2007年3月3日
資料説明
資料「平成9年8月12日発行 三浦新七博士 生誕120年 没後50年記念
三浦新七博士胸像建立の会 」目次 中路 信
上田先生の「三浦博士を語る」が掲載された資料は、国立の図書館に建立されている胸像のレプリカを、
山形市の「三浦新七博士記念館」に設置するための「生誕百二十年・没後五十年記念式典」の参会者に記念品として配られた資料です。
日付は平成九年八月十二日です。
この式典には、「内海得治郎」先輩もご出席だったのではないでしょうか。
(式典は、当時、三浦先生のお孫さんにあたる「三浦 新」さんが山形銀行の頭取であったことから「山形政財界」が中心になって挙行されたようです。)
小生は、平成十三年に初めて山形に行き山形銀行の「大江さん」に記念館を案内していただき、上記の説明をお聞きして、この資料を頂いたものです。
上田先生の「母校図書館胸像の除幕式」での挨拶には感動しました。
丁度戦前の社団法人「一橋会」のことを勉強していた頃でしたので、「私は一橋会長としては学生諸君を代表してこの銅像を学校に寄付し、学長としては喜んでその寄付を受ける次第であります。」 の言葉に「一橋会」の真髄を見たからでした。
「ライプチッヒの村長さん」、「学者の先生」、「先生の先生」という三浦先生を形容する上田先生のお話は当時の一橋の学生を感動させたことと思いました。
(現在、山形ではライプチッヒ時代の三浦先生と日本から留学した学者との交信絵葉書約二千通のアルバムのアーカイブ化作業がおこなわれているようです。 中路 注)
この資料の中の増田先生のお話は、(増田先生もこの式典の前に逝去されていたので)「一橋の学風とその系譜」から引用されたものでした。
上田先生の銅像のお話は、十二月クラブの HP でなんども拝見していましたので、上田先生の「三浦先生寿像除幕式のご挨拶」がきっと契機になっていたのだろうと思っていました。