2006・07・22
浮世絵エハガキ
Edward Chang
曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ). 河竹黙阿弥・作。 文久4年(1864年)2 月、市村座にて初演。 御所五郎蔵・百合の方=四世市川小團次、 皐月=二世尾上菊次郎、 星影土右衛門=三世関三十郎、時鳥=四世市村家橘(後の五世尾上菊五郎)、 ... |
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義経伝説と文学 本篇 2-11-13
義経伝説に関してはいないが、後にも述べようとする近松の『天鼓』の五段目に「大和
狐源九郎」とあるのは見逃せない。 而も同じ條に「江州月の輪小左衛門狐」の名もあり、 諸国に名を獲た狐共が各自通力を以て、諸方に分散していた一家の人々を瞬時に伴っ |
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藝術と藝能 2003年度
義経千本桜』 四の切 名作『義経千本桜』の全体を概観した後に、 そのなかでも特に有名 な、狐源九郎の恩愛物語「四の切」を取り上げる。 クライマックスで壮大な宙乗りを見せる 澤瀉屋型が有名であるが、親を思う子狐のこころを、ケレンを抑えてしっとりと ... |
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外題:, 画題等:「古今俳優」「鎌倉権五郎景政 初代市川団蔵」「横川覚範 三代目団 蔵」「箱王丸 二代目早世」 絵師:豊国〈3〉 配役: 鎌倉権五郎景政 <1>市川 団蔵 横川 覚範 <3>市川 団蔵 箱王丸 <2>市川 団蔵 西暦: 1863 ... |
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作品番号: 100-4528 上演年月日: 安政03・07・ 上演場所:江戸 市村 外題: 義経千本桜 |
画題等:「横川覚範」 絵師:豊国〈3〉 配役: 横川覚範 <1>坂東 亀蔵 西暦: 1856 |
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義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
が、超有名演目なので、どこかに必ず「義経千本桜」の名前が入っているはず。 【見 どころ】 もし平家の武将が生きていたら・・・という設定と、 親を慕う子狐の登場が 義経の物語に意外性と膨らみを持たせている。 「鳥居前」は芝居の序盤。 ... |
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「川連法眼館」
一方、義経主従は吉野の川連法眼の元にかくまわれていた。
そこへ佐藤忠信が義経を訪ねてくる。
静もいっしょかと思えばさにあらず、
預かった覚えもないと言う忠信に疑いをかける義経。
すると、再び静の供で忠信が来たという取り次ぎの声。
忠信がふたり?!
心当たりがあるという静御前に詮議が任されることになった。
ひとりになった静が初音の鼓を打つと、
どこからともなくもうひとりの忠信があらわれた!(ここ、驚くよぉ!)
鼓の音色に聴き入っている忠信の油断をついて切りかかる静。
ヒラリとかわす忠信(この辺り、身が軽くないといけないのよ。見れば分かるけど)。
正体を尋ねると、実は、初音の鼓の皮は親狐で、自分はその子どもだと言う。
親恋しさの一心から鼓を持つ静の供をしてきたのだ、と(泣けるざます)。
奥の間で仔細を聞いていた義経は、源九郎狐に初音の鼓を与えることにする。
喜びにうちふるえる源九郎狐(よかったねーっ!で、またもや涙、涙)。
そのお礼なんでしょう。
夜討ちを企てた悪僧どもを化かして館に引き入れ、
狐の神通力で懲らしめると、初音の鼓を手にいづこかへ(パチパチパチ。拍手喝采)。
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妙覚寺の僧。
比叡山の横川で修行したため、
横川覚範といわれる。
頼朝と不和になった義経潜伏の報を聞き、
恩賞に与るため吉野山中を探索。
義経郎等を追い詰めるが、
佐藤忠信と激闘の末、討死。
「義経千本桜」にもその名を残す。
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2006・07・22
Dear Yamatan,
'The Kabuki Actors Ichikawa Kodanji IV and Bandテエ Kamezテエ'
Utagawa Kunisada (1786-1865)
1856
Nishiki-e (brocade print)
Diptych, two テエban-size sheets
Signature: Tokokuni ga
Publisher: Daikokuya
Censorship seals: Aratame and Tatsu shichi (July 1856)
Museum no. E.5733,5734-1886
This work is based on the final scene in Act 4 of 'Yoshitsune Senbon Zakura' (Yoshitsune and the Thousand Cherry Trees), performed at the Ichimura-za Theatre in July 1856.
This print depicts a fight between the actor Ichikawa Kodanji IV as Fox-Genkuro and Kakuhan, a priest, among drifting will-o'-the-wisp. Kunisada frequently produced Kabuki prints. His detailed rendering of both actors and their costumes is particularly effective at capturing the liveliness and bustle of the performance.
During the ukiyo-e printing process the paper was laid on the inked woodblock and rubbed on the back by a special tool known as a baren. The baren was a flat disk about 13 centimetres in diameter consisting of an inner core of tightly twisted and coiled bamboo-fibre cord encased between a back plate made of approximately forty layers of pasted paper and a bamboo sheath.
The smoothness of the bamboo sheath allowed it to move easily across the paper while the hard knottiness of the inner core ensured that the pigment was forced deep into the fabric of the paper. This print shows a technique known as barensujizuri, which makes deliberate use of the marks caused by the baren to add drama to a composition. These marks can be seen in the blue ground of the print.
歌川国貞(くにさだ)(三代豊国) 天明6年~元治元年(1786~1864) 作画期 文化4年~没年(1807~64) 画系 歌川豊国門下 英一珪の門下ともなる。 画号 一雄斎 五渡亭 月波亭 琴雷舎 香蝶楼 豊国 一陽斎 喜翁 本姓角田氏、文化6年頃から錦絵を制作。 同8年頃から清新な美人画、生動感のある役者を制作し評判となる。 文政後期より猫背猪首型の美人を描き人気絵師となる。 弘化元年(1844)豊国の号を継ぎ、二代と称するが、実際は三代。 弘化以後は乱作に傾き、画風が類型化する。 画号/一雄斎 五渡亭 月波楼 琴雷舎 香蝶楼 一陽斎 喜翁 |
国芳は入門の数年後、1814年(文化11年)頃から作品発表を開始しているが、 兄弟子の 国貞という強力なライバルがいたことも ...国芳には多くの門弟がおり、幕末から明治 前期に活躍した異色の画家・河鍋暁斎も少年時代に国芳に弟子入りしたことがあった。 ... |