如水会ゝ報 平成20年(2008)10月 第939号 p36
定例晩さん会

本講演は平成20年6月17日、如水会定例晩さん会で行なわれたもので
これはその要旨であります。

大正バブル期のハイリスク選好型経営者



 跡見学園女子大 マネジメント学部教授     小川   功(いさお)

一、 はじめに

 大正六年九月、ある信用調査機関は日刊の機関紙上で加盟会員に対して次のような「会社熱勃興に対する警告」を発した。

 「時局発生以来、本邦事業界の振興は真に驚異に値するもの有之、新設会社の勃興、既設会社の拡張等日も尚足らざるの観あるは国家の為め御同慶の至りに存侯。然るに所謂会社屋連、虚業家連の暗中飛躍も亦之を機として随所に起り、不真面目極れる計画を樹てて之を誇大に吹聴し以て投資家を誘惑せんとする者不尠、実に油断難相成り儀と存候」

 第一次世界大戦の好景気による「大正バブル期」には人々のリスク感覚が正常に働かなくなり、以下にみるように零細な庶民多数までが被害者となった詐欺的金融事件が続発し深刻な社会問題となった。

二、大正バブル期新興企業のビジネス・モデル

 大正バブル期に新設された新興企業群は、無知な一般投資家の投資判断を誤まらせるような多分に欺瞞的な各種の信用補完手法を併用・駆使したと考えられる。大正期の新興企業群の発起は以下のような「虚構のビジネス・モデル」に立脚していたと言わざるを得ない。

 (1)世を憚る実権者は、内実の醜い我が姿を隠したまま、
 (2)名目的に有爵者・名望家をトップに据えるなど、本来の信用の薄弱さを巧みに信用補完し、  (3)実態とはかけ離れた大袈裟な大義名分・社名・公称資本金等を麗々しく掲げ、
 (4)一攫千金の如き高利・高配当を謳い、
 (5)鉱区権や荒蕪地など資産価値の疑わしい内容空虚な架空的資産を主唱者が先行取得して新設会社に高値で売り付け (現物出資の水増し評価)、
 (6)虚名ばかり高い札付きの発起人たちが多数目論見書に名を連ね、
 (7)空株を払込みのある実株と偽って、
 (8)活動実態の乏しい名ばかりの幽霊会社を次々に設立し、
 (9)真実の情報を一切開示せずに意図的に虚飾・粉飾を重ね、
 (10)最終的には会社は泡沫の如く雲散霧消して庶民の零細な資金が見えない暗黒の闇に吸い込まれる……といった具合である。

 発起・創立の過程において、ボロ儲けを生み出すための独創的で革新的な仕組み・ノウハウ・スキーム・仕掛け・戦略・技法・トータルシステム等をあれこれと工夫しながら企業の基本仕様・設計図ともいうべきビジネス・モデルをデザインしていった主唱者たちの基本的な設計思想には上述したような抜きがたい数々の隠蔽・虚偽・虚構性が色濃く内在するなど、本質的にリスク管理の概念が完全に欠落した架空性の濃厚な、「虚構のビジネス・モデル」と言わざるを得ない。

 すなわち発起・創立・払込等の各過程をより詳報にみていくと、

 (1)大戦景気に沸き、成金が多数輩出した所謂「大正バブル期」に、
 (2)相場・証券・鉱業・船舶・土地・観光・リゾート・開墾・植民地・海外関連などのハイリスク分野で、(3)経済の事情に通じない多数の庶民層から零細な資金を収奪する目的で、
 (4)信用補完のため有力政治家・高官・著名人・有爵者等を担ぎ出し、
 (5)あたかも有力政治家・政府高官等から特別の利権や保護・助成を与えるかのような、
 (6)新規・進歩・有望・豊富・権威等を仮装する、もっともらしい ”舞台装置″で、
 (7)共謀関係にある記者・新聞・雑誌・出版社等を利用し利殖行為を推奨、
 (8)誇大・虚偽の宣伝・広告・目論見書等を多用・継続・反復し、
 (9)虚偽的現物出資など巧妙で複雑な操作・手法・仕掛けを縦横に駆使し、
 (10)空虚な実態をあたかも濡れ手で粟を掴む一攫千金的事業に粉飾し、
 (11)言葉巧みに投資主体の射倖心を煽り、投機本能を極限まで昂進させ、
 (12)活動実態の乏しい看板倒れの「泡沫会社」を乱造し、払込みなき空株を発行、
 (13)各地多方面に亙り数多くの泡沫会社に関与。
 (14)投資地域は遠隔地・外地・海外にまで広範囲に及び、
 (15)時には強引に他会社の敵対的買占め・乗取りまで敢行したが、
 (16)大正九年以降の株価大暴落の影響で相場の思惑が外れて巨額損失を出し、
 (17)多くの関与事業の経営にも失敗し、元来薄かった信用力がさらに失墜、
 (18)一時の弥縫策たる各種陽動作戦、決算操作、粉飾等の
虚飾を重ねるも、
 (19)さらなる資金固定化のために、遂には日々の資金繰りにも困窮し、
 (20)高利金融業者からの高歩の資金に依存するなど、その場凌ぎの延命策を試みるものの、  (21)末期には実権を掌鍾した狡猾な高利貸に翻弄・蹂躙・収奪され、
 (22)資金源の同系銀行・保険・信託・証券・ノンバンク・商社等の破綻に結び付き、
 (23)最終的に償還不能・破綻・消滅・逃亡等の重大な経済事件を惹起し、
 (24)法令違反等犯罪行為の疑いで追及あるいは司法当局の強制捜査を受け、
 (25)幅広く投資家・関係方面等に悲劇や怨嗟を生んだ深刻な醜聞・社会問題となり、
 (26)事件の悪質性・魔性の故にしばしば「○○魔」などの異名で呼ばれた。
 (27)中心人物を取り巻く周囲の補佐・チェック機能、ガバナンスの不全、
 (28)同僚・役職員・株主・家族等の周囲の諌言・反対をも無視し続け、
 (29)多種多様な多数のリスク管理能力の欠落者が、
 (30)相互に競合・扇動・共鳴・共働・教唆・共謀・共犯等の情実関係ある、
 (31)各種の虚構ビジネス・モデルを創出したハイリスク選好の”虚業家″同士が相互に競合・扇動・共鳴・共働し合い、重層的に役割分担し、絡み合うある種の「複雑系ネット・ワーク」を形成していたのではないかと考えている。


三、岡本米蔵の事例

 ここでは前記のような企業家の一例として、大正初期の米国大都会近郊の荒蕪地取得を目的とする一種の「海外不動産投資ファンド」を主宰し、一部では「海外雄飛の模範的青年」、「大実業家であるばかりでなく、不世出の偉人」などと賞賛される一方、高柳淳之助、松島肇らともども「虚業家」「一種のインチキ師」とも酷評された毀誉褒貶の定まらぬ岡本米蔵(明37)を如水会にも縁ある人物として取り上げたい。

 配布した地図は紐育土地建物が大正中期まで配布していた物件案内図で、ニューヨーク市ブロードウエーのWoolworth Buildingを中心とする同心円内に同社の分譲中の物件を落し込んでいる。(この地図は大正五年四月二十七日大阪毎日新聞掲載の紐育土地建物の二頁広告にも利用されている。)地図の裏面には「紐育土地建物を経て紐育市外の地主となられし名士」の名簿をはじめ、同社の宣伝用文書が満載されている。

 大正期の日本の土地会社への株式投資だけでも十分にハイリスク分野への投資の条件を満たしているが、当該ファンドは「紐育市内外に於て地所を購入し、適当の時期に於て之を売却」するものであった。しかも当該「所有地所を担保として低利の外資を輸入し、金融業を営むこと」をも目的に掲げており、海外不動産投資と国際金融業を併せ営む一種の投資銀行業を志向したものと解される。

 大正初期にかかる国際金融業を単に夢想するだけでも進歩的・革新的な試みだと評価することもできようが、本事例は現実に一部不動産開発に着手し、投資シンジケートを組成し、数多くの日本人に当該ファンドを購入させた実績を確認することができる。
 しかも購入層は一部の富裕階層でも、無謀な投機筋でもなく、概して教育水準が高く、それぞれの地域社会で尊敬の対象になっていたであろう中流以下の知的労働者が大半を占めていたと考えられる。

 一般には常識やリスク管理能力が相当程度備わっていると思われる、いわゆる「知識層」が何故に、こうしたハイリスク分野にやすやすと誘導されたのかという、リスク受容過程が最大の疑問として浮かび上がる。それは海外不動産を宣伝するよりも、東京高師を頂点とする強靭な師範学佼ネットワークを巧みに利用して、世情に暗い教員層に、「海外雄飛の模範的青年」岡本米蔵を理屈抜きで信奉させ得たためであろう。

四、むすびに

 現下のサブプライム問題もつまるところ、米国の住宅バブルを背景に、難解な金融技術を駆使して腐り果てた原資産のリスク分散をはかり、格付会社と結託して高格付けを得るなど数々の虚構と架空の数値を構築した一種の詐欺的商法ではなかったか。当初は金融工学の神秘のベールに閉ざされていた証券化金融商品の欺瞞性も次々に暴露され、虚構に満ちた錬金術の内実が関係者により徐々に明らかにされつつある。(リチャード・ビトナー著 『サブプライムを売った男の告白』 二〇〇八年、参照)

 投資銀行なる妖怪変化の正体は証券会社であり、あるときは銀行の姿をして信用させ、またあるときは怪しげなヘッジ・ファンドに姿形を変え、忍法を使って姿の見えぬSIVという子分を数多く引き連れて金融界を我が物顔にのさばる、いわば百鬼夜行の暗黒世界であり、
「末法」的資本主義の観が
ある。金融工学や格付の“権威″に目が眩んで、証券化商品という妖怪変化の正体を見破れなかった金融のセミプロ達には、遠くニューヨーク郊外の荒蕪地に投資して全財産を喪失した教員など、大正期の日本人庶民層のリスク管理の欠落を笑う資格はあるまい。



 なお質疑の場で金子雄美氏より、前述の内容に比較すべきハイリスク選好型経営者の事例として、そごうの連結決算粉飾事件(金子雄美論文『企業会計』一九九三年十月号参照) における水島廣雄元社長の果したカリスマ的役割を詳しくご紹介いただき、大いに参考となったことを特記しておきたい。

 当日司会・進行を賜った酒井雅子氏にも東京商科大学教授・峰間信吉(鹿水)の伝記をご用意いただくなど、格段のご配慮に謝意を表する。



[参考文献]

 (1)「虚業家」関連の拙著・拙稿
   (『彦根論叢』 は電子情報で公開)
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/eml/Ronso/list.htm
 
 『企業破綻と金融破綻ー負の連銀とリスク増幅のメカニズムー』、九州大学出版会、二〇〇二年 
 「『虚業家』 による泡沫会社乱造・自己破綻と株主リスクー大正期”会社魔″松島肇の事例を中心に−」 『滋賀大学経済学部研究叢書』 四二号、二〇〇四年
 
 「『企業家』と 『虚業家』 の境界ー岩下清周のリスク選好度を例としてー」 『彦根論叢』 第三四二号、二〇〇三年六月

 「企業家と虚業家」 『企業家研究』 二号、企業家研究フォーラム、二〇〇五年六月

 「″虚業家″による似非ベンチャー投資ファンドとリスク管理−大正期“印紙魔″三等郵便局長による郵政資金二百万円超の散布実態−」 『滋賀大学経済学部研究年報』十四巻、二〇〇七年十一月

 「泡沫会社発起の虚構ビジネス・モデルと”虚業家”のネット・ワークー大正バブル期のリスク管理の弛緩を中心としてー」 『彦根論叢』 三六九号、二〇〇七年十一月

 「『ハイリスク選好型』銀行ビジネス・モデルの系譜」 『地方金融史研究』 三九号、二〇〇八年五月

 『ハイリスク選好者と虚構ビジネス・モデル (仮題)』 日本経済評論社、二〇〇九年三月 (予定

 (2)岡本米蔵の文献

 峰間信吉編『海外雄飛の模範的青年岡本米蔵』一九一六年四月、大正教育社

 村上由見子『百年の夢 岡本ファミリーのアメリカ』 一九八九年、新潮社

 「邦人向”海外不動産投資ファンド″ の創始者のリスク選好ー紐育土地建物社長・岡本米蔵の前半生ー」 『彦根論叢』 三五七号、二〇〇六年一月

 「ハイリスクの海外不動産投資ファンドの内地販売戦略ー大正期紐育土地建物会社のビジネス・モデルの虚構ー」 『彦根論叢』三五八号、二〇〇六年二月