しい流れ」というのがどういうような流れであるかということについてのかいつまんでの御説明を私なりの解釈でさせていただきます。
第二に、その日本の新しい経営学の流れの中で一橋大学という大学がどういうポジショニングにあるか。どういう役割りを果たしているかということについて、これも私の忌憚のない意見を述べさせていただきます。
最後に、経営学というものが一体どんな学問だと、私個人は考えているか。それがどんなふうな方向にこれから進まなければならないと私個人は思っているか。そういったようなことを最後にお話し申し上げたいと思います。
経営学に関する基本的認識
その話全体を通じまして一つの、私自身の非常に基本的な認識の部分を明確にするための前座の話を一二分させていただきたいと思うのです。
経営学の学問の歴史の流れを非常に大きな歴史的な面の中で見てまいりますと、これは五十年とか百年とかいう単位の流れの中で考えてみますと、やっと少年期を脱しっつあるというのが私の現在の正直な認識でございます。その意味では経営学というものが本格的に発展する学問的な基礎が世界中のあっちこっちででき始めている。これは日本のことを申し上げているだけではございません。日本が世界的な流れの中で多少後れぎみであったことは確かなのですが。かなり早いスピードでキャッチアップはしていると思います。しかしそういう世界的なフロンティアのことを考えましても私の認識は、やっと発展の基礎が固まりつつある。
恐らく私の世代―私は今年四十になったばかりの人間でございまして、皆さん方からいたしますと大変若僧でございますが、私の世代の恐らく最大の責任は、経営学というものの本当に分析的な教科書を書くことである。
例えばアルフレッド・マーシャルが経済学の発展の中で果たした最大の役割りは、恐らく『経済学原理』という、そのころまでに知られていた経済学の様々な分析を卜ータルに統合した極めて質の高いいい教科書を書いたことであります。あの本を教科書と言うと怒る方がおられますが、マーシャル自身は教科書のつもりで書いております。それと同じような作業が経営学のエリアでこの二十年ぐらいの間にひょっとしたらできるかもしれない。できれば日本で、できれば私どもの大学で、そういう本が書けるような発展の流れをつくれたら、私どもの世代の責任は長い歴史の流れの中で最も効果的に果たせるのではないか。そんなふうに私個人は、自分たちのポジショニングだとかそういうようなことを、あるいは経営学の現状というのを非常に大きな目ではそんなふうにとらえております。そういうふうにとらえている人間の話だということでお聞きいただければ幸いでございます。
現代経営学の新しい流れに於ける二つの特徴
まず現代の経営学、最近の十年ぐらいの経営学の流れについて具体的にどんなことが起きているかということについてのお話から始めさせていただきますが、その話は二つの部分に分けてみたいと思います。
一つは、どんなふうなテーマが過去と違って主に論議の対象の前面に出てきたかというテーマの面からの流れ。
もう一つは、研究の方法と申しましょうか、あるいはそういう研究をやる人たちの特徴と言いましょうか、何かそういうことに関する研究方法的な面での流れ。そんなふうな二つの面からお話ししたいと思います。
(1) 研究のテーマ
まず最初のテーマの問題につきましては、実は前々回ですか、私どもの学部の今井学部長がここにおいでになりまして、すでに相当まとめの話をなさっておられますので重複があるかもわかりませんが、重複があることを覚悟の上でお話しいたしますが、私なりに四つはどの、非常に最近の経営学の中心的なテーマになっていることを申し上げてみたいと思います。
@企業戦略論
第一は、企業の戦略ということに関する話が非常にこの十年ぐらい多くなっております。口の悪い人に言わせますと、大事なことは何でも戦略という名前をくっ付ければ格好よく聞こえるからそれで戦略論がはやるんだという話もあるわけでございますが、もうちょっと本質的な理由があってどうやら経営戦略論というのが実業界でも、あるいは学会でも大きなテーマになる。それは何も日本だけの現象ではございません。全世界的にそうでございます。全世界的に同時多発的にあっちこっちでそういうことが起きるということはどこか本質的な理由があるからそういうことになるのであろうという単純な原則に従いますと、私は三つはど大きなその理由があるのではないかと思います。
一つは、明らかにこれは環境の要請と申しましょうか、企業の側の事情のような気がいたします。企業が自分の行動を決めていく際に、戦略というような極めて大きな視点で長期のことを考えて企業全体を一つのものと考えてそれの基本方針を決めるというようなことの必要性がこの十年ぐらい急速に高まりつつあるのではないか。それは何も、例えば三十年前の日本の企業に戦略が必要でなかったという議論ではちっともないと思います。必要だったと。優秀な戦略をお持ちのところがたくさんあった。そういうところは間違いなく、やはり超優良企業になっておられる。ところが戦略が基本的になくてもやれた時代が、実はあったということではないかと。こんなことを申し上げますと、本当に若僧が何をというような反応が返ってきそうでございますが、そんなふうに単純に考えますと言えるような気がいたします。
それがどうしてこの十年とか十五年の間に企業というものの基本方針である長期的な戦略ということの議論が企業側の要請でもって非常に大きくクローズアップされてきたかと申しますと、明らかにこれは世界経済の国際化という問題と、それから技術革新のテンポがはやくなってきて、それが非常に錯綜し始めている。変化の動きが激しいということ。その二つの理由かというふうに思います。変化の流れが激しいからこそまずもって先のことを考えないで行動していると、後から何とかしようという態度ではとても企業経営がやりにくくなっているというような、そういう事情が一つにはあるのではないか。そんなふうな気がいたします。
経営戦略論のようなことが大きなテーマとなってまいりましたもう一つの非常に大きな理由は、実は経済学の方にあるのではないかという気がしてならないわけであります。それはどちらかと言いますと、アカデミックなサイドが現実のサイドの企業戦略論のようなことを考えなければならないという要請に、なぜ最近になってやっと答えられ始めているかということだと思います。
それは端的に申しますと、企業というものを対象にした経営学というような学問に興味を持って、そういうことに力を注ぐような人が−つのアカデミックな世界の中でどういうタイプの人がどれくらいの比率でどういう分野に首を突っ込むかということの変化でございます。明らかに、昔であれば経済学をやったであろうと思われる人が、最近は、経済学の中でも企業に関すること、あるいはもっと直接的に経営学という分野を最初からやり始める人が、この十年明らかにふえております。
私はちょうどその過度期の時代を、大学院生から若手の教官、いまでは中堅になってしまいましたが、そういうこの十五年ぐらいを私はそういう時代を自分で体験してまいりましたので、例えば十年前の企業に関する学術集会、リサーチコンプァランスに出たときの雰囲気の違いというのをまざまざと感じます。極端な言葉で申しますと、経済学の旗色が以前より悪くて経営学の旗色がかなりよくなっている。そういう印象が強くございます。
こんなことを申しますと、おまえは経営学をやっているから我田引水でやっぱりそう言うんだろうというふうに話がなりそうなわけでございますが、十年前に私はやっぱり経営学をやっておりましたが、そのころは経済学の分野の方がいいことを言っていた面がありました。それが最近変わりつつある。それは経済学そのものが多少袋小路に入ったために、経済学を伝統的にやっていた方たちが新天地を求めて企業に関する、ある意味では昔からやらなきゃならなかったはずのことにやっと皆さんが目が向いてきてくれたというのが私の正直な感想でございますが、それ以外に企業というものの活動、特にこれは日本でそうだと思うのですが・日本の企業の活動が余りにも目ざましくて、あれを理解せねばおれたちは経済の現実を理解したことにならないと、非常に腹にしみるような実感が、皆さん出てきたせいではないか。その意味で経営学という分野をやってみようかというような人たちの集団全体の人口が、いい意味でシフトしているというふうに思います。
その意味で企業の内部の管理というようなことを中心にした視点と経済学者が通常持ちたがるような、企業を一つの行動体ととらえて、それがマーケットというものの中でどういうふうに動き回るかというような、そういう視点と申しましょうか、これは従来の経営学には比較的なかった、弱かった視点でございます。その二つが接合し始めて、初めて経営戦略のようなことを論じられる学問的な基盤のようなものがやっと生まれてきたのがこの十年間である。したがってそういう学問の側の、アカデミックな世界の側の事情からしても経営戦略論というものが議論の最前線に出てくる本質的な理由が、どうもあったようであるというふうな気がするわけです。
それがテーマという面から見ました第一の最近の特徴でございます。
A イノーベーションと経営
第二の特徴は、技術ということが経営学の世界で正面切って論じられるように最近特になりつつある。イノーベーションの問題であるとか研究開発管理の問題であるとかいうようなことが、具体的なテーマとしてはそういうテーマでございますが、例えば私どもの大学の産業経営研究所でもこの分野での本格的な意味での共同研究の本を出します。『イノベーションと組織』というタイトルでございます。日本であの分野の仕事として、しかも共同研究としては、手前みそではございますが、かなり画期的な本だというふうに思います。そういう本が十人ぐらいの学者の共同作業でございますが、これは全部一橋の若手を中心にした教官でございますが、そういうようなテーマを経営学のエリア全体で取り組もうという姿勢がございます。
あるいは三菱銀行財団にお世話になりまして、東京大学の土屋守章先生と私どもが三年はど前から、日米の若手の経営学者のコンファランスをやっております。これはアメリカの本当の第一線のパキパキの若手の人たちを五、六人呼んで、日本に来てもらって、こちらも若手を中心に三泊四日ぐらいのリサーチコンファランスをやろうと、そういう試みで二回ほどやりまして、いま一休みしておりますが、そのテーマも「技術革新と経営戦略」というテーマでございます。つまり技術というものがそれだけ経営ということを論じる際にどうしても欠かすことのできないテーマにやはりなりつつある。それも大きな現代経営学の特徴かと思います。
よく考えてみますと、私自身は実はベーシックなトレーニングとしては経済学のトレエーニングを受けた人間だというふうに自分では思っております。経済学のトレーニングを受けた人間がいまは経営学を専攻しているということになっているんですが、その意味では私の古巣でございます経済学にも興味がいまもってあるわけでございますが、経済学の世界のことを考えておりますと、非常に残念なことに技術という問題を長いこと、言ってみれば天から降ってくるものというふうに前提をした上で後の分析を始めておりました。だからこそ私は最近の経済学が行き詰まっている二つの大きな原因はそこにあるというふうに思っております。つまり経済学の基本的な理論的な議論は、だれかがつくったテクノロジーがあるとしようという前提から始まるわけです。ところがテクノロジーはだれかがつくってくれたわけではなくて企業が実際につくり出すものでございます。経済システムの中で本来ならばつくり出されてくるものを所与のものとして議論を始めるから、どうしても静態的な、スタティックな、余りダイナミックな変化のことを論じにくい理論にならざるを得ないような理由がございます。その意味でも経営学の場合にはもうちょっと企業の現実に近いものですから、無視することがどれくらいひどい無視になるかというのを現場の方たちからいつも叱られるわけであります。おまえたちそんなことを無視して企業経営が語れるかといつも叱られておりますので、叱られているうちにやはり考えなきゃいかんと、こういうふうになってくるという、現場との距離の近さが恐らく経営学の方が技術に対する取り組みを早く始めたということの最大の理由ではないかと思いますが、そういう意味で皆さんのお叱りというのは大変重要なわけでございます。そういうような理由がございまして、技術と経営というようなことが非常に大きなテーマとして流れになっておるのです。
B 国際化と経営
三番目の流れは、これはもうあたりまえのことでございますが、国際的な経営の問題でございます。これに関して、先ほど世界経済の国際化ということが進むにつれて経営戦略論が盛んになってきたと申しましたが、経営戦略論の中でもグローバルなマネージメント、グローバルな企業というものの行動はどう理解したらいいのかというような分野の仕事がどんどん多くなっております。うちの大学でもそういうことを専門にする先生が最近ふえてきております。
C 企業論
最後に二つだけテーマを、特に経済学との接点のようなところでのテーマでございますが挙げさせていただきますと、企業論とでも言うべき分野が新しく勃興し始めている。これは古くからある議論でございますが、そういう感じがごく最近の流れとして私は強くしております。
つまり一体企業とは何なのか。企業が経済システムの中で果たす役割りは一体どんなことか。あるいは企業というものが成長したり、あるいは停滞したり、変化したり、変化しなかったり、そういう長い歴史の中で企業というものの変化、転変のプロセスというのはどういうふうにとらえたらいいのかというような、いろんな意味での企業論ということが、これは戦略論の一つの発展のような形態をいまのところはとっておりますが、最近非常にふえてきている。この種の議論は実は日本の企業とアメリカの企業を現実の場で何らかの意味で比較せざるを得なかった人間が特に強く感じるリサーチの必要性のようでございます。私自身も経営学に関する基礎的なトレーニングはアメリカで受けました。アメリカのビジネススクールでも教えておりました。しかし日本人でございますし、日本の大学でも教えておりますし、日本の企業とのお付合もございます。そういう両方を見ておりますと、一体企業というのは何なのかという根本的なところが、どうもアメリカと日本がちょっとずつ違う。そのちょっとずつの違いが実は両国の経済システムのパフォーマンスにどんな影響があるのかというような非常に基本的な問題でございますが・そんなことを考えさせられるようなことが最近多うございます。
例えば企業というのは一体だれのものか。株式を出して株券を持っている、あの紙きれを持っている人のものなのか。あるいはそこに働く従業員のものと考える方が企業とは何かという概念規定が、日本的事情で言えばスムーズに概念規定として受け入れやすいか。そういうような差が実は経済システム全体の動きにどんな影響があるのかということを考えまして、『企業の経済学』という本を現在スタンフォード大学の経済学の教授をやっておられます青木昌彦さん―彼は生粋の経済学者でございますが、その方と共著でつい最近私も書きましたが、それはある意味で企業論の出発点として私自身が書いただけでございまして大して結論は出ていませんが、どうもその辺の問題を真剣に考えなきゃいけないというのが最近経営学のトレンドとして日米で生まれ始めるようである。
それに関連しまして、ちょっと話が先走りますが、一橋大学の商学部とスタンフォード大学とのジョイントでもって、来年あたりからシリーズで、「企業とは何か」というリサーチコンファランスを開くつもりでおります。幸い文部省の方でのお金も出そうですし、皆さんに御寄付いただきました後援会のお金の残りを国際交流に使えるお金がございまして、それなどを利用さしていただきまして、本当にアメリカの第一線で経済学や、法学や、政治学や、経営学の分野で、企業とは何かと考えている学者、名前を挙げますと、例えばノーベル経済学賞をもらいましたアローなんていうのもペーパーのプリゼンテーションの一人として来る予定でありますが、そういう人たちを集めて日米で、一橋とスタンフォード大学が中心になってコンファランスをやる計画がいま着々と進行中でございますが、そういうような話を私どもがもちかけますと、アメリカ側でそれは面白いから是非大事な話だからやろう。特に日本の学者とやりたいというようなことをすぐ話に乗ってくるわけです。そういうことが起きているということは、恐らく経営学の新しいトレンドがそういうようなところへ一つは向かいつつあるということではないかというふうに私は考えております。
(2) 研究の方法
以上がテーマに関します、最近私の目につきます大きな流れでございますが、研究の方法論、あるいは研究者というような面で昔との違いというようなことを率直に考えて見ますと四つぐらいあろうかというふうに思います。
@ 文献研究の衰退
一つは、明らかに文献研究というものの衰退でございます。これは経営学というものが少年期をやっと脱しつつあるというお話を先はど申し上げたのと実は深いところではつながっているということだと思いますが、やはり皆さんも御承知のように、海外の経営学者の文献を一生懸命丹念に読むという時代が大変長く続きました。だからこそドイッ経営学、アメリカ経済学というような言葉があるわけでございますが、アメリカへ行きますとドイツ経営学とかアメリカ経営学というような言葉はございませんから。経営学という言葉しかないですから。その点だけでもおわかりいただけるかと思いますが、その種の文献研究をやっていたのでは日本の企業の現実は一体どう理解するのかというようなことにはとても追っつかないという現状になってきたんでしょうか、明らかにいろんな大学で文献研究だけをやっておられる方の数が減ってまいっております。昔は文献研究を中心にやっておられた方も、実証研究、ないしは理論研究という格好で現実の企業を説明する、現実の経営を説明するというふうにトレンドが明らかに向いておる。私は、非常に健康なトレンドで、ますますこれからも推進していかなければならないトレンドだというふうに思います。
A 日本的企業経営の研究
その文献研究の衰えというようなことと軌を一にしていることでございますが、二番目の特徴は、日本の企業というものの現実の説明をするんだという志向が、特に若手の経営学者を中心に明確にございます。恐らくそれは文献研究というものの物足りなさということも理由はあるんでしょうが、最大の理由は、何のかんの言っても日本の企業が戦後四十年これだけ大成功をしたというその事実がそうさせているんだと私は思っております。その意味では日本の企業の成功に支えられて日本の経営学が発展するトリガーが引かれつつあると、そんなふうに私は見ております。
私もアメリカに長いことおりましたが、私が最初にアメリカに参りましたのは一九六九年でございました。いまからもう十六年も前でございます。そのときの私の立場、ないしは私に対する周りのアメリカ人の興味と、例えば、三年前にスタンフォード大学に教えに参りましたが、そのときの私の立場、私に対する興味、明らかに質が違いました。これは私のせいではございません。皆さんのお陰でございます。日本の企業のことを語るというふうな話が、私などはよく知らないことも多いのですが、大変興味を持って聞かれる。特に薄っベラな日本的経営論がはやった後でございますので、実は大学のコミュニティを中心に、あんな調子のいい議論が本当にあるのか。私はないと思っております。薄っぺらな日本的経営論と申しましたのは、アメリカではやりました日本的経営論のかなりの部分は、全部とは申し上げませんが、余りにも話がうま過ぎる。
したがいまして私は実は、そういうトレンドが具合悪いと思いましたので、『日本的経営論を超えて』という本を書きまして、日本的経営というのは本当にそんなにいいんですかということを、かなり冷ややかな反応を日本の国内で受けた本ですが、出したことがございます。アメリカで英文になりまして出版されますが、アメリカ人は案外喜ぶのかもしれません。私は、もうちょっと本質的なことで日本の企業というのは貢献しているけれども、どうも余り浅い議論で日本の経営のことを論じては困るのではないかというのが私の基本的な態度でございまして―それは脱線でございますが、そんな観点も含めまして、日本の企業の成功のお陰で、その成功した現実の背後にある論理は一体何なのかということを真剣に考えようというトレンドが明らかに日本の国内に生まれております。恐らくそういう要求を通じまして、借り物でない本質的な、上に日本的とか何にも付かない、しかし本質的な貢献のできるユニークな経営学というのが日本という国で生まれる可能性があるというふうに私は思っておりますので、非常にいいトレンドだというふうに考えております。
B 共同研究への指向
三番目の、研究の方法論的な面での特徴は、タコツボ主義からの脱却と申しましょうか、共同研究というようなことが非常に多くなってきていることでございます。
例えば、私どもがやりました共同研究、幾つかございますが、昔やりましたのは神戸大学の方と、神戸二、一橋二という若手の四人が集まりまして、『多角化戦略』という本を書いたことがございます。現在、企業成長論ということで、東大が二、神戸が一、一橋が二という五人の構成でやっぱり共同研究をやっております。昔でしたら一つの大学の中の講座の違う人の間の共同研究すらなかなかできにくかった事情が、私も覚えておりますがあるんです。一橋の中でも実はまだ多少残っているかもしれませんが、そういうところを一気に飛び越えまして日本的な規模の中で興味の合う人が集まって共同で研究をやろう。これは大変いいことだというふうに思います。これは私どもの例を個人的な例で申し上げましたが、それだけではございませんでいろんなグループが生まれつつあります。そういう意味でも本来あるべき姿にどうも最近なりつつあるというふうな感じがしております。
C日本の学者の海外進出
四番目は、日本企業の海外進出にあやかってではございませんが、日本の学者の海外進出ということがございます。
例えば例で申し1げますと一橋大学をお出になって現在学習院大学で教鞭をとっておられます河野豊弘先生とおっしゃる方が、イギリスの出版社から日本の企業に関する実証研究の英文の本を出されました。あるいはうちの大学の野中郁次郎先生を中心とするグループが、日本の企業の経営比較を、本格的な経営比較としては初めてきっちりした本がでました。これが最初は日本語で出たのですが、それが英文に直りましてこの五月にオランダの出版社から出ております。あるいは前回おいでになりました今井先生や野中さんたちがハーバード大学の七十五周年記念のシンポジウムに依頼されてペーパーをプリゼントしに行ったというようなことが、最近、この二、三年急速に表面化しつつあります。水面下のレベルではもうちょっと前から進んでいたことでございますが、海外との共同研究、海外での発表、海外での活躍。そういうことが今後ますますふえていくであろうというふうに思われます。
新しい経営学の流れに於けるトレンドセッターとしての一橋
いま申し上げましたような様々なトレンド、テーマの面、、あるいは研究方法の面のトレンドで、それでは一橋
大学という大学が日本全体のトレンドセッティングの中でどんな役割りを果たしているかという第二のテーマに移らせていただきます。
ここから先は自分自身がその渦中におりますので非常に我田引水のお話を申し1げるかもわかりませんが、なるべく渦中の人間でありながら客観的たろうとしてお話しするというふうに受けとめていただければ幸いでございます。
恐らく、国内だけの比較をいたしますと、一橋大学の経営エリアの様々な研究者、実は私は狭い意味での経営エリアに所属している人間ではございませんで、管理エ学という分野に所属しております。前回来られた今井先生も商学部の経営学という分野に所属されておられる方ではなくて、付属の産業経営研究施設の産業組織論の御専門がそもそもの方でございます。そういう人間が周辺部からだんだん経営学をやりたくなってやっているというのが、そういう意味で、広い意味で経営エリアというのを考えますと、そういうエリア全体が日本の、いま申しましたようなトレンドをセットする上でどういう役割りを果たしているかというと、私は、完全にフロントランナーでトレンドセッターの役割をこの五年ぐらい明確に果たしつつあるというふうに思います。その前はある意味で日本の経営学にそういうトレンドセッターと呼べるような大学がどうやらなかったのではないか。一橋大学も含めましてそういうようようなことが、どうもなかったような気がいたします。その意味では皆さんの母校が少くとも日本国内という観点からいたしますとフロントランナーであるということは、皆さんにとっていいニュースであろうかと思いますが、ただ国際的な目で見ますと、蓄積は余りにもまだ貧しゅぅございます。やっとビギニングという感じでございます。
例えば、私が前に勤めておりましたスタンプォード大学のビジネススクールというのは教官の数だけで八十人おります。ハーバードビジネススクールには二百人の教官がおります。うちの大学には経営関係の教官の数は二十人おりません。その二十人の中でうちの大学は比較的経営戦略とか、そういうことに近い人間がある意味で異常にかたまっておりますので、一っのゲループとして機能するだけのだけのクリティカルマスがあるわけでございますが、これはいろんな分野に手を広げ始めますと、皆さんよく御存知のように企業経営でも一緒でございます。少数の経営資源しかない、そのときにいろんな分野に薄めて使ってしまったのでは何にもならない。どこかに集中する必要がある。そういうよぅなことが言えるのと全く同じように人間の学問的な資産でも同じようなことが言えるようでございます。しかし全体的な蓄積のレベルからいたしますと、明らかにまだ非常に低いというふうに思われます。単純に考えますと二百人と二十人では同じ率でいい人が出ても、例えば二割非常にいい人がその中にいるとすると一橋で四人、ハーバードで四十人です。これは絶対量として読むものの差だけで考えますとべらぼうな違いでございます。そういう違いがございますので国際的な比較の段階では、恐らくまだ十年、二十年、三十年というキャッチアップのプロセスが続くというように私は思いますが、しかし日本国内では完全にフロントランナーになっているというふうなことは言えるかと思います。
他の大学では様々な事情がございましてそういうことがしにくい事情があるのと、もう一つは、いま申しましたようなトレンドセッターたり得るような様々なベーシックなトレーニングをいろんな格好で受けた人たちの絶対数が日本国じゅう見渡しても非常に少ないというところにも原因がございます。したがって一橋がかなりひっかき集めてしまっているということが、ときどき東大や神戸の先生から、いいかげん集めるのをやめてくれというようなことを言われるのですが、そういう現状でございます。
その集めるということができ始めたのは、実は一橋大学の商学部が百年の伝統を破りまして、一橋大学の商学部を卒業していない人間を採り始めたからでございます。先はど私は、私自身は一橋大学を卒業して母校で教えているというインブリーディングの典型の人間であると申し上げましたが、こういうことはもう余り多くなってはいかんと心から思います。うちの大学がいろんな意味で活動が活発になりました少なくともきっかけになりましたのはやっぱり外部からの血の導入でございました。
先ほど話を申し上げた例で申し上げますと、野中さんという方は防衛大学校からお迎えしました。『失敗の本質』という帝国陸軍の組織的研究というので大変なベストセラーになった本を中心になっておまとめになった方でございますが、そういう方に四年前に来ていただきました。
三年前には、ハーバード大学で当時教えておられた竹内さんという国際経営とかマーケッティングの方でございますが、その方に来ていただきました。
去年はウィスコンシン大学で、慶応の管理工学をお出になってオペレーションズ・リサーチ、情報ネットワークというようなことをやっておられました金子さんという方に来ていただいております。
他の大学がそういうことをできない、他の大学がいろんな意味で活発になれない一つのネックはやっぱり純血主義にまだこだわるということが一つの大きな原因ではないか。うちの大学はある意味でやむにやまれずやったようなところがございますが―と、私は解釈しておりますが、そういうようなことがこれからもあっちこっちの大学で起きることがいいことだろうと思いますし、一橋大学はその意味でも経営学のエリアではトレンドセッターに是非ともなりたいものであるというふうに思っております。
それから国際的な活躍というような観点からそういうトレンドという面からいたしましても、たまたまアメリカの
大学で大学院教育を受けた、ないしはアメリカの大学に長いこといたというような人間の比率が一橋大学の、特に若手の教官を中心に、はかの大学と比べて圧倒的に高いものですから、そういう理由もございまして国際的な分野での活躍をする日本人の学者の中で、一橋大学の出身者というのが非常に多いのは確かでございます。それも、先ほど申しましたようなクロスブリーディング、純血主義から一歩踏み出したというところに一つの原因があるのではないか。そういうふうに考えております。
いまのような形で最近の経営学のテーマ、あるいは研究上の方法上のトレンド、それからそこにおけるわが母校の果たしている役割りというようなことを考えますと、何やら話がバラ色になり過ぎます。私自身は方向としては非常に望ましい方向に全体がトレンドが動き始めたけれども、到達したレベル、規模、そういったようなものは決して現状まだバラ色だと思ってほならないというふうには考えております。それでは本当の意味で一橋大学の経営学が本格的に根を下ろし、本格的に学問としてしっかりした基礎ができ発展していくために何が必要か。
経営学が指向すべき方向について ― 三つの本質的トピックス
それを考えるためにも、経営学というのは今後どんな方向での発展をする必要があるのかという最後の話に移させていただきます。結局その問題は古くからあるものでございますが、経営という現象の本質は一体何なのかということ。これは企業の現場の方と、それから私どものような学者が共同で一生懸命考える必要があるのではないかということでございます。それを考えて本質的なところをどうやってアタックするか、経営という現実がございますので、これに必要な知識というのは様々なレベルで様々な知識がございます。
極端なことを言いますと昔の一橋大学には商業英語の講座がございました。つまり当時の実状からすれば、大学を出てビジネスコレスポンデンスが書ける人間が必要だった。したがってその大学生にそういうことを教える必要がある。しかし、例えばいまの時代に経営学の本質というのでビジネスコレスポンデンスというのが出てくるか。どうも現実に現場で一番必要な即役立つ知識というものと、大学のようなところで本来やるべきもうちょっと現実からは、即物性という意味では離れているけれど、現実の本質を突く何かをやっているという意味では現実的である。そういうようなこととの間に差があってもいいのではないか。
特に経営というような現実に近いような学問をやっておりますと、実践的知識、即物的知識というようなところへ、これは企業の方からの要請は当然にそういうところへ出てまいりますので、どうも引きずられ過ぎるというのが経営学一般に対する私個人の批判でございます。もうちょっとその奥にある経営というものは一体どういうもので、どこに本質があって、したがって現実の本質をとらまえたことを多少抽象的であろうが議論するから現実から実は離れていないんだというようなタイプの学問というのが経営学というものの本格的に目指さなきゃいけないことではないか。その意味で、ある段階で私ども、特に経営学という学問を大学の世界の中でやっている人間は腹をくくる必要がある。企業の方たちに、先生たちの言っていることは即物的な役の立ち方をしないと言われても、ああそうでございますと、大手を振って言えるような、そういうような経営学をやってみたいというふうに私個人は思っているわけでございます。
(1) 「企業論」的方向
そういうときに、一体じゃどんなことが本質的なトピックとして出てくるだろうか。私は三つぐらいあるような気
がいたします。つまり企業経営という言葉を分解してみますと、その本質的な事柄が三つぐらい出てくるような気がいたしますが、一つは、これは経済学のアプローチとよく似ているんですが、企業というものの経済システムの内部での役割りのようなことを考える。企業という経済主体がなぜこの経済システムの中にこれだけ大きな役割りを果たすのか、比重を持つのか。なぜ企業以外の形態で経済活動をやらないのか理由があるわけでございます。なぜ国家というのがもっと、鉄もつくり、アルミもつくり、半導体もつくりということをしないのか。なぜ私企業に任せるのだろうか。これは自由主義経済体制の基礎のような議論になりそうな話を企業の目から見る。どこに本質があるかというようなことを考える。それは冒頭申しました企業論とでも申しますような、そういうことを論じる分野というのが、私は経営学の中に本質的な三つの分野の中のーつに必ず入ってこなきゃいけないというふうに考えたわけです。
(2) 「経営戦略論」的方向
第二番目と第三番目は、実は事業経営という言葉を分解していただくと非常にわかりやすいのですが、皆さんがやっておられることも事業の経営でございます。その際に事業ということに中心を置いてものを考える立場と経営ということに中心を置いてものを考える立場で、私は、二つ経営学の本質的なテーマが出てくるというふうに考えております。
前者の事業ということを中心に考えるというのは、つまり経済行為としての何かの事業がうまくいったり成功したりする。その背景にある論理は何かということ。例えば技術のトレンドというようなことと、競争の状況ということをどういうふうにかみ合わせていくと事業というものが成功するのか。企業というものを一つの経済行動体と考えて、その経済行動体である企業がマーケットの中で、技術的なトレンドの中で、政府のいろいろな規制の中で動き回るときの動く行動原理のようなもの。つまり事業というものを中心に考える。私はこれが経営戦略論の壷基本的な課題だというふうに思います。そういう観点から経営学を攻めるというのが、ひとつ非常に本質的な攻め方だというふうに思います。これは冒頭申しましたように、事業経営という言葉のうちの事業ということを中心に考えた攻め方でございます。
(3) 「管理」の本質を追求する方向
三番目の本質的なエリアは経営管理ということでございます。これは事業経営という言葉のうちの今度は経営というところに本質を、焦点を当てようというわけでございます。経営という言葉の本質からいたしますと、私はどうやらこの三番目のエリアが一番最後の最後まで経営学の核として残る分野のように思っております。
皆さんを前にして幅ったい発言でございますが、私は経営という言葉の、管理という言葉でもよろしいんですが、本質は、物事を人を通してやるということだと思います。つまり自分がやるんではない。他人を通して自分の望ましいと思うことをやってもらう。そういう現象が実は管理現象、経営現象の本質ではないか。英語で言いますと、ドウイング・シングス・スルー・アザーズと申しましょうか。経済学はどちらかというと、自分で何かをやるときのことを考える。
例えば、事業はどうするかというのは自分がやるような感じで考える。ところが事業を実際に運営するのは人にみんなやってもらわなきゃならない。工場の作業は自分がやるんじゃない。現場の作業員がやる。販売活動は営業部員がやる。会計の様々な資金調達は財務の人がやる。社長が一人でやるのではない。そういう他人を通して物事をやるというのが恐らく経営という現象の本質にあろうかと思います。その現象をどういうふうに理解し、どういうふうに組み立てていくかということの論理全体、それが恐らく経営学の一番本質的な事柄にどうもなるような気がしております。そういうような現象のことをどう呼ぼうかと思うんですけど、私自身はマネージメントコントロールという言葉でなるべくこの現象のことを呼んでみたいというふうに思っているわけでございます。
なぜこの第三の話が経営学としては最も最後まで残る核の部分かと申しますと、これは経済学との比較を考えていただければ少しはわかりやすくなるかと思いますが、皆さん、近代経済学の価格理論とかそういったような議論をお考えいただければ、その学問が構成されている一番基本的なアイディアのところがこういうアイディアであるということが納得されると思うんです。特に市場経済を中心とした経済を分析しようとする近代経済学と申しますのは、マーケットと称する場に二人の取引相手がお互いに自由な立場で登場して条件が合えば取引をする。条件が合わなければ取引しない。条件が合うように競争をする。様々なある意味で横の関係の分析でございます。横の関係という意味は、お互いに対等な立場であり、しかもそういう取引とか市場という場に参入したり、退出したりするというフリーダムをそもそも持った人間が登場していろんなインターアクションを起こす。そのインターアクション全体から実は経済システムがどんな動きをするかということを分析するのが経済学の基本的な論理でございます。
つまり経済学の、特に近代経済学の一番基本のところには、自由な人間の自由な取引という概念があるように思えてなりません。したがいましてそれを象徴的に申しますと横の関係ということになる。水平なんです。どっちが上下だということはない。そういう二人の経済主体がインターアクトし合いながらどんなふうな全体の行動ができ上がっていくかということをやるのが経済学の一番基本的な核である。
ところが経営学はそれとの比愉で申しますと、縦の学問でございます。上司がいて部下がいる。ある人が他の人に何かをやらせる。やってもらう。そういう委任関係がある。そこが管理という現象が生まれる一番本質的な理由でございます。そういう企業組織なんか考えていただきますと、そういう管理の階層と申しましょうか、縦の関係、権限と責任の関係でつながった関係が複雑にインターアクションを起こしながら企業全体が動いてまいります。したがって一番基本的なビルディングブロックは縦の関係が積み重なるとどんなことになるかということを理解しようとするのが経営学の一番本質のところにあるというふうに私自身は解釈しております。
したがって経済学は横の学問、経営学は縦の学問というふうな比喩を私自身は使いたいわけです。したがって経済学の論理では理解できないことが必ず発生する。それは論理の一番基本的なビルディングブロックのところが違うからだというふうに私は考えております。その縦の関係の学問のところを理解しようとするときに、特に私は、経済学が自由というものを一番基本的なアイディアにする学問だということを申しました。
経営学はその点で言いますと、何を一番基本的なアイディアにするのか。どうやら自由という概念と(あるいは自律という概念と)規律という概念の間で揺れ動くのが経営学ではないか。
例えば、人を使うときに自発的に何かをやらせた方がみんながやる気が出るとか、アイディアがくみ出せるとか、様々なことを申します。つまり自律性を重んじることが経営のーつのコツであるというようなことを申します。ところが一方で、全く勝手に振る舞わせちゃ困るなとだれでも思う。だからこそ権限があり縦の関係があるわけでございます。その一方では、人間が本来望んでいる自由とか自律という事柄がある。他方に大きな組織の要請としての規律という問題があって、その二つの間を揺れ動かざるを得ない。規律だけに一辺倒になりますとソビエトのシステムのようなことになります。これはうまくいかない。そういうふうに経営という現象を組立てようとする。結果としては最終的にはうまくない。やはり人間には様々な限界がある、また利害も欲得もある。したがいまして、私もこの辺はまだ非常に哲学的な基礎のようなところが自分でもはっきりしないんですが、自由と規律ということを両にらみでつくる学問というのはどんな学問になるのか。
そういう点では経済学はいいなという感じはしないでもありません。一つだけにらんでいればいいというのが ー こんなこと言うと経済学者に叱られるんですが、気がしないでもございません。
しかし、世の中で組織というものがこれだけいろいろなわれわれの経済活動に企業という組織が意味を持ち、ただ単に経済学のテキストブックの世界にあるような、みんなが勝手に自分の思うとおりにやっていると自然にハーモニーが出てくるということでも世の中なさそうであるという、そういう現実を本質的に切り込むためには、やはり自由と規律という問題を両にらみをするような本質的な学問をつくる必要があるのではないか。経営学というのはそういう貢献が、一番本質的なところでせざるを得ない学問であるからこそむずかしいし、しかしでき上がれば非常に射程距離の長い面白い話ができるというふうに、私自身は最後は楽観的に思っております。
経営学興隆の為の二つの課題
多少抽象的な話を申し上げて大変恐縮でございますが、そんなふうな基本的なアイディアでまず攻めるべき本質的な現象は何なのか。それが三つあると申しました。それから、そういう現象を攻めるときの基本的な態度のようなものは一体何であるべきかというようなことについてのある程度の腹のくくりができたといたしまして、あと二つほど、経営学というものが発展し、いま起きている新しいトレンドがますます大きな興隆に向かうトレンドになるためには、二つほどどうしても必要なことがあるような気がいたします。
(1) 経営に関する公理論的教科書の作成
一つは経営のケの字も知らない人が、この本を読めば経営の本質がある程度はわかるというような教科書を書けないものか。非常に公理論的な教科書でございます。
経済学が学問として栄えた一つの大きな理由は、いまから六、七十年前から四十年ぐらい前までの三十年間の間にアキシオマティックな言ってみれば学生が読んでも、経済学というのはこういうものかとわかるようないい教科書が、非常にレベルの高い教科書が何冊も出たことでございます。私は先ほどマーシャルの例を引きました。その後方法論的には、例えばヒックスの『価値と資本』であるとか、あるいはサミエルソンの『経済分析の基礎』だとか、そういうような本が出まして、経済の本当にケの字も知らない学生が経済の成り立ちの基本的な構造の部分をある程度理解のできる公理論的な本を書いた。
公理論と申しますのはちょうどユークリッドの幾何学のようなものでございまして、二つの直線はどこかで交じわる、交じわらないのは平行とするとか、点というのは面積を持たないとか、そういう公理から出発して、三角形の内角の和は二直角であるとか、いろんな定理が次から次へと生まれてくるという、そういう演繹論理でもって学問の全体が構築されることでございますが、そういうようなことが経営という現象に関していつできるだろうか。当分時間がかかりそうな気がいたします。それができなかったら、学問としての本格的な発展の基礎はできないと思うべきではないか。だからこそ私事を申しましたように、経営学の歴史の中で私どもの世代の責任は、そういったような教科書をつくるか、あるいはつくる端緒になるようなムーブメントを何かの格好で起こすことだというふうに思っておるわけでございます。
私はいま公理論的な教科書のようなものが必要であると申しましたが、何も現場の経営が、その教科書さえ読めば一から十までできるようなそんな便利な教科書生まれるだろうなんていうことはちっとも思つてもいません。そんなばかな話はございません。経済学の本読んだって別に経済政策が次の日からつくれるようになるなんてだれも思っていない。しかし、経済の動きの現実の一番基本的なところはある程度理解できた気になる。そういう意味の教科書でございます。それがありますと経営学というもの、あるいは経営という現象がどれぐらい面白い現象かということについての現場を知らない人でもそういうことの面白さがわかると申しましょうか。そういうようなことができるのではないかと思っているわけでございます。
実はこれは雑談になりますが、いま日本の経営学のエリアでいろいろ活躍している中堅以下の学者の出身を見ますと大変面白い現象がございます。大半が商家の出身でございます。つまり生まれてから自分の身の周りに経営という事実があった人たちでございます。
実は私もその一人でございます。代々続きました呉服問屋の息子でございまして、本来ならば大学の先生になんかなるはずでなかったのが変な経緯でこういうことをやっておりますが、そういう人が余りにも多いのでびっくりいたします。それは恐らく経営という現象に知的興味を持つということが、普通の俸給生活者の、あるいは官吏の家庭で育った方にはとてもないのではないか。企業に入ってからなら当然経営に携わるわけですから生まれるんですけど、学生のうちにそういうことに知的興味を持つというのは、どうも親父が何か変なことをやっているけど、何であんなことをやっているんだろうというようなことを。私自身はそうでございました。小さいころから、何か変なことをやってあれで金がもうかるというんだけどどうしてだろうとか、そんなことを見ておりましたし。一橋に入りましたころから、親父が経営上の大事な相談はどういうつもりか私に必ず相談しておりましたので、小さいころから私は経営が身の周りにありまして、それが知的興味を覚えた最初のきっかけでございます。
そういう人にばかり頼っているのではこれは経営学全体の人口がふえませんので、もうちょっと、経済学に興味持っ人が、何も経済政策を運営した人が自分の親父にいたから経済学に興味持ったなんて、そんなことは余り聞いたことがございませんので、せめて経済学程度の現状になるにはやはり教科書がなくては困るというのが一つの発想でございます。
(2) 文明史的視点より日本経済並に企業の本質的論理の究明
二番目に、そういうような発展のトレンドが大きくなるためにどうしてもやらばしちゃいけないことは、すでにト
レンドとしてさきに挙げたことでございますが、日本の現実というものを、われわれ日本の経営学者というのはもっともっと直視する必要があるのではないか。それは日本的経営論を論じることを始めましょうというようなことではございませんで、もっと本質的な議論をした上で、しかし日本の現実を説明したいという、何か非常に強い知的欲求のようなものを感じる人がもっとふえる必要がどうもあるのではないかというふうに私は思っております。
いろいろなことを考えますと、日本の企業が戦後四十年いろいろやってこられたことが、私のような外部の人間が多少距離を置いたところから拝見いたしますと、経済学も経営学も含めまして、どうもこれまでの教科書に書いてあったことと少しずつ違うことを現場の試行鎖誤でいろいろやっておられるという印象が強うございます。
例えば、冒頭に申しました企業とは何かということについても、アメリカの近代経済学の教科書にははっきり冒頭に、企業というものは株主のもので、株主の利益を最大にするために企業はこういう行動をとるんだという説明がある。
どうも日本で見ると、配当というのはまあ仕方がないから払うという企業が多いとか、そういうことを考えますと、とても株主のために企業が経営されているとは思えないようなことが多うございます。それは別に日本の企業が後れているのではなくて、企業というものは何かということについて、経済システムの中で企業が果たす役割りについて、どうもアメリカ型ではない形を日本の企業はつくってきたのではないかと思って見たらどうか。あるいは日本の下請だとか金融機関の系列だとかいうことに関連いたしまして、経済システムの成り立ちが、それこそ非関税障壁と言って最近責められておりますが、あれもあんなに責められるべきことかと。マーケットのメカニズムはどういうふうに動くんだということについての基本的な理解が、どうも近代経済学の教科書に書いているのとは違うスタイルのマーケットメカニズムを日本はつくりつつあると思ったらどうか。それをアメリカの近代経済学の教科書にのっとったような説明の仕方を日本の現実に対してしようとすると、どうも具合の悪いことが生じないか。
その意味で、私は最近、日本の経済システム、企業システムの持っている論理というのを、極めて本質的なレベルで考え直してみることが、実は経済摩擦だとか、日本の企業が世界の中で果たす役割りとかいうことを、これからロングレンジで、四十年、五十年の単位で考えてまいりますとどうしても必要なのではないかという気がしてならないわけでございます。
最後にそれに関連いたしまして、大変大風呂敷を広げる話をして終わらせていただきますと、日本の企業が、例えば世界経済というものにどういう貢献ができるかということを多少大げさに考えてみた場合に、非常に文明史的なレベルで、日本の企業はひょっとしたら貢献のできる足場をいま持っているかもしれないというふうに私には思えるわけでございます。それは日本の経済システムだとか、企業システムだとかいうようなものの持っている本質的な論理なり哲学は一体何なのかということをきちっと世界にわかる言葉で解明するということでございます。それが仮にできたといたしますと、日本の経済の繁栄というのが五十年、百年の単位である程度保障されるような気がいたします。それは何もそういう論理がわかるから日本の経済の運営がうまくいく、日本の企業の運営がうまくいくということではございませんで、つまり世界の中で袋だたきに合わないための一つの方法だというふうに思います。
例えば、アメリカという国がなぜ繁栄が続けられたか。その前にイギリスという国がなぜ長い間の繁栄ができたか。あるいはもっと古く申しますと、私、最近興味がございますのは、ベネチアという国に興味があるのですが、西暦七00年ぐらいから一〇〇〇年にわたってベニスという国がヨーロッパ世界の中で繁栄をし続けられた本質的な理由は一体何なのか。どうやら共和制でもない。君主制でもない。面白い政治形態をつくり、経済システムをつくり出し、しかもそれをいろんな国に広めるようなことをどうもやったような気配がある。
つまり一つの国で世界史的な意味で長期の繁栄を続けてきた例の背後には必ず何かの、その国の持っているエトスと申しましょうか、基本的な論理と申しましょうか、そういうものが世界史的な意味で、文明史的な意味で貢献をしたから、どうも長続きをするというような現象があるような気がしてなりません。日本が本当に長続きをしたかったら、やはりそういうことを考えるべき時期にいまはきていないか。こうなりますと、何か戦後の日本のたまたまの成功を取り上げて、ナショナリズムで八紘一宇のようなことを、大東亜共栄圏のようなことを言い出すような、そういうニュアンスにとられるのを私は非常に恐れるわけですが、そういうニュアンスではございませんで、何か経営という現象に世界的な意味で本質的な理解、まだアメリカにも日本にもどこにもないような気がいたしますので、そういうようなことを理解していくことによって多少文明史的な貢献が日本ができるとすれば、日本の企業というもののとってきた行動をベースに何かそういう飛躍台が案外あるのかもしれない。そういうことのための作業を、私は個人として自分でどのくらいの範囲のことができるかわかりませんが、なるべくやるように心がけたいとは思っておりますが、そういう大風呂敷を現在夢のような話を考えております。
それでは一応私の話を終らせて頂きます。
[質 疑 応 答]
伊丹 十分なお答えができるかどうかわかりませんが、私が先ほど経営学の本質的なトピックはどうも三つあるようであると申しました。第一に企業論のようなことを申しました。第二に事業戦略のこと。最後にマネジメントコントロールということを申しました。そのうちで最初のトピックは、これは明らかに資本主義経済体制に固有の問題を論じざるを得ませんので、ここでは共産主義の世界とは無縁でございます、
第二番目の事業の戦略のことでは、恐らく共産主義の世界でも通用する話がたくさん出てこようかと思いますが、これもやはり市場経済体制というようなものを前提にした話を恐らく日本の企業の現実を論じる場合にはせざるを得ませんので、五分五分の関係があって、五〇%は何とか使えるかもしれない。
最後のマネージメントコントロール。これは普遍でございます。これは私、縦の関係で申しましたが、組織という現象。これはその国の経済体制の基盤が共産主義であろうと市場経済であろうと一たん組織というものができてしまいますと後は組織の原理で動くものがたくさんございます。そこのところに中心的な論点があるような経営学の分野は、これは世界共通というふうに考えてよろしいのではないか。そういうふうに思います。
― きょうは伊丹先生から一橋の、特に伊丹先生の所属されている商学部から経営学方面につきましての活発な一橋の学問的な発展の状況、ダイナミックな状況というものを伺って大変心強く思っているのですけど、ただ、これ実は私は、ごく最近ですけれども、伊丹先生より二十ぐらいは先輩だろうと思いますが、一橋の先生とプライベートに一ぱいやりながら話をしたんです。
それは一橋の現状につきまして、私自身としては、一橋の外にある者としての懸念を申し上げたわけですが、一つは、最近の偏差値的な評価の中で一橋の水準というのはどうも下がってきているように言われるんだけども、これは何とかならんかという問題。
第二は、一橋は社会科学の総合大学ということを目指して戦後の学制改革をしたにかかわらず、かえって四学部制にしたためにそれぞれの学部のセクショナリズムというか、こういうものに妨げられるのと、それから学長自身がこの四学部と、先ほど先生のお話にあったように、いろいろな学問の間の垣根を取っ払った形で研究というものは進められなくちゃいかんにかかわらず、それぞれのセクションの間の垣根というものが容易に払いにくい。だから学長自身の経営信念にしたがって一橋の運営というものをやっていくことができないような状態になっている。こういうことのために一橋は硬直化しているんじゃないか。これが私の質問の要点なんですが、これに対して、お名前は申し上げませんけれども、その先生いわく―これはプライベートな話ですから―むしろ伊丹先生とは全然逆の悲観的な話なんです。
どういうことかというと、一橋は戦後は結局文部省管轄の中にあって国立大学としてやっているために、国立大学の宿命みたいなものだけど、どうしてもそういう学問の垣根を取っ払うというようなことがうまくいかないんだ。自分自身の信念、考え方で言えば、いまの一橋の中では、先生のお話のような経営工学部とか、あるいは管理工学郡というものを学部として一つ設けなくちゃいかんという必要が、いまの社会の状況の中から強く起こっている。それから、国際学部というようなもの。これ是非一橋の学問の体系の中に新しく独立させなくちゃいかんと思っている。思っているけれどもそういうことは行えない。
ところがこれは私学の方は比較的に自由に行える。早稲田とか慶応とかの水準がいま非常に上がってきているというのは、全くそういうことが自分自身の考え方で自由に行えるという幅が国立大学よりはるかに広いんだ。こんなことをしていたのでは国立大学の水準というのは、一橋に限らずすべてが低下してしまうという大変な悲観論です。ちょっと情けなくなって私は別れたのですけど、その辺は伊丹先生の認識とどういうふうに、どっちが本当か。ひとつお答えいただきたい。
伊丹 私の尊敬します先生のお一人が前回話された今井先生なのですが、今井先生の書かれた本の最後に、いまの質問にお答えする私の立場を明確に書いたあるフランスのモラリストの言葉がございますので、それを引用させていただきますと、「悲観主義というのは気分に属し、楽観主義は意思に属する」という言葉がございますが、私はそれで行きたいと思っております。(笑)
確かに現状だけを考えて制約を考えますと悲観論にならざるを得ないような面はたくさんございます。しかしそれを言っていただけでは現状は変はらない。だから何とかして変える努力を楽観的な見通しを持ってやるべきではないか。したがいまして現状の理解という点では先生のおっしゃったことに一つも反論いたしません。そういう制約がたくさんあるのはそのとおりでございます。
しかし、私自身がこの十年はど→橋大学の内部で経験してまいりましたことをベースに考えますと、その制約というのは、みんな思い込んでいる制約が実は多くはないか。一たん、多少踏み込むつもりでやってしまうとできることが、実は意外とたくさんあるなというのが私の正直な印象でございますので、確かに大枠として国立大学の持っている面倒さとか、あるいは偏差値の問題がもたらす一橋大学に対する悪だとか、あるいは学部間のエゴがもたらす障害だとか、たくさんございます。確かにおっしゃるとおりだと思います。それは確かにあるけれども、その枠内でやれることは実はまだたくさんあって、やっていないことが多過ぎはしないかと、そういうふうに思います。
それから、社会科学の総合大学ということと四学部の間のセクショナリズムということでございます。私はいま四学部間のセクショナリズムと申しまして、学問の間のセクショナリズムと申しませんでした。この二つは違う問題だと思っております。本当に社会科学の総合大学になるためには、まずその前段階に各学問分野が、これは学部ではございません―それこそセクショナリズムぐらいでいいから徹底的に自分の道を深めるべきだと思います。それで初めて総合の話ができる。最初から総合をねらうというのは余り生産的な話ではないというふうに思います。中途半端なものしかできない。だからセクショナリズムはみんなで独走したらいい。独走が最後にどこかでまとめるというのが遠い理念であっていいんではないか。そういうような感じがいたしますが、どうでしょうか。
― 実はいまあなたのお話を伺っておりまして、私は上田貞次郎先生の門下生ということに値するほど勉強していないんだけども、上田先生のことをはからずも思い出した。
先生は大正の中葉に「商工経営」という講座をされたんだけれども、あの本を御覧になりましたか。先生の五十年祭のときに門下生が印刷して、二百か二百五十ぐらい特別に本を分けているんです。「商工経営」という言葉を使っている。私は余り勉強しなかったから覚えていないけれども、あなたのおっしゃることに随分相通ずるものがあると思う。東京商科大学の「商工経営」という講座がありました。これが一つ。是非見てください。
もう一つ。経営、経営とおっしゃったけれども、経営の成功をしなかった例として、最近国鉄と日航があるでしょう。両方とも大失敗です。完全な私経営ではないけれども私経営的な経営であったわけだと恩うんだが、その原因はどこにあるとあなたはお考えになるかということを伺いたい。
もう一つ。企業というものはだれのものかということです。アメリカでは株主のものです。配当が第一義だということをおっしゃるけれども、私どもが上田先生から教わったところでは、企業というものは株主のものであるけれども株主だけのものでもない。労働者のものであるけれども労働者だけのものでもないと。公共性、社会性があるんだと。同時に民族全体というか、国家全体、社会全体のものであるということを実は教わっている。それは大正の中葉です。先生はその言葉を士魂商才という言葉で言われたことを思い出します。
もう一つ、それに関すると同じようなことだろうけれども、私は大正九年に昇格直後に東京商科大学に入ったんだけれども、あのころは辛酉記念日というものがありまして、五月十一日です。学校の記念日じゃないんですよ。一橋会の記念日なんです。そのときに先輩が立ってわれわれを、いまで言う洗脳してくれるんです。そのときに、わが東京商科大学の建学の精神、教育の基本方針はキャプテン・オブ・インダストリーの養成にあるんだと、こういうことです。キャプテン・オブ・インダストリーというのはカーラィルが使った言葉なんだと。カーライルがなぜそういう言葉を使ったかというと、経済学は悪魔の科学なんだと。これを救うものはキャプテン・オブ・インダストリーなんだと。これは企業はだれのものかということに通ずると思ううんですが。そういうことでたまたまあなたのような学者が商科から出ているということを伺って面白く思ったんだが、わが東京商科大学の建学の精神はキャプテン・オブ・インダストリーの養成にあったということ。これが少し行方不明になって ― (笑)
実はこれ自慢話になりますけれども、大正九年に私どもはそのことを非常な感激を覚えた記憶があるんですよ。キャプテン・オブ・インダストリー。私はいままでも、それをいつでも思いながら経営に当たりました。ところがそれが、これは秘中の秘だけれども、佐野学長が私に言われたのが、当時大学になったからキャプテン・オブ・インダストリーという教育の方針ではもう古い。学生四、五人、新入学生ですよ、集めまして、新しい建学の基本を懇談したいから集まれといって集められたことがある。そのとき私は、佐野先生に、先生、それじゃ何ということにするんですかと聞いたら、佐野先生が、ベストスチューデントと言うんです。私は猛然と反対したんですよ。ベストスチューデントたらしめざらん大学はどこにありますかと。そういうどこにも共通するものでなしに、キャプテン・オブ・インダストリーでいいじゃないですかということで猛反対した記憶がありますが。それは何かの座談会に出しました、一橋の歴史の中に。そういうことでわが一橋大学は、いつのときかわかりませんが、キャプテン・オブ・インダストリーということを建学の精神にしているわけだ。それがあなたのおっしゃる、いま企業はだれのものかということに相通ずるものであると思って、それを教えたのが上田先生であるし、それと違いますけども、あなたが経営、経営とおっしゃったが、経営の失敗した例が二つあります。大きなのが。しかもその大きな二つの経営の失敗した原因は労使関係でしょう。労使関係がなっていないと非常に悪い状態になる。日航のあの大事件のときに指名ストライキをやっている、一部の人が。だから経営における人的問題。ヒューマンリレーションの問題。労使関係というものを特に重視する必要があるんじゃないかということを感ずる。それについてキャプテン・オブ・インダストリーを連想しましたから、質問になったかどうかわからないが、上田先生のことを思い出してくださいよ。
伊丹 わかりました。
― 最近環境の変化に対応する経営を考えていかなければいかんということで、非常にわれわれの事業の中でさっきからマネージメントの問題の中で自由と規律の問題です。これは非常に出てくるわけですけれども、ソ連の経済、アメリカの経済、日本の経済、いろいろと風土が違うと思いますけれども、人間を中心とした集団の組織論。この中で、最近『毎日新聞』から出た出版文化賞もらいました『ヒューマンサイエンス』という本、五巻ありまして、私、いま四巻読んでいるんですが、非常に示唆に富むあれがあるんです。その中にホロンという言葉が出てくるんです。これは二十一世紀を踏まえた新しい組織哲学である。こういうふれ込みなんですけれども、先生がさっきおっしゃいました新しいトレンド。こういう問題、非常に一橋大学がバラ色に富んでいるというイメージを持ったんですけれども、先生の一橋の将来の展望を踏まえて経営学、学と言わなくても、いわゆる昔のわれわれが習った、茂木さんのおっしゃった、いわゆるキャプテン・オブ・インダストリー。こういう問題と踏まえて、いわゆる組織というもの、マネージメントというものの縦の関係の問題をどうこれから展開していくか。これについて何か示唆を与えていただければありがたいと思うんですけど。
伊丹 非常に正直に申しまして、私の方が示唆をいただきたいくらいでして、自由と規律の間の揺れ動きをどういぅふうに本質的に理解していったらいいかということについて私も途方に暮れております。
それが、例えばホロン全体子というような考え方でうまくいくのかどうかという一抹の不安を感じております。私もその『ヒユーマンサイエンス』シリーズを読みましたし、うちの大学にもホロンというような考え方を一つのベースに経営学をつくっていくのが必要だとおっしゃられる方もおられます。その方がそういうふうに思っておやりになるのは、確かにそれで成功するかもしれませんので一向に構わないわけでございますが、もう少し私としてはホロンという関係に統合しない前の、これはホロンと申しますのは周りとの関係も考えた上での個人というようなイメージで人をとらえるという。つまり周りから単独に存在しているような個人を考えた上で、それを理論のビルディングブロックにしないんだというような考え方でございますが、もう一つ私には理解がよくできない考え方です。正直に申しまして。周りとの環境を考える個人といったら、やはり最初に個人があるんです。何かその辺がすっきりしませんので、ああいうことを日本で盛んに言っておられる東大の清水さんなんかと壷共著の論文でも書いてみようと思っているんですが、激論を闘かわせているうちにお互いに理解できるんじゃないかと思っております。
ホロンに関してはそういう感想を持っておりますが、自由と規律の問題の揺れ動きというのを基本的な立場としてどう考えたらいいかというのは、この二、三年やっと考え始めたばかりでございまして、何も語るべき内容がないというのが極めて正直なお答えでございます。申し訳ございません。
― 一橋大学の今井先生の御関係であったと思いますが、『ビジネス・レビュー』に於いて日本電気の小林会長とのインタビューの速記録が出ておりましたが、私は初めて読んでうれしいというか、わかるし、ぴったりくるものが活字になるような世の中になったなということを考えました。
それでもう一つは、よくここまで学者としてのお方が企業の実態まで非常に、一歩二歩相当踏み込んでこられたなと。結局は小林さんがこれは相当泥を吐かせられたと私は感じました。それに関連してすでに「一橋の学問を考える会」という、こういう非常に一つの立派なモデルではないかというようなものも育って相当発展してきておりますが、こういう形だけのものでなくてもいいのではないかと。もっと大学の先生、その辺の方が相当多数御出席をいただく。それから、また各企業からも、希望者あるいは指名されても結構ですが、そういうようなものが出まして、かんかんがくがくのいろいろなことをお話し合いをさしていただくというようなふうに進んでいくというようなことについてはどんな感触をお持ちになるのでしょうか。
伊丹 大変むずかしいテーマでございますが、まず冒頭の『ビジネス・レビュー』という雑誌に経営フォーラムのような格好で、経営者の方のインタビューだけでなくて、若手の方、しかも実業界におられる方たちの書いたものを載せるような、そういう試みについてはすでに始まっておりまして、大体毎号実際ビジネスの世界におられる方がお書きになっておられますので、その点についてはこれからも推進していくことを考えております。
もう一つ。うちの大学の教官が、卒業生がいろいろなディスカッションをする場に何らかの格好でもっと積極的に参加するような、そういう場所、づくりと申しましょうか、そういうことについては私どもがどういうふうなことができるのかよくわかりませんが、如水会を中心にそういうムーブメントが起きれば積極的に参加したいと思う教官はかなりいると思います。恐らく余り積極的でない人もおられると思いますが、(笑)かなりは積極的に参加したいと思う方がおられるので、実際にそういうことが起きればかなり活発な交流ができるというふうに私は考えております。
(昭和六十年十二月四日収録)