"広島40年" 7組 藤原康次郎
思いがけず91歳という高齢に達した。もともと頑健な体ではなかったのに、何とか元気でこの齢を迎えることができ感謝にたえない。
もう20年前になるが、70歳の時に椎間板炎という大病に罹り3カ月程入院した。
おかげさまで全快することができたが、その時の休養でその後の健康が保たれてきたのかも知れない。私はもともと福岡市博多の生れであるが、広島市に住みついて40年、今では全くの広島人になりきっている。これも広島との深いご縁であろうが、その最初は、昭和20年10月、まだ原爆被災の生々しい頃復員し、日本銀行に復職し広島支店勤務を命じられたことである。焼け残った銀行の土
間に寝起きするような厳しい生活であったが8ケ月程で転勤となった。もう二度と広島に来ることもないだろうと思っていたが、その後20年経って再び赴任することとなり驚いた。でも今回はすっかり復興した広島での生活で快適であった。3カ年程の勤務であったが、その間地元の相互銀行社長後継者が急逝されたため、後任に強い要請を受け結局これをおうけすることとなった。そこで三度び広島に来ることとなり、すっかり広島に定住するようになった。
現在、銀行関係の役職はすっかり辞任しているが、若干の公職的なものを健康の許す程度で勤めさせていただいている。
たとえば、広島県と中国四川省が友好提携を結んだことを機に創立された廣島県日中親善協会や、地元のテレビ会社が設立した生涯教育のいわば老人大学などのお世話である。
同窓の諸兄には、すっかりご無沙汰しているが、ますますのご健勝、ご多幸を心よりお祈り申し上げたい。