2006年8月24日

5組 張 漢卿

唐詩と宋詞

我々に馴染み深い唐詩は
「七言絶句、五言絶句」
と一句一句の字数が厳格に規定されて居り、
当時の 音律にしたがった平仄(ひょうそく)の法則が有って、
一般大衆には容易に作れないものでした。 
そ れに比べれば萬葉集や古今集に収録された歌は、
作者の身分の上下、文学の素養如何を問わず、広く行 き亘っていたと思います。

しかし中唐の時代から、
李白のような自由奔放な詩人が字数に縛られない詩を作り出し、
それが 「詞」として発展して宋代に全盛期を迎えました。
「天下に先んじて憂い、天下に後れて楽しむ」
の名言を残した范仲菴を始め、詩文で名高い蘇東陂など
が多くの詞を残しました。

一句の字数に制限が無いので、
詞の別名は「長短句」とも言われ、作品の範囲が拡大しました。 
伝説によれば文学好きの徽宗皇帝は、
時たま微服して宮中を抜け出し、
開封市内の芸妓と作詞を競ったとのことです。

先日徒然なるままに、
好きな日本の歌謡を漢文に訳して見たら、
詞の末流ともいうべき愚作が次のように出て来ました:


原文: (七里ケ浜の哀歌)
 漢文:
     読み下ろし:

真白き富士の根 緑の江ノ島
雪白富士 緑江島
雪白き富士 緑の江ノ島

仰ぎ見るも 今は涙
仰望今濺涙 
仰ぎみる今 涙そそぐ

帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
 謹向未返十二英魂
返らざる十二の英魂に向きて

捧げまつる 胸と心
捧献胸与心
捧げ献る胸と心

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帰らぬ波路に 友呼ぶ千鳥に
無帰波路 千鳥呼友
帰らぬ波路に 千鳥友呼ぶ 

我もこいし 失せし人よ
吾亦追慕 失去人
吾また追慕す 失せ去りし人

尽きせぬ恨みに 泣くねは共々
悲極哭音相似
悲しさ極まつて哭く音 相似たり 

今日もあすも 斯くてとわに
今日明日 永遠 如斯
今日も明日も 斯くて永遠に

  ED