如水会ゝ報 昭和58年(1983)7月 第639号 p2

アジア諸国からの留学生

深沢 宏
(昭30院経)

 戦後、学生の国際交流が活発になるにつれて、一橋大学にも多数の留学生が来るようになった。

 米やオセアニアの人もいるが、やはり圧倒的多数は近隣諸国からの
学生である。

 学務課の調べでは、一
九五二―八二年の間本学で学士資格を取つた外国人は一二四人おり、
多い国としてはタイ国二三、マラヤ・マレーシア二二、韓国二〇
、中国(台湾)一八、ベトナム一五、インドネシア六、香港五などである。

 これら学士の一部は本学修士士課程に進学したり、また他国で学士号を取ったうえで、本学
大学院に入学した人もいるが、ともかく、五六−八三年の間一橋大学の修士学位を取得した外国人は七三名(うち中国(台湾)三六、韓国八、ベトナム八、タイ国六、香港とインドネシア各三)いる。

 同じく博士課程単位習得留学生は二八名(韓国八、タイ国六、中国(台湾)五、ベトナム四)いる。

 現在も学部、大学院、その他のコースに合計六八名の留学生がおり、その中には中華人民共和国からの留学生一〇名も含まれている。

 しかし、よく言われるように、何故か日本の大学の博士学位は日本人にとってさえ取りにくく、一橋大学の博士号を取得した外国人は一人しかいない(朴菖煕(昭34経・昭43博社)韓国人)。
 
 本学ではこの困難を少しでも緩和するため、博士論文提出の条件として課している外国語二つの試験を、留学生に限って一カ国語に減らし、代りに日本語の試験を課することを検討している。

 ともあれ、本学を卒業して、帰国した元留学生はさまざまな分野で活躍していると想像されるが、私自身が親交を持った四人の消息だけを簡単に紹介しよう。
 
 三人はタイ人である。一人はバンヤット・スカランウィット氏(七九年博士単位習得、石川滋ゼミ)、もう一人はスピー・テラワニンソン女史(八二年博士単位習得、山沢逸平ゼミ)で、二人ともタイ国の名門タマサート大学の経済学部教官である。
 
 この大学の教員は従来欧米留学組で占められていたが、近年日本留学組も注目されるようになり、こうして初めて採用された二人が共に本学の卒業生であることは私たちにとっても本当に嬉しいことである。

 三人目のタイ人はヴィティット・サッチャポン氏で、関恒義ゼミで理論経済学を勉強したのち、大学院ではわたしのゼミで前近代タイ経済史を専攻し、今春帰国した。真に優秀な学徒であり、タイ国の学界で大いに活躍することが期待されている。

 四人目の元留学生はネパール人、H・B・バルア氏(五九ー六三年国費研究留学生、経営経済学専攻)である。彼は帰国後一時ネパール政府に勤め、今はカトマンズの日本大使舘に勤務している。ネパールを訪れ
る邦人にとってほ本当に有難い存在である。また夫人(日本人)はかの地で幼稚園を経営している。

 延べ三百人にも及ぶ本学留学生・元留学生については、如水会としてもつとめて大切にして頂きたいと思う。例えば、年一、二回如水会館に留学生を招いて.パーティーを催すとか、卒業して帰国する諸君の入会手続を簡略化するとか、考えて頂けないであろうか。

 また帰国した元留学生の中には、その地の如水会支部の存在さえ知らない人もいると聞く。必ずしも容易なことではないであろうが、っとめて網羅的な地元同窓生名簿を用意され、親睦を探めて下さるよう、各支部関係者にお願いしたい。

 いずれにせよ、帰国留学生はその国の世論の動向にも大きな影響力をもっているうえに、将来は各界の指導的立場に立つ人も少なくないであろうと思われるのである。

                                       (一橋大学経済学部長))