YouTube戦前流行歌動画に見る東京の風俗

@ YouTube - 東京行進曲 佐藤千夜子
A YouTube - 東京行進曲

所謂 流行歌のレコード第一号はこの「東京行進曲」だったのでしょう。B面が次に上げた「紅やの娘」で、中学生だった私は映画を見ることは出来ませんでしたが、誰かが求めてきたレコードが家にあって、90歳になる今でも覚えています。

唄つている佐藤千夜子(1929)さんは、日本初のレコード歌手。

昭和4年の東京の光景が見られます。

作曲 中山晋平 作詩 西条八十  解説

昔恋しい 銀座の柳
仇な年増を 誰が知ろ
ジャズで踊って リキュルで更けて
明けりゃダンサーの 涙雨
<間奏>
恋の丸ビル あの窓あたり
泣いて文書く 人もある
ラッシュアワーに 拾った薔薇を
せめてあの娘の 思い出に
<間奏>
ひろい東京 恋ゆえ狭い
粋な浅草 忍び逢い
あなた地下鉄 わたしはバスよ
恋のストップ ままならぬ
<間奏>
シネマ見ましょか お茶のみましょか
いっそ小田急で 逃げましょか
かわる新宿 あの武蔵野の
月もデパートの 屋根に出る


@
現在復元しようとしている
戦前の東京駅。

ラジオドラマ「君の名は」の数寄屋橋は
現存しない。

丸の内の赤レンガの三菱○号館も
今はない。

市電や荷車は見られない。


A
西から帰ってきて到着した
東京駅のプラットホームを降りて
家路を急ぐ群衆
現在の風景とはちがう。
丸ビル
明治生命ビル

万世橋・
廣瀬中佐と杉野兵曹長の銅像
は現存しない。

地下鉄は渋谷・浅草間が第一号
浅草仲見世、レビユー
中央線の車窓より見た御茶ノ水
ニコライ堂

地下鉄の第一号は渋谷・浅草間でした。
グリーンの制服制帽の車掌はハイカラで、川端康成の小説「浅草紅団」に出てきたと思います。
バスの女車掌とならび、格好のいい職業だったようです。
山手線の外え行く小田急とか玉電は郊外電車と言っていました。
山手線や中央線は省線と言いました。
車両は木造で連結は密着していなくてぶつかっていました。
揺れるとぎしぎしと軋みました。多摩湖線の車両は壊れたようです。
やがて鋼鉄の車両ができて、「今日乗ったよ」と友達と語りあったものでした。

YouTube - 銀座の柳

東京行進曲の続編のような感じです。
昭和7年、銀座に柳の街路樹が植えられたのでしょう。

作曲 中山晋平 作詩 西条八十 解説
唄  四家文子
植えてうれしい 銀座の柳
江戸の名残りの うすみどり
吹けよ春風 紅傘日傘
今日もくるくる 人通り

巴里のマロニエ 銀座の柳
西と東の 恋の宿
誰を待つやら あの子の肩を
撫でてやさしい 糸柳

恋はくれない 柳は緑
染める都の 春模様
銀座うれしや 柳が招く
まねく昭和の 人通り


電車、自動車が走っており、
人通りも多い。

着物の人が多い。
特に女性は。

銀座の柳も
現在は消えたようだ。
吉祥寺の大通りに
見ることが出来る。
マロニエは
栃の木のことで、
やはり吉祥寺の別の通りで
見られる。

三原橋の歌舞伎座も
建てかえられるようだ。

銀座通りにも路上電車・市電が走っていました。
どこまで行っても8銭で、乗り換え切符も車掌が切ってくれました。
四角いセダンの自動車はフォードかシボレーで、国産車はごく少なかった。
乗り降りの踏み台がついており車輪に泥除けがついていました。
石油製油所が少なくて道路のアスファルト舗装が行き渡っていませんでした。


YouTube - 紅屋の娘

野口雨情:作詞、中山晋平:作曲。
昭和四年。
上に紹介しました「東京行進曲」のB面です。