日時 : 2006年11月2日
送信者: "yamazaki hiroshi"
件名 : 再び: 美しい日本について(教育)
山崎 坦(S16学後)です。
明治憲法・大日本帝国憲法が明治22年発布され、教育勅語が明治23年下賜されました。
(憲法につiいは[一橋の学風とその系譜]橋問叢書第32号「美濃部博士と憲法」田上穣治先生をお読み下さい。)
クリック
日本国憲法は昭和21年11月3日公布され、
教育基本法が昭和22年公布されています。
日本国憲法にも教育基本法にも英文のものがあります。
憲法はGHQが1週間で作り、その憲法に基づいて教育基本法が制定されました。戦前にはなかった法律でしょう。
戦争直後のGHQメンバーは社会主義者が多く、戦前の右から180度左に持ってゆきました。
国内の左派勢力が勢いづきました。
戦前の先生・訓導・聖職者(三尺下がって師の影を踏まず)は労働者(日教組)になり、「尊いわが師のご恩を仰が」なくなり、「不逞の輩」になって、教育は荒廃して行きます。
ソ連が崩壊し、共産主義の実験は失敗であったことが明らかになった現在でも、この勢力が根強く存在して世相が悪化しています。
今やアウフヘーベンの時代に入ったので、速やかに徳の至れるもの・中庸に落ち着かせねばならないと思います。
戦後は師範学校や高等師範学校が廃止され、商大(一橋)教員養成所、(予科、専門部)も廃止されました。
余計なお世話に、否、意図的に、日本の教育は目茶目茶にされたといえましょう。
今や日本は、愚図愚図していないで、自分の足で、しっかりと立ち直らねばならないと思います。
如何なものでしょうか。
From: "ono harusato"
Sent: Friday, November 03, 2006
Subject: Re: 再び: 美しい日本について(教育)
山崎 兄 大野です
同感ですがさて、今の世相、如何とも。外面的強制的な基本法など作って見てもどうにもならんと思います。
宗教を持たないとまでも言い切れる日本人に、教養を持つように指導する方法として、英語教育に英語国の’ことわざ’を英語で教える方法を取り入れるのは如何かと。漢文では若者向きと思えませんので。
サイマル出版会発行の、ことわざ英語と日本語を30年来座右の銘としていますので。
送信者: "yamazaki hiroshi"
日時 : 2006年11月4日
件名 : Re: 再び: 美しい日本について(教育)
大野 兄
山崎@1941です
ありがとう。
現代人のマジョリティーに届かないと駄目ですね。
貴兄お好みのことわざ教えてください。
よろしく。
送信者: "Edward Chang"
日時 : 2006年11月4日
Dear Yamatan,
ことわざの話が出て、すっかり気が楽になりました。
日本の諺は判り易い表現を使って、優れた処世の道を教えています。
「犬も歩けば棒に当たる」は家の中でぐずぐずせずに外を回ってチャンスを見つけて来い、という励ましの言葉。
その反面に、「果報は寝て待て」、「棚から牡丹餅」、「待てば海路の日和」など。
或は「論より証拠」と力んでいる傍ら、「嘘も方便」と言っても居る。
戦前どこかの高等学校で、ある外人教師が授業時間の終わりに腕時計を見て、
「オー、タイム イズ モーネエ」と洒落たそうです。
英語の諺を江戸っ子弁で仕上げたのは、仲なかの腕前でした。
ED
送信者: "原田 和幸"
日時 : 2006年11月5日
件名 : Re: 再び: 美しい日本について(教育)
山崎様、大野様
原田(S29卒)です。
山崎さんの教育に対する考え方に基本的に賛成です。
若い世代に分かりやすくすることも大事ですが、戦後の教育で(家庭教育も含めて)大事な徳目を教えなかったことがいけなかったのだと思います。
人間にとって本当に重要な事柄は漢文であれ英文であれ、世代を超えて伝わると思います。戦前の教育勅語には儒教の教えが色濃く反映しています。中国で生まれた儒教は中国人には受けられず、江戸時代に日本に根付き戦前まで続きました。
何処の国で生まれたものでも、良いものは良いのです。日本人は善し悪しの識別能力は優れています。中国産であれ欧米産であれ、良い道徳観を見分ける力は衰えていないと信じます。
是非、道徳教育を真っ先に教育現場に取り入れるよう願いたいと思います。内容の善し悪しは、時間が濾過してくれると思います。
送信者: "Susumu Suzuki"
日時 : 2006年11月6日
件名 : Re: 再び: 美しい日本について(教育)
先輩諸氏・皆様
鈴木(S54経)@ニューヨークです。
道徳教育に関する論議が出ており、基本的には皆様のご意見に賛成なのですが、
現実には、それを、日本の学校制度の中で適切に行うのは無理があるようにも感じます。
アメリカでは日本以上に多様な人がおりますが、以下自身の経験と感想から、参考になりそうなことをまとめてみました。
@ 親が子供に道徳教育を施す責任があることを認識すること。
アメリカでは「ソシアライズ」という言葉があり、日本ではこれを大人に適用した場合をのみ想定して「社交」と訳しておりますが、子供に対してこの言葉を使うことも多々あります。その場合、「社会の常識を教えて、人様の前にだしても恥ずかしくないように躾ける事」、つまり、まさに「社会化」であります。私は、これは、基本的に学校に頼る問題ではなく、親を中心とした大人が、子供に対して行う責任があるものと考えます。
A 学校は「知育」のみを担当する場所?
通常、人間の教育には「知育」「徳育」「体育」の3本柱がある言われておりますが、確かに戦前の旧制高校などの話を聞くと、「学校」がこの3つを担当していたように思われます。一方、アメリカを見ると、以前は分かりませんが、現代の学校はあくまでも「知育」を担当するところであり、「体育」はまったくないとは言えませんが、地域のクラブなどもその任のかなりの部分を担っているように思えます。
「徳育」の担当を誤解を恐れずに言えば「教会」と「コミュニティ」です。親が子供を教会につれていくインセンティブは、まさに「ソシアライズ」の幾分かを親に代わってやってもらうことであるように思えます。「コミュニティ」とは、ボランティア活動、ボーイスカウト等、大人と子供が参加する、学校以外での活動です。
B 日本はどこが「徳育」を担当するか
恐らく、学校は「これは家庭の問題である」と考え、一方、親は「学校が道徳教育を充実すべき」ということで、責任の担い手がはっきりしないことが最大の問題なのではないかと思います。@のように責任の所在は「親」ということにしても、100%を親が教えるというのも非現実的ではありますし、「お寺」「教会」「コミュニティ」「塾」「祖父母」「学校」「企業」「戸塚ヨットスクール」など、社会として、信頼に足る徳育のアウトソース機能を豊富にすることが必要なのではないかと思いますが、如何でしょうか。
送信者: "yamazaki hiroshi"日時 :
日時:2006年11月6日
件名 : Re: 再び: 美しい日本について(教育)
鈴木さん
山崎(S16学後)です。
ありがとうございました。
戦前の日本が欧米各国には残っているんだと思います。躾は家庭でも、しっかりした家庭ほどやかましく、
「世間様の物笑いにならぬよう」躾けたし、しっかりした学校ほど道徳、礼儀作法はやかましかった。
結婚相手選択の基準にもなっていたろうし、友人間でも「親しき仲にも礼儀あり」と申しましたね。
TVとか、芸能界とか、マスコミの罪も大きいと思います。
皆が心配し始めていますから、良いほうに向かっていって欲しいと祈ります。