追悼のことば
2組 鵜沢 昌和
私は葬儀委員長をお引き受け致しておりますので、ここで追悼のことばを述べることは筋違いのこととは存じますが、故人と66年間という実に永きに及ぶ交友を続けて参りました者として、ここにひとことお別れのことばを述べさせて頂きます。
河合さん、人の世の定めとはいえ、66年間の友であるあなたと、もう再び会うことが無いという現実は、私にとって耐え難い嘆きであり、淋しさであります。
現在の一橋大学で初めてお会いしたあなたは、剣道の達人という噂に違わぬ体格の良い白暫の好青年でした。
財政学の最高権威とせれた井藤半弥先生の難関ゼミナールに入り、文武両道に秀れた成績を挙げて卒業し、戦争中は海軍主計大尉として監査業務に従事されましたが、この期間すべて私は同じ組織に所属し、同じ道を歩みました。この6年間に始まって、本年迄続いた稀に見る永い交友の間、あなたは常に実に良い友であると共に、私にとっての師であり、恩人でもありました。
あなたは、一人の人生において、少くとも実に達人3人分の偉業を達成されました。
即ち、日本興業銀行における数々の業績、続いての山一證券代表取締役としての再建達成、そして最大の業績である河合塾の飛躍的な発展の実現など、どのひとつも一人の人間の容易になし得ざる大事業を、あなたは一人で実現されたのです。
このことは、あなたの稀に見る広い視野、リーダーシップなどの能力のみでなく、特に優れた良きお人柄によるもので、おなたの気配り、思いやり、包容力など、到底語りつくせぬものであります。
(ゴルフのプレイでその人の本質がわかるといわれますが、あなたのプレイはまことに歯切れ良く早く、仲間のプレイには称讃を惜しまず、キャディへの気配りも抜群でした)
また、あなたは常に身だしなみに気を配られ、スマートな服装で周囲を明るくされました。
思えばあなたは努力の人であると共に、誠に恵まれた幸福の人、強運の人でもあります。
井藤半弥教授、中山興銀頭取をはじめ多くの優れた上司、よき同僚部下に恵まれ、家族では素晴しい賢夫人と、後事を託しうるご子息とご令嬢、ご令孫に恵まれておられます。
あなたの偉業は、令夫人の絶大な内助なくしてはあり得なかった筈です。
河合塾を日本一の総合教育事業に育てあげ、数え切れぬ人材を育成し、多くの友人を援助し、良き後継者を得て、将に「功成り、名遂げた」今、河合さん、どうか安らかにお休み下さい。
永い間、本当にありがとうございました。
(平成17年9月12日)
(この「追悼のことば」は、さる9月12日芝増上寺光摂殿にて故河合斌人君(7組)の葬儀が、学枚法人河合塾並びに学校法人河倉学園の合同葬が執り行はれ、葬儀委員長の鵜澤昌和君が申し述べられた内容です)