如水会ゝ報 平成4年(1992年)7月 第747号 p96 より
十二月クラブ
北茨城方面日帰りの旅
五月十二日実行
当日は快晴で、
午前八時総員が二台のサロンパスに分乗して、
東京駅前を出発した。
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参加者
(一組) 橋本〇、
(二組)折下、古田土◎、宮城◎、青木〇、
(三組)小宮山、下田、田中、今村〇、戸辺〇、林〇、
(四組)鈴木、田中、高崎、中西◎、三吉〇、他一名、
(五組)小林、佐藤、重松、高橋、中村、韮澤、山崎、横山◎、和田篤、井上〇、大友〇、森田〇、
(六組) 熊倉、中村、松田◎、小島〇、塩川〇、長谷川〇、
(七組) 片柳、鴨田、小寺、菅井、杉江、宮崎◎、渡辺◎、魚本○
(◎印は夫妻、○印は夫人または遺族) 総員五〇名
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バスは常盤自動車道を北上し、
ガイド嬢の茶菓、酒類のサービスを受けているうちに
十一時すぎ勿来(なこそ)に到着した。(福島県)
勿来の関跡で往時を偲んだ後、
平潟に着いたのが丁度正午。
この漁港で吾々は、水揚げされた許りの魚料理に舌鼓を打った。
旅の主目的地、
太平洋に臨む五浦(いづら)の岡倉天心遺跡は、
晩年の彼が居を定め、あわせて日本美術院の本拠地とした所であり、
現在は茨城大学の美術文化研究所となっている。
七組の杉江氏のご尽力により、吾々は特に記念館内に案内され、
平櫛田中作の木彫「五浦釣人」(ごほちょうじん)なる天心の全身像を始め、
数々の所蔵品について、専門家の説明を承りながら鑑賞することができた。
屋外には天心の言葉「亜細亜ハ一な里」を刻んだ記念碑。
天心の弟子であり、戦時中、京都奈良を空襲から守ったという米国人ウォーナー博士の胸像があった。
次いで野口雨情記念館を経て、
黄門さまの隠棲地、常陸太田の西山荘を訪ね、その簡素なたたずまいに感銘をうけて帰路についた。
バスは午後七時無事出発点に戻り、
幹事は、
当日の天候もさることながら、時間厳守に象徴されるマナーの良さについて、
参加者全員に改めて謝意を表する次第である。
重松記