想い出
5組 山崎 坦
日比谷公会堂 開設80周年

完成 1929年10月19日
収容人員 2,085人

http://hibiya-kokaido.com/80shunen-sikiten.html



日比谷公会堂が開設80年という。
私共が90歳だから、公会堂のほうが10年若い。
私共はしばしばお世話になったので懐かしい。

当時、オーケストラといえば新響(新交響楽団)だけだったし、
演奏会場といえば日比谷公会堂だけだった。

新響の指揮者といえばヨゼフ・ローゼンシュトックで、
オーストリヤ出身のとても厳しい指揮者だったと記憶していて、
検索してみると、詳細の経歴を承知できた。
成る程ウィーンで学んだのだが、出身はポーランドのユダヤ系の人だ。
日本には1936年に来たというから、丁度私共が予科に入った年で、
私共が教養としてもクラシック音楽になじもうと心がけ始めたころだった。
1936年から1942年まで、新響定期公演第170回から第232回まで指揮をしていたという。

当時は街に名曲喫茶などという喫茶店があって、コーヒー1杯で、
ベートーヴェンなどの名曲を延々と聞かせてくれた。
学生は深刻な面持ちで聞いているというような、風景であった。

なまのオーケストラを聴くのは感激だったと思うが、当時のオーケストラはまだ未熟で、
ホルンなどは音をはずさないかと心配して聞いていたものだ。

やがて私は音楽部のコーラスに参加した。
!!○!!
国立音楽学校(現国立音大)のコーラスに参加して
ベートーベン作曲第9交響楽
演奏 新交響楽団 指揮 ヨゼフ。ローゼンシュトック
合唱 歓喜に寄す(シラー作詞)
のコーラスに参加することとなった。!!!
!!○!!
http://www.youtube.com/watch?v=_C9RPUQ1vwQ

ベートーヴェンのハーモニーには心底よりぞっとして鳥肌立った。
それは確か昭和15年(1940年)5月5日・6日両日。

検索してみると
NHK交響楽団 創立80周年 特別企画
NHK交響楽団 (新交響楽団、日本交響楽団、日本放送交響楽団)ベートーヴェン「9」演奏・放送一覧
に記載されていた。

練習の日々、リハーサルの日々が感激の日々であった。
ローゼンシュトックのオーケストラに対する厳しさもわかった。



'41年真珠湾攻撃のわずか1年前、私共が軍隊に'42年入営する2年前でした。


1年後の’41年12月27日には私共は繰り上げ卒業させられて'42年2月1日入営させられました。



確か入営を控えた'42年の1月の新響の定期演奏が
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ピアノ
井上園子
新交響楽団
だったのだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=_CMo_mLNz38

これまた検索すると
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/Pf:井上園子、新交響楽団(日本放送交響楽団名義)、
日本コロムビア録音(当時は未発売。
ローム・ミュージック・ファンデーションからリリース)(1939年)
とでてきました。



この素晴らしい音楽に感激し、もうこのような音楽を2度と聴くことは出来まいという感懐を抱いて
軍隊に入ったのでした。
42年2月~6月初年兵教育。幹部候補生教育。7月~12月予備士官学校。
'43年歩兵連隊第2大隊第7中隊第一小隊長。見習士官。 出征。



ともに第9を歌い、ともにチャイコウスキーのピアノ・コンチェルトを聴いた親友達は
総て天国に召されています。