如水会ゝ報 平成4年(1992)6月 第746号p.2

ポトマック河の桜まつりレガッタ

佐藤和實
(昭28経)

四月十一日、レガッタの当日、ワシントン市ポトマック河畔の桜並木は満開になった。



一九一二年、尾崎行雄東京市長が三千本の染井吉野の苗木を贈って今年で八十年、
恒例の桜まつりが特に盛大に開催された。

メインイベントのひとつがボートレースで、
一橋・東大の両校ボート部に招待状が届いたのが、昨年秋も深まった頃である。
米国の大学とボートで覇を競うだけでなく、知的な交流の道も拓きたい、
もっと大げさにいえば、市民外交の役割にチャレンジしてみょう。
ボート部員が心を躍らせたのは当然である。

如水会の鈴木永二理事長、一橋大学の塩野谷祐一学長はじめ幾多の先輩方から、
オール一橋の代表として桧舞台で堂々とやってこい、という激励をいただいた。
如水会の理事会でも物心両面のご支援が決まった。
四神会はもちろんだが、在米如水会の皆さまからも心のこもったご協力がいただけることになった。
学外では、
大使館の大野裕之氏(東
大ボート部OB)や日本航空の安弘光支店長のご尽力も忘れることができない。
有難いことである。
ボート部のOBでもある小生は、こうした内外のご厚意に胸を熱くしながら、
ポトマック河へ応援に馳せ参じたのである。

この上なく幸せな一橋クルーは、東大とともにレースの一週間前にワシントン入りした。
あらかじめ現地の造船所に注文しておいたエイトの新艇を、「如水」と命名した。
カーボンファイバー製の白い艇体の如水号が、八本の真紅のオールを駆って、花吹雪のポトマックを、
ワシントン記念塔を背に快漕する雄姿は美しかった。
ご家族連れで応援に駆けつけてくださったのは、
如水会ワシントン支部の斉藤国雄支部長(昭39経)、西川広親幹事(昭57経)、
ニューヨークから立野健三理事(昭21学)、天野順一支部長(昭30経)、
そして四神会の艇友である小野早苗(昭31商)、秋月程賢(昭31経)、豊田雅孝 (昭42社)
 の各氏をはじめ総勢三十人の皆さん。
マーキュリー鮮かな赤の旗地のひらめきが、ひときわ目立つ。
諸先輩方は、「涙もろくなったのは歳のせいかな」、と異口同音。


本学クルーと「如水」号・・・初々しい女子高校生クルーも見える。

第一回桜まつりレガッタの参加クルーは、
米国東部を中心に約九十、そのうち何と四十が女子大生のクルーである。
一八〇センチ近い長身の娘たちのオールさばきは、ういういしい顔に似合わず凄味さえある。
爽かにして明るい。喜々として、きついといわれるこのスポーツに打ち込む姿
は、さすがアメリカ、である。

舵手の掛け声が交錯する。
「スパート十本!さあいこう!」
ボートの英語は分りやすい。
”Give Her Ten!Altogether!”

男子学生の部の壁はさすがに厚い。優勝はアナポリスのネイビー・クルー。
日本勢は予選で残念ながらトップをとれず、
順位決定戦に進出、東大は第六位、
一橋はホスト校のジョージワシントン大と接戦の末、第八位に終ったが、


全力を尽した東大・一橋両クルーに対して、
見物のワシントン市民から、日の丸を打ち振って声援と拍手がわいた。
こぶしを上げてこれに応える両クルー。
日米摩擦の風が吹くといわれる国際政治の都ワシントンで、
選手と市民たちとのこの交歓。まさに、スポーツは国境を越える、である。

ワシントンポスト紙は、レースの翌朝
「オックスフォード・ケンブリッジに比すべき東大・一橋の両クルー、初舞
台で好演」と報じた。
レースの日に先立って両クルーの参加するいくつかの催しがあったが、
圧巻はジョージワシントン大学における「日米学生の対話セミナー」であった。
朝晩の食事を何日か共にした日米のクルーたちが、
「コメ、自動車、安全保障」という大テーマと格闘しっつ、
率直な意見をぶっつけ合った。

文武両道の若者らしい応酬の火花と共感の焔は素晴らしかった。
数時間におよぷセミナーの幕引きを、
一橋の池山主将がこう締めくくった。
「ポトマックの流れは隅田の水に通ず。次には来たれ、隅田川で闘わむ。」

(如水会常務理事、住友海上損害調査・株・社長)