2006・07・22

浮世絵エハガキ

Edward Chang



DEAR YAMATAN,

この絵ハガキは先週次女がオランダからロンドンにいったとき、
有名なVictoria & Albert Museumの売店から投函したものです。

あいにく拙宅のscannerが故障しているので、
デイジカメで撮りました為ピントが合わないので失礼ですが、
ご判読できる範囲内で以下の各点ご教示をお願い致します。

画家の名前が「豊国」となっていますが、いつごろの人でしょうか?  

画面全体が黒ずんで居て背景に灰色の火炎があるから、
現世を離れた故事に基ずくのかも知れません。 
右肩にある漢字を推測で読むと「横川?範」と成りますが、

何か引っかかりが有りますか?

裏の注解に、The Kabuki Actor Ichikawa Kodanji IV as Fox-Genkuro とあります。   

Thanks ED

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Dear ED,

大変楽しませていただきました。

貴兄の質問に従って検索してみました。
その経過は下記の通りですが
結論から言うと



歌川豊国画
歌舞伎十六番のうち
義経千本桜

貴メール英文説明によれば

四代市川小團次演ずる
源九郎狐

のようですが
下記の説明では

坂東亀蔵演ずる
横川覚範
源九郎狐は狐火で覚範と戦っているのでしょう。
のようです。

絵は豊国です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~○~~~~~~~~~~~~~~~~

 歌川豊国【明和6年(1769)~文政8年(1825)】
豊国(初代)は歌川派の創始者歌川豊春の門下で寛政~文政期に一世を風靡した。
挿し絵、役者絵、美人画など多岐にわたる作品で活躍し、当時の大人気絵師としてその名を轟かせた。
特に役者似せ絵と言われる彼の役者絵はその表情や仕草の描き方が巧妙で、
初期作品「役者舞台之姿絵」など現在でもその高い芸術性が評価されている。
一陽斎を号し、門下も多く国貞、国芳、国政、国安、豊重などを育て、歌川派全盛時代の基礎を築いた。
坂東三津五郎の玉屋新兵衛
関三十郎の千崎弥五郎
美志んあは勢
題不明(美人画)
松本幸四郎の不破伴左衛門
三代目坂東三津五郎
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曾我綉侠御所染
曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ). 河竹黙阿弥・作。
文久4年(1864年)2 月、市村座にて初演。
御所五郎蔵・百合の方=四世市川小團次
皐月=二世尾上菊次郎、 星影土右衛門=三世関三十郎、時鳥=四世市村家橘(後の五世尾上菊五郎)、 ...
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ちょっと面白いはなし
 この『播州皿屋敷』は元々人形にあったものを、
幕末に名優市川小團次
が歌舞伎で初めて演じ、
それを五代目菊五郎に伝え、それをまた養子の六代目梅幸に伝えたといわれている。
 梅幸には有名な『女形の事』『梅の下風』という藝談集が残されているが、
その双方にこの『皿屋敷』が触れられている。
ますはその中で、 五代目菊五郎の苦心談を見ておこう。

 私が初めてお菊を勤めた時は、小團次(四世)さんの鉄山で、米五郎という人が忠太を演(し)たのさ。
何しろ難役のお菊のことだから、
小團次さんの教えを受けることになって
毎日毎日小團次さんのお宅に稽古にいくことになって、
米五郎と連立っておたずねすると、
それはなかなか厳しいもので、
夜の九つ過ぎだからいまの十二時一時頃まで熱心に教えてくれる。
腹が空いても海苔巻二本位しか出さず、
稽古のやかましいことときてはお話の外で、
一と通りや二通りのことではなく、へとへとに疲れきってしまう。
殊に喧しく言われるのは例の皿の数を読むところでは、
一つ二つと言うのが、なかなか難しい。
また幾らやっても小團次さんの気には入らない。
教えるほうも一生懸命だが、教わるほうも半べそで熱心にやる、
ただし皿の件りになると一層むつかしく言われて、手も足も出ない。
そこでせっかくの小團次さんの親切をかえって怨むようなことになって、
ある晩のことだ。庭の井戸端で米五郎と相談した。
なかなか小團次さんの気に入るようには出来やあしない。
高がお芝居じゃあないか、
あんなに言わなくってもよさそうなものをあまりばかばかしい、と、
いやそのころは若いから後先の考えもなく盛んに不平を並べ、
しまいには小團次さんを殺して大阪へ逃げようかとまで無分別な大それたことを相談した。
それは月の好い晩だった。
こんな工合で苦心して覚え込んだものだけに、すっかり秘伝を覚え込むことが出来たのさ。
           『女形の芸談』六代目尾上梅幸
        (演劇出版社・平成10年)
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四代市川小團次



四代市川小團次

著者:永井啓夫
出版社:青蛙房
サイズ:単行本/307p
発行年月:2000年12月

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義経伝説と文学 本篇 2-11-13

義経伝説に関してはいないが、後にも述べようとする近松の『天鼓』の五段目に「大和 狐源九郎」とあるのは見逃せない。
而も同じ條に「江州月の輪小左衛門狐」の名もあり、 諸国に名を獲た狐共が各自通力を以て、諸方に分散していた一家の人々を瞬時に伴っ

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藝術と藝能 2003年度

義経千本桜』 四の切 名作『義経千本桜』の全体を概観した後に、
そのなかでも特に有名 な、狐源九郎の恩愛物語「四の切」を取り上げる。
クライマックスで壮大な宙乗りを見せる 澤瀉屋型が有名であるが、親を思う子狐のこころを、ケレンを抑えてしっとりと ...

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浮世絵閲覧システム - 検索結果1

外題:, 画題等:「古今俳優」「鎌倉権五郎景政 初代市川団蔵」「横川覚範 三代目団 蔵」「箱王丸 二代目早世」 絵師:豊国〈3〉 配役: 鎌倉権五郎景政 <1>市川 団蔵 横川 覚範 <3>市川 団蔵 箱王丸 <2>市川 団蔵 西暦: 1863 ...

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作品番号: 100-4528
上演年月日: 安政0307・ 
上演場所:江戸 市村
外題: 義経千本桜
画題等:「横川覚範」
絵師:豊国〈3〉

配役: 横川覚範 <1>坂東 亀蔵   
西暦: 1856 


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義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

が、超有名演目なので、どこかに必ず「義経千本桜」の名前が入っているはず。
【見 どころ】 もし平家の武将が生きていたら・・・という設定と、 親を慕う子狐の登場が 義経の物語に意外性と膨らみを持たせている。
「鳥居前」は芝居の序盤。 ...

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「川連法眼館」
一方、義経主従は吉野の川連法眼の元にかくまわれていた。
そこへ佐藤忠信が義経を訪ねてくる。
静もいっしょかと思えばさにあらず、
預かった覚えもないと言う忠信に疑いをかける義経。
すると、再び静の供で忠信が来たという取り次ぎの声
忠信がふたり?!
心当たりがあるという静御前に詮議が任されることになった。
ひとりになった静が初音の鼓を打つと、
どこからともなくもうひとりの忠信があらわれた!(ここ、驚くよぉ!)
鼓の音色に聴き入っている忠信の油断をついて切りかかる静。
ヒラリとかわす忠信(この辺り、身が軽くないといけないのよ。見れば分かるけど)
正体を尋ねると、実は、初音の鼓の皮は親狐で、自分はその子どもだと言う。
親恋しさの一心から鼓を持つ静の供をしてきたのだ、と(泣けるざます)
奥の間で仔細を聞いていた義経は、源九郎狐に初音の鼓を与えることにする。
喜びにうちふるえる源九郎狐(よかったねーっ!で、またもや涙、涙)
そのお礼なんでしょう。
夜討ちを企てた悪僧どもを化かして館に引き入れ、
狐の神通力で懲らしめると、初音の鼓を手にいづこかへ
(パチパチパチ。拍手喝采)
*****************************::
妙覚寺の僧。
比叡山の横川で修行したため、
横川覚範といわれる。

頼朝と不和になった義経潜伏の報を聞き、
恩賞に与るため吉野山中を探索。

義経郎等を追い詰めるが、
佐藤忠信と激闘の末、討死。

「義経千本桜」にもその名を残す。
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2006・07・22
Dear Yamatan,

早速のご返事有り難く拝読。 
微に入り細に入ってのご説明、歌舞伎に無知な小生にとって大変勉強になりました。

Vic and Al Museum は東洋芸術の殿堂と言われていますが、これでややメンツを落としました。 
この絵の絵師をUtagawa Kuniyoshi (1797-1861)としていますから、
漢字の読めない「専門家」が注釈したのでしょう。 
もっと良い写真を撮って送ります。 
御手数を掛けて失礼しました。 
ED


2006・07・23
Dear Yamatan,
Museum のHPで調べたら次のようなページが出て来ました。 
二枚並んだ絵の左右を取り違えて注釈をしたのですね。 
何れにしてもミスはミスです。 
絵師の名前が画面には「豊国」と出ているのに
以下の注釈で見ると依然として「Utagawa Kunisada」になっています。 
同一人なのでしょうか?
 
Thanks.  ED



JAPANESE PRINTS

'The Kabuki Actors Ichikawa Kodanji IV and Bandテエ Kamezテエ'

Utagawa Kunisada, 'The Kabuki Actors Ichikawa Kodanji IV and Bandテエ Kamezテエ', 1856. Museum no. E.5733,5734-1886

Utagawa Kunisada (1786-1865)
1856
Nishiki-e (brocade print)
Diptych, two テエban-size sheets
Signature: Tokokuni ga
Publisher: Daikokuya
Censorship seals: Aratame and Tatsu shichi (July 1856)
Museum no. E.5733,5734-1886

This work is based on the final scene in Act 4 of 'Yoshitsune Senbon Zakura' (Yoshitsune and the Thousand Cherry Trees), performed at the Ichimura-za Theatre in July 1856.

This print depicts a fight between the actor Ichikawa Kodanji IV as Fox-Genkuro and Kakuhan, a priest, among drifting will-o'-the-wisp. Kunisada frequently produced Kabuki prints. His detailed rendering of both actors and their costumes is particularly effective at capturing the liveliness and bustle of the performance.

During the ukiyo-e printing process the paper was laid on the inked woodblock and rubbed on the back by a special tool known as a baren. The baren was a flat disk about 13 centimetres in diameter consisting of an inner core of tightly twisted and coiled bamboo-fibre cord encased between a back plate made of approximately forty layers of pasted paper and a bamboo sheath.

The smoothness of the bamboo sheath allowed it to move easily across the paper while the hard knottiness of the inner core ensured that the pigment was forced deep into the fabric of the paper. This print shows a technique known as barensujizuri, which makes deliberate use of the marks caused by the baren to add drama to a composition. These marks can be seen in the blue ground of the print.

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歌川国貞(くにさだ)(三代豊国)
天明6年~元治元年(1786~1864)
作画期 文化4年~没年(1807~64)
画系 歌川豊国門下 英一珪の門下ともなる。
画号 一雄斎 五渡亭 月波亭 琴雷舎 香蝶楼 豊国 一陽斎 喜翁

本姓角田氏、文化6年頃から錦絵を制作。
同8年頃から清新な美人画、生動感のある役者を制作し評判となる。
文政後期より猫背猪首型の美人を描き人気絵師となる。
弘化元年(1844)豊国の号を継ぎ、二代と称するが、実際は三代。
弘化以後は乱作に傾き、画風が類型化する。

画号/一雄斎 五渡亭 月波楼 琴雷舎 香蝶楼 一陽斎 喜翁

歌川国芳 - Wikipedia
国芳は入門の数年後、1814年(文化11年)頃から作品発表を開始しているが、
兄弟子の 国貞という強力なライバルがいたことも
...国芳には多くの門弟がおり、幕末から明治 前期に活躍した異色の画家・河鍋暁斎も少年時代に国芳に弟子入りしたことがあった。 ...

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2006・07・23
Dear ED,

「源九郎狐」のほうはないかと思って探していたところででした。
有難うございました。
やはりこれも 豊国 とすべきでしょう。
上記のように国貞とか国芳は別人で門下ですね。

YAMATAN