昔の山手線
山手線に茶色の車両 命名100周年で「ぶどう色2号」復活
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http://www.youtube.com/watch?v=m_teqlImwGE
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昭和8年(1933年)から昭和11年(1936年)3月まで、世田谷の自宅から市ヶ谷の中学校まで、
毎日通学途中に山手線を利用した。
成る程ぶどう色だったのか、けれどもこんなにモダンな格好のいいものではなかった。
はじめは木製のぎしぎしと軋むようなもので、連結器は密着していなかったから、
始動や停止の際にガチャガチャと余韻というか、余計な動きがあって、危険だった。
何時の頃からか鋼鉄の電車が出来て、登校後の話題に、
「今日、鋼鉄の電車に乗った。」と話したものだった。
連結も密着したものになった。
東京の国鉄電車は省線と呼びました。
毎日見た車窓からの風景もなつかしい。
四谷では、赤坂見附の方に、小型の市電がバウンドしているように、坂を転がり落ちてゆくような風景を、面白く眺めたものだった。
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http://allatanys.jp/A005/20090907PHY01534.html
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