一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第五十号] ケインズ経済学の一橋における伝統と現状 一橋大学経済学部教授 美濃口 武雄

   はじめに

 御紹介いただきました美濃口でございます。

 御承知のように一橋大学は、昨年、創立百十周年を迎えたわけでございます。したがって一世代を三十年といたしますと、三代目を過ぎて四代目に入っているような状況にございます。

 この永い伝統の中で私が一橋に入りましたのは創立八十周年を迎えた直後の昭和三十三年でございます。この頃はちょうど二代目から三代目の交替期に当たっておりました。と申しますのは、私は中山伊知郎先生の最後のゼミテンでございますが、先生は私が学部を卒業すると同時に退官されまして、大学院では荒憲治郎先生のゼミに籍を置いております。したがって一橋の経済学は二代目から三代目にバトンタッチされた、そういう時期だったわけです。

 ちなみに現在は三代目から四代目へのバトンタッチの時期でございまして、一昨年は小島清先生、今年は大川政三先生、そして三年後の六十四年には荒憲治郎先生、宮澤健一先生、そして種蘭茂先生が御退官の予定でございます。

 そこで「ケインズ経済学の一橋における伝統と現状」というお話でございますが、私が直に受け継いでおりますのはほとんどが三代目の先生方からの伝統でございます。それ以前の先生方からの伝統と申しますと、これは書物で読んだり、あるいは二代目ないしは三代目の先生方から私が伺っているお話で、間接的に知っている、そういう伝統にすぎません。そこできょうのテーマの「伝統と現状」について申しますと、やや 「現状」の方にウェイトがかかるかもしれません。その点御容赦いただきたいと思います。そして、なおこの伝統につきましては私にとってはまだいろんな知らないことが多々あると思いますので、どうぞ今日御出席の諸先輩に御教授いただきたいというふうに考えて
おります。

 そこできょうのテーマについて本題に入ります前に、なぜ私がケインズの経済学に関心を持ったのかというようなあたりから話を始めさせていただきます。

   一橋に於ける経済学史研究

 ところで私の大学での担当の講座は経済学史という講座でございます。この講座は前任者の馬場啓之助先生から私が受け継いだものでございますけれども、この経済学史という講座は大正五年に東京高等商業学校の頃に福田徳三先生が初めて担当されたものでございます。御参考までにその後の担当者を御紹介いたしますと、福田先生が慶応に移られた後は、九州から客員で来られました高田保馬先生。昭和に入りましてからは大塚金之助先生、上田辰之助先生、杉村広蔵先生、高島善哉先生、杉本栄一先生、山田雄三先生、そして坂田太郎先生とそうそうたるメンバーでございます。こういった諸先生方の中で大塚先生、杉本先生、高島先生、山田先生、この四先生はいずれも福田先生の門下生でございますが、このように福田先生の門下生に学史の担当者が多い理由について井藤半弥先生がこういうふうに説明しておられます。

 「学生時代ゼミナールで外国の文献を忠実にかつ正確に読む慣習を身に付けさせられた。そのことのために先生の門下生の多くは学説史の研究に関心を持った。」

 他方、学史を担当された諸先生方に共通する特徴がございます。これにつきましては杉本栄一先生が「一橋経済学の七十五年」という『一橋論叢』 の七十五周年記念特集号でございますが、その中でこういうことをおっしゃってお
られる。その特徴というのは「万遍なくあらゆる学派について述べる。この点が本学の経済学の他学の経済学に対する特徴である。しかもこういう学風は福田先生から出ている。」したがいまして私も本学の伝統にしたがって、大学の講義では、マーカンティリズム、フィジオクラートあたりを初めとしまして、スミス、リカード、J・S・ミル等イギリスの古典派経済学、マーシャル以降の新古典派経済学、そしてメンガーとかワルラス等の大陸の経済学といったものも取り扱っております。

   ケインズ経済学への関心 ― その動機と理由

    (1)
 それにもかかわらずなぜ私がケインズ経済学に関心を持ったかという理由ですが、その第一の理由は、わが国で一番最初にケインズの経済学を導入したのは一橋であったという点にございます。具体的には鬼頭先生が翻訳されましたケインズの 『貨幣論』がそれでございます。翻訳に当たられまして、先生はケインズと直接に書簡を交わされまして、特に 『一般理論』が出版されます二年前の一九三四年六月にはケインズから、「貨幣の純粋理論と関連諸主題の書」として『一般理論』という書物をやがて公刊するであろうと、そういう予吾を受けておられます。しかも先生はケインズから『一般理論』 の書物を直接贈呈を受けまして、塩野谷九十九先生が昭和十六年に翻訳を出版されますかなり前にすでにこの書物を読みこなしておられました。その証拠に先生が昭和十七年に公刊されました『貨幣と利子の動態』という大変な名著がございますが、これはケインズの 『貨幣論』と『一般理論』 の総合を図った「貨幣経済の理論」だったからです。私は鬼頭先生のこの名著を、鬼頭先生の門下生であられた長澤惟恭先生から、私が学部の二年生のときに小平のプロゼミナールで先生のゼミに属しまして、A・H・ハンセンの『A Guide to Keynes』という書物を輪読しましたが、そのときに長澤先生から伺って知ったわけです。直接的には鬼頭先生の書物を読んでケインズに惹かれたと言っても過言ではないと思います。

 また学部三年のときには中山ゼミナールのサブ・ゼミナールというのが過に三回ほどありましたが、その一つでもって、当時まだ大学院生であられた田村貞雄さん、この方は現在早稲田大学の社会科学部の教授でいらっしゃいますが、その田村先生をチューターとしましてケインズの『一般理論』を初めて原典で読み感動いたしました。こういったことが第一の動機であります。

    (2)
 二つ目の理由は、経済学史を展開します場合に、ただ万遍なく講義をするというのではどうしようもない。何か視点というものが必要でございます。その場合にケインズの経済学という立場に立って学史というものを見てまいりますと、例えば重商主義の経済学ではケインズと同じように貨幣というものを重視をする。ところが重農主義やアダム・スミスになりますと、貨幣というのは単に交換手段にすぎない。むしろ重要なのは労働の年々の生産物であるというふうに実物重視に変わってくるわけです。そういうふうにケインズとの比較で学説の特徴が把握できるというところがメリットであります。

 私の前任者の馬場先生は、マーシャルの『経済学原理』のギルボー版の翻訳家として有名で、マーシャル研究では日本の第一人者でございますけれども、先生のマーシャル理解も実はケインズとの比較においてなされているところがあります。それはケインズ経済学の中で最も重要な利子論とかかわってくる部分ですけれども、先生はケインズの利
子論を「金利生活者的観点」から展開されたものであり、これに対してマーシャルの場合は「企業者的な観点」から展開されたものであると、こういう規定をしておられますけれども、このようにケインズ経済学の視点から学説の特徴というものをとらえることができるわけです。

    (3)
 第三の理由。これが私の本音ですけれども、ケインズという人間に私は実は惚れ込んでいるわけでして、そのことがケインズ経済学に惹かれていった基本的な理由です。

 御承知のようにケインズは大蔵省の官僚として第一次大戦後のパリ講和会議にイギリス政府の首席代表として出席をする。そういう意味では政治家であります。さらに、ザ・ソサエティとかブルームズベリー・グループという思想団体に属しまして、倫理学者のムーアの影響を受けて功利主義の哲学に疑問を抱き、そして自由放任の終焉を説く思想家でもある。さらに、大学時代にはケンブリッジを代表するボートの選手であります。この当時の過労が原因で心蔵発作にたびたび見舞われ後に命を落とすのですが、そういったようにスポーツマンでもある。

 さらにロシアの名バレリーナであるリディア・ロボコーヴァと結ばれるといったように芸術も理解するという幅の広さを持っております。こういったようにただ単なる経済学者ではなくて、政治家であってかつ思想家であって、そしてスポーツマンであり芸術を理解する。そういうスケールの大きさに実は私は惚れ込んでしまっているわけでして、これがケインズ経済学を勉強している一つの大きな理由なわけです。

 実は私が中山先生のゼミを選択しましたのも、先生が日本のケインズであるというふうに当時言われておりましたので、そういう意味で選んだわけですが、ただ、もう一つ理由がありまして、これが実は本音なんですけれども、父
の敵をとるため中山ゼミに入ったのです。

 と申しますのは、父は上田貞次郎先生の門下生ですけれども、本当は福田先生のところに行きたかったんです。ところが福田先生のゼミのゼミ選考をしたのが、実は当時の特研生であられた中山先生なんです。中山先生は私の父に対しまして、どうも君は福田ゼミにむかないから上田ゼミに行けと言われた。父はそういう指示を受けて・上田ゼミに入ったわけです。結果的にはそれは父にとってよかったと思うんですが。そこでひとつおまえ行って敵とってこいと言われて中山ゼミに入ったわけです。(笑)

   ケインズ経済学の一橋における特徴

 それではこれから本題に入りまして、「ケインズ経済学の一橋における伝統」をお話しするために、「ケインズ経済学の一橋における特徴」についてお話しをしてみたいと思います。

    (l)
 この点で最初に何よりも私が指摘したいことは、一橋におけるケインズ理解というのは非常に奥が深いという点であります。そのことは、具体的にはマーシャルの経済学の導入に始まります。マーシャルの『経済学原理をわが国でいち早く導入して紹介されたのは福田先生です。先生は慶応大学に移られましてから・マーシャルの『原理』をテキストに講義をされたというふうに伺っております。ただ正式には、大塚金之助先生が大正八年に『経済学原理』の翻訳を出版されたことが、一橋における、またわが国におけるマーシャルの経済学の最初の導入であったと言うべきだと思います。マーシャルの経済学がケインズの経済学と一体どういうふうにかかわっているかという問題、これは非常に難しい問題でして、そう簡単な答えは出ませんが、私は少なくとも次の二つの点で両者の間には非常に深い関係があると思っております。

 その第一は、マーシャルの経済学に有名な有機的成長の理論というのがあります。これは馬場先生が紹介しておられますけれども、この有機的成長理論というものは、経済というものが国民所得の循環を通じて成長していくんだ、そういう考え方をベースにしております。そういう所得循環という発想は同時にまたケインズ経済学の大きな特徴でもございます。ただ、マーシャルの場合にはどうすれば国民に分配すべきパイを大きくできるか。そういうことが主たるテーマでしたから、所得の分配、そしてその源泉としての生産、そういう観点で所得というものをとらえている。
ところがケインズは一国全体としての所得水準、あるいは雇用水準の決定ということが主たる関心でしたから、所得循環の流れの中でも企業のコスト面と収入面、つまり社会会計的な立場から把握をする。そういう特徴を持っております。そういう違いはあるにいたしましても、国民所得の循環構造を明らかにし、そして国民所得概念を確立したのはマーシャルが最初であったわけでして、マーシャルの経済学を知っていたということがケインズの経済学を理解する上で極めて大きく役に立っていると私は思うんです。

 その一つの具体例と申しますか、証拠としては、昭和三十四年に岩波書店から出版されました山田雄三先生の名著に、『国民所得論』というのがありますが、ここにうかがうことができます。先生のこの書物の第一章に「国民所得の巨視的・厚生的観点」というのがございますが、そこにおいて先生は国民所得循環を企業と家計を軸に四面から把握しておられますが、そのうちの二面がマーシャルのもので残りの二面がケインズのものであると。こういうふうに明確に規定をしておられます。これが第一の関連かと思うのです。

 第二のマーシャルとケインズの関連と申しますのは貨幣の理論であります。マーシャルは貨幣数量説論者の交換方程式とは違いまして現金残高方程式、これを最初に考え出した、いわゆるケンブリッジ現金残高方程式の始祖であります。この現金残高接近を修正し、かつ拡充したものが実はケインズの流動性選好説であったわけで、したがいましてこの点でもケインズはマーシャルの伝統を受け継いでいる。ここでもマーシャルの経済学を知っていたということがマーシャル以降の貨幣経済学の発展、特にケインズ理論のh発展を理解する上では非常に役に立っているというふうに思います。

 その一つの証拠ないしは具体例と申しますと、勁草書房から、小泉明先生と高橋泰蔵先生が共著で出版されました『交換方程式と現金残高方程式』という書物がありますが、この中で両先生は、マーシャルからケインズに至る貨幣理論の発展過程を見事に描いておられます。

 以上のように、マーシャルの経済学がいち早く一橋に導入されたからこそ、私は一橋のケインズ理解には極めて深いものがあるというふうに考えるんですが、実は同じような感想をすでに上田辰之助先生が述べていらっしゃる。それは一橋創立七十五周年記念号の『一橋論叢』 の座談会の席上であります。この席上先生はこういうことをおっしゃっています。「ケインズを今随分大騒ぎしているけども、マーシャルの翻訳があったからこそである。このことが大前提である。そうすると大塚先生の功績は実に大きい」。

 このように大塚先生の功績はケインズを理解する、あるいはケインズとの関係で大きいものがあると思いますけれども、もう一つ忘れてならないのは、杉本栄一先生が編集されたマーシャルの『経済学選集』です。これは昭和十五年に杉本、中山、高島、板垣、山田、金巻の諸先生によって分担訳出されたものですが、特に巻頭にあります杉本先生のマーシャル解説は非常に優れたものでして、一橋におけるマーシャル研究の水準の高さを示すものだと私は思
っております。

    (2)
 さて一橋におけるケインズ経済学の第二の特徴ですが、これはイギリスからの直輸入であってアメリカからの間接輸入ではないという点であります。東京大学の早坂忠先生が『戦後日本の経済学』という書物を出していらっしゃいますが、その中でおっしゃっておりますように・「敗戦による米軍の進駐とともに、戦時中海外との通路を断たれていた日本の経済学界には『一般理論』の解釈を含めて、戦争中に飛躍的な発展を遂げた米国の経済学がせきを切ったように流れ込んできた」こういうことをおっしゃっております。したがいまして戦後のケインズ経済学を学んだ多くの人々は、実はイギリセからのケインズ経済学でなくて、アメリカナイズされたアメリカのケインジアンの経済学を学んだわけでございます。

 具体的に申しますと、ハンセンの『ケインズ経済学入門』、クラインの『ケインズ革命』あるいはサミュエルソンの『経済学』等であります。このうちクラインにつきましては富澤健一先生と篠原三代平先生、サミュエルソンの『経済学』は都留重人先生が翻訳をされておられます。こういった著書に共通の特徴は、現在ケインジアン・クロスとして有名な四十五度線を使った所得決定論でございますが、これはサミュエルソンが一九三九年に「加速度原理と乗数の総合」こういう論文で初めて描いたものです。この所得決定論からしますと、民間投資が仮に利子率に反応できないとしますと、GNPを高めるためには公共投資等の政府支出が必要である。そういうわけで政府の赤字財政が正当化できる。恐らくサミュエルソンはそういう意図のもとに、『一般理論』のうちの「有効需要の原理」に焦点を当てましてケインジアン・クロスを描いたのではないかと私は推測しております。

 ところが直輸入した一橋のケインズ解釈は全くこれとは違っております。先に指摘しました鬼頭先生の解釈ですが、これは何よりもケインズ経済学をマネタリー・エコノミクス、「貨幣経済学」として把握される。そして流動性選好説にケインズ経済学の革新性を求めるという点が特徴でございます。私の前任者の馬場啓之助先生の場合にも同様でして、先生が昭和四十二年に東洋経済新報社から出版されました『近代経済学史』 の中で、「本書の特徴はケインズ経済学の革新の意味を解釈する上で、その利子論の役割りを重視した点にある。これはケインズの貢献は何よりも消費関数すなわち乗数理論の開発にあるとみるA・H・ハンセン等の解釈とは違うものである」と、こういうふうにはっきりと言っておられます。

 また、かつて私は学生時代に中山先生の最後の御講義を伺ったわけですが、その際先生がこういうことをおっしゃったのを非常に強く印象的に覚えているのですが、それは、「利子率ないし金利の一〜二%のわずかな動きといったものが資本主義経済の命運を握っている。そういうことを明らかにしたのがケインズの功績である」 こういうことをおっしゃっているわけです。

 実は最近、マネタリストたちが合理的期待仮説とか、あるいは自然失業率仮説であるとか、あるいはクラウディング・アウト論といったものを展開しまして、ケインズ的な財政政策の有効性を否定しようとしております。確かにケインズは公共投資を提唱しておりますけれども、それは一九二〇年代、三十年代の一〇%を超える大量の失業者に対しまして、ただ単に失業手当を与えて労働者を遊ばせておく、そして財政赤字に苦しむ、そういうのは困る。そうでなくて、労働者に仕事を与えて働かせる。そうすれば失業手当は要らなくなる。しかも公共投資によってGNPは拡張するから税収はふえて逆に財政赤字はなくなる。こういうことを言っているわけです。ですから巨額の失業手当、そういうものとの代替案として公共投資を提唱しているという点に御注意を願いたいと思うわけです。しかしケイン
ズは公共投資だけを主張していたわけではございません。むしろ彼が一貫して主張しておりましたのは、公開市場操作を通ずる利子率の引き下げです。それによって民間投資を喚起しようというポリシーです。ただ、資本設備が遊休化している状況の中でなお一層の投資をせよというのは非常に奇妙に聞こえます。

 と言いますのは、確かに投資というのは有効需要という面からGNPを拡張しますけれども、やがては資本設備として顕在化し供給能力がふえてきます。そうしますと供給力を活用するためになお一層投資をしなくてはならない。そしてこの投資がさらにまた供給力を高めてしまう。したがってアキレスとカメではありませんが、いつまでたっても需要は供給に追いつかない。そういう矛盾が生じます。そこでアメリカのドーマという学者が投資の二重性ということを言いまして、ケインズ政策は自己破滅的である、そういうことを言ったことがあります。しかし実はこれはケ
インズに対する誤解であります。

 と申しますのは、ケインズが不足していると見ておりました投資は設備投資ではないんです。住宅投資でございます。つまりケインズは、当時のイギリスにおきましては、消費面ではほぼ満足すべき状況にある。しかしまだまだ住宅事情が良くない。ですから住宅をふやし改善することによって初めて国民一般の福祉が高まると、こういうふうに言っているんです。これは実は『一般理論』には書いてございませんが、一九三四年の確か十一月に書きました「ポヴァティ・イン・プレンティ」というこれは『リスナー』という雑誌に載ったものですが、その諭文の中ではっきりケインズはそう言っているんです。自分が言っている投資というのは決して設備投資ではない、住宅投資であると。
したがって不足する投資が住宅投資だとしますと、いま述べましたような供給力や生産能力を高めるという効果は全くないわけです、ですから投資の二重性という問題はないのであります。しかも住宅の場合には借金契約というのが非常に長期にわたります。ですからわずか一%の利子の引き下げでも大きな効果を持つ。例えば、三千万円の住宅を
買うために二十年間借金をしたとします。そうすると二十年後に元利合計を払うという想定のもとでは、一%の利子の変化というのは、単利で計算しましても年当たり三十万円、二十年間で六百万円でございます。恐らく複利では一千万を超えると思うんです。非常に大きな効果を持つ。このことからケインズは、金利の引き下げが好ましい。しかも効果的だと、こういうふうに見ていたわけであります。ところが実際には利子率がなかなか下がらないし、下げにくい。なぜか。その理由を説明したのが、私は『一般理論』であったというふうに考えております。それは具体的には「一般理論』の第十七章の貨幣と利子の性質を説明したところであります。実は『一般理論』という書物は正確には『雇用・利子及び貨幣の一般理論』であって、私は力点はむしろ利子と貨幣にあるというふうに思っているんですが、それは先ほど御紹介しましたように、ケインズが鬼頭先生宛ての書簡の中で、『一般理論』をこれは「貨幣の純粋理論と関連諸主題の書」であるというふうに言っているところからも明らかです。
                                   
 ところで利子率がなかなか下がらない、下げにくい理由は、ケインズの説明ではこういうことなんです。利子率はケィンズの場合にはストックマーケットでの貨幣に対する需要と供給に依存しております。ですからデマンドが減りサプライが増えれば金利は下がるんです。ところがなかなかそうはいかない。なぜか。まず需要面で申しますと、貨幣というものには流動性という便益があります。ところが反面でキャリングコストがかからない。持越費用が全くかからない。ところが商品であれば在庫で保有しようとする場合に保管料とか、あるいは商品のいたみとかのキャリングコストがかかってきます。ですから保有による収益性があるとしましても、どこかでコストによって相殺されて適正在庫が決まってくるわけです。ところが貨幣には流動性という便益を相殺すべきコストがないために、幾らでももたれちゃうわけです。特に証券市場において証券の価格が一体将来上がるか下がるかわからない、非常に不確実な状況のもとでは、金利生活者は証券投資を控えて、とりあえず貨幣で持っていて証券の購入に関する意志決定を先に延
期する。将来に延ばすわけです。そこで貨幣の需要が一向に減らないし利子が下がらないということは需要面であるわけです。

 他方、貨幣の供給面はどうかと申しますと、貨幣というのは商品と違って需要に応じてオートマティックに供給されていくものではないわけです。さらにまた貨幣の代わりに何か別のものを使う、不足を補うということもできない。
ケインズの表現を借りますと、供給の弾力性はゼロであり、代替の弾力性はゼロであるとか言っていますが、要するに商品の供給とは全く違うプリンシプルが貨幣には働く。したがって供給は固定しやすい。もちろん公開市場操作を通じまして供給をふやすことはできます。しかしそれはあくまでも金融政策を通じてであって、オートマティックに金利が下がる、貨幣の供給がふえるという機構が働かないわけです。このように供給がオートマティックにはふえず、そして需要が減少しない。そのために利子率がどうしても高どまりになってしまう。そこでケインズは、貨幣を退蔵する金利生活者を資本主義経済のガンであるというふうに考えたわけです。有名な「金利生活者の極楽往生」という言葉はこの気持ちをあらわしたものでございます。

 私のこういうケインズ理解も、実は一橋の伝統に沿ったものでございまして、アメリカのケインジアンたちから間接輸入されたケインズ経済学では出てこない解釈だというふうに思います。

    ケインズ経済学の現状 ― 特に研究会“HOPE″について

 そこで次にケインズ経済学の一橋における現状についてお話ししてみたいと思います。ただ、現状ということになりますと、一橋というふうに限定をするのはどうも私は困るのです。と申しますのは、私は今日ではもう一つの大学の中で静かに閉じこもって勉強するのではだめで学問は進歩しない。むしろいろいろな考え方の違うよその大学の先生方と一緒に勉強し議論した方がいいんではないかというふうに考えまして、十五年はど前にHOPEという研究会をつくって、そこで報告をしたり、あるいは論争したりして、その成果をまとめて本を出版しております。そういうわけで、まずHOPEとは何ぞやという説明をさせていただきます。
HOPEと言いますと煙草の名前を思い出しますけれども、−これはアメリカのデューク大学というところから出ておりますHistory of Political Economyという学会の季刊誌がありますが、その頭文字をとったものです。この研究会はいまから十五年はど前に慶應大学の松浦保先生の呼びかけで設立されたものでございまして、設立当初の発起人は、早稲田から岡田純一先生、柏崎利之輔先生、上原一男先生のお三人。東大から早坂忠先生と玉野井芳郎先生、そして一橋関係では私と、一橋出身で東京女子大学教授の宮崎犀一先生がそうであります。その後メンバーに若干異動がありまして、現在よく御出席いただいておりますのは、東大の早坂先生と根岸隆先生、それから本学関係では創価大学の佐藤隆三先生、学芸大学の長谷田彰彦先生、それにきょうお見えの西川先生等々でございます。事務局を一橋に置きまして私が担当しておりますが、現在会員は約百五十名はどおります。

 この研究会は矢野記念館があった当時は如水会館でやっておりました。ところが旧館の取り壊しによってその後は早稲田に舞台を移しまして早稲田大学を中心にして勉強会をやっております。早稲田にはかつて中山先生、都留先生にもおいでをいただきまして、中山先生には、日本における近代経済学の導入の歴史、都留先生には、アメリカ留学時代のお話等々伺ったことがございます。そのときの講演はテープにとらしていただきまして、すでに十年はど前に私と早坂先生が編集しまして、日本経済新聞社から『近代経済学と日本』と題しまして出版をしております。最近では、昨年ですが、山田雄三先生や板垣先生にも来ていただいてお話を伺っております。

 この研究会には二つの大きな研究テーマがありまして一つは、西欧における経済学の発達の歴史であり、もう一つが、わが国における西欧の経済学の導入史であります。ところが七、八年前からこの研究会の中で別にケインズ研究会をつくろうという動きが出てまいりました。

 その第一回の研究会を、私と学芸大の長谷田先生とが報告者となりまして、竹橋会館で行ったことを記憶しております。この研究会のメンバーは非常に多士済々でございまして、一般均衡論では世界的に有名な東大の根岸先生、わが国における経済学の歴史に非常にお詳しい東大の早坂先生、日本銀行からは金融の実際に明るい西川先生。それから、杉本栄一先生の門下生で中央大学の浅野栄一先生、マネタリストで有名な創価大学の加藤寛孝先生、経済哲学者で同じく創価大学の佐藤隆三先生、ケインズ研究家で専修大学の平井俊顕さんそれにジェムズ・スチュアート研究家で有名な若手の早稲田の大森郁夫さん、そして私といった、こういう具合であります。

 この研究会での最近の成果は、先頃多賀出版というところから、『ケインズ主義の再検討』として公刊しております。

 この研究会を通じまして最近のケインズ研究の特徴を申しますと、一つの方向は根岸先生に代表されますように、一般的均衡の枠内でケインズ経済学を再構成、あるいは再解釈しようという動きがございます。

 もう一つは、最近近ロイヤル・エコノミックソサエティからケインズの全集が出ておりますけれども、そういったケインズの書いた文献を丹念に読んでケインズの思考の発展のあとをたどってケインズの本質をつかんでいこうと、そういうようなアプローチがもう一つあります。

 もう一つのアプローチは、マネタリストという立場からケインズ経済学に批判を加えようとするもの、こういう方向があると思うんですけれども、私たちのこの研究会は実はケインジアンが非常に優勢でして、この第三番目の流れ
はやがて消えてしまいました。

 ところでケインズ経済学を−般均衡論の立場からとらえ直そうという動きは、すでに以前からアメリカのレイヨンフーヴッドなどによって行われております。わが国でもいまだに一っの流行を生んでいるわけですが、東大の根岸先生はその旗頭であります。先生はそのようなお立場から、『ケインズ経済学のミクロ的基礎』という書物を出版しておられます。この書物につきましてはケインズ研究会で私がコメントをし、また一橋経済研究所から出ております『経済研究』という雑誌に私が書評を書いております。

   ケインズ研究に関する私見

 そこで私なりにこういうケインズ理解の方向が正しいのかどうかということを申し上げたいと思うわけです。

 ところで経済というものを見る場合、ケインズは巨視的な立場に立って、所得循環、あるいは貨幣的循環の世界、そういう世界をとらえている。それはマーシャル以降のケンブリッジ経済学の伝統の中で形成された一つの見方であったわけです。ところが一般的均衡論を初めに確立したワルラスの場合には、経済というものを見る場合に若干視点が違っております。それはむしろ原子論的な個々人の間の財やサービスの交換の世界、こういう見方なわけです。つまり一方は貨幣的な循環の世界というものを見ている。他方はむしろ実物的な交換の世界というものを見ている。そういうふうに経済を見る視点というものが全く違うわけであります。ケインズ的な貨幣的循環の立場に立って見ますと、そういう貨幣的循環の世界でたとえば失業といった問題が起こるとしますと、その循環の中でどこかにとどこおりが出ている。つまり貨幣がスムースに循環していかない。そこに問題がある。こういうふうに判断するわけです。

 ところが交換の立場で見ますと、物が売れないのは価格が下がらないからである。あるいは失業が生ずるのは賃金が低下しないからだと。こういうふうに理解するわけです。このように全く診断が違ってくる。事実、根岸先生の『ミクロ的基礎』という書物の中では、価格が下がらないのが問題である。その理由は寡占的な価格形成にあるといって、例の有名なポール・スウィージーの屈折需要曲線というものを持ち込んでくるわけです。こういう考え方は『一般理論』以降の新古典派総合でも同じでして、要するにケインズの不完全雇用均衡というものは、賃金や価格が下がらないからである。あるいは利子が低下しないからである。そういう価格の下方硬直性というものに求める。これが一般均衡論的な解釈の特徴であります。

 しかしながら、ケインズ的な所得循環。あるいは貨幣循環の世界では、例えば貸金を下げますと家計の所得が減ってしまう。所得が減れば価格を下げなきゃ物が売れない。したがって企業の収入が減ってしまう。確かにミクロ的な個別の企業の観点からしますと、賃金を下げればコストは下がる。したがって利潤はふえるというふうに見がちですけれども、マクロ的な循環の世界ではそうはならないわけです。つまり賃金の低下というのは所得循環の流れを縮小させてしまう。そして企業の収入もコストに比例して下げてしまう。変化は全くないわけです。したがって全体として見れば費用も減るけれども収入も減るから収入は増加しない。しかも企業というのは生産に先立って貨幣資本を投下しています。したがって物価が下がりますと貨幣資本の実質価値が高まって実質金利が上昇してしまいます。ところが逆にマイルド・インフレーションの場合には、常に安く買って高く売ることが可能である。実質金利を下げることができます。したがって生産は刺激される。そういう意味ではケインズおよびケインジアンというのは、デフレを嫌うという意味ではインフレ論者であります。ケインズは、『貨幣改革論』という書物を出しておりますが、その中で、インフレ、デフレともに悪いけれども、どっちかというとデフレの方が悪い。そのようにはっきりと価値判断を
している。その理由というのは、「インフレによって金利生活者に損失を与えるよりはデフレによって失業を生むことの方が経済厚生上悪いんだ」と、そういう判断です。

 このように貨幣的な循環の世界で考えてみますと、賃金カットでは失業というものは解決ができない。そこでケインズは企業の収入をふやすために民間投資、特に住宅投資を喚起するために金融政策を用いて利子を下げる。こういう提案をしているわけです。私は何も一般均衡論の有効性、有用性を否定する者ではございません。恐らく一般均衡論というのはワルラスが考え出した当時は裁定行為、アービットレイジというものを説明するためだったと思うんです。つまり三国間の三角貿易の利益を説明するとか、あるいは為替の裁定すなわちポンド、ドル、円の間の間接交換の利益、あるいは金利裁定行為を説明する。そういった裁定行為を説明するためには非常に有力な鋭い武器であります。ですから貿易論とか為替論につきましては非常に有用であるというふうに思うんですが。しかしこういう立場からの接近ではケインズは理解できませんし、失業問題の解決もできない。資本主義経済の救済もできないというふうに私は思っているわけです。

 実は、この点と関連しまして、かつて鬼頭先生が、『貨幣と利子の動態』をお出しになったときに、これを実は博士論文にしようと思っておられた。ところが当時の一般均衡論者の代表である安井琢磨先生がこの書物を一般均衡論の観点から徹底的に批判された。そのために博士論文とはなし得なかったと、こういう話を、私はかってうかがったことがあります。

 ところが同じ一般均衡論者であっても、中山先生は全くこれとは違った解釈をしておられる。例えば昭和二十八年の 『季刊理論経済学』という学会誌がございます。そこで行われました「貨幣的経済理論の再検討」という安井先生との座談会なんですが、その席上で先生は、ヒックスの一般均衡論的なケインズ解釈に触れましてこういうことをお
っしゃっている。「ケインズのように初めから貨幣経済というものを考えるのとは違って、ヒックスは実物の世界に貨幣の世界を接ぎ木をしているだけである。その点では古典派的だと」こういう趣旨の発言をされております。これは恐らく中山先生の場合には鬼頭先生の影響が非常に強かったんだろうというのが私の推測でございます。あるいはまたさっきの博士論文事件について、先生が鬼頭先生をおかばいになったというふうにも私は思っております。

   むすぴ

 このように、一橋のケインズ経済学の伝統には極めて奥の深いものがあるわけです。その素晴しい伝統の中でケインズを学べたということは私にとって非常に幸せだったというふうに思っております。
ひとまず、簡単ですがここで切らせていただきます。


     質 疑 応 答

 ― 私、横浜商業専門学校(現横浜市立大学)へ昭和十五年に入り、塩野谷先生がちょうど『一般理論』を翻訳しておられる真っ最中だったと思うのですが、塩野谷先生のゼミナールに入れていただきまして、『一般理論』を輪読するというか、時代が時代ですから原書が学生の数だけ、というよりも全然手に入らない状況でして、それを小樽高商の某教授がザラ紙にタイピストに打たした海賊版を先生が学生に配ってくださって、塩野谷先生がそれを―先生は本物を持っておられるわけですが、使わせてやっておりまして、その後私は一橋に入り塩野谷先生の御推薦で鬼頭仁三郎先生のゼミナールに入れていただいたのですが、鬼頭先生に教えていただいているうちに戦争になり、軍隊から戻ってまた鬼頭先生のところへ。残念ながら戦後早々に鬼頭先生が亡くなられましたので、いま美濃口先生のお話を伺っておると鬼頭先生のお顔が目の前に浮かぶような気がいたします。

 一つだけ、質問というよりは ― ちょうど私が国立へ入った頃は金融論の講座は山口茂先生がマネタリズム的な立場の経済学を展開しておられたように思うのですが、鬼頭先生はそのとき国際資本移動論というのを、昭和十七年でありますけれども講座を持っていらっしゃいまして、ああいう非常に閉鎖経済的な国際経済というものが全然ない時代に鬼頭先生が丁度戦後のいまの時代を予測したかのごとき国際資本移動論という二種通貨間の変動する為替相場を踏まえた一つの理論を展開されようとしておられたように伺われたのですけれども、美濃口先生、その点をどういうふうにお考えにならていらっしゃいますでしょうか。ただ、現状例えばケインズの経済学というのは、いままで拝聴した限りでは一国の国民経済内における雇用ないし貨幣の動態といいましょうか、そういうことでしたので。

 美濃ロ ケインズの経済学というのはクローズドエコノミーだけを対象としているというようにお考えでしょうが、これは実は『一般理論』だけです。と申しますのは、この当時はイギリスはブロック経済でしたから、そういう点ではクローズド・システムで良いわけです。ところが『貨幣論』では遵うんです。むしろオープンです。そこではむしろ国際資本移動が問題になるわけでして、特に当時はアメリカが高金利でイギリスは金利を下げにくかった。下げると資本がみんな逃げてしまうからです。そこでケインズは、金利を下げられない状況の中では公共投資をしないとえらいことになる。つまり国内の資本を使ってやらないといけないんだというふうに言っているわけです。
それから、それ以前の『貨幣改革論』ですが、あそこでもそうです。つまり当時は金本位制から管理通貨制に移る時代でしたけれども、ケインズは金本位制に移してしまうと、金はアメリカに全都集まっていますから、結局アメリリカの力によって金平価が決まってしまう。これは恐いというので反対しているわけです。ですからケインズは『一般理論』以外のところでは、むしろオープンな議論の方が多いと私は思っております。恐らく鬼頭先生は『貨幣論』を読まれていたから国際資本移動に関心を持たれたのではないでしょうか。

  私は実社会に出ておりまして存じませんが、最近一橋の非常勤講師をやっている友人から聞いたところによりますと、四つの学部の関連が、経済学部の学生は経済学部のカリキュラムしか取れない。商学部の方へ行けないというようなことを言うのですが、われわれが東京商科大学のときには、経済学を勉強したい者も法学部のゼミナールを持っている者も行けましたし、それから、私は中山先生のゼミナールにおりましたけれども、また保険論とか、あるいは法学部の田中先生の法律を聞くこともできたわけですが、そういう社会科学の総合大学というような理念が実は単科大学にはあった。しかしそういう理念を持っているいまの一橋大学には、経済学部は経済学の教授しか聞けないというような学制になっているやに承るのですけれども、一橋の学問としてそこら辺の現状についてお教えいただきたいと思います。

 美濃口 ちょっと誤解があるように思うのですが。と申しますのは、いまの教育体制と申しますのは、後期の三年に行きますと十・四・四システムと申しまして、最初の十は、例えば経済ですと経済学部から取る。真ん中の四は他学部から必ず取る。最後の四は何でも自由だと、こういう制度なんです。ですから少なくとも最初の十以外は他学部の科目を取れるわけです。たとえば商学部の金融論であれば最後の四で取れますし、真ん中の四でも取れます。ですから、そういう意味では決して経済学部の学生は経済学だけを勉強しろというような制度にはなっておりません。

 ただ、最近、大学の学問が専門化してきまして、学生の方で専門の話がもうわからなくなっているわけです。つま
り、他学部ですと経済学を専門にやっている学生について話している経済学ではわからないわけです。むしろ教養課程ぐらいのやさしい経済学が必要なんでしょうが、そういう意味でのサービスが後期課程にはないわけです。ですから法学部で憲法を聞く場合には、司法官試験を受ける学生が聞いている憲法を経済学部の学生が取らなければならない。こういう状況なんで、どうしても学生の方が取りにくいんです。これはわれわれ教師に責任のある面もありますけど、学生が逃げてしまう、取らないという面も実はあるんです。ですから制度的にはおっしゃっていることにはちょっと誤解がありまして、実際上は取れるようになっております。

 実はいま経済学部では教育改革をやっている最中なんですけれどもそれはどうしたらこういう状況を克服できるかということについてです。たとえば法律ですと、憲法なんか一番難しいですから取らないで外交史、ああいうものを学生は取るんです。法律と全く関係ないところを選ぶ。そういう傾向がありますので、これはまずいというので、なるべくそのゼミの先生が指導しまして、自分のゼミの授業に関係ある、例えば私でしたら金融論を取れというふうに指導すべきだということをいまやっております。

  大変いいお話を承りましてありがとうございました。全面的に同感で御質問は何もなくて、いまこれから昔の思い出というようなことで。私も鬼頭先生の門下です。それから今度鬼頭先生の本を新しく出版をされる。安井先生の御感想を伺っているわけでして、いろいろな意味で懐かしいです。

 それから中山先生、実は私自身の思い出になりますけれども、アメリカからの間接輸入のケインズ経済学の口火を切ったのは日本銀行だったわけです。あれは大体終戦直後でございます。先はどお話がありましたような本がないときに日本観行、司令部を通じてあの本を大量に回してもらったようなことであって、アメリカの間接輸入のはしりでございまして、その頃私どもそれを持っていて翻訳していたわけです。

 そのときの思い出なんですけれども、翻訳自身のこともございましたけれども、ケインズというものをそもそもどう理解するかということで翻訳の分担者で勉強をやっていて、年の順番でいきますと、高田保馬先生、中山先生、安井先生、塩野谷先生、多数の先生おいでいただいて、ケインズとは何ぞやということを度々伺っております。

 その中で一番印象に残るのは、いろいろあるのでございますが一つは中山先生と安井先生の対立です。先ほど根岸先生のマクロ経済学、あれを思い出しますし、それから鬼頭先生の非常にマネタリーの解釈。それが大論争になりまして、もう全くのけんか別れで、安井先生は激しい言葉をお使いになられる方ですけれども、非常に印象が深いんですけれども、一言だけ申し上げますと、ケインズは要するに『貨幣論』だということを中山先生、昭和二十二年か三年頃。要するに貨幣論、それを物とかに広げる。そういうことで徹底して、確かトウ・マッチ・マネタリーという表現を使う。安井先生がトウ・マッチ・ノンマネタリ1という(笑)ケインズ解釈をなさるんですから。そのトウ・マッチ・マネタリーという言葉を使われて激しい論争を。われわれ聴衆の方がだんだんわからなくなりまして、二人の大げんかになったことを思い出すのですが、そのことを私も何かに書いた思い出がございますけれども、中山先生のケインズ観は非常にそうであるということ。

 私も戦前派の第二世代から第三世代へのケインジアンでございますので、ちょっと戦後のアメリカ経由のケインズ解釈についてのエピソードを思い出しました。きょうのお話の連続ものになるかと存じまして。その点は早坂さんとシリーズものをやったことがございます。東洋経済で。あの中にいろんな方々の関連で中山先生も登場しておられます。「日本のケインズ」と題してです。大正年間ですけども。

 ついでですけれども、我田引水をいたしますと、日本銀行の採用試験では大正年代からケインズが出題されております。

 美濃口 いまのお話で中山先生が『貨幣論』が本当のケインズだとおっしゃったこと、非常に興味を持って伺っておりましたけれども、その点でも、先はど御紹介しましたように、鬼頭先生がまず『貨幣論』を訳された。そこからスタートしてケインズの『一般理論』を読まれたというあたりがケインズ理解につながっていくんじゃないかと思います。ありがとうございました。

  いま伺って大変興味深かったんですけれども、現在の学界の風潮はケインズをどう解釈しているんですか。

 美濃口 先ほど御紹介しましたように、三つの流れがありまして、一つは、いわゆる一般均衡論の中でケインズを再構成しようというレイヨンフーヴッドを初めとする流れです。

 もう一つは、反ケインジアン、マネタリスト的な、これはマネタリストといっても、結局かつての古典派が復活し
ていると私は思っていますけども。つまり貨幣数量説を主体としたアプローチ。これによってケインズを批判しようという流れ。

 最後は、私なんかもそうですが、ケインズの書いた著作を全部読んで思考の発展の過程を追って本質をつかんでゆこうと、こういう三つがございます。

  伺っておりますと、ケインズというのは偉大な経済学者というか、思想家になりますね、見る人によって。両大家が大論争をやったというんですから大変なことでしょうね。われわれが読んで手に負えないと感じたことはしばしばあるんですが。

 美濃口 確かにケインズ解釈というのは難しいんでして『一般理論』にしても論争の書ですから、専門の学者を説得しようとして書いた本です。私も最初読んだときは何が何だかさっぱりわからなかったんですけれども、最近鬼頭先生の本をもう一遍読んで見ますと、非常に明快にわかるんです。

  私は学問的なそういったことは全然わかりませんですけど、いま先生のお言葉の中でケインズはインフレ容認で、デフレについては、雇用の問題だということで、というお話を聞きまして、なるほどケインズが言い出したときの時代背景とするとそういったことがポイントだったと思うんですが、いまの日本のこれからの様子と申しますか、ただいま石油の問題とか円高とかいろいろなことで大変だということですが、また財政問題もいろいろある。そうしますと、ケインジアンとしてと申しますか、国の政策としてやはりインフレ容認という点については客認して、雇用とか経済拡大ということを中心にお考えになるのか。いま一般的でないかもしれませんが、日本のこれからの高齢化社会を考えるときに、インフレというものは非常に困る問題だと。ですから長期的に見るとインフレなき安定成長。サミットでもそういうふうなことを言っているようですが、そんなふうに考えますと、この日本の現状に対してどのようなお考えを先生はお持ちでしょうか。

 美濃ロ さっき、ケインズはインフレーショニストだと申しましたけれども、これはデフレよりはインフレの方がまだましだということでして、必ずしも一般論としてインフレがいいと言っているわけではございません。
それから、今後のわが国の経済政策、大変難しい問題ですけれども、さっき、ちょうどケインズが、イギリスは消費面では満足すべき状況だけども住宅が足らないと言ったと申しましたけれど、日本も同じような状況にある。私、これから二十年ぐらいが日本の一番いい時期じゃないかと思うんです。つまり、イギリスで申しますと黄金のビクトリア時代といいますか、そういう状況じゃないかと思うんです。つまり貿易関係では非常に国際競争力が強い状況です。かってのイギリスもそうであった。そういう恵まれた状況の中で、この際にできることをしなきゃいかんと思うんです。一番大事なことは住宅だと恩うんです。日本はまさに消彗面では十分だと田笑ております。足らないのは住む家が足らない。ウサギ小屋である。これ何とかしないといけないと思うんです。ですからこの二十年間にそういう
あたりに金融・財政々策のポイントを置いて、安い金利でうんと家をつくって経済的厚生を高めてほしいというふうに思っております。

  いま先生のお話を承ると同時代的な、サゼッシヨンを受けたのでございますが、当時のイギリスの状況を少し御説明願えませんか。ケインズの住宅政策になっていった背景です。

 美濃口 住宅政策の背景という点は一応さておきまして、当時のイギリスはちょうどいまのアメリカに似ているんです。

 と言いますのは、ちょうど今のアメリカのようにツイン・デフィシットがありまして、財政は赤字だし、貿易の経
常収支は赤字だという状況なんです。貿易外収支がありましたから総合収支はまあまあなんですけれども、経常収支では完全に赤字なんです。これは日本とかドイツとかアメリカが国際競争力を付けてくる。そうすると、かっての古い設備に頼っているイギリスはコスト面でかなわないです。鉄鋼も造船も繊維もだめだと。そういう状況にあるわけです。ところがそういう古い資本を一気に取りかえることはできないです。たくさん持っていますから。産業革命以来ずっと営々としてためてきた資本があるわけです。それを新しいものになかなか切りかえられない。ですからせっかく新しい鋼の技術例えばトマスの塩基性法ですが、ああいうものがイギリスで発明されましても使えないんです。
逆にドイツが導入しちゃうんです。そういう状況で要するに古い資本設備をかかえて四苦八苦している状況です。ですから、アメリカも、いま自動車が問題ですけれども、アメリカでも日本と同じような車をつくればいいと思うんですけれどもなかなかそれができないというところが非常にイギリスと似ていると恩うんです。その中にあってどうすればいいかということを考えて住宅投資ということを言っているわけです。つまり資本設備を新しいものにかえるだけの金も動機もない。そういう条件の中での公共投資論であり住宅投資論であります。

 ― それは第一次大戦後の二十年代でございますね。

 美濃ロ イギリスの不況は二十年代から始まっております。

 ― 金本位制をいろいろといじっていましたね。そのあたりも関連してくるわけですね。

 美濃口 金本位制といいましてもイギリスでは戦前の平価といいますか、インフレで物価が上がっていたにもかかわらず、戦前の安い物価水準で金本位制に復帰しようとしたわけですからデフレ政策をとった。そのことが高い失業を生んだ一つの原因になっていますけれども、ただ二十年代後半になりますとそうではなくて、むしろそういった国際競争力の低下といったことが問題になってきているわけです。

 ― 感想をひとつ述べさせていただきます。戦争中、戦争たけなわになりまして外国から本が来なくなりました。その頃、ちょうど、私、企画院から大蔵省へ引っ越しておりまして、大蔵省の中で『調査月報』というのが出ておりまして、それに次々と外国の文献を翻訳して載せるという事がございまして、ドイツの潜水艦が来たときにどっさり文献を持ってきてくれまして、ビパリッジプランですとかケインズの書物や何か、そのときに大蔵省がもらいまして、『調査月報』に確か二回特集号を組みまして、石原さんと杉山さんがケインズの『一般理論』を二巻に翻訳して出したということがございました。この頃はまだ漢字と片仮名でございまして平仮名でなかったのですけれども、そういうのが二冊出た記憶があります。

 それと、私もビパリッジプランや何か翻訳したことがあるんです。イギリス、アメリカの戦後経営論というのが次々と向こうの雑誌や何かに出ておりましたので、これを一緒に翻訳をしたり紹介をしたりしたことがございました。
戦争たけなわの時期だったんですけれども、かなりそういう英米の戟後の経営の経済の本や運営については研究がなされていたと。その一環としてケインズがありビパリッジがあったということです。

いまお話を承っておりまして、大蔵省の 『調査月報』に載りました二冊の『一般理論』の翻訳を思い出しましたので。

 美濃口
 それは昭和何年頃ですか。

 ― 昭和十八年です。

 美濃口 塩野谷先生の翻訳が確か十六年でしたね。
                                 
 ― ケインズはインフレーショニストであったが、いまで言うインフレなき安定成長ということで、ケインズはいまの言葉で言えば完全なる安定通貨論者だと思います。
ただ、イギリスの経済事情の話がございましたけれども、あのときは趨勢的に物価は下がっていた。そういう状況の中でそんなに下がり続けないでいけないんじゃないかという意味でインフレーショニストだったのであって、いまの観点からすると完全なる安定通化論者であったというふうに、私は思っておりまして、先はど御紹介のありました『ケインズ主義の再検討』という書物で美濃口先生、二編書いていらっしゃいますけれども、あれに私も分担執筆しておりますけれども、HOPEの編集でございます。それにそのことを強調して書きました。
二、三の例を挙げますと、インフレになったら資本主義は必ず滅びるということを度々あっちこっちでケインズは言っております。そういう目で見るとずっとそういうふうに思います。あらゆる書物。最近、ケインズの全集ものの翻訳のお手伝いをして、アクティビティの中にもそういう感じがあっちこっちに出てまいります。ただ、当時の慢性的な物価下落はいまとは全く違うわけです。慢性的な物価下落はとめた方がいいという意味でインフレーショニストであった。現代用語であると完全に安定通貨論者で、これは私は断言してはばからないと思っております。
  いま非常に明快な御説明をいただいて、私も非常に目が晴れるような気がしました。そうしますと、よくアメリカンケインジアンとか、教祖ケインズの考え方はともかく、戦後は日本にはアメリカンケインジアン的なものが入ってきた。そのアメリカケインジアンはどうなんでしょう。どうも私の感じでは、ある程度インフレ論者が多いような気がするんですが、教祖ケインジアンをゆがめて極めてアメリカ的な解釈、アメリカ的なもので、ケインジアンの衣を着てやっていると、こういうことでございますね。

 美濃ロ ですからケインズ的な政策が無効であるとか、ケインズ経済学の危機であるなんていうのは、これはアメリカケインジアンの危機であってケインズじゃないんですよ。はっきり言って。恐らくケインズのようなきめ細かいマネタリーポリシーがなかったら資本主義経済はもたないんじゃないでしょうか。

  いろいろお教えいただいてありがとうございました。
 
 もう一つ教えていただきたいと思いますのは、例のIMFの、つまりホワイト案が通ってケインズ案が否認された。あの辺のところ。

 美濃口 余り専門ではないので、西川先生いかがでございますか。

  あれは確かにケインズ案が破れたわけですけれども、ホワイト案の中にケインズ案の精神が相当残っている。ホワイト案になってから、イギリスに帰っていろんなことがあるわけですが、あれを非常に説得して歩いているんです。
その中にマネタリー・スタビリティ、固定化制と言いましょうか、インターナショナル・マネタリー・スタビリティを非常に強調している。それと自分がかつて言った完全雇用の議論とは一致するのである。違いましたのは、結局アメリカの世話にならざるを得ないという立場があったということです。ケインズは最初はイギリスの利害に基づいてものを言っていた。そのうちに地球的利害になったんだと。そういう感じで、自分の案は破れたけどグローバルな意味の自分の理念があれの中に生きているんだというようなことをしばしば言っていたかと思うんです。自分の案が破れたにもかかわらずホワイト案を推奨して回っているわけです。イギリスに帰ってから。
 一時はホワイトとけんかしたときは、あのために彼の死期を早めたのではないかとかいろんなことを言われているんですけど、その辺真相はよくわかりませんけど、最終案に対するケインズの支持、イギリスの国会におけるいろんな異論や何かを説得するのに大変な動きをしていたようでございます。
尚ケインズの金本位制に関する考え方でございますけど、デ・スローメント・ゴールド。デ・マネチゼーション
じゃないんです。要するに、王座からは落とすけれども・貨幣として使うことは一向に構わない。金本位時代も、彼は金本位はマネージのされた金本位であって、そういう意味で金を一切否定するという態度はとっていなかった。金でなくてもいいけど金であったら絶対困るということじゃない。王座から。デ・スローンメント・ゴールド。そういう思想であった。世界国家ができて戦争というのがなくなれば、あらゆる意味で金はなくしていいと思っているけれども、もし戦争でも起これば、やっぱり金は交戦国の間では金は交換価値を持つだろうと思います。それすらケインズは否定していないと思います。この頃言われるデ・マネチゼーションという言葉も使っております。ですけど、彼の真意はそれと違った、デ・スローンメントだと、王冠という意味ですから。それをはずせと。金を使うことは使った方がいい。それをうまく人間の英知が使うんだ。金に支配されるんじゃない。人間が、ケインズの頭で金を利用すればそれは管理通貨だ。そんなようなことじゃないかと思っております。

  私、きょうの出席者の中で一番若いんじゃないかと思いますが、ひとつ感想方々御礼を申し上げたいと思います。

 先生の大変いいお話で刺激を受けたわけでございますが、なかんずく一番最後に、ケインズの本を克明に読んでケィンズの全体像に迫まろうというようなお話があったかと思うんですが、非常に心強く思うわけです。最近はケインズの本を全部読むというような方はほとんど日本にもいないんじゃないかという気がするわけでございます。是非そういうアプローチを完遂していただきたいと思うわけです。

 実は私、日本銀行におるんですが、西川先生の御指導でケインズ全集の一部を訳しております。その中に賠償問題というのがあるんです。この賠償問題はケインズは二度にわたって書いておるわけですが、その感想をちょっと述べさせていただきたいのですが。

 ケインズがいかにわれわれに身近であるかということを申し上げたいんです。結論を先に申し上げますとこういうことでございます。ケインズがいなかったならば日本経済の戦後は分割統治だったかもしれないというふうに、私はその翻訳を通じて思っておるわけでございます。
ケインズは賠償論の中で ― まだ翻訳されていない方のもう一つの賠償論なんですが ― ドイツの戦後の分割統治に猛然と反対をしております。非常に説得的に反対をしております。しかし、現実にはその説得は功を奏せず、ドイッはズタズタに分割されてしまったわけですが、そのときのドイツ分割反対を世論に働きかけていたアメリカ側の相手がモルゲンソーという方なんです。そのモルゲンソーはもう大分説得されていたんですけれども、結果的には政治的な介入があってドイツは二分割されてしまったわけです。そのモルゲンソーが日本の戦後の分割案にタッチしていたわけです。ドイツではまだふん切れずに分割案にいやおうなしに賛成してしまったモルゲンソーが、一呼吸置いて日本の場合には、今度は分割反対に回るんです。

 ということはどういうことかと。その辺は私の憶測もあるんですが、恐らく時間を置いてわずかの差でありますけれども、ケインズの分割反対の思想は日本経済の上で生かされているんじゃないかというふうに私は感じまして、ケインズが急に身近になってきたわけでございます。ケインズなかりせば戦後の日本経済は、あるいは分割統治であったかもしれないというふうに感じて、身の毛のよだつようなそういう感想を抱かせるようなケインズの著作がございます。そんなことを感じまして、ケインズにはまだ知らざれるところが相当あるということと、先生がケインズの全
体像に迫まったと。そういったアプローチを伺いまして、是非そのアプローチを大完成させていただきたい。

 美濃口 一生かかって頑張ります。

 そのときのケインズのドイツ分割反対の論拠はどういう。

 論拠は翻訳を通じて感じましたのはこういうことです。

 二分割されたらドイツ経済だけじゃなくてヨーロッパ経済が成り立たない。ヨーロッパ経済が成り立たなければ自らのイギリスもだめだ。リパーカッションです。そういうマクロ的な戦後の経済戦略を考えているんです。ケインズはそういう意味では非常にグローバリズムです。敵をやっつけるということは自分たちに踏ね逸ってくるということです。第一次世界大戟の後のドイツの失敗にこりて、戦後その失敗を二度と繰り返すなということを熟慮された上で、そのために分割などしたらとんでもないことになる。自分たちのためにだめだということを雄弁に語っております。

  ヨーロッパ人としては本当に珍しい。

  イギリス人というよりもグローバリズムといいますか、ヨーロッパ人といいますか、ヨーロッパなくして何のイギリスというそういう思想が非常に明快に出ております。

 ― これは経済学史の立場からと存じますけれども、いままたマネタリズムのある程度の行き過ぎ的な、デフレ的な反省から、ケインズの見直しとか、そういうふうな風潮が多少出てきております。ケインズ的と言ってはあれかもしれませんけれども、シンプルに考えて。それについての御感想をいかがでございますか。

 美濃ロ アメリカのこれまでの政策というのはかなりマネタリストが絡んでいるわけですけれども、レーガン政権下で失敗に終わったということがあると思います。ただその後アメリカではインフレのある程度抑制に成功しておりますけれども。ただ一番基本的に問題だと思いますのはマネタリストの発想の中で貨幣のX%供給成長率ということを言うわけですが・ケインズ的な観点から申しますと、貨幣というものを管理するのは非常に難しいわけです。決して簡単に二%なら二%というふうに成長を規定するなんていうことは到底できないんです。といいますのは、ケインズの場合には貨幣というのは内生的に出てくるというふうに考えております。つまり公定歩合さえ決めておけば手形を割引しては貨幣を供給するんだというのがケインズの考え方なんです。そういう場合に例えば二%というルールをつくっちゃいますと、幾ら手形の割引需要があっても、割り引いてやれなくなる。こういうことになればまずいと思うんです。そういうような政策をとりますと、私は、経済というのは円滑に機能していかないんじゃないかという気がするんです。ですから、そう簡単に(10)%ルールを適用されたのでは困るというふうに私は思っております。
                                     (昭和六十一年二月二十七日収録)


美濃口武雄 昭和十二年、東京都に生れる
         昭和三十七年、一橋大学経済学事卒業、
         昭和四十年間大学院修士課程終了、
         昭和四十二年同大学院博士課程単使修得、
         昭和四十二年一橋大学経済学部専任溝師、
         昭和四十四年−四十五年英国政府給費生としてオックスフォード大学経済研究所留学、
         昭和四十五年一橋大学経済学部助教授、
         昭和五十一年同教授。

主要 著書 『近代経済学と日本』(共編 日本経済新聞社、昭和五十二年)、
         『経済学の古典』(下) (共編者、有斐閣、昭和五十三年)、
         『ケインズ』共 有斐閣、昭和五十三年)、
         『経済学史』(有斐閣、昭和五十四年)、
         『経済学説史』(青林書院新社、昭和五十六年)、
         『近代経済学入門』(中央経済社、昭和五十七年)、
         『ケインズ主義の再検討』
(共著、多賀出版、昭和六十一年)

訳    書 『価格理論』(ストーニヤ・ヘイグ著、春秋社、昭和四十七年)、
         『経済学と限界革命(コリン・ブラック編、日本経済新聞社、共訳、昭和五十.年)、
         『所得、成長の理論』 (ストーニヤ・ヘイグ著、春秋社、昭和五十二年)