[12月クラブ通信] 平成18年(2006)8月号第122号

老人マンションに住居して

6組 大野晴里

還暦、古稀、喜寿、傘寿、米寿と来て、さてこれからは? 
同期の7割が鬼籍に。
今、在るのは勝租なのか、将又、負け組なのかと。
軍人恩給や、老齢年金を受け、お爺チャンの年代は恵まれているの、
と孫達に云ほれて複雑な気持ちの昨今です。

私の祖父は、私の予科1年の夏、「写真屋を呼んで」と云って、
かかりつけのドクトルメジチーネと家族の前で写真を撮り、事が切れました。行年77歳でした。

父は肺癌で早死をしましたが、聖路加病院で、
私がベッドの側に居る時、
「今日は観音様が迎へに来たから」と云ひ、
近親を呼ぶ様指示されました。
当時若年の内科部長日野原重明ドクターの立会いで、
一人一人に話をして静かに静かに逝きました。

ドクターが「まだまだと思って
いましたのに」とのことで、
その後私が立ち会ひ2時間の解剖をして貰いました。
最後に女医が脳を手にして、脳への癌細胞の転移を確認して納得したのでした。

さて、私は、と、
今アルツハイマーと診断された妻をかかえ、考へ込んで仕舞ふ昨今です。