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 亦楽 この人を見よ (4)

5組 山崎 坦

次は大友敏一君です。
 まず彼が30周年記念文集に寄せた寄稿文「雑感」を読んでください。

中学4年終了で進学した学友の中でも、
早生まれ大正9年2月25日生まれの彼がクラスメートの中で一番若かった。
クラスメートのマジョリティーは大正7年遅生まれ、大正8年早生まれの所謂現役の人たちで、
現役は中学5年卒業、大正8年遅生まれ、大正9年早生まれの人は4年終了で、
中学卒業1年前に入学試験に合格した、秀才でした。

謂わば少年から青年に変身の思春期でしたが、
亦楽 をクリックして見られる予科時代の数々の写真を見ていただいて、
学友の中の少年が彼だといえば、直ぐ解ると思います。
いわば新撰組に於ける沖田総司のような存在でした。

彼は軽量だったからクラスチャンのボートレースでは彼がコックスで優勝しました。
クルーにはボート部のホンチャン小池君松井君仲山君が揃っていました。
なんとこの3人は皆戦死しているのです。

何時の頃からか彼は忽然と私共の仲間から消えていました。
結核の療養生活に入っていたわけです。
沖田総司のようにTBでした。

♪不思議に命永らえて♪と、彼が書いているのですが。
この句は軍歌「戦友」の一節です。戦後に生き残った学友総てが持った感懐でしょう。

戦後は一番の年長者で学校に復帰した彼でしたが、杉本ゼミに学び、先生が逝去された後は、
都留先生の読書会に参加した、と書いています。
確か彼はそのころ、
先生の友人でノーベル経済賞学者ポール・サミュエルソン著「経済学」の翻訳の一章を担当したはずです。

大学卒業後、三菱信託に就職、十二月クラブにも復帰して、
卒業30周年文集に前記の「雑感」を寄稿しました。
三菱信託銀行から丸の内商会常務に就任されました。
信託銀行には昭和十二年学部卒の先輩、新井俊三氏がおられました。
氏は大平総理のブレインとも言われた方ですが、「一橋の学問を考える会」を主催されました。
氏はゆくゆく大友君を後継者と考えておられたようです。

残念なことに大友君は昭和59年2月7日お亡くなりになりました。
謹んでご冥福を祈ります。
合掌。

 如水会ゝ報  (S12学)新井俊三 「一橋の学問を考える会」について S62・07 No.687