一橋の学問を考える会
[橋問叢書 第五十四号] 一橋大学経済研究所の国際経済研究活動
一橋大学経済研究所教授 佐藤 定幸
はじめに
ただいま御紹介をいただきました経済研究所の佐藤でございます。私、昭和二十三年卒でございまして、皆様方の中には私が生まれた頃に大学を出られた大先学が大ぜいいらっしゃいます。そういう方々を前にしてお話しをするということは、特に経済界、しかも国際経済について実践的に活動され、多くの知識をお持ちの方々を前にしまして、私のような若輩がお話しするということは、いささか気おくれせざるをえません。けれども、これでも私も大学の経済研究所教授会に行きますと最長老でございまして、ここに来ると最若輩に近いのでございますけれども、そういうことでございますので、私の勉強をしておりますことをお話ししまして、皆様方の御参考に供することができればと思います。
恐らく、あいつ何あんなばかなことを言っているとお思いになることも多々あろうかと思いますけれども、後で時間があれば御意見をお教え願えれば幸いかと思います。
新井さんからここでお話しするように申しっかりましたときに、最近の世界経済、国際経済に関するおまえの考え方でも述べろということでございましたが、やはり「一橋の学問を考える会」ということでございますし、まず冒頭に私どもの経済研究所について若干PRさせていただきます。戦後できました―厳密に言えは戦時中からあるわけですが―組織ですので皆様方のなかには御存知ない方もいられるかと思い若干PRさせていただきたいと存じます。
と申しますのも、わが研究所は、東京商科大学奨学財団、それから一橋大学後援会から毎年たくさんの御援助をいただいておりますので、研究所とはどういうものかということを簡単に御報告するのは、私どもの義務といってよいかとも思われるからであります。と申しましても詳しいことを話しているときりがないので簡単に御報告させていただきます。
経済研究所の概要
組織的に申しますと、戦時中の昭和一五年に設置され、さらに同一七年に官制化された東亜経済研究所が戦後の昭和二一年に経済研究所に改められ今日に及んでおります。戦時中の東亜経済研究所から戦後の経済研究所に移り変わる際に、大塚金之助先生、それから中山伊知郎先生の御二人が研究所の再建について非常にお骨折りを願ったということは皆様御存じのところであろうかと思います。
念のために申し上げますと、国立大学における研究所と申しますのは、建前を申しますと文革省の付置研ということでございまして、文部省が研究所をつくって、それをたまたま一橋大学に置いておくという形にはなっております。
しかし実際問題として、東亜経済研究所は戦時中に学内施設としてつくられ、それが発展的に経済研究所になったことからわかるように、一橋大学の研究所という性格をつよく持っています。ですが、細かいことを申し上げますと、大学の予算と研究所の予算は出るところが違うという、同じ文部省でも管轄局が違うと、こういうこともございます。
したがいまして東大のように、人文社会から自然、工学系、合計十三もの研究所のあるところは、たまたま置いておくという色彩が非常に強いわけでございます。最近、航空宇宙研が東大の研究所から離れまして独立した組織になりました。そういうように、東大の場合は、例えば資料編さん所は何も東大に置いておかなくてもよろしいんだが、便宜上東大に置かれているということもあるわけです。一橋の経済研究所はそういう意味では、形式的にはとも角実質的には大学の分かちがたい一部であるということで、実際の運営上もそのように取扱われているという点では、東大の諸研究所とはおおいに違っているといってよいでしょう。
研究所の機構を申しますと、現在は五つの大部門、− 日本・アジア経済研究部門、米欧・ソ連経済研究部門・現代経済研究部門、経済体制研究部門、経済システム解析研究部門に分かれております。大部門と言いますのは、あるいはお耳になじまないかもしれませんが、いまの大学の講座もそうでありますけれども、往年と違いまして、例えば教授一、助教授一、助手一、二という形の単発の講座よりも、大講座ということになりまして、従来の講座を三つなり四つなり集めた一つの大講座で組織するということが普通の大学でも行われているし、わが大学でも経済学部、社会学部はそのとおりやっております。
研究所もそういう意味で、昔は単一の研究部門でございましたが、ちょうど私がたまたま所長のときに、全国の人文社会系の研究所としては一番最初に大部門ということになりまして五大部門で構成されるようになりました。
私、きょうは、経済研究所の国際経済研究活動ということについてお話しするということになるわけでありますけれども、いま読み上げましたように、日本・アジア経済研究部門、米欧・ソ連経済研究部門、それから経済体制研究部門というところが国際経済研究に直接関連しているわけでございます。そのほかの部門でも当然現代のことでございますので、国際経済に関する間接的な研究等もしているわけでございます。
特に私は、最初からアメリカ経済研究部門に属しておりました。これは亡くなられました小原敬士先生が最初中心になってやっておられました。そういうアメリカ経済研究部門には、私のほかに今年定年でお辞めになりました伊東政吉教授等々もおられました。
わが研究所のもう一つの特色としまして、ソ連経済研究部門というのが国立大学の研究所の中ではかなり特色のある存在としてあげられると思います。名誉教授になられました野々村一雄教授、それから亡くなりました岡稔教授、現在では宮鍋幟教授、西村可明教授、そして久保庭助教授という方々がソ連経済ないし社会主義経済を担当しておりまして、このソ連経済研究部門が人員的にも、業績の点でも、日本のソ連研究の中では最先端を行っているということも一つの特徴でございます。
本館の図書館と別にわが経済研究所にも資料係がございますけれども、中でも国際経済に関する資料は非常に豊富で、ソ連経済研究に関する資料としては、やはり日本では最大、最高というふうに言われております。
そういうことで、私は最初はアメリカ経済研究部門、そしてまた現在は米・欧・ソ連経済研究部門に属して国際経済研究をやっております。
学問研究と言いますのは、機械的にも非常に広般でありますし、やり方もまた非常に多様多岐であっていいわけであります。昔は学問と言いますのは古いこと以外は学問研究の対象にならない。例えば百年以上たたないと研究の対象にならないというようなこともございました。もっとさかのぼりますと、イギリスないしはヨーロッパだけが研究対象である。アメリカは研究対象からはずれる。アメリカの思想史とか、アメリカの哲学とか、アメリカの文学というのは学問研究の対象ではないというような時代もあったわけでございますが、戦後は事情が一変致しました。学問研究というのは昔のことも勉強しなければならないと同時に、今日只今の問題を研究することも極めて重要であるし、また国としてどこどこに限定することをせず、世界じゅうできる限り幅広くやることも必要ということになってきました。私どもの研究所でもそういう意味で手を広げてはいるわけでありますけれども、研究所として人員のこともございますので、そう手を広げると申しましても限度があるのは当然でございます。
アジア経済については、中国を中心としてこれは名誉教授になれた石川滋先生などがやられました。中国研究、東南アジア研究についても、かなり業績は挙がっていると思います。
そのほか経済研究所には、日本経済統計文献センターというのが付置されておりまして、これも教授一、助教授一が付いております。したがって、研究所の定員はトータルで教授が二十二 助教授が十一、講師が一、三十三ということになります。そのほかに、助手、事務職員がおります。これで十分かと言われると決して十分ではございませんけれども、国立大学の付置研の人文社会系では、東大の社会科学研究所に次いで第二番目に大きな規模でございます。
もちろん自然科学、工学系のなかには、東大の生産技術研のように職員だけでも五百人を起すという膨大なところもございますが、わが研究所は人文社会系ではかなり大きな研究所といってよく、またそれなりの業績は挙げていると自負をしております。
そういうことで一応研究所の大ざっぱな話をさせていただいたわけですが、文部省の予算では必ずしも十分とはまいりませんので、財団、後援会からの寄付をいつも頂いているという状況でございます。
それからまた、われわれ研究所として必要な資料をもちろん十分買いたいわけですが、買えないときには図書館の資料を当然使わしていただくわけでして、そういう場合には、図書館で私ども特に便利に使わせていただいておりますのは、ニューヨークの如水会から寄付されました「ニューヨーク・タイムス」 のエアメールでございます。
『ニューヨーク・タイムス』のエアメールの講読料は確か六十万か七十万かかりまして、ちょっとうちの研究所の予算では賄い切れないため、以前は船便を利用しておりました。ところが船便というとどうしても一カ月以上かかる。
それがニューヨーク如水会の御好意でエアーメールを御寄付いただきまして、三、四日後には届いている。これを絶えず見ることができて、非常に便利にしているわけです。『ロンドン・タイムス』とか『ロンドン・エコノミスト』とか『ファイナンシァル・タイムス』等々はわりあいに飛行便でどこでも取れるわけですけれども、「ニューヨーク・タイムス』は何しろお金がかかるものですから、大学としては取っているところはないはずでございます。うちはその図書館を利用して読ませていただくということで、非常に便利をしております。あるいはニューヨーク如水会に御関係になった向きもあるかと思いますが、ついでと申しては恐縮ですが、この際御礼を申し上げる次第です。
そういう序文的なお話に次ぎまして、じゃおまえは最近どういうことを勉強しているのか。どういうことを考えて
いるのかという御質問もあろうかと存じますので、その点についてお話しさせていただきます。言うまでもなく、これは私個人の研究ないし見解でございまして、ここから先は研究所と直接かかわりはないことを予めお断り申し上げておきます。
私の研究テーマ―多国籍企業
私がここ数年一番関心を持って研究をつづけているのは、いわゆる多国籍企業問題でございます。新しがり屋のせいもありますが、多国籍企業という問題を取り上げたのは、日本では比較的早い方であろうかと思います。いま申しましたアメリカの新聞、雑誌を読んでいることもございまして、アメリカ側で問題が提起されたらすぐ取り上げて勉強を始めたわけでございます。しかし、これは現に進行中の問題でございまして、五十年前、百年前の出来事を何人かの優れた学者が研究したその研究成果を集めてどうこうするという問題ではなくて、現に起こっている問題をどう見ていくかということでございまして、その限りで言えば、いわゆるアカデミズムにはなじまない面も少くありません。しかし私どもの研究所の仕事としても、また私個人としましてもそういう問題にたいして、研究を重ね事態の発展の一定の方向を明らかにしておくことは必要だろうと考え、勉強してきたわけです。
(1) 多国籍企業問題の発端
多国籍企業という言葉はいまやだれもかれも、いわばネコもしゃくしも使う言葉になってしまいました。多国籍企業という言葉を聞いただけで全部中身がわかってしまうような印象すら人々に与えているわけですが、これが最初問題として提起されたときには、実はなかなか人々に理解されなかったものです。ちようど一九五〇年代後半から多国籍企業問題が起きているわけですが、一九五八年頃からアメリカの大きな企業がどんどんヨーロッパへ進出いたしまして、イギリスにも、フランス、ドイツにも、大量的に進出して盛んに企業の買収、乗っ取りをやり始めました。
そこで非常に大きな問題が出てきました。ヨーロッパ・サイドでは、その頃、例えばアメリカのヨーロッパ乗っ取りだとか、それに類したタイトルの本が続々刊行され、日本でもかなり翻訳されました。事実アメリカの企業が大量的にヨーロッパへ進出して、ヨーロッパの企業を買い占め、大きな社会問題、ある場合には政治問題すらひき起しました。
その頃、フランスのシャルル・ドゴール大統領が、こういうヨーロッパに対するアメリカの進出を防ぐためにヨーロッパは団結しなければいけないと叫び、非常に反アメリカ的な行動を呼びかけたことがあります。ちょうどこれも一九五〇年代半ばのヨーロッパで経済統合がどんどん進み、五十八年からはローマ条約が発効していくわけですけれども、そういう傾向の中でドゴール大統領は、アメリカの進出を押さえるためにヨーロッパを糾合しようとしたのですが、それはやはり無理であってできなかったわけです。他の諸国は、ドゴールがいかに彼の政治的なプレスティジのもとに呼びかけてもそれは無理だからできませんということで従わなかったのです。したがってアメリカの資本はどんどんヨーロッパに流れて行く。それで、ついにフランス自身も自分のところだけ入れないなんて言っていられなくなり、結局ドゴール式のアメリカ資本排斥政策を放棄せざるをえなくなりました。これが五〇年代から六〇年代初めの頃のヨーロッパでの出来事でした。
したがって、そのころ多国籍企業が問題になったときには、それはアメリカ資本のヨーロッパ進出ないし、ヨーロッパ支配にはかならないという議論が非常に多かったわけです。ですけれども、全部そういう見解であったわけではなくそれに対して、そういうことは必ずしも言えないんだという見方も、実はアメリカの中にございました。そういう意味では、私が尊敬していた一人にスティーブン・ハイマーこれは例のキンドルバーガーのお弟子なんでありますけれども―がおりました。かれはこう言いました。確かにアメリカ資本が進出していったけれども、その限りではヨーロッパ経済た対するアメリカ資本、アメリカ経済の支配の強化と言えるかもしれないけれども、じゃあそのまま一方的にヨーロッパが支配されたままでいるかというと、そうではない。そういう一つのアクションは必ずリアクションを呼び起こす。ヨーロッパの側では、アメリカの進出に対してヨーロッパ資本が対抗行動をとるようになる、と。
つまり、まず第一に、アメリカに対抗できるようにヨーロッパ的な規模での統合、資本の集中が行われるだろう。そしてアメリカに対抗できるような大きさになったら、今度は大西洋を越えてアメリカに進出するであろう。こういう展望を出したわけであります。これはその当時としましては非常に卓越した歴史的な見通しだと言ってもいいと思います。その時点では、アメリカのヨーロッパ進出は極めて顕著で、多くのヨーロッパ企業が続々アメリカ資本に買収されてしまった。ヨーロッパはアメリカの植民地になるんだというような議論は、目の前の事実だけ見ておりますと非常にもっともらしく見えました。確かにそういう事実があったけれども、実際にはそういう中でヨーロッパの側で経済統合が進み、企業の集中が進み、それが今度ヨーロッパ的な規模での企業を成立させ、さらにそれをてこにしてアメリカ資本に対抗するということになったわけです。それが大体七〇年代に入ってからのことであります。
(2) 日本に於ける多国籍企業問題
こういう状況を前にして、日本はどうなるのかということを、私どもは考えました。
当時の日本を考えた場合、そういう世界的に、まず多国籍企業がアメリカに始まり、それに対する対抗物としてヨーロッパで生れ、さらにそれらに次いで日本が第三の多国籍企業化の波を引き起こす力になるかどうかということが大きな問題でした。一般にそんなことはとても考えられないという議論がかなりあったかと思います。
例えば、六四年の資本の自由化を前にしまして当時日本ではやりましたのは、黒船来襲論でした。ペリーの黒船のようにアメリカの資本自由化が日本を襲ってくる。そうすると日本は資本自由化のために完全にアメリカに押さえられてしまう。大変だ。GM一社で日本の企業は全部買収できるとか、そういうような話まで出まして、アメリカの経済的進出、それを中心にしてヨーロッパからの投資をふくめて外資の進出は、日本経済にとって重大な障害になるだろうという展望が有力でした。
もちろんそういう可能性がその当時絶対なかったわけでもございませんし、事実そういう危険はかなり大きかったと思うわけであります。ただ、先はど申しましたように、アメリカの多国籍企業に対してヨーロッパの多国籍企業化という形のリアクションがあるとすれば、日本もそれから後れてではあっても、第三の多国籍企業化という形で多国籍企業の道を進まない限り日本経済の将来はない。もちろん必ずそうなるという保証は一つもなかったし、ほっといてそうなるという保証は全然なかったのですけれども、そのコースを意識的に進まなければ日本にとっての未来はないと考えなきゃいけないんじゃないかと私などは言ったわけでございます。
そういう日本の多国簿企業化のコースを世界の多国籍企業化の発展段階に位置づけてみると、五〇年代後半から六〇年代にかけてのアメリカ、七〇年代にかけての西欧についで、日本の場合八〇年代に入ってから多国籍企業化が進展しっつあるといわねばなりません。そして、その際、日本企業の多国籍企業化成立を画する決定的な決め手は自動車産業の在米現地生産への移行といわねばなりません。
日本の企業は戦後急速な発展をとげてまいりました。日本経済自身も非常に大きく伸びたわけでありますけれども、何と申しましても、それは商品の輸出をてこにしておりました。一九七〇年代に差しかかりますと、日本企業は例の「フォーチュン」 の世界大会社順位表を見ましても世界で何番目という大きな企業になってはいるんですけれども、在外生産比率をとってみますと非常に低かった。その頃、例えば日本企業のなかで在外生産比率が最高だった日立ないしは松下電器でも、一〇%を超えないというような状況でありました。
私の見る限り、在外生産比率の高さが多国籍企業化の決定的なメルクマールでありますが、そういう意味で言いますと、日本企業はいわゆるビッグ・ビジネスとしては世界でトップクラスであるけれども、多国籍企業度という観点から見ると、在外生産比率が非常に低く未成熟といわねばなりませんでした。したがってアメリカないしは西ヨーロッパの諸国の企業と同じような形で在外生産比率が高まるというのはどういう状況であるかを考えてみますと、これは個別の企業はもちろん、それぞれの事情があるわけでありますけれども、固民経済的に見てみますと、やはり自動車産業の多国籍企業化ということが決定的に重要といわねばならない。自動車産業の在米現地生産が実現し成功して初めて日本企業の多国籍企業化が実現するといえると考えられました。
何度も繰り返しますが、そういう方向に必ず行くであろうとか、行けば必ず成功するだろうとか、何ら問題なくそうなるだろうとかをそれは少しも意味しないわけでありますが、しかしそう行かなければ多国籍企業としてだけではなくて、日本企業はビッグ・ビジネスとしても生き残れない。そういうような状況にだんだんなっていくということを言ったわけであります。その後経済摩擦、貿易摩擦問題がこれだけ深刻化して十分わかるわけですけれども、確かに日本が現地生産しないで製品を輸出した方が、いまの段階でもかなりの産業においてもその方が有利であるかもしれないが、だからといって製品輸出だけでやってゆけるものではありません。特に、昨年のG5以前の段階で言えば、国内生産・製品輸出の方が絶対有利であった産業部門は少くなかったに相違ありませんので、それまで在外生産比率が低かったのは、もちろんそれなりに十分根拠のあったことでありますけれども、在外生産比率を低くして、つまり本国で生産した商品を輸出していくというやり方がいつまでも続けられるかということになると、おっつけ無理になるということは当然理解しておくべきであったのです。例えば鉄にしましてもそうですが、自動車にしましても、あれだけ世界の輸出市場の中で大きな比率を日本が占めてしまうと必ず無理がでてくる。
鉄の場合、アメリカは、こういうことを言っては差し障りがあるかもしれませんけれども、日本との対決を避けてしまったため殆ど問題はないかの如くにみえます。自動車の場合は必ずしもそうとはいえません。アメリカ経済における自動車産業の重要性からみても、日本で生産された自動車がアメリカ市場の二〇%も三〇%も占めるというような状況が長続きすると考えるのは手前勝手というものでしょう。それをあらかじめ読んで自動車産業企業が行動をとられるということは当然だと思います。
私どもはそれを非常に注目していたわけでありますが、これも私ども、まさに学者、評論家的な立場で、実際に携っている方の判断とそこが違ってくるかもしれませんし、何を勝手なことを言うんだということになるかもしれませんが、こうやって見ていた限りでは、私どもとしましては、もっと早く日本の自動車産業が在米現地生産に進んだ方が、自動車企業そのものにとっても有利だったんではなかろうかと思われるわけであります。おまえはそう言うけど、そんな簡単じゃないということになるかもしれませんが、私どもはそのような印象を持っております。例えばトヨタ自動車が現地生産に踏み切る前にいろいろ問題があったということも灰聞しておりますが、もっと早かった方がよかったのではないかと、外野としては考えます。
とにかく実際問題として、いや応なしに自動車産業の在米現地生産への移行が展開されるに至りました。八〇年代に入りまして、まずホンダが在米現地生産体制を取り始める。それから後、続々日産、トヨタ、三菱、マツダが進出し、最近は富士重工まで現地生産を言うようになりました。他方、韓国も現代自動車がモントリオール郊外で現地生産を始めるということになりましたが、これを加えますと大体一九九〇年前後には二百万台近く北米大陸で日本および韓国の自動車が生産されるようになるわけであります。そうなりますと、日本の対外直接投資は伸び、企業の在外生産比率も増大することになるでしょう。アメリカ、西欧並みとはまいりませんけれども、かなり上昇して、ついに日本の多国籍企業化が本格的段階に達したというふうに言えるかと思います。
これと対応しまして少し触れておきたいわけですが、このように日本の対外直接投資が急増して、その限りではアメリカ・西欧並みになっていくわけですが、一つ問題なのは、資本の受け入れ国としての日本というのはいまだにかなり低水準にあるということであります。煩瑣なので統計を挙げることを避けますけれども、対外直接投資の出す側と受ける側を考えてみますと、日本は出す側では言うまでもなくかなり高い水準になりましたけれども、受ける側では残高からみてまだかなり低いわけでございます。
アメリカという国は戦争直後は出す側では圧倒的であるが、受ける側では低かったわけですが、最近ではどんどん受け入れ国になり、出す側と受け入れ側と比率はそうは違わなくなってきた。ところが、日本は依然としてもっぱら出す側で、受ける方はほとんど数パーセントの比率にとどまっています。先進国の中での比率で申しますと、出す側の方では大体二十数パーセントを占めていますが、インワード・インベストメント(外国資本の受け入れ)の残高は全体の七、八%というふうにわずかです。恐らくこれも将来大きく取上げられるに違いない問題であろうかと思います。
日本の外資受入れ額が比較的に僅かだということも、もちろんいろいろ歴史的な故事来歴のある話でありまして、ヨーロッパ、たとえばドイツなどの場合は、戦前からアメリカ資本がかなり入っていたし、また昔からヨーロッパ内部で相互にかなり資本が出たり入ったり、お互い資本的な結合が強かったという事情がありました。ところが日本の場合にはそういうものがほとんどなかったと言っていいに等しいわけですから、戦争直後そういう意味で言えばゼロから始まったわけでありますから、昔からのつながりがない以上、そう伸びるはずもないということもありましょうし、それから、またアメリカにしましてもヨーロッパにしましても、戦争直後の状況のなかで日本経済のポテンシャリティに対する過少評価もあったでしょう。したがって、その段階で日本への投資をかれらが真剣に考えなかったということが今日の結果をもたらしたといえるかもしれません。
これも一九五〇年代後半のことですけれども、フォードとトヨタの合弁が問題になりましたときに、フォードはトヨタはトヨタ自工が四〇%フォードが四〇%自販が二〇%で合弁にしちゃおうという話にまで進んでいたのですけれども、あの段階でフォードは結局、イギリス・フォードの完全買収、当時の段階では六、七〇%の資本を持っていたわけですけれども、一OO%にするために金をそちらに回してしまって、トヨタとの合弁の話が立ち消えになってしまった。あの段階でトヨタとの合弁ができているとどういうことになりましたか、また話が変わってくると思うのでありますが、とにかくその段階では日本に投資するよりも在イギリス子会社の持株比率を一〇〇%にする方が重要であるという判断がフォードにあったわけです。
それと同じと申していいかどうかわかりませんけれども、アメリカの企業のうち日本を重視した企業はもちろんIBM等々ありますけれども、かなりの部分が必ずしもそうでなかった。かれらの顔がやはりヨーロッパに向いていたということが日本に対する進出を後らせた原因になろうかと思います。その後自動車産業に対する投資自由化問題がすったもんだをしましたときには、もう日本の自動車産業自身がかなり強力になっていたので、アメリカの言う通りには入れず、いわゆる自由化が後れたわけであります。自由化された段階ではもうアメリカは入ってきようもないという状況になりまして、クライスラーのように、三菱自動車の三五%まで資本を持てることになったんですが、その段階になって、今度自分の方が左前になりまして投資できなくなるという状況すらありました。
そういう歴史的な事情があったとはいいながら、この場合にもやはり日本経済の閉鎖性ということが問題になるんじゃないでしょうか。われわれが意識して閉鎖するということだけでなく、結果としてそうなっているということも、やはり一種の状況証拠として外国からとやかく言われる種になると思います。
したがって今後の問題として、日本企業の多国籍企業化ということは、日本企業自身が海外に出ていくと同時に、海外から日本に入ってくるということも推進しないと、出る一方では済まないという問題があることが分ります。考えてみると、戦後の世界経済はよくも悪くもインタ1・デペンデンス、相互依存関係の強化を最大の特徴にしています。どこかの国が自分のところだけよければいいというようなことではとても済みません。世界経済に対する寄与率が非常に小さな国ならともかく、日本のような大きな国が自分のことだけというわけにはいかなくなっています。そういう意味では、出ていく方も問題だが、入れる方の問題も考えておかないといけなかろうというふうに考えるわけです。
その意味で最近非常に興味深いのは、例えばエレクトロニクス関係でアメリカの大企業が日本でどんどん工場をつくって部品を生産し、それを本国へ持っていくことが盛んに行われていることです。研究施設も日本でつくるという方向に進んでおりますが、これは一種の自然の方向といってよいでしょう。われわれはアメリカないしはヨーロッパと歴史的な環境が違いますから、外国人とか外国資本が入ってくることについてのアレルギーが当然あるわけですけれども、それを克服していく必要は多国籍企業化を考えた場合に当然重要なことではなかろうかと思われます。
「空洞化」の問題点
そういう多国籍企業化の進行に関連して、問題になっておりますのは、いわゆる空洞化と称せられる問題でございます。空洞化にも歴史的な淵源がございまして、昔言われた空洞化といま問題になっている空洞化とは必ずしも同一とは言いがたい。空洞化問題はどういうことかと言いますと、非常に端的に申しますと、例えば日本の自動車産業は現在、対米輸出は二百三十万台に自主規制していますけれども、これをもし、国内で生産せず二百三十万全郡を現地生産に移しちゃったとします。そうしますと、企業としましては、トヨタとして、日産として、ホンダとして、三菱としては生産台数は一定でも、日本国内産分は二百三十万台分減るわけでございます。したがって二百三十万台の自動車を日本でつくっていた労働者と資本設備・工場、下請関係の仕事がなくなることになります。こういう因果関係は対外進出をすれば必ず起きます。したがって五〇年代後半からアメリカ企業の対外進出が盛んになりアメリカ資本がどんどん外国へ行ったときにアメリカ国内でもそのようなことが起きました。資本の輸出は、実はジョブの輸出だ、ァメリカの職の輸出だ、その分だけアメリカ国内では失業者がふえるじゃないか、したがって企業の対外進出には反対だという声が労働組合を中心にして起きましたし、それから、学者の一部にもそういうことを言う人が出てきました。確かに因果関係から申しますと、輸出していた分を現地生産に回せばそれだけ欠落が生ずることは当然でありまして、空洞化と言えば言えるわけであります。
アメリカでも問題になったわけですけれども、じゃ失業がふえるからといって対外進出せず在外現地生産をしなかったらアメリカのジョブは確保され、アメリカ企業の繁栄はそのまま維持されるのか。これまた疑問じゃなかろうか。現に国際競争が激化して企業が立ち行かなくなるというので在外生産に走っているんだから、競争に負けてしまうという状況になれば対外進出しなくたって、企業はつぶれ、失業者ができるじゃないか。したがってジョブの輸出だからといって対外進出を阻止するのは間違いだということになったわけです。これは自然科学と違いまして実験してみることはできませんから何とも言えないんですが、計算上はいろいろ計算しても、やはり資本の進出、対外進出を押さえても意味がないということになりました。
特にアメリカ資本のように、アメリカ企業のように、すでに戦前からかなり在外生産をしているような状況を考えますと、いまさら在外生産をやめて本国へ戻ってこいと言っても、これはできない相談でありまして、実際的にそんなことをすればかえってアメリカにマイナスになるというので、アメリカではそういう問題は一応立ち消えてしまいました。ただ、例えば日本の自動車が入ってきたために自動車会社がつぶれ、工場が閉鎖され、したがって失業したという人は、これは怒り心頭に発していますから、日本の自動車を見るとぶっつぶしたくなる感情は残りますけれども、じゃアメリカの自動車会社に在外生産をするなと言っても、これはしょうがないということだけははっきりしていました。
同じような関係が実は日本についても言えるわけでありまして、日本で生産した製品をアメリカへ持っていってアメリカが買ってくれるんなら、日本の自動車会社として当然いまのまんまでいきたいところだと思います。特に日本の場合は経済的合理性から言えば、当然国内生産の方が有利だと思われるからなおさらでしょう。しかしそんなことをしていたのでは日米間の貿易摩擦問題がとても処理できなくなる。輸入制限をアメリカがするようになる。したがってどうしても現地生産にもっていかざるを得ない。アメリカに輸入制限されても構わない、日本の自動車の対米輸出が減っていくままにしておけというのは、議論として極めて乱暴な議論でありますし、事実日本の企業にとっても労働者にとってもそれがプラスになるとは思えません。
したがってそういう関係で申しますと、いわゆる空洞化、資本の対外進出に伴う空洞化というのは一般的には避けられない現象であります。それがいままで比較的問題にならなかったのは、例えば松下電器でカラーテレビを生産しておりましたのをアメリカで現地生産を始めるが、いままでカラーテレビ生産に使っていた労働力を松下としてほかの、例えばVTR生産に回すというように、企業全体が大きくなれば日本独特の形で企業内部で労働力を再配分できますから問題は表面化しなかったわけです。
したがっていまの日本でも日本経済全体が、例えば自動車にしましても、それからエレクトロニクス関係にしましても、生産がこれから五〇%も六〇%も伸びていくという展望があれば空洞化という問題を内部で処理することは恐らく可能でしょう。ところが実際にはどうもそうはいきそうにない。日本の自動車生産高も一千万台超えているけれども、これが二千万台までふえるとはとても思えませんし、鉄でも何でもこれだけたくさんつくっちゃって、しかも世界の輸出市場の、物によっては半分以上も占めているという状況の中では、そういう企業内部での処理には明らかに限度があります。無駄な労働力でもいいから雇っておくということは、一時的にはともかく長くはできることじゃございませんから、そうなりますとそういう問題の解決は誰がするかというと、やはり国の政策でやらなきゃいけません。企業がお国のためだからといって無駄な労働力を雇用していくわけにいかないのは当然なことですから、やはり国の政策がその面倒をみるということにならないといけないと考えられるわけです。
国の政策といっても、一体どういう政策なのかということになるといろいろ議論が分かれております。現在選挙中で各党、また同じ自民党でもいろいろな方々がいろいろなことをおっしゃって議論の分かれるところでしょうが、とにかくそれをやるのは国の政策以外にありません。恐らくやがて失業問題も起きてくるに違いない。現在の日本の失業率はまだ二%台でございますが、アメリカは七%前後、ヨーロッパは一〇%を超えている国がざらにあります。そこまではまだまだと言いましても、日本の場合は失業率の低い時代が長過ぎましたので、これが四%だ、五%だといぅことになりますと、かなりの問題を起こしてくるものと思われます。それから失業保険制度等々社会保障制度の絡みもありますから、日本がヨーロッパ並みに失業率が高くなるなんていうことになると、深刻な社会的不安を起こす恐れが多分にあります。そういう問題を考えていくのが政府、国の責任であろうかと思うわけであります。そういうことを、特にいま選挙であるので期待しているわけでありますが、必ずしもそこまで話が行っていないような節もありますので、楽観は許さないわけですけれども、そこまで考えていきませんといけないと私は考えます。
つまり、いままでは日本経済が直面してきた状況とは違う状況がいま出てきているということを考えなければいけません。失業問題というのはいままで日本の場合、ほとんど問題にする必要もない位でして、史上最高と申しました二・九パーセント程度の失業率などはほとんど問題にする必要はなかったわけですけれども、これからは失業問題が深刻な問題になってくるものと思われます。私はよく言うわけですけれども、そういう日本の空洞化処理問題というのは大変ではあるけれどもアメリカの空洞化処理問題に比べればまだ容易じゃないかというふうに考えるわけであります。容易であるという意味は簡単だということでは決してありません。
日本にくらべれば、アメリカの方がずっと難しい問題を背負っているという意味です。
アメリカ経済が内蔵する諸問題
(1) 第二の空洞化
どういうことかと申しますと、昔の空洞化とは別に、もう一つ新しい空洞化といいますか、第二の空洞化といいますか、もっと深刻な問題が実はアメリカの場合起きています。どういうことかと申しますと、アメリカ経済全体の体質の弱化。いうなれば輸入依存体質という問題であります。
細かい数字を省略して申しますと昔からアメリカ経済では輸出にしても輸入にしても、大きな比重を占めていませんでした。しかし最近ではその比重はどんどん高まってきています。これは実は日本にしても他の国にしても同じです一般的に言いますと、先ほど申しましたようなインター・デペンデンス、相互依存関係の深まりということでして、商品の輸出と輸入、さらには資本の輸出、輸入でお互いが深く結び付いているというのがいまの世界経済でありますから、それはそれで結構なんですけれども、アメリカの場合問題なのは、そういう相互依存関係の強化がアメリカの経済、アメリカの個々の産業の対外競争力の低下と結び付いて起きていることです。したがいまして、アメリカの輸入は、このところ急激にふえているわけですけれども、それも単にカラーテレビとかいう耐久消費財だけではなくて、かなり重要な工業製品の部品、製品も含めて、設備、資本財でも大きく外国に依存する傾向が強まっている点が重要なのです。
どういうことかと申しますと、例えば自動車なら自動車で、アメリカが日本製自動車に対して自己の競争力を強化しょぅとした場合、結局日本の自動車産業、同部品産業に大きく依存することになるという「悪循環」が生じているということなのです。GMの場合をとってみますと、GMはトヨタを盛んに研究いたしまして、トヨタのカンパン方式が結構だということになりました。トヨタの場合、例のカンパン方式で良質で安価な部品を下請から獲得している。こういう下請制度というものが日本の自動車産業の競争力の秘密のすべてではないにしてもかなり重要なところであるということがわかってくる。
ところがGMといいますのはアメリカの自動車産業の中でも、もともといわゆる内製率の高い会社で、七〇%ぐらいは自社内でつくっておりました。これではいけないというのでトヨタ並みと申しますか、日本の自動車産業並みと申しますか、良質安価な部品を外注するという方向にどんどん切りかえようとした。ところがそういう良質安価な部品を供給できるような下請企業がアメリカにはない。良質安価なものをつくれるのは日本ないしは東南アジア等々であるということになりましたので、内製率を引き下げる、外注を高めるということは、実は日本に対する依存を深めることになってしまいました。GMはいま日本でたくさん部品を購入しており、いわゆるGM協力会をつくり下請各社を組織する一方、曙ブレーキ、またファナックとも合弁会社をつくって部品供給源を確保している。つまり日本との競争に打ち勝とうということが、実は日本に対する、日本の自動車産業ないしは日本の部品産業に対する依存を深めるという結果になっているわけです。
したがって個別企業の次元で見ると、確かにそういうビへービアはGMという企業の採算を高め、競争力を強めるかもしれませんが、貿易の面から見ますと日本からの部品購入はふえていく。こういうことになりますから、日米経済摩擦の克服のためにはアメリカ産業の競争力強化が必要だとアメリカでも言うわけですが、そういう努力が実は日本からの輸入をふやすということになってくるわけであります。こういう傾向は自動車以外の産業にも見受けられます。
非常に特徴的な例としてしばしば例に挙げるんですけれども、イーストマン・コダックのケースがその典型的な例といってよいでしょう。
イーストマン・コダックという会社は世界最大、最強の写真フィルム・メーカーでして、これまでそれに立ち向かう者はなかったわけでありますが、最近では日本の富士フィルムと小西六がこれになんとか対抗できるまでに成長致しましたが、とにかくイーストマン・コダックに対抗できるのは世界中で日本しかなくなった。ヨーロッパは全部競争に負けて、せいぜいローカル・メーカーとして生き延びているにすぎません。このイーストマン・コダックが最近経営が左前になりまして大問題起こしております。最近全世界で六千人の首切りをやって何とか経営建て直しをはかろうとしているわけですけれども、なぜそうなったかというと、大局的にいえばやはり富士フィルムとの競争に負けたからであります。もちろん経営に対する批判としていろいろ出ているようですけれども、一番直接のきっかけになったのがポラロイドとの特許権争いです。ポラロイドに対抗しようとして、一九七六年まで何とかインスタントカメラ業界に参入するために強引に製品を売り出した。それがポラロイドとの特許権争いに引っかかりまして、結局、裁判に負けてしまいました。したがってインスタントカメラから撤収を余儀なくされたわけでありますが、同時に大体十億ドルぐらいの損害賠償を要求されるようでございます。いささか踏んだりけったりというところになってきているわけですが、このイーストマン・コダックがそういう状況の中で、従来と経営方針を大きく転換しまして、製品をもっと多様化する方針を打ち出しました。インスタントカメラはやめる一方、製品をもっと多様化することになりました。
ところがイーストマン・コダックという会社は、昔から自分のところで開発した技術で自分のところでつくった製品を売るということをやってきている会社として有名でした。しかし、いまの段階で製品を多様化する、多角化するということになりますと、とてもそれを自社内でやることができません。実は全部日本の企業に依存せざるをえないのが実情です。例えばビデオカメラについては松下、ビデオテープはTDK、三五ミリカメラでは日本のチノン・インダストリーにOEMするといった具合です。いざ多角化しようとしても頼るべき相手がアメリカ国内にはないという有様です。頼るのは日本ということになりますと、アメリカの企業が経営再建、もっと言えば国際競争力の強化ということは努めれば努めるほど、実は日本に対する依存を強めざるを得ないのです。どうしてこうなっちゃったのか、それは大問題といわねばなりません。
つまり、個別企業の次元で見ますとそれしかないとしても、国として考えてみますと、それでは実は困るわけです。しかし企業に、おまえ損してもやれということを言えるものではない。個別企業の次元では極めて合理的な行動が、国民経済的な次元で見るとまずいということになると、やはりそれを調整できなかった国の政策に問題がかかってくるということになります。そういうことでアメリカでもいわゆる産業政策、日本の産業政策そのまま真似るわけではありませんけれども、産業政策の問題というのが出てまいります。
(2) 企業経営の体質
アメリカ経済がなぜこうなったかということにつきましてはいろんな意見がございます。日本でもたくさん翻訳が出ておりますので皆さん御存知かと思いますが、例えばMITのレスター・サーローとか、ハーバード大学のロバート・フイシュとか、いろんな方がいろんな説を述べております。それを聞いた限りでは大体もっともなように思われますが、しかしどうやったらうまくいくかということになると、アメリカの立場に立って考えてもなかなかむずかしいという印象を私は持っております。例えばサーローもライシュもよく言うわけですけど、アメリカの企業は利益、利潤について非常に短期的な視野にしか立っていない。経営者が、一種のバーの雇われマダムと申しますか、プロ野球の監督と申しますか、今年、来年に優勝できないとお払い箱というような、そういう形で雇われていますから、五年、十年、オーバーに言えば企業百年の計なんていうこととは無関係な経営になってしまいます。むしろ、ある会社で一、二年のうちに業績を挙げて、今度は月給五割増しでほかの会社に雇われるということを経営者も努力するようになりますから、一種の渡り職人みたいな経営者がどんどん出てくるところが問題だということがよく言われます。もちろん反論する人は、いやそんな経営者ばかりアメリカにいるわけではなくて、アメリカの立派な経営というのはちゃんと先のことまで考えて、その会社で育って、その会社を大きくした人間がやっているんだということもいっておりますが、ただ実際にそういう傾向が多いことは間違いないようであります。
例えば、日本ですとトヨタの副社長が日産の社長になるなんていうことは考えられませんけれども、アメリカではフォードを首になったアイアコッカがクライスラーの社長になるとか、コカコ1ーラの副社長がペプシコーラの社長になるというようなことは、いわば一種の日常茶飯事で、それはそれで経済的な合理性といいますか、経営的な合理性としては結構ですけれども、しかし確かに国家百年の計は別としましても、企業としての長期的な展望を持ちにくいということは間違いないところです。それをどうやって回復するかということはアメリカとしても大問題だと思います。
それと同じようなことが実は労働者でも言えるわけでありまして、労働者も働いて金もらうだけに関心がありますから、一銭でも余計にくれるところがあればみんな移っていく。あっという間に賃金の高いほかの会社へ移動していく。むしろ同じ会社に長くいるのは無能の証拠であるとさえいわれかねません。こういうどへービアをとっているところでは、やはり企業というものは育っていかないということになるようです。
日本の実情が、これで満点で、すべてオーケーと私も考えませんけれども、例えば、最近アメリカのハーバード・ビジネススクールが『コンペティティブネス』という報告書を刊行しましたが、それを見ましたら、結論は競争力を回復するためには日本のようになれということなんです。日本のような政府、企業、労働者、三位一体とは書いてありませんけれども、みんな一緒になったチームワークができないとアメリカはだめだと書いてありました。日本でもうまくいっているとは手放しで申せないと思うんですけれども、しかしそれを真似ようというのがハーバード・ビジネススクールの報告書の結論になっているぐらい、よく言えば日本を高く評価しているのですが、意地悪くいえば他に名案がないということになります。しかし、さてアメリカで日本のようなものをつくり出せるかどうかとなると、これまた別な問題でして、非常に大変であろうかと思われます。
アメリカの社会は多民族社会でありまして、黒人、プエルトリカンから東洋系までいろんなのがいるということも含めまして、そういう社会でどこまで日本的なチームワークが可能かとなると、それは非常に難しい問題だろうと思います。よく「日本経済新聞』にも寄稿しておりますのでお読みになった方も大ぜいいらっしゃるかと思いますけど、ロバート・ライシュはいまのアメリカ経済をペーパー・アントルプルヌーリアリズムだと、つまりペーパー経営主義だと申しております。つまり、アメリカ経済は昔はいいものを安くつくるということで競争して、それがアメリカ経済自身の発展ももたらしたし、世界におけるアメリカ経済の優位をつくることななったんだけれども、いまやアメリカはそれをしなくなった。要するに、物をつくるという生産部面よりも、紙の上、つまり、例えば日本で言えば財テクですとか、アメリカで一番はやっているのは企業の買収ないしは特許権争い、こういうことでもうけた方が非常にもうけやすいということでみみんなそこに走っている。これは問題なんだ。例えば弁護士の数も日本に比べてアメリカは人口当たり四倍だとか、こういうのも困るんだというようなことも書いてあります。一番問題なのは企業の買収問題で、もちろん企業買収自体は経営にとって必要不可欠なこともあるわけで、企業買収そのものが不可だとはとても言えないけれども、しかしいまのアメリカの企業買収は一種のマネーゲームであります。
例えば、USスチールという会社。一九〇一年に設立されたときは、アメリカ史上最初のビリオンダラーカンパニー、資産十億ドル、当時アメリカでも、もちろん世界でも最大の会社だった。ながらく世界の鉄鋼産業で覇を唱えていたのですが、日本や西欧の鉄鋼産業との競争に対してどういう行動をとったか。実際には正面からこれと闘うことはほとんどしなかった。何もしなかったと言っては怒られるかもしれませんけれども、実際上ほとんどしなかった。むしろ製鉄産業に投資すべき資本をはかに使いました。最近でも、八二年でしたか、マラソン石油という大きな石油会社を六十五億ドルを出して買収しております。もちろんUSスチールの留保利潤だけでは賄えませんから借金をして買ったわけですけれども、USスチールという会社はいまや実質的にはUSオイルで、同社の鉄鋼の売り上げ高は二十数パーセントに低下しています。五十数パーセントはいまや石油で十数パーセントは化学製品です。こういうように、石油会社を買収した方がもうかるなら、何も社名がUSスチールだから鉄だけに投資しなければならんことはなかろうどいうことで、マラソン石油の買収に走る。
これも考えてみれば、企業として合理的だと言えないことはありません。何も苦労して日本の鉄と、西欧の鉄に対抗して、勝てるか勝てないかわからない闘いをやるよりは、もっと安直にもうかるマネーゲームがあるならばそちらへいった方がいいんじゃないかというわけです。しかしその結果は何かというと、アメリカの鉄鋼産業は西欧や日本の鉄鋼産業との競争の前にほとんどつぶれてしまった。そういう言い方は語弊があるんですけれども、少なくともかってのアメリカ鉄鋼産業は存在しなくなってしまった。これも企業次元の話としてはそれなりに意義があることかもしれませんけれども、国民経済的に見るとやはり明らかに問題が残るところであります。
(3) 雇用構成の変化
つまり、アメリカ経済はこのまま一体どうなるのかという問題になるわけですが、しばしばこういうことを言われる方があります。確かにアメリカにそういう問題が起きているかもしれないけれども、しかしアメリカの雇用を見ればわかるように総雇用はふえているじゃないか。それで失業者は吸収できるから問題ないと言うわけであります。確かにその面もございます。しかしアメリカの場合問題なのは、総雇用の増加がもっぱら流通部面、第三次産業部面においてみられる点であります。従来のような鉄をつくるとか、自動車をつくるとか、そういう産業における労働力というのは明らかに減少しています。
どういうことになるかと申しますと、彼らの賃金を比較してみればわかるわけですが、当然ながら、スーパーマーケットでレジスターをガチャンと押しているおばちゃんの賃金は、鉄鋼産業で溶鋼炉の前で汗流している労働者よりも低いわけです。したがって数の上である程度の相殺はできたとしましても、アメリカの労働力、アメリカの社会で中軸を担っていた、俗に言う中産階級と言ってもいいかと思いますが、そういう層がなくなっていくのです。一種の階層分化、階級分化がそこで起こってくるわけです。統計で見ますと、やはり比較的に金持ちの層のパーセンテージがふえていますけれども、同時に貧乏な層がふえている。真ん中が減っていくという状況です。これは今年、来年どうこういう問題を起こすということとは別に、アメリカ社会の将来を考えてみた場合実に重要な問題といわねばなりません。社会の安定度というのは、しばしば言われますように、中産階級がどれだけいるかということと絡んでいまして、傾向として両極に分かれていくということは、社会の安定性を考えた場合問題があるといわねばなりません。
(4) 「貧困の女性化」
同時に ー 話がどんどん脱線して恐縮ですけれども、アメリカ社会を考えて見た場合問題になりますのは、そういった下層の所得グループでは、いわゆる貧困のフェミナイゼーション、「貧困の女性化」ということで女性の比率が高いという点であります。つまりこれは経済現象というよりは社会現象なんですが、離婚が多い。離婚が多いと結局別れて子供を抱えて一人で暮らすという層がふえてくるわけです。それが社会の貧困層を形成していくわけです。これがばかにならないくらい大きいわけであります。
MITのサーローなどが非常に面白いことを言っているのですけれども、正直言ってどこまで本気かちょっとわからないんですけれども、非常に面白い案は、そういう貧困層を社会保障でカバーしきれるものではない。したがってそういうのは別れた亭主から金を取るべきである。別れた亭主にがっぽり税金をかけて、それを政府がとにかく取り上げて、そして別れて貧困層に落ち込んだ女房と子供にやればいい。社会保障なんかやっていたのでは費用がかかってたまらないということを言っておりますけれども、そういうことがうまくいくかどうか私もわかりませんが、そういう問題を真面目に経済学者が議論しなければならんほど社会保障というのはアメリカ社会で必要不可欠になっているわけです。
しばしばアメリカでは余り社会保障が発展していないと言われますけれども、決してそんなことはありません。特に一九七〇年代以降、いわゆるジョンソン大統領の偉大な社会ということで、大砲もバターもという政策をとりましてから、社会保障の国民経済における占める比率は非常に高くなってきております。一たん膨らんだ社会保障は政治的な抵抗がありますからそう簡単には縮少できない。レーガンさんは盛んに縮少、縮少と言っておりますけれども、いざとなると、選挙の前になりますとどこの国もそうなんですが、民主党、共和覚を問わず議員連中が強硬に反対しますし、別れない。失業も離婚も社会保障が完備しているから結構だと言ってばかりいられないことは言うまでもありません。つまりアメリカ経済全休としてそういう社会保障を受けなければならない人を養える力が十分あるときは問題は別なんですけれども、その力がだんだんなくなろうとしているときにどうするのか。それで富める層は貧乏人を養うのはいやだからといってこれを切り捨てれば社会不安の種にもなるわけです。
(5) 膨大な財政赤字がアメリカ経済に残したもの
ですから、先はどの雇用構成の変化という問題も決して個別産業のあれやこれやの問題ではなくて、アメリカ社会の安定性とも絡む、きわめて難しい問題であろうかと思います。しかもこういう状況に政府の政策展開上非常に問題なのは、アメリカが膨大な財政赤字を抱えているというユとです。日本も抱えているということを言われますけれども、私が考えますのに、日本の抱えている財政赤字よりもアメリカのそれは決定的に大きな重荷になっているというふうに言わざるを得ません。年間二千億ドルを超える財政赤字であります。また、アメリカという国はいま二兆億ドルを超える国債残高を抱えているけれども、それをつくるために建国以来二百十年かかったわけです。しかし次の二兆億ドルは今後十年でできちゃう計算です。事態を放置しておくわけにはゆかず何とかしなきゃならんということでグラム・ラドマン法が制定されましたが、しかしなかなかそう簡単には財政赤字が大巾削減をみることはないと考えます。
つまり政府の政策をつうじて何か積極的に手を打とうとすると、財政的な縛りと申しますか、制限が非常に大き過ぎてなかなか打てない。打てないどころかいままで積み上げた財政赤字をどう処理するかという問題について、先はどのグラム・ラドマン法のように、歳出を減らすという形で対応しなきゃならなくなるとすれば、デフレ効果がむしろこれから出てくる恐れがあるわけであります。こういう状況で対応するということは極めて大変といわねばなりません。レーガン大統領ならずとも二年後には次の大統領が出るわけですけれども、民主党から出ようと共和党から出ようと新大統領にとって非常に難しい問題がアメリカ経済に残されていると思われます。レーガンさんは非常にいいところだけ味った上でお辞めになるような形になりそうなんですけれども、先々のことを考えますと、次の大統領には非常に難しい問題だけが残されると考えるわけであります。
日本の場合も、もちろん膨大な財政赤字とそれから国債残高があるわけですけれども、アメリカとの重要な違いは、日本の場合はそういう財政赤字の結果何が残ったかというと、国際競争力があり過ぎて困るくらいの日本経済が残っちゃったわけです。ところが、アメリカは二兆ドル超える財政赤字で何が残ったかというと、膨大な軍備を別とすれば、国際競争力という点で非常に問題がある、外国からの輸入にますます依存しなければならないような経済が残ってしまった。これをどうやって立て直すかについては、アメリカのたくさんの学者、政治家が頭を悩ましているところでございますけれども、非常に難しいのではないかと、私は考えております。
どうも学者の話というのはえてしてペシミスティックになっていかんとお考えの向きもあるかと存じますけれども、私、生来心配性であるせいか、そういうことを考えますと、アメリカの大統領は非常に大変であると、本当に心から同情せざるを得ないと考えております。
一応いままでお話ししました処で、何かご質問、ご意見があれば承ってお答えさせていただきたいと思います。御清聴どうもありがとうございました。
[質 疑 応 答]
― アメリカの弱体化というのか原因の一つにユニオンの問題がある。そういう見方ができるんじゃないかと思うんですけれども、それはどうですか。
佐藤 いまおっしゃいました点は、特に戦争直後の状況において非常に大きな意味を持っていたと思います。あの時点で、アメリカは世界で最大、最強の経済力を持っておりました。国際競争力ということから言いますと、アメリカは圧倒的に高かったわけです。そういう状況の中で、アメリカの労働組合が賃上げを強力に要求した。国際的に圧倒的な優位ということもありまして、資本の側もそれを容認いたしました。ガルブレイスはカウンターベイリング・パワーということを言ったわけですけれども、彼のカウンターベイリング・パワー理論が困るのは、ビッグ・ユニオンとビッグ・ビジネスが対抗したときはカウンターベイリング・パワーが機能しないのです。強力な労働組合が賃上げを要求しますと強力なビジネスはそれを容認して高賃金を認める。賃上げ分を価格に転化してしまう。特にそういう傾向が顛著だったのは鉄鋼産業であります。
鉄鋼産業の場合、アメリカの一九五八年までの物価上昇のかなりの部分は鉄鋼価格の上昇によるわけですけれども、それは鉄鋼会社が鉄鋼労働組合の賃上げ要求を受け入れた上で、それを鉄鋼価格にはね返えらせた結果でした。これが五八年までのアメリカの一般的な物価上昇のかなりな大きな部分を占めておりました。自動車の場合も実はそういう傾向がございました。これは一九六四年度でしたか、GMはストライキをやられるよりは賃上げ要求をのんで生産を続けた方が有利であるということで賃上げ要求を簡単に呑んだことがあります。それ以来何かそういう、ストライキをやられるよりは生産を続けた方がましだということでやってきたのが、アメリカにおける競争力低下のかなり大きな原因であったかと思います。その意味ではビッグビジネスとビッグユニオンの双方にその問題があったかというふうに考えられます。
― 日経連の問題にこちょっと関係していたんだけれども、戦後日経連で一番問題にしたのは、企業内組合というものは御用組合だから、あれは本当の組合じゃないんだ。それでアメリカ式の産業別、職業別組合員が本当の、あのとおりにやるべきだという意見が大分一時ありまして。しかし木川田君という人が絶対にそれは反対であって、日本の労働組合の特徴を生かしておくべきだ。それは企業内組合だと。
というのは、アメリカの労働運動、いまお話がありましたが、全然無関係の事業が無関係の経営が職業別組合の若干の人数のストライキによって全部ストップしちゃうんだね。これはアメリカの産業全体を弱めることの大きな原因だという見方をしたので、いまそれがあらわれているんじゃないかと思うんだけども。
実は私は、小さな工場だけども工場をつくるときに一番けんかしたのはユニオンなんです。最初に、うちはレイ・オフ絶対やらん。そのかわり不況になったら賃金をダウンするということを宣言さしてやったら、いまは定着率が高くて、随分方々から組合加入の誘惑があるけど絶対に応じないでいますが、どうも私は、そういうユニオンが産業別、職業別で意味のないストライキを各単位企業が危険を一緒に負って、それが当該産業のアメリカ全体の国際競争力を下げているように思ったんです。
佐藤 その問題は、確かにアメリカの場合もありますが、ヨーロッパ、特にイギリスなんかの場合深刻のようです。 一つの造船所で組合が百数十もあるという例があるそうです。一つの組合がストライキをすると全造船所がとまってしまうというようなことも含めまして、クラフト・ユニオンは確かに歴史的な意味があってできたものでしょうけれども、やはり現代には合わなくなってきているようです。日本の労働組合制度というのはいろいろな批判もありますし、外国から見てもなかなか理解しにくいところもあるでしょうけれども、ただ、少なくともそのよさを取り入れようとする傾向は最近アメリカでもヨーロッパでも非常に強いんじゃないでしょうか。
― 日経連や生産性本部へ随分視察に来ています。あるようですね、これは。
― いまのお話ですが、世界全体を考えた場合、どこの国でも国民の生活を豊かにするということになりますと、だんだん工業化ということになってくる。これでないとやっていけないということになります。それはずんずん工業化になっていくのでありまして、そうするとさっきのお話のUSスチールの鉄の方をやめちゃったということになると、そのために日本のものが一方的に、そういうふうになってお互いに助け合ってグルグル回っていくんじゃないかと思うんです。例えばNICSなんて言っているのもあるでしょう。ああいうところだって入れるものはどんどん入れた方がいいと。そういうことになればかえって空洞化ということじゃなくて、世界じゅうそうやってグルグル、水平分業、そういったものになっていくためには、もう少し多国籍企業になっていくんだけれども、それが水平分業とかそういったものにうまく入っていく方法はないのかなという感じがするんですけれども、どうでしょうか。
佐藤 なかなか難しい問題ですが、私、お話ししたのが一つの答えのつもりだったわけですけれども、つまり空洞化と言いましても、それはいわば経済発展の自然的なプロセスでありまして、そのこと自体を阻止するということは、これは意味がないことだけじゃなくて、逆にマイナスが実際に起こってくると思われます。したがってそれはそれでしょうがない。あたりまえのことであるといわねばなりません。いま日本企業が外国に出ていくことだけ申しましたけれども、おっしゃいましたように、例えば韓国、台湾から雑貨だとか、そういう種類のものはこれからますます大量的に入ってくるでしょうが、それらの輸入を押さえることは、これはやっても意味のないことです。といいますのは往年日本がアメリカに対してやったことを、今度韓国、台湾が日本に対してやったときに、おれはいいけどおまえはいかんという話をいえるものじゃない。そうしますと出ていくことと同時によそから入ってくることとの結果として自然淘汰されなきゃならん産業部門が出てくるのは当然であります。これは】種の自然的な過程なんですけれども、同時にこれは政治の問題が絡んできます。いわば日本経済の発展の結果として自分がつぶれる。どうして自分だけが割を食わねばならぬのか、というのが日本国内に当然でるわけです。
昔あった商売でいまなくなった商売がたくさんあるわけでありまして、私どもの子供の頃にあった商売でその後立ち行かなくなっていまはなくなったのが、たくさんあります。
例えば女中なんていうのは、昔は普通のサラリーマンでも女中置いたけど、いま女中置いているのほ余程の大金持ということになっております。と同じように昔あったからいまも日本になきゃならんとは言えない商売がたくさんあるわけです。これは自ずと整理しなきゃいかんわけですけれども、しかしこれは短期間にやりますと犠牲が大きい。したがって重要なことは、それを政府の政策として意識的に早目に手を打ちながら進めることなんです。ところが実際にはそういう人たちの責任も一部残っているわけですけれども、自分たちが苦しんでいるから保護してくれという要求になることが多い。保護というのは、やはり自然的過程の進行をおくらせるだけなんです。そうすると自然的過程は必ずいつかはそこへ行かなきゃならないものなのに、それを押しとどめているわけですから、いざ動いたときに物すごい大きな犠牲が出てくるということになります。したがって何とか現状維持で助けてくれという要求は、実はそういう人たちのためにもならないのです。
そこのところは、これは経済学者の問題よりは政治の問題なんですけれども。政治は、苦しい、何とかしてくれ。よし助けましょう。補助金持ってきましょうという形になることが多い。それでは問題一つも解決していかないのに。やはり、現に苦しんでいる御当人には申し訳ないけれども、そうやって一時的に救うことが結局は後で非常に困難なことになるんですということを言わなきゃいかんと思います。ところがどうも政治というのは、すべて既得権益の擁護に偏り勝ちです。重要なことは、それじゃ国が困るということと同時に、やはり一時助けられた人も実は助からないということなんです。こういうところを本当は政治の問題として議論にならなければいけないと私は思いますけれども、そんなことを言うと政治家の方から怒られますから言えないんですけれども。
― 国家間の経済摩擦の問題は、えらい飛躍しますけれども、政治の問題なんでしょう。私はECなんて勉強してないんですが、国家統合ということは、国家連合というものはどうなんでしょう。
佐藤 人類の歴史をオプティミスチックに展望すれば、世界連邦とか世界国家ということも考えられますけれども、私どもの生きているうちはとてもとてもという気がいたしますし、それから、これも全く冗談でよく出てくるわけですけれども、日本とアメリカが一緒になっちゃったら、日本がアメリカの五十一番目の州になったら貿易摩擦なくなるんじゃないかという説もあるわけですから、これもなかなかそうはいく筈はありません。戦争直後、久米正雄といぅ人が、日本はアメリカの一州になれなんていうことを言いまして、かなり批判を受けたことがありますけれども、社会も国家もそれぞれ歴史を背負っているものでありますし、人間、人類を考えましても、民族、国家という媒介項をそう簡単にははずせないんじゃないでしょうか。
(昭和六十一年六月二十四日収録)
佐藤 定幸 大正十四年十一月三日、東京に生れる。
昭和十八年四月、東京商科大学予科入学、
昭和二十三年三月、東京商科大学学部卒業
昭和二十三年四月、(有)世界経済研究所入所
昭和二十九年一月、同退所、
昭和二十九年二月 一橋大学経済研究所助手、
昭和四十四年一月、同教授、以後今日に至る。
その間、昭和五十年六月−五十二年五月・同所長.
専 門 多国籍企業論、アメリカ経済論
主要 著書 「世界の大企業」(昭五一)
「コングロマリット」(昭四四、
「多国籍企業の政治経済学」(昭五九)
訳 書 H,オーコンナー「石油帝国(昭三二)
G、コルコ「アメリカにおける富と権力」(昭三八)