如水会ゝ報 昭和六十二年(1987)七月 No.687 p.36
「一橋の学問を考える会」をめぐって
新 井 俊 三(昭12学)
昭和五十六年五月にスタートして六年間この会をやらせて戴きましたが、講義の内容は冊子にしますと六十余冊になります。
短い講義のために反ってキラリと光る殊玉の思想が鏤められているとどなたかが言っておられました。
講師の皆さまも予め打合せをされた訳ではないのですが、全体を通じてみますと、明らかに一橋の学風が看取されると思います。
私はいまだにパラパラとめくって拾い読みを続けておりますが、この六十余冊が私にとっては一橋の学問のバイブルのような気がいたします。噛みしめれば噛みしめる程味の出てくる論文集だと思います。
恩師の追憶あり、学説の解説あり、その後の発展あり、こうして纏めてみますと、あたかも「体系なき体系」という感じもいたします。
実は古いメモが出て参りまして、この会の発足の頃のわれわれの考えが出ていて興味深いものがありました。「とりあえず大正中期から昭和の初め頃まで、すなわち大学昇格後から一橋大学再編成までの東京商科大学時代の講先輩の学説を中心に展開する」更に「さしずめ二年間の予定とする」とありまして、終講は「如水会館の竣工」に合わせて記念講演としたいとありました。ですから最初は工業クラブでやっていました。そして取り敢えず一年位やったらよいと考えていた訳です。
ところが会員の皆さまや世話役のわれわれの気合がぴったり一致して、いつの間にやら六年の歳月が経過してしまいました。且つ教授の方々の熱心なご協力も非常な推進力になっております。担当者がレクチャーのお願いに参上すると、「そろそろ僕の番ではないかと思っておりました」というお話もあった位です。そうした講師側の意気込みも反映して講義のひとつひとつが実に立派な内容をもっていたと思います。内容が立派であったのみならず、どれもいわば感激的な講義であったということです。例えば、山田雄三先生や高島善哉先生の講義のときなど、あらためて石神井、国立時代の思い出にふけりながら一同粛然として中には涙を浮べておられた方もあった位です。
この会の趣旨から言って講義の内容が大正、昭和の初めに集中されたのは当然ですが、最近になると時に戦後の一橋の学問にもふれて参りました。例えば阿部教授の「社会史」室田教授の「エコロジー」あるいは今井教授の「産業経営論」山崎教授の「数理経済学」等老書生達には非常に新鮮な知的刺激が与えられました。これは会員全部の一致した感想といってよいのですが学問がこんなに面白いものだったのかということです。毎回の会合で五十人を下ったことは先ず無かった。毎月やっているとおのずから定席みたいなものが出来てくる。殊に年次別に何んとなく集っておられる。小規模なクラス会があちらこちらで行われているような雰囲気で実になごやかでした。その中講義がはじまると皆さま真剣に耳を傾けておられました。結局永年世の荒波にもまれ、多くの社会的経験をしてきた人達が、晩年になって再びアカデミックな経済学や歴史、哲学にふれるということは非常に意義あることだというのが私の感想です。
若い講師(といってもわれわれ七十以上の者からみた若いということ)の方も「オヤジか兄貴の前で話をするようでやり難いですよ」と言われながら、内容はおのずから情の籠った講義になる。学問にも情があります。人間性と深いかかわり合いがあります。それが学風を形成している。話し手と聴き手の心が通じ合っている、そういう感じを私は強くもちました。
学問というのは本質を求めて努力する人間の営みだと思います。
ホンモノを求める努力といってよいかも知れません。いま日本は二十一世紀に向けてどのような進路をとるべきか、誠に不透明なところに来ております。しかしだからこそ日本はこれからホンモノの学問をしっかり身に着けていくべきだと私は思うのであります。「哲学と歴史」に基礎をおきつつ実学的であるのが一橋の学風とすれば、正に二十一世紀の日本が要求する学問こそが「一橋の学問」ではないかと考えられます。
そういう意味で「一橋の学問を考える会」は一応お役目を果しましたが、決してピリオドを打った訳でなく、一橋の学問が永遠である如くこうした卒業生、学校とが一体となっての活動もまた永遠であるべきでしょう。今後も人は変り、時代は移っても一橋の学問のあり方は常に「考え」られなければいけないと思います。またそう
いう意味で改めて昭和三十年代、四十年代あたりの卒業生の方々が中心になって是非「一橋の学問を考える会」の次の時代を形成していただきたいと期待する次第であります。
(新井経済研究所所長)