青淵翁の達見         5組 張 漢郷


最近一橋と縁の深い渋沢栄一翁の略伝を読んで感 銘を受けました。

何故あれ程欧米の事情に精通していながら、当時流行の「脱亜入欧論」に巻き込まれなかったのか、
あれ程多くの重要産業を創設していながら、
何故個人或は家族の名義で財団を作らなかったのか。

更に高等教育の育成に多大の貢献をした際、
なぜ 一橋や早稲田など西洋の学術を受け入れる学校に限らず、
国士舘、二松学舎のような国学を主力とする学校にも重きを置いたのか。
賢明な経営法が利益の拡大に繋がる事を身をもって証明しながらも、
何故 「論語と算盤」などの著作を書いて、
独特の「道徳 経済合一説」を唱えたのか。

それらの質問に答えるとすれば、
それは翁がヨー ロッパ物質文明の長所欠点を知り尽して居たが為に、
盲目的な入欧論に同調出来ず、
その欠点の解決 を東洋伝来の精神文明に求めたかったからであろう。

翁が幕臣として一橋慶喜の命で海外の視察に出た頃、
中国大陸では科挙の試験に敗れた洪秀全による太平天国の乱がやっと終わったばかりで、
儒教の勢力が急激に低下していた。 
それを熟知の上で日本の儒教を維持しようと努力した翁の勇気は、並々のものではなかった。

その後大陸では、清王朝の滅亡、軍閥の割拠、国 共兩党の内戦とが相継いで勃発し、
儒学は一瀉千里の勢いで地に落ちた。 
毛沢東は文化大革命の名を借りて、孔子批判の群衆運動を巻き起こし、
それで
儒教に最後のとどめを差した積りであった。

だが毛滅後三十年の今日、大陸でまた孔子尊敬の運動が復活していると聞く、
それを知るほどに、日本近代化の過程で孔子孟子の教えを保護した青淵翁の達見に頭が下がります。