[戦前映画]

 パリの屋根の下
Sous les tois de Paris


モンマルトルの岡からパリを見下ろしてみると、
(パリが一望出来て遥かにエッフェル塔が見えるではありませんか!)が、之は置いといて。

眼下に煙突のある パリの屋根 が見えます。
部屋の数だけ無数の煙突があるのです。
映画「パリの屋根の下」は煙突のあるパリの屋根の絵から始まります。

ルネクレールの映画の世界は何時も下町の街角でしょう。屋根の下は下町の街角です。

シャンソン ♪パリの屋根の下♪ が流れるのです。延々と。
Sous les toits de Paris (Rene Clair - 1930)



私共の年次はこの映画のリアルタイムの封切には間に合いませんでした。
制作昭和30年ですから、日本での封切りは一二年後であっても、
私共の予科入学は36年4月ですから、封切の頃は私共は中学生でした。
戦前の中学生は映画を見せてもらえなかったのです。
名映画は所謂「名画座」で封切後、繰り返し映写されましたから、それを見ているんです。



けれどもこの主題歌は、映画館の外で、早くから聞いて、知っていました。
主役のプレジャンが街角で流行歌「パリの屋根の下」を、
群集に繰り返し歌ってみせて、
その楽譜のチラシを売っているんです。
まるで映画の中の群集の一人になって覚えたように、この歌を覚えました。

ストーリーが終わってから画面に映された
西條八十の意訳というか寧ろ作詩といったほうが良いと思はれる美しい歌詞で覚えました。



なつかしの思い出に さしぐむ涙
なつかしの思い出に 溢るる涙
マロニエ 花は咲けど 恋しの君いずこ
巴里の屋根の下に住みて たのしかりし昔
燃ゆる瞳 愛のことば 優しかりし君よ
鐘が鳴る 鐘が鳴る マロニエの並木道
巴里の空は青く晴れて 遠き夢をゆする




画面は白黒で暗いんです。哀愁が漂っていました。

映画はその昔、活動写真と言われました。
1895年
 
フランスで、リュミエール兄弟が、、巨大なスクリーンに動く映像を映しだした。
だから活動写真だったのですが、何時の頃からか映画といわれるようになりました。
無声映画でした。
やがて弁士が画面の説明やら台詞を語るようになり、楽隊が音楽を演奏しました。
音楽のみのついたサウンド版が出ました。台詞は字幕でした。
 1927年,
First Talkie ”The Jazz Singer”
 1929年 
Silent Films disappear
 1930年
 ”Sous les Toits de Paris” 最初の本格的トーキー



プレジャンが歌っている元歌の日本語字幕は岡 喜一となっており、
映画のストーリーに添った序曲のようで、
やはりルネクレール監督の映画「巴里祭」の場合によく似てる。