如水会ゝ報 平成4年(1992)2月 第742号 p2
聖地に清池蘇る
浅葉尚一
(昭8門・27学)
『申酉龍城事件史』は母校苦難の歴史をあますところなく伝える。
世界が今破局の中に大きく揺れ、財政破綻、犯罪多発、教育荒廃また極まる時、
師弟も校友も地域住民も一丸となって結集した崇高な姿の持つ意義は決して鮮少ではない。
本会報にも母校回生へ向けて卓説相次ぎ
マスコミの世界では就中中谷巌教授が朝日紙上「仕事の周辺」のコラムで日米大学の格差を論ずる。
テレビでも教育改革の機縁を模索する番組を散見する。
身近なところでは
本会報726号に平井規之教授が「国立キャンパス「瓢箪池」の再生を」と題し情理兼ね備える提言を寄せ、
同710号には柴山久慶氏が「母校の裏庭」の現状を嘆かれ、
いみじくも「学問の師も徒も、身近のところから足元を固め直すことが、
意外に本命の業績を上げるよすがになるのではないか」と説かれる。
今政財学界各方面にわたり橋畔俊英の士がきらめく巨歩を進められる。
これに続く気鋭の新人に老残のこの身が身の程知らずの駄文を呈上する次第。
幸にご宥恕あらむことを。
昭和の初めに生れた「一橋の歌」にいう。
「空たかく光みなぎり
照り映えてさゆらぐ公孫樹
白雲の湧きたつところ
そここそは輝く聖地
これぞこれわが母校
懐しのふるさと
その名讃えてこゝに集ひっ
その名さゝげて永久に変らじ
あゝ一ツ橋われらが母校」
今はあまり歌われること稀なようだが久方ぶりに昨年一橋祭で音楽部員による妙なる旋律に接するを得た。応援団の雄渾な動きが錦上更に花をそえた。まさに空谷の澄音である。
瓢箪池も美事に蘇っている。
時到れば蛍も飛び交うかも知れぬ。
やがて平井教授のかるがもの卒業生も巣立ちの日を迎えるであろう。
全国寮歌祭に登場する「一橋会々歌」は気宇壮大気迫に満ちている。
かつて教育の大本山と自他共に許した東京高師の宣揚歌にも一橋と同じ悲壮な校史を偲ばせる。
「桐の葉は木に朽ちんより 秋来なば先駈け散らん
名のみなる廃墟を捨てて 醒めて起て男子ぞ我等」
これは冒頭の「校を去るの辞」と一脈相通じ青春炎の息吹きを感じさせる。
ここの名誉教授英文学の碩学福原麟太郎博士は本学上田辰之助教授に傾倒し、
又学制改革で全国官学がー様に東大の校章に倣うことを潔しとせず、
一橋ひとりゆかりのマーキュリーを守った見識を讃嘆された。
わが国ケインズ学派の最高峰
塩野谷九十九博士の令息祐一教授が現在母校学長であられることは周知の通りである。
岳父は文化功労章に輝やく山内得立博士。
宮沢首相と庸子夫人の渡米船上のロマンスは城山三郎氏(昭27学)著『友情カあり』に詳しい。
岳父伊地知純正早大教授は若き日東京高商を第一志望とされた。
貿易英語の泰斗であられる。
かつて全国的に吹きあれた大学紛争当時、
学長代行として劇務に鞅掌された村松祐次教授は端艇部長も兼ね
その門下からは深沢宏教授その他俊秀が巣立ち
野球部長たりし太田可夫教授と親交特に深く、瓢蟹池に程近く「集いの森」がある。
アダムスミス研究の第一人者高島善哉教授門下には古賀英三郎社会学部長、
上原専禄元学長の流れを汲む阿部謹也教授はドイッ中世史研究の第一人者、
学灯は絶えず、錚々たる人脈を誇る母校である。
現在世界一の富豪とランクされる森泰吾郎氏(昭3学)が上田貞次郎博士に寄せる至情は
大平元首相が上田辰之助博士に対する敬慕と双璧を成す。
日米文化の相克を説き『菊と鷲』など名著多数で高名な佐藤隆三教授(昭29経)や
国際大学大学院国際経営学研究科教授住田潮氏は
「米国は日本より遥かに学歴社会であり厳しい競争社会である。又
ハーバードやMITの修士号が重用される社会でもある」と。
橋畔に学ぶ若き学徒よ、冀くは野心あれ。