夏休みの思い出 (1)
5 組 山崎 坦
学生時代 暑中休暇ほど 楽しいものはなかった。
中学校二年の夏は一夏一杯 浜名湖畔で過ごした。
早朝 和船を漕ぎ出して 「今切れ」付近まで行き 潮に船を流して 釣をした。
帰りは追っ手に帆を上げて戻った。それを毎日のように繰り返した。
新学期に東京の中学校に帰ったとき、ぐっと身長が伸びていた。
172cmほど。
写真中央は私・両側は従兄弟
左は大分 兄貴分の山本定蔵・後に豊田自販社長・故人・
この頃は京大のラグビー部員か
右は同年・下位博・竹馬の友
後に従軍時はガダルカナルえ出征・重機関銃隊・奇跡的に生還できた。
隣の重機関銃隊長が十二月クラブ3組熊谷長君・S18・1・26戦死
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中学校5年のとき 富士登山をした。
海軍兵学校に進んだ渡辺譲君(戦死)とだった。
渡辺君の写真がない。
ご来迎 富士山頂 雲に山影が やがて快晴・江ノ島が見えた 冨士のお鉢 |
私 右は十二月クラブ第13代幹事長 4組 樽央也君 |
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昭和十三年1938年 大学予科三年の夏休み 軽井沢 千ヶ滝 |
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左は十二月クラブ 1組 松村次郎君 | |
左より 5組 井上一造君(故人) 5組 小林悦生君(故人) 6組 山本恒太郎君 5組 山崎坦 |
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よくコーラスをやりました。 |
野球もやりました。演劇もやりました。 |
森の中で 古典をむさぼり 乱読しました。 浅間山が噴火したのです。 |